2話 小説家にとってスラムは天国なんだ
気づけばスラムにいた。
つい最近、地球の記憶を取り戻したところだ。
そして、自分がいる場所はスラムだった。
俺の名前は『モノ・カーキ』
転生してからは自分に名前がなかったので、たった今、命名した。
年齢もよくわからない。
10歳以上。まぁそんなところだろう。
外見など気にしない。
このスラム街が、おれの異世界ライフの第一歩。
これから先、魂の躍動がいくらでもまっている。
そう考えると、震えが止まらない。
「くっ、くくくくくくくくくく」
そして笑いも止まらない。
誰にも聞かれないように、俺は喉をカエルのように動かした。
……分かっている。分かっているさ。
スラムにいるものはみな、苦しい生活を強いられている。
前世で地球にいたころは、ジャカルタのスラム街でマフィアのボスと死闘を繰り広げた。
それに記憶を取り戻すまでは、俺も生まれたての赤ん坊みたいに、きゃっきゃと無邪気に笑えなかった。
だから分かる。
スラムがいかに大変な場所なのか。
本当は悦に浸っていては不謹慎だ。
だが、無理を言ってくれるな。
このほとばしる興奮をどうやったら抑えられるというんだ。
ごみ溜めのような臭いにおい?
俺には太陽のごとく暖かな母性を感じる。
今にも崩れ落ちそうな家屋?
何を言っているんだ。これは懸命に生きる人がつくりあげた芸術品ではないか。
細すぎる手足? やせすぎた頬?
馬鹿を言え。ちゃんと部位があるだけ五体投地だ。
まぁ、手がなくとも足で、足がなくとも口で、いくらでも執筆はできるがな。
地球にいる小説家のみんな。
すまない。俺だけが異世界転生などという幸せを手に入れてしまった。
これで俺は至高のファンタジー小説を一足先に書き上げてしまうだろう。
……いや、謝るのは覇道を目指す小説家に対する何よりの無礼だった。
いかんな。つい心を制御できず、へんなことを口走る。
もう謝るのは止めよう。
共に切磋琢磨する彼らを、余裕をこいて見る暇なんてなかった。
であれば、さっそく動き出そう。
改めて言う。
今この時から、俺の異世界執筆の始まりだ!
「そんなことより! いいかげん何か食べものを探す! そろそろ餓死して干からびると思う!」
妖精のように愛らしく、それでいてどこかとがっているような。
そんな高い声がする。
右を向くと、まん丸の黒目でこちらを凝視する女の子が見える。
頭のてっぺんから両サイドに向かって、カチューシャのように編み込んでいるふわふわとしたロングの黒髪が特徴的だ。
彼女の名前は『サラサ』
地球のころからの知り合い。行動を共にする俺の相棒だ。
ただし、ただの人間ではない。
来ている服は白装束。足は地につかずに空中に漂っている。
サラサは幽霊なのだ。
12歳でご臨終。
地球で修行僧となって、アストラル体に干渉したときに出会った。
そして幽霊として憑依されて以来、一心同体の仲だ。
魂レベルで融合しているために、異世界ですら行動を共にしている。
「気にするなサラサ。小説家っていうのは水さえあれば半年は生きられる」
「生きられるわけない! しれっと嘘をつくあたり、ちゃんと記憶を取り戻したようでよかった! でも現実を見て。あなたが死んだらサラサも成仏しちゃうんだ!」
「成仏したくはない、か。死してなお、生に執着するその志。俺も見習わなければいけないな」
やせ細ったまま決め顔をしているせいだろう。
サラサに盛大な溜息をつかれた。
「それで、これからどうする? 悟」
「こらこら。俺のことはモノと呼べ。今の俺はさすらいの物書き『モノ・カーキ』だ。それ以上でもそれ以下でもない。南川悟などという名前はこの時より封印する。これ以降、読者はこの名前を思い出すことは二度とないだろう」
「はいはい! あまりにもそのまんまなモノ! これからどうするべき!?」
「食い物を探そう。でなきゃ死ぬ」
「そうだね! さっきからサラサはそう言ってるんだ!」
ムキー! と言わんばかりに身を震わせるサラサを落ち着かせながら、
俺は座っていた身体を起こす。
「とりあえず何か仕事をしよう。盗みか、人さらいか、殺しか。成果をあげればわずかな分け前をもらえる」
「ここのスラムの子供たちが人さらいや殺しをしていた覚えはない……」
