第367話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 緒戦①
デール候国とレーヴラント王国の国境に定められた小山脈の切れ目、フィオルーヴィキ峡谷。
そこに築かれた砦越しに、レーヴラント王国、アールクヴィスト大公国の連合軍は、ヴィルゴア王国の軍勢と対峙した。
「……よくもまあ、あれだけの数を揃えたものだ。いくら寄せ集めの軍勢とはいえ」
砦の司令部となっている関所の屋上の見張り場から敵軍を見渡し、ガブリエル・レーヴラントは呆れを滲ませた声で呟いた。
敵軍の総数は、デール侯国の占領部隊として抜けた分を除いても尚、五千を優に超えていた。その陣の先頭には、ただの農民に適当な刃物を持たせただけの数百人規模の部隊が立っている。正確には立たされている。
「なるほど、占領したデール候国の民をあのように使いますか。賢いですね」
冷たい目で敵陣を見下ろしながらノエインが言い放つと、ガブリエルから慄くような視線が向けられる。
「アールクヴィスト大公、あれを賢いと思うか」
「ええ。非常に趣味の悪い手ですが、有効であることは否定できません。家族の無事を保証されたければ、ヴィルゴア王国の敵に果敢に立ち向かって忠誠を示して見せろ……そう言われたら、デール候国の民としては従わざるを得ないでしょう。ヴィルゴア王国側は彼らを使うことで、本隊を消耗することなく、こちらの抵抗の仕方を見ることができます」
語りながら、ノエインは自身の言葉に口の端を歪める。このような手口を、かつてのベトゥミア戦争でも目にした。奴隷兵と化した無辜の民を皆殺しにしたのは、ノエインの人生において特に後味の悪い記憶のひとつだ。
この手を考えたのはカイアではなく、おそらくカドネの方だろう。そう思いながら敵陣の後方――ノエインたちの事前の予想通り、丘の上に立てられた敵の本陣の旗と、敵将に目を向ける。
ヴィルゴア王国の旗と並んで立てられているのは、ランセル王家の家紋が記された旗だ。その旗の隣には御輿のような椅子が置かれ、そこに黄金色の鎧に身を包んだ人物が見える。
鎧の輝きはベゼルの戦いでノエインが見たときよりも多少くすんでいるように見える。ノエインの視力では顔立ちなどは分からないが、あれがカドネで間違いないだろう。
「そうか……何とも、卑劣な輩だな。デール候国とは民同士の交流もあった。兵の中には、あの中に顔見知りがいる者も多いだろう。下手をすれば親戚さえも」
嘆きながらも、ガブリエルは傍らのハッカライネン候に戦闘準備を命じた。それを受けてハッカライネン候はレーヴラント王国軍の兵士たちに向けて声を張り、正規軍人から農民兵まで誰もがそれぞれの役割のもとに動く用意をする。
「ユーリ、こっちの準備は済んでるね?」
「はっ。バリスタ隊、攻撃魔道具隊、クレイモア、それぞれいつでも動けます」
ノエインの言葉にユーリが即座に頷いた。
現時点では砦の外に出て戦うわけにはいかないので、バリスタは砦の内側後方から敵に爆炎矢を曲射し、クレイモアはゴーレムを使って投石を行ったり、防壁をよじ登ってくる敵を叩き落としたりするのが任務となる。
「よし、それじゃあ……後は敵が動くのを待つだけだ」
・・・・・
レーヴラント王国とアールクヴィスト大公国の連合軍が戦闘に備えている一方で、ヴィルゴア王国の軍勢もまた攻勢を開始する準備を整えていた。
戦闘に向けて隊列を組み、命令があればいつでも出られるように覚悟を決める。
それを、カドネとカイアは本陣と定めた小高い丘の上から見下ろしていた。
