第256話 緒戦①
ロードベルク王国の西部軍が集結を完了し、陣地を構築したり、兵士たちに『天使の蜜』の扱いを教え込んだりと戦闘準備を始めた一週間後。南西部のベトゥミア共和国軍に動きがあったと偵察隊からの報告がもたらされた。
それからさらに十日ほど後、バラッセン子爵領の南東、丘に挟まれたヴァレリアン街道上に陣を敷くロードベルク王国西部軍からも目視できる距離に、ベトゥミア共和国軍の西部侵攻部隊と思われる軍勢が接近してきた。
「……だいたい予想通りの数でしょうか」
「そうだな。二〇〇〇〇より少し多いくらいか」
本陣から敵を見渡しながら、ノエインは参謀のフレデリックと言葉を交わす。地形は北から南に向かって緩やかな下り坂になっているので、戦場の北端に位置するノエインたちは敵を見下ろすかたちになる。
ベトゥミアの軍勢はおそよ二一〇〇〇。うち弓兵が四〇〇〇、歩兵が一五〇〇〇、騎兵が二〇〇〇ほど。事前の情報通りの大軍だった。
それに対峙するノエインたち西部軍の陣は、森に覆われた二つの丘の間に位置する隘路。入り口はそれなりに幅もあるが、北に進むほど幅は狭まり、一番細いところでは五〇メートルを切る。
隊列後方の本陣には大将であるノエインと参謀のフレデリック、ノエインの補佐役でこちらも参謀を務めるユーリ、直属の護衛マチルダ、通信担当のコンラート、そしてペンス率いる親衛隊が並ぶ。ケーニッツ子爵領軍の精鋭もこの本陣を守る。
中衛から前衛の左右にかけては歩兵部隊が控え、白兵戦の際はこの部隊が前に出て敵と激突することになる。前衛中央はバリスタ隊とクロスボウ隊、弓隊が務め、接近してくる敵をできるだけ多く『天使の蜜』で麻痺させる。
さらに最前列には『破城盾』に隠れたゴーレムが並び、クロスボウ隊に紛れて大盾兵に守られたクレイモアのゴーレム使いたちが前線を見据える。
また、隘路の入り口には二列で互い違いになるように一定の間隔をあけて丸太盾が設置され、敵が大軍で押し寄せるのを防ぎつつ、いざというときはクロスボウ兵たちが丸太盾の影に隠れて敵の矢などを凌げるようになっていた。
西部軍の全体に、ついに敵と対峙したことで緊張した空気が漂う。軍とは言ってもその多くが領民の男手をかき集めただけの徴募兵なので無理もないことだった。
「ノエイン殿。大将として士官や兵たちに言葉をかけてやった方が」
フレデリックがノエインにそう進言した。ベトゥミアの軍勢はまだ離れた位置で部隊編成に追われている。言葉をかけるなら今が最後の機会だった。
「……そうですね。ユーリ、全員に呼びかけて。それとマチルダ、『拡声』の魔道具を」
「はっ」
「はい」
ノエインは側近二人に指示を出し、視線を高くするために騎乗し、いつも領都ノエイナの広場で演説をする際に用いる『拡声』の魔道具をマチルダから受け取る。
そして、ユーリが西部軍全体に呼びかける。
「傾注! 西部軍大将、ノエイン・アールクヴィスト子爵閣下のお言葉である!」
地声だけで西部軍の陣全体に響き渡るほどの大声でユーリが呼びかけ、兵士たちが本陣を振り返る。
それを確認したノエインは『拡声』の魔道具を口元にあてた。ノエインの声量ではさすがにユーリと同じ真似はできない。
「……これから我々がとる戦略は、王国史上、いや、おそらくこのアドレオン大陸南部の歴史において類を見ない特殊な戦い方だ。それを考案したのはこの私、ノエイン・アールクヴィストだ。この戦略について疑問を抱く者もいるだろう。貴族の中には不満を持つ者も多いだろう」
無言の士官と兵士たちを見渡しながらノエインは言葉を発する。
「だが、約束しよう。君たちが私に従えば、私が必ずベトゥミアのこれ以上の侵攻を防ぎ、敵を撃退して見せると。貴族諸君の所領も、兵士諸君の土地や家族も守って見せると。恐れることはない。不安を抱く必要もない。私を信じれば大丈夫だ。私が勝たせてやる……それだけだ」
ノエインが一切の動揺を見せずに言い切ると、その落ち着いた声色に安心した表情を浮かべる者もいれば、未だ不安そうな表情の者もいた。
