第32話 彼らは幸福だった②
祝いの宴会が始まり、領民たちはそれぞれ思い思いに酒を飲み、豪華な料理を食べ、語らう。
それを眺めながら、ノエインは一人で充足感に浸っていた。そこへ声をかけられる。
「相変わらずヘラヘラしてるな」
話しかけられた方を見ると、そこにはユーリとアンナ、エドガーが杯を片手に立っていた。
「ヘラヘラだなんてひどいなあ。領主が慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、愛する領民たちを見つめていただけなのに」
「ははっ、よく言うぜ」
軽口を叩き合うノエインとユーリを見て、一緒にいたアンナとエドガーも苦笑した。領外の人間の前では澄ました顔をしているノエインだが、素の表情がこのようなものであることは2人もとっくの昔に気づいている。
「さっきのスピーチ、すごく素敵でしたよ、ノエイン様」
「難民になっていたところをノエイン様に拾っていただいた日を思い出して泣いてしまいましたよ」
「ありがとう2人とも。自分でもけっこう上手く話せたんじゃないかと思ってたんだ」
アンナとエドガーにそう評してもらい、ノエインはヘラヘラした顔のまま答える。これには少し照れ隠しも含まれている。
「……あらためて見ても、随分と村らしくなったねえ」
立ち並ぶ家々と、その周囲に広がる農地を眺めながらノエインは言った。
これまでは「無駄に広いだけで金にならない森」だからとクソ父上が手をつけてこなかった、誰が見てもはずれ領地だと言うであろうアールクヴィスト士爵領。
ノエインはそこを開拓する決意を固め、少しの知恵と傀儡魔法の才、鉱脈を発見するという幸運、そして自身を支えてくれる奴隷や従士、領民たちの助けを得てこの村を築いたのだ。
「たった1年足らずで森の中にこれだけの村を作り上げたのは凄いことだ。お前は誇るべきだよ」
「やけに素直に褒めてくれるね? なんかちょっと怖いよ」
「おいおい、これでも領主としてのお前のことは評価してるんだぞ? 一個人としてのお前はただの小賢しい小僧だと思ってるがな」
「あはは、よく分かってるね」
そう言ってノエインは笑った。
・・・・・
「マイ、あらためて結婚おめでとうございます」
「あら、ありがとうマチルダ」
酒の置いてあるテーブルへ向かったマイは、おそらくノエインのものと思われる杯にワインを注いで運ぼうとしているマチルダと鉢合ってそう声をかけられた。
開拓の最初の頃、マイがマチルダに「もっと他の人と話してみたら」と言ったのをきっかけに、2人は今では友人と言える関係になっている。
「傭兵だった頃は環境的になかなか結婚なんてできなくてね。あの人は早くから団の幹部として忙しくしてたし、しまいには団長にまでなっちゃうし。やっと結ばれて穏やかに暮らせるわ」
「あなた方が幸せになれたことを、ノエイン様もお喜びになっていると思います」
普段話していてもそうだが、マチルダはいつも二言目には「ノエイン様は~」と彼の話ばかりだ。
「ねえ、あなたはノエイン様と結婚しないの? あなたが望めば奴隷から解放してもらうことだって……」
この機会に、マイは以前から気になっていたことをマチルダに聞いてみる。
マチルダがノエインを崇拝に近いレベルで愛しているのはもちろん、ノエインの方もマチルダを溺愛しているのは誰が見ても明らかだ。彼女が望めば、ノエインはすぐにでも彼女を奴隷身分から解放するだろう。
「……ノエイン様も以前、私をキヴィレフト伯爵から買い取ってご実家を出られた際にそう仰いました。ですが、私はノエイン様の奴隷のままでいたいとお願いしたんです」
「それは、どうして?」
「私の首には一生消えない奴隷の紋様が刻まれています。元奴隷で獣人の私がノエイン様の妻になれば、この先ノエイン様が領主として活躍される上で私はきっとあの方の枷になってしまいます」
マチルダの言葉に、マイはどう返すべきか迷う。
確かに彼女の言う通りなのだ。王国南部よりは寛容とはいえ、この王国北部にも獣人差別は確かにある。特に貴族ほど獣人を下に見る傾向が強い。
