第365話 大公国軍人の矜持
「斥候の報告では、デール候国に入ったヴィルゴア王国の軍勢は総勢五千を優に超えているそうです。今はルズールや村々の占領、略奪に勤しんでいるようで、この砦へとやってくるまでには一週間程度の猶予があると見られています」
関所の中、会議所とされた一室で、ハッカライネン候が言った。
部屋の中心にはテーブルが置かれ、その上には砦の周辺を記した簡易の地図が広げられている。それを囲みながら、ガブリエルとノエイン、そして互いの側近たちは厳しい表情を浮かべていた。
「時間は少しばかり残されているか。だが……その間にできることは少ないな」
「そうですね。まあ、戦い方を考える余裕だけはあると思いましょう」
呻くように言ったガブリエルに、ノエインは苦い笑みを浮かべながら返した。
レーヴラント王国の正規軍と徴募兵、そしてアールクヴィスト大公国の遠征部隊を併せた総兵力は、千三百ほど。対する敵軍はおよそ四倍だ。デール侯国占領のために多少の戦力が割かれるだろうが、それでもとても楽観視はできない。
ただぶつかり合えばジリ貧になって負ける結末が見えている。多少なりとも戦い方を工夫し、策を以て数の不利を覆すしかない。
「まず考えるべきは敵の出方ですが、あちらは複数の国の軍勢が集まった連合軍です。そう複雑な動きはできますまい」
「でしょうな。基本的には正面からの力押しで来るものと考えれば良いでしょう。それでも十分な脅威ですが」
地図を睨みながら、ハッカライネン候とユーリが語る。
砦の左右は険しい崖になっており、側面から攻撃を受ける心配はない。とはいえ、正面から五千もの大軍の猛攻を受ければ、数で圧倒的に劣るこちら側が先に力尽きるのは明らかだ。
「となると、正面以外から敵の急所を突ければこっちにも勝機が……ガブリエル陛下、敵が本陣を置くとしたら、この丘の上あたりになるでしょうか?」
ノエインが地図上で指差したのは、デール候国側から峡谷へと続いている街道の脇。砦から正面やや右側に見える小高い丘だ。
「ああ。確か十年ほど前、我が国に侵入しようとした大規模な山賊との戦いが起きた際も、敵はこの丘に本陣を置いていた。そうだったな、スルホ?」
「仰る通りです。敵陣側ではこの丘の上が最も高所ですので、ヴィルゴア王国の将たちも、戦場を一望するためにここへ本陣を置くのは間違いないかと思われます」
その話を聞きながら、ノエインは地図を見る。そして、関所の二階にある会議室の窓から、砦の外を見やった。
砦の防壁の向こう側、カドネとカイアが本陣を置くと思われる丘。その周囲にあるものといえば、丘の北西側と東側にある森くらいだ。
カドネたちがあの丘に陣を置き、砦と対峙すれば、彼らから見て右後方と左側面に森がある位置関係となる。
「敵の本陣を別方向から直接奇襲して潰すことができれば、統率を失った敵を砦と挟撃して一網打尽にすることもできるでしょうが……この辺りの森に伏兵を潜ませるのは難しいですよね」
「ああ。これほど分かりやすく伏兵を置かれそうな場所、敵が戦いの前に斥候を入れないわけがない。兵がいたら確実に見つかる。ここ以外にも少し離れたところに森や林はいくつかあるが、敵は数には余裕があるのだ。周辺一帯で兵を忍ばせられそうな場所は全て確認されると思った方がいい」
顔をしかめながら言ったノエインに、ガブリエルも険しい顔で頷く。
「戦いが始まってから、夜間に砦の外へ兵を出し、敵陣の後方に回り込ませて翌日の戦闘中に奇襲するのは難しいですか?」
「敵兵の配置にもよるが、砦の正面から兵を出すのはおそらく無理だろう。戦闘中の奇襲とはいえ、敵の本陣を襲うなら百人は欲しい。それだけの兵を門から出していればまず確実に気づかれる。正面以外から兵を出せればいいが……」