「ずいぶんとはっきり言い切りましたな」
「言うだけならタダだからね。数では圧倒的に不利なんだ。言葉だけでも景気よくいかなきゃ」
馬から降りたノエインは、声をかけてきたユーリにそう答える。この作戦が上手くいくかどうかはノエインにも分からないが、だからといってその心情を兵士たちに知られるわけにはいかなかった。
「大将が自信を示すのはいいことだ。勝利を信じた者もそれなりにいるみたいだからな」
今度はフレデリックがノエインの横に並びながら言った。
「ですね。残りの者には結果を以て信じさせてみせますよ……敵も動き出したみたいですから、こちらも戦闘用意を」
「分かった……総員戦闘用意! 各部隊長の命令に従って戦いに備えよ!」
今度はフレデリックが声を張り、士官も兵士も正面に向き直って動き始める。ベトゥミア共和国軍の方を見ると、攻勢の第一陣になると思われる部隊が整列を完了しようとしていた。
ロードベルク王国西部軍の全員が武器を構えるのと同時に、敵が前進を開始した。
・・・・・
総勢二〇〇〇〇を超えるベトゥミア共和国軍の西部侵攻部隊。その指揮官を務めるアイリーン・フォスター大軍団長は、現在の共和国軍きっての武闘派として知られる女傑だ。
齢は三十代半ばと、今回参戦しているベトゥミアの大軍団長格の中では最も若い。しかしその果敢な性格を買われて西部の侵攻部隊を預けられており、ロードベルク王国南西部では最も大きなガルドウィン侯爵領を冬に入る前に落とすという確かな戦果も挙げている。
「丘に挟まれた隘路に陣を敷き、平野での激突を避けて数の不利を補うか……まあ無難な策ではあるが、所詮は時間稼ぎにしかならないだろうな」
女性にしてはかなりの長身と、端麗でありつつも苛烈さを感じさせる顔立ちから気迫を滲ませながら、アイリーンは男勝りの口調で呟いた。
「所詮は発展途上の野蛮な国家の軍勢です。この程度の策が限界なのでしょう。ロードベルク王国の国力を考えても、この部隊を撃破すれば王国北西部は無防備になります。そうなれば後は思うがままに蹂躙するのみです」
アイリーンの隣には、彼女と親子ほども年の離れた古参士官である副官が控えながらそう発言する。
「違いない。では早速ひねり潰してやるとしよう……前進!」
アイリーンの声に合わせて、ベトゥミア共和国軍の西部侵攻部隊が前に進む。素人上がりの志願兵の比率が高い部隊とはいえ、昨年の秋から部隊行動を続けているので今ではそれなりに整然とした進軍ができている。
「まずは弓隊だ! ベトゥミア共和国が誇る複合弓の力を見せつけてやれ!」
木材や動物の腱、金属など複数の材料を組み合わせ、通常の弓よりも威力や射程を増した複合弓。ベトゥミア共和国でも近年になってようやく大量生産と配備が可能になったこれを装備した四〇〇〇の弓兵が、ロードベルク王国軍の陣に向けて一斉に矢を放った。
・・・・・
「やっぱり遠距離戦で数を削り合う戦法で来るか。予想通りですね」
「こちらとしては好都合だな」
弓兵を前面に展開させながら進軍してくるベトゥミア共和国軍を見下ろしながら、ノエインは隣に立つフレデリックとそう話す。
戦場はノエインたちの陣がゆるやかな坂の上になっており、弓での撃ち合いならばこちらが有利だ。今回ノエインたちの擁するクロスボウ隊は、弦の張力は弱めず射程を保ったまま散弾矢を装備している。四〇台ものバリスタもある。撃ち出せる矢の数では敵に負けていない。
緒戦から一方的に『天使の蜜』を浴びせてやれる。そんなノエインたちの考えは、敵の予想外の行動に打ち消された。
「っ!?」
「もう構えるのか!? まだ距離があり過ぎる。あれほど遠くからではまともな攻撃になるわけが……」
驚くノエインの横でフレデリックが言った。その言葉通り、ロードベルク王国の一般的な弓の射程ではまだ遠すぎる距離にいながら、ベトゥミア共和国軍の弓兵は第一射を放ったのだ。
曲射で空に放たれた四〇〇〇の矢は、ロードベルク王国西部軍の前衛から中衛にまで達し、兵士たちに容赦なく降り注いだ。