戦争の英雄として下級貴族にまで叙されたり、類まれな知性で大きな発見をして宮廷学者にまでなった獣人もいるにはいるらしいが、それはわざわざ王国中の話題になるような例外中の例外だ。
貴族としては最底辺の士爵で、まだ小さな村しか持たないノエインが元奴隷の獣人を妻にする。そんなことをすれば貴族社会で味方が皆無になり、逆に敵だらけにさえなり得るのはマイでも想像できる。
「……ですが、それは表面的な理由です。本当は、私自身がノエイン様の所有物であることで安心したいのです」
珍しく表情を動かし、小さな笑みを浮かべるマチルダ。
「私は幼い頃に奴隷として売られました。今では両親の顔もあまり思い出せません。私の人生の中で幸せだった記憶は、全てノエイン様のお傍にいたときのものです。私は自分がノエイン様の奴隷であることに誇りを持っていますし、自分がノエイン様の奴隷でいるという事実にこの上ない安らぎを覚えています」
自分のことをあまり話さないマチルダが珍しく多くを語ってくれるので、マイは黙って彼女の話に耳を傾ける。
「そうお伝えしたら、ノエイン様は私が奴隷のままでいることを許してくださいました。いずれノエイン様は貴族家当主の責務としてどこかのご令嬢を妻に迎えられるでしょうが、その後も生涯私を所有し続けてご寵愛をくださると約束してくださいました。そのことに納得してくれる女性しか妻にはしないと仰ってくださいました」
そう話すマチルダの表情は清々しさを感じさせるものだった。
「これで私はノエイン様の枷にならず、生涯あの方のお傍でご寵愛をいただき、お仕えすることができるのです。私にとって、これ以上の幸福はこの世界にはありません」
「……そうなのね。素敵な関係じゃない。そういうの私好きよ」
そう答えながら、マイは自分の過去を思い出す。
王国東部のとある街で孤児として育ったマイは、ユーリに拾われて彼の雑用係になり、やがて成長すると剣を教えられて彼と同じ傭兵になった。
兄のような存在だったユーリとは、マイが成長するとやがて男女の関係になった。
彼に拾われ、彼に守られて育った時点で、彼以外の男を知ることもなくこうして彼と結ばれた。他の人生の選択肢なんてなかったからこの道を選んだが、マイ自身はそのことに心の底から満足している。
自分とマチルダは似ている、とマイは思う。彼女もノエインと出会い、ノエインしか知らずに生きてきて、生涯ノエインの傍にいるという幸せのかたちを見つけたのだ。
「お互いこれからも好きな男の隣で幸せに生きましょう」
「はい」
・・・・・
冬も深まると、街道を行き来する人間はほとんどいなくなる。寒さによってそれぞれの街や村は孤島のように閉ざされて、住民たちはその中で春を待つのだ。
アールクヴィスト士爵領ノエイナもそんな孤島のひとつとなった。
冬に入るまでに麦や干し肉、野菜の酢漬けといった食料を十分に備蓄し、薪も大量に蓄えている。レスティオ山地での採掘作業は一旦ストップし(冬の間に卸す分はあらかじめ採掘を済ませてある)、村の外に出るような開拓作業も大幅に規模を縮小していた。
人々は屋内にいる時間が多くなり、ノエインもその例外ではない。屋敷の中で書類仕事に勤しんだり、冬が明けてからの開拓計画を練りながら毎日を過ごしている。野外で作業をするのは晴れた日の昼間くらいだ。
「ノエイン様、お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとうマチルダ」
寒い執務室ではなく、暖炉のある居間で執務を行っていたノエインに、マチルダが温かいお茶を差し出してくれる。今では屋敷に炊事や家事をこなすメイドもいるが、ノエインは他ならぬマチルダに淹れてもらうお茶が好きだった。
「横においで、マチルダ」
「はい、ノエイン様」
マチルダを横に座らせて、彼女の手を握る。彼女がそっとノエインの腕に寄り添う。
開拓1年目の冬。ノエインは幸福だった。