ペンスの提案に、ユーリがそう答えながらハッカライネン候の方を向く。視線を向けられたハッカライネン候は、残念そうに首を横に振った。
「……無理ですな。側面の崖を越えるのは現実的ではない。昼間にそんな動きをしていれば敵からは丸見えになる。逆に夜間では、夜目の利く獣人でも危険過ぎて崖を登れません。大半が転落死するだけでしょう」
「峡谷を一度レーヴラント王国側へと抜け、別の道から再び山を北に越えて敵後方へ回り込むのは?」
「それも難しいでしょう。今から部隊を分けてそれだけの移動をさせていては時間がかかり過ぎます。ただでさえ足りない砦の戦力をさらに分けるのです。奇襲部隊が大回りをして敵後方に向かうまで、砦が持ちこたえられるとは思えません」
戦いが始まる前に砦の外に兵を潜ませるのは難しく、戦いが始まってからは砦の外に十分な数の奇襲部隊を出す方法がない。軍議は早くも行き詰まり、空気は重くなる。
「……っ」
ふと、ノエインは一案を思いついた。
思わずはっとした表情で顔を上げそうになり、それを堪える。その案はおそらく勝利の一手になる可能性を秘めているが、この場ですぐに言うのはためらわれた。
ノエインはその案を語る代わりに、ガブリエルに尋ねる。
「陛下、レーヴラント王国の魔法使いの人数は、およそ二十数人でしたね?」
「ああ。我が国は亜人の割合も比較的高いから、魔法使いの人数が人口のわりには少し多い。だが、全員が戦闘を得意とするわけではないからな。敵との戦力差は埋め難いぞ」
その話は前にもガブリエルから説明を受けていた。
レーヴラント王国の魔法使いで最も数が多いのは、エルフを中心に風魔法使いが五人。その他にも二十人ほど、魔法使いと呼べる程度の才持ちがいるが、そのうち戦闘に向いているのは半数だと聞いていた。
「……そうでしたね」
ノエインがそれだけ言ってまた口を閉じると、他に口を開く者はない。それから数分にわたって沈黙が続く。
「……少し頭が煮詰まりました。外の空気を吸って来ても?」
「ああ、もちろん構わない。皆も疲れたであろう。ここで顔を突き合わせて悩んでいても妙案は浮かぶまい。午後まで休憩としよう」
ノエインが切り出し、ガブリエルがそう答えたことで、軍議はしばし中断となった。
ノエインは部屋を出て、そのまま関所を出て、一度自分の天幕に戻る。
人目がなくなったことで一息つくと、共に天幕に入ったマチルダの方を向く。
「……マチルダ」
そして、途方に暮れたような声で彼女の名前を呼び、彼女の肩に頭を預けた。
マチルダは何も言わず、ノエインの頭を撫で、身体を抱き締める。何も尋ねることなく、優しく静かにノエインの背中をさする。
つい先ほど、ノエインは軍議の場で思いついた案を語らなかった。
それは、自身の愛する臣下と兵を危険に晒す策だったからだ。ノエインは自国民の命とレーヴラント王国の運命を天秤にかけ、その答えをすぐには出せずにいた。
「アールクヴィスト閣下、よろしいですか?」
そのとき、天幕の外からユーリの呼ぶ声が聞こえた。
「……いいよ。入って」
ノエインはマチルダの肩から顔を上げると、ユーリに答える。
天幕の入り口を開いたユーリは、天幕の周囲を一旦確認すると、中に入ってしっかりと入り口の幕を閉めた。
そして、ノエインの方を向き、口を開く。
「ノエイン様、さっき何を思いついた? あの場では言えないような策か?」
「……なんで分かったの」
「侮らないでくれ。もう十年以上も側近をやってるんだ。気づかないはずがないだろう」
そう返されて、ノエインは苦笑を漏らす。
「あははっ、敵わないな……確かに策を思いついたよ。多分、ただ正面から敵とぶつかるよりはよっぽどマシな策を。だけど、これは失敗したときの損失も大きい」
ノエインは軍議の場で考えついた策を、ユーリに語って聞かせた。ユーリは感心したように眉を上げ、次いで、確かにそれは効果が見込めそうな策だと認めた。
