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第77話 新たな移住者②

「それじゃあ、私は行くよ。あとのことは君に任せる」


「はい、先生……どうかお元気で」


「ははは、そう感傷的になるのはやめなさい。レトヴィクに戻ってくることもあるだろうから、そのときはまた顔を見せるさ」


 ケーニッツ子爵領のレトヴィクに診療所を構えている……いや、構えていた医者のセルファースは、この診療所を今日から継ぐことになる弟子にそう声をかけて建物を出る。


 独り立ちをする弟子に診療所を譲り、長年過ごしたレトヴィクを離れてこれからセルファースが向かうのは、ケーニッツ領の西隣にあるアールクヴィスト士爵領だ。


 医療器具を詰めた鞄に、各種の薬を入れた大包みにと、その荷物はなかなかに多い。そのため、アールクヴィスト領の領都ノエイナまでの旅路には馬車を雇っていた。


「……今から発てば、昼過ぎには着くだろうかね」


「ええ、天気もいいですし、順調に行けばそうなりますよ」


 馬車とともに雇った御者とそんな言葉を交わすと、セルファースは自分が余生を過ごすと決めた地に向かって出発した。


・・・・・


 いつもと変わらない平和な日の昼下がり。窓から降り注ぐ気持ちのいい日差しを浴びながら執務室で仕事に励んでいたノエインのもとに、ペンスが報せを持ってやってきた。


「ノエイン様、移住希望者との面会をお願いしていいですか?」


「いいよー、また新しい人が来たんだね。今回も農民かな?」


「いや、それが……来たのは医者のセルファース先生でさあ」


 ペンスの口から出たのは、予想外の名前だった。


「えっ、セルファース先生が? 移住を希望してるの? ここに?」


「はい。俺も重ねて確認しましたが、移住希望で間違いないそうで」


 ノエインは未だに驚きながら、執務室内で仕事の手伝いをしてくれていたマチルダと顔を見合わせる。彼女の顔にも意外そうな表情が浮かんでいた。


 レトヴィクに診療所を構える老医師のセルファースには何度も世話になっていた。昨年ノエインがエルド熱にかかったときも、盗賊団との戦いで多数の負傷者が出たときも、レトヴィクから駆けつけて対処してくれたのが彼だ。


「分かった、すぐに会いに行くよ」


 アールクヴィスト領の恩人を待たせるわけにはいかない。ノエインは手にしていた書類を置くと、急ぎ立ち上がった。


 マチルダとペンスを伴って領都ノエイナの入り口近くに作られた詰所に向かうと、そこにいたのは確かにセルファースだ。


「こんにちは、セルファース先生」


「アールクヴィスト閣下。突然こうして訪ねてしまい申し訳ない」


「セルファース先生のご訪問ならいつでも歓迎しますよ……ところで、この領への移住を希望されているとか」


「ええ、実はそうなのですよ。驚かせてしまったでしょう」


 セルファースは穏やかな笑みを浮かべて言う。


「領主としては、この領に医師として確かな実績をお持ちのセルファース先生が移住してくれることはとても嬉しく思いますが……確かに少し驚きました。理由を伺っても?」


 セルファースはレトヴィクで何十年も診療所を営んでいるとノエインも聞いていた。小さな診療所ではあるが、付近の庶民たちを助ける役割を果たしていると。


 その彼がどうして今、住み慣れたはずのレトヴィクを離れて辺境の田舎でしかないアールクヴィスト領への移住を望むのか。ノエインにはピンとくる理由がなかった。


「もちろん、お話させていただきますとも……アールクヴィスト閣下は私の年齢はご存じですかな?」


「いえ、申し訳ありませんが……」


「そうでしたか、これは失礼。私は今年でちょうど90歳になります」


 セルファースの言葉に、ノエインは目を見開いた。


 確かにセルファースは老人と言っていい見た目だが、しっかりとした足腰や伸びた背筋、はっきりとした話ぶりを見るに、せいぜいが60代といったところだろうと思っていたからだ。


「それは……驚きました。ということは、先生はハーフエルフかクォーターエルフでいらっしゃるのですか?」


「その通り、私はエルフの血が四分の一流れるクォーターエルフです」


 それを聞いてノエインも納得する。


 獣人と普人の間には子どもは生まれないが、エルフやドワーフといった亜人と普人の間には、確率は低いものの子どもができ得る。


 エルフは人間の二倍以上生きると言われている長命の種族だ。その血を四分の一も継いでいるとなれば、セルファースも病気さえしなければ100年は生きられる身体なのだろう。


 齢90にして、これほどまでに若々しさを保っていられるわけだ。


「エルフの血を継ぐ者は普通より魔法の才を授かる確率が高いので、それもあって私は治癒魔法の才を授かりました。しかし私の才は、魔法をかけた相手の自然治癒力を多少高められる程度のものだったので、薬学の知識を学ぶことで才の不足を補い、医師になったのです」


 セルファースは話を続ける。


「医師となってから70年以上。私は都市から戦場まで、さまざまな場で病人や怪我人の治療を行ってきました。30年ほど前からはケーニッツ子爵領のレトヴィクに居を構え、診療所を運営してきましたが……弟子として育てていた者が十分に成長したので、診療所を譲ったのです」


「なるほど。それで、このアールクヴィスト領に?」


「ええ。クォーターエルフもそれなりの長命とはいえ、私の寿命はおそらくあと十数年といったところでしょう。長い人生の終盤をどんな土地で迎えるか考えて……慈愛に満ちた領主様が治める地で、その地の発展を見届けながら暮らしたいと思ったのです」


「……セルファース先生の目から見て、私はそのように映っていましたか」


 ノエインは少し照れたようにはにかんだ。


「ええ、閣下がエルド熱にかかられて従士の方が私の診療所へ駆けつけてきたとき、あなたが部下からとても慕われ心配されているのを知りました。盗賊との戦いで傷ついた領民のために、あなたが報酬を惜しまず私に治療を依頼されたとき、あなたの慈悲深さを垣間見ました。晩年を過ごすなら、あなたのような方が治める地がいい。私もしがない医師として、ささやかですがこの地に貢献させていただきたい」


 優しげな笑みを浮かべて語るセルファースを前に、ノエインは少したじろいだ。


 色々な計算も踏まえた上で「いい領主」になれるよう立ち回ってきたノエインとしては、こうして真っ向から聖人君子のように賞賛されると少し後ろめたさを覚えてしまうのだ。


 しかし、セルファースの申し出は、この地の領主としては願ってもないことだ。ノエインと領民たちがこれまで彼に助けられたことを考えても、恩人である彼の移住を断るはずがない。


「……もちろん、領主の私も従士や領民たちも、一同喜んでセルファース先生を歓迎させていただきます。先生のお住まいや、診療に使われる場は、全て私から提供させていただきましょう」


「それはよかった。感謝いたします、アールクヴィスト閣下」


「セルファース先生が晩年を過ごす地の領主として相応しい人間であれるように、私も頑張ります」


 珍しく計算を抜きにして、人生の大先輩に敬意を示す一青年としてノエインは素直にそう言った。

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