「おお、あの関所の上、あれはアールクヴィスト家の旗だ。あの小さな男がノエイン・アールクヴィストで間違いない。隣の兎人の女と、頭を剃った大男も見覚えがある……本当に再戦が叶ったんだな。ノエイン・アールクヴィストがあそこにいるんだな」
ランセル王国を追われるときに持ち出した自身専用の鎧を身に着け、しみじみと呟くカドネの隣には、世話係であるイヴェットも連れられていた。二人の周囲を、ランセル王国にいた頃からの親衛隊兵士たちが囲んでいる。
「偵察役の風魔法使いが上から見た限りだと、敵の総数は千五百に満たない程度だったな。砦は多少は気合を入れて作ったようだが、いくら何でもあれだけでは持ちこたえられまい。数日も攻め続ければ落ちるだろう」
カイアが言うと、カドネはノエインを見て懐かしげな表情を浮かべるのを止め、急に不安げな顔になる。
「敵数は本当にそれだけなんだよな? 伏兵はないな?」
「ああ、あの右後方の森も、左隣の森も斥候が確認した。お前の言う通りに、わざわざ樹上までな。周囲数キロ以内の森や林も全て確認したし、今も見張りを置いているんだ。安全圏のさらに外から敵が近づいてきても必ず気づく」
「そうか。そうだったな……それならいいんだが」
尚も不安そうな顔のカドネに、カイアは苦笑した。
「お前がやれというからやっているんだぞ? この本陣の半径数キロ以内に絶対に敵はいないし、その外側も今まさに見張りが立っている。普通はここまではしない。それに本陣には百五十の護衛を置いている。森が点在するだけの平原で、これだけの護衛を打ち破れる伏兵を仕込むなど不可能だ……だから落ち着け。我が軍の兵を信頼しろ」
「……ああ、悪い。お前の兵を信頼してないわけじゃないんだ。ただ、相手がノエイン・アールクヴィストだからな」
かつての親征で、カドネはノエイン・アールクヴィストの常識外れの策によって敗れた。森の中に忍ばせた伏兵によって隊列を引っ掻き回されたのが最大の敗因だ。カドネ自身も樹上に隠れた狙撃兵によって撃たれ、そのせいで不自由な身体になった。
なのでカドネは、この侵攻が始まって以来、カイアに呆れられるほど「伏兵を警戒しろ」と口にしていた。
「陛下! 参謀殿! 全軍の隊列を整え終わりましたぞ!」
そのとき、カドネとカイアのもとへ歩いてきたのは、狼人の将軍ガジエフだ。
本来はカイアの横で偉そうに構えていても許される立場のガジエフだが、各隊が整っているか自らの目で見なければ気が済まないという理由で陣を練り歩き、将兵たちに声をかけて回っていた。
「デール候国の徴集兵共も並べ終わりました。最後にもう一度よく脅しておいたので、必死こいて敵に向かっていくでしょうなあ!」
「そうか。それは見ものだな……ではカドネよ、始めるぞ」
「ああ。やってくれ。この戦いに勝利すれば、お前の大陸北部での覇権が決まる。俺の復讐の達成にもまた一歩近づく」
「そうだな。ここで勝利を挙げて、俺は大陸北部の覇者になる……開戦だ! まずは徴集兵を出せ!」
敵の砦に手を伸ばし、カイアが厳かに声を張った。それに合わせて命令を伝えるいくつもの大太鼓が打ち鳴らされ、もとはデール候国の民である徴集兵が砦に進み出した。目付け役の兵士たちに追い立てられるようにして。
・・・・・
それを、関所の屋上からノエインたちも見ていた。
気休め程度の武器を持たされ、恐怖を顔に滲ませながら走ってくる徴集兵を見て、ガブリエルは表情を少し歪める。