「上手くいけばそれでいい。きっと別動隊が敵の本陣を直接潰して、そのまま敵軍の後方を突ける。それに合わせて砦から打って出れば、敵軍を挟撃できる……だけど、失敗すれば少なくない人数の傀儡魔法使いと、貴重な攻撃魔法の魔道具をいくつも失う。大公国にとって痛手になる。レーヴラント王国のためにそれだけの危険を冒すべきか。悩ましいよ」
「……ノエイン様、今は建て前を話す必要はない」
ややわざとらしく悩んで見せるノエインの態度を、ユーリはばっさりと切り捨てた。
「本当に悩んでいるのはそこじゃないだろう。ノエイン様が惜しんでいるのは単なる戦力じゃない。臣下や兵の命だ。臣下や兵を大きな危険に晒してまで戦う価値が、レーヴラント王国に、この状況にあるのか。ノエイン様はそう考えているはずだ。俺が気づかないはずがないだろう……その上でもう一度言う。侮らないでくれ。俺たちを」
静かに、しかしノエインが少し気圧されるほどの気迫を纏ってユーリは言った。
「どうして俺たちが大公国軍人になったと思っている。国を守るためだ。俺たちの敵は国に迫る直接的な脅威だけじゃない。レーヴラント王国を失うことによる莫大な損失、友好国に助力しながら救えなかったことで失う名誉。すぐ隣に敵対勢力が居座ることによる不穏。それらを退けるためにも、俺たちは戦える」
そこで、ユーリはほんの小さく、ほんの少しだけ笑った。
「ノエイン様がその策を示せば、確かに何人かの傀儡魔法使いと兵士が危険に身を晒すことになるだろう。だが、その策を示されなかったらどうなる? 今を生き永らえて、それと引き換えにレーヴラント王国を失い、多大な損失と、友好国を救えなかった屈辱と、将来的な危険を抱えて国に帰る。そんなことをあいつらが許容すると、喜ぶと思うか?」
ユーリの問いに、ノエインは無言で首を横に振る。
「もうずいぶん昔、ランセル王国との戦争のときに話したな。ノエイン様が守るべきは領民の希望だと。それはノエイン様が国持ちになった今も変わらないはずだ」
それはなんだかとても懐かしい話に思えて、ノエインは場違いかと思いながらも小さな笑みを零す。
「大公国は、俺たちの新しい故郷は豊かになった。これからも豊かになると、自分の子や孫が大人になる頃にはもっと良い国になると希望を持っている。その希望を損なって、国が後退していく様を見たいとは誰も思わない。そんなことにならないために、俺たちは命を張れる。それが俺たちの家族の、子孫の希望を守ることに繋がるんだからな」
毅然と言い切るユーリを前に、ノエインは自身の先ほどまでの考えを恥じていた。
「だから、例え危険が大きくても命じられた任務に臨めと、ノエイン様は配下に言うべきだ。少なくとも、この任務に臨みたい者はいるかと、配下に問うべきだ。それをしないのは、俺たち大公国軍人の覚悟と忠誠を侮る行為だ」
「……分かった、僕が間違ってた。謝るよ」
ノエインは微苦笑を浮かべて答えた。ユーリの言ったことが正しいと認めるしかなかった。
アールクヴィスト大公国の君主である自分は、大公国軍の全員の命を預かっているのだ。彼らが何のために自分に命を預けているか。アールクヴィスト大公国の、そこに暮らす全ての臣民の希望を守るためだ。ノエイン・アールクヴィストなら皆の希望を守るために正しい判断を下すと、彼らが信じてくれているからだ。
であれば、自分は彼らの信頼に応えるべきだ。たとえそれが、大きな危険を伴う任務への従事を命じることだとしても。
「グスタフとアレイン、ダント、それと歩兵部隊の小隊長を全員呼び集めてほしい。彼らにこの策を説明して、志願者を募るよ」
「分かった……閣下の御意のままに」
ユーリは見事な敬礼を示し、天幕を出て行った。