「分かっているさ……。だからこそ俺が、大人たちの受け皿にならなければならないんだ……」
「言いたいだけだよねそれ!」
足音を立てればぺちゃんこになるだろう芸術的家屋から外に出ると、ギラギラとした太陽が身を焦がす。
「とにかく、仕事をしようとしている子供を探そう。そして大人たちについて行って、こちらのやる気や価値を提供するんだ」
*
「というわけで、俺も大人たちという絶対的支配者のもとへ連れて行ってくれマイニューフレンド」
「誰だお前は消え失せろ」
昼間から路上をあるいているのに、目が一点に据わっている。
そんな自分がすべきことが定まっているように見える少年がいた。
気さくに話しかけると元気な返事が返ってくる。
いいことだ。そのまま健康体でいてほしい。
「仕事に行くんだろ? 腹が減って死にそうなんだ。俺も連れて行ってくれ」
「ふざけるな。お前のようなガリガリじゃ何もできねぇよ。食い物が欲しいなら後で分けてやるからすっこんでろ」
少年の名前はイルサ。なんだかんだで根はやさしい。
犯罪が止まらない分、仲間意識が強い奴もいる。
いいことだ。実にいいことだ。
くるりと背後に行って、少年の首に腕を回す。
「お前がルナという女の子に惚れていることは知っている」
イルサの肩がビクンと震えた。
「お前と同じように、妹のために毎日働いている。かわいいかわいい素敵な子だ。犯しちゃっかなー。どうしよっかなー」
「……ってめぇ!」
「ばらされたくなければ……、俺もつれていってくれるよな……?」
耳元で悪魔のようにささやけば、屈服させたも同然だ。
「やめなさいバカ! 子供が犯すとか言っても変だよ!」
サラサ。何を怒ってるんだ。
子供が『犯す』というのは変だと?
違うな。何もわかっていない。
いいか?
ガキが『犯す』という言葉を使う能力がないのは、そこに『魂』がこもっていないからだ。
「……はい?」
犯すということの意味。相手がどう感じるか。
そういったことを理解せずに発する言葉はパワーが弱い。
声から波動が伝わらない。
ゆえに、ガキの『犯す』でビビるものは少ないんだ。
だが俺たち小説家は違う。
醜いことも汚いことも、描写するために知り尽くす。
だから、俺たち小説家の『犯す』には波動がある。
たとえガキだったとしても、小説家のガキならば、『犯す』と言えばあいてを発狂させるのさ。
「そんなわけないでしょ! いったいどこの知識だそれ!」
常識だよ。
どこから知ったかなんて覚えていないさ。
だが、現に目の前にいるイルサは動揺しているだろう?
ちなみに、サラサの姿はほかの者には見えていない。
俺に限っては心の中で会話すらできるのだが。
「お前……! あまり調子にのるなよ……!」
サラサと会話していると、少年イルサは鋭い眼光を向けてくる。
「ルナが危険な目にあうっていうなら俺が守るだけだ! お前なんかに手出しはさせない!」
にやり、と俺は笑った。
ふふふ。いいね。ここで折れるかと思ったが、なかなかしぶとい。
それでこそ人間。それでこそ男の子。
俺は悪魔のはばたきのように両手を広げながら、イルサに告げる。
「冗談だよ」
「……何?」
「ついていきたいあまり嘘をついた。……すまなかった」
「……」
「ところで、2日前にお前がルナの名前をよびながら、ごみ溜めに隠れて、必死に上下に動かす現場を目撃したんだが」
「……っ!!!!!」
「必死に名前を連呼しながら、逆立ちになって、加えて女の子のような、きゅわんとした声を出して――」
「わかった! わかったから! 連れていくからかんべんしてくれ!!!!」
おや、ここまでだったか。
かつての俺の父親は、仲間と『飛ばしっこ』をして遊んだらしいがな。
もう少し粘るかと思ったんだが……、まだ少年だからな。仕方ない。
現場を見られたくないちっぽけなプライド。それもまた立派な男の子の証だ。
「モノ。とりあえず気持ち悪いから、もう一度人生洗いなおして」
サラサのつっこみもスパイスとして抜群だ。
このやりとりがあるからこそ、俺の中は熟した果実のように満ち満ちているんだ。
とりあえず主人公のキャラ性を、地平線の彼方までぶっとばすつもりで書きます……!
読んでくださったすべての方に心より感謝を!
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