ノエインが防壁の方を見ると、レーヴラント王国の兵士たちも動揺しているようだった。中でも特に徴募兵の動揺が大きい。あれをこれから殺すのか、と戸惑いの表情を浮かべ、周囲の者と顔を合わせている。
「ガブリエル陛下。まずは我が軍のバリスタ隊を使いましょう。隣国の民を殺すのは貴国の兵にとって戸惑いもあるでしょうから。できるだけ減らします」
「……では頼もう。気遣いに感謝する」
平然とした顔でノエインが言うと、ガブリエルは重い口調で返した。
「コンラート、ダントに繋いで」
「了解いたしました」
ノエインの傍に控えるコンラートが、ダントに『遠話』を繋ぐ。
「バリスタ隊、第一班の射撃用意だ。敵はもう間もなく第一地点を越える」
ノエインがコンラートに向けて発した言葉は、そのまま砦後方でバリスタ隊を率いるダントに伝えられる。
砦の正面の平原はノエインたちから見て緩やかな下り坂になっており、そこには敵の突撃の勢い殺すためにところどこに穴が掘られ、岩が置かれ、走りづらいようにされている。
その中にはいくつか目印となる岩も定められており、敵が砦から五十メートルと二十五メートルの地点を通るのが分かるようになっている。そして、その二地点に矢が着弾するよう、バリスタの狙いは調整されていた。
「敵が第一地点を越えたよ。第一班、いつでも撃って」
ノエインの指示がコンラートを経由してダントに伝えられ、後方から「放て」という叫びが小さく聞こえる。
それとほぼ同時に、強靭な弦が弾かれる音が立て続けに響き、先端に大きな陶器製の壺が固定された矢がこちらの陣営を飛び越えていった。
バリスタ隊の第一班、計六台から放たれた爆炎矢は、砦の防壁から五十メートルの第一地点を今まさに越えている敵部隊の只中に落ちる。
瞬間、敵徴集兵の群れの中に六つの炎が生まれた。
「うわああああっ!」
「熱い! 熱いいぃ!」
直撃を受けて火だるまになった不運な者、そして飛び散る火が身体に燃え移った者から熱さに苦しむ絶叫が、それ以外の者からは突然の攻撃に驚く声が上がる。
敵徴集兵の足が一瞬止まるが、後ろからヴィルゴア王国の正規軍兵士に剣で脅されると、再び砦を目指して走り始めた。
いかに強力な兵器である爆炎矢とはいえ、所詮は六発。精神的に与えたショックはともかく、実質的な被害はそれほどでもない。戦闘不能に陥った敵は、まだ二、三十人といったところか。
「バリスタ隊は第二班の射撃準備。ユーリ、下のクレイモアに投石の用意をさせて」
ノエインの指示をコンラートがダントに送り、ユーリは関所の見張り場から下のクレイモアに合図を送る。それを見たグスタフが指揮下の傀儡魔法使いたちに命じ、自らのゴーレムにも石を構えさせる。計四体のゴーレムが、人の上半身ほどもある大きな石を両手に一つずつ抱える。
関所屋上で命令を飛ばすノエインの隣にはマチルダが控え、盾を手にしている。その盾は漆黒鋼製で、軽量な分、今までの戦場で彼女が持っていたものよりも少し大きい。
さらに、二人の周囲はペンス率いる親衛隊が囲んでいる。まだ敵の攻撃が飛んでくることはないだろうが、ペンスたちには僅かの油断もない。
敵徴集兵が第二地点、砦から二十五メートルに迫る。そこへバリスタの第二班の爆炎矢六発が落ち、また身体を燃やす不幸な者が出る。
それでも追い立てられて迫ってくる敵兵たちに、今度はグスタフ率いる隊のゴーレムの投げ放った石が落ちた。勢いよく投げられた大きな石は人間の頭を、あるいは手足を簡単に引きちぎり、身体を引き裂く。敵の群れの中に赤い噴水が上がり、あるいは赤い霧が散る。
徴集兵たちは泣き叫びながら、尚も必死に走り続け、ついに砦の防壁まで迫る。




