掃除1
「家賃二十万円のマンションに住んでます」と言うとたいていの人は羨ましがってくれるが、同居人が二人いることを告げると羨望の眼差しは幾分か薄れてしまう。ダメ押しで「その同居人は僕の姉妹です」と言ったときには、羨望はおろか気の毒な表情を浮かべる人も少なくない。
そういうときは必ず会話の最後に、「でも、姉妹二人と暮らすのも悪くないですよ」とフォローを入れるのだが、負け惜しみで言っているのではなく本当にそう思っている。
長女の加藤美香と次女の桜と長男の賢二(僕)の三人で阿佐ヶ谷のマンションに住み始めてかれこれ一年近くになるが、大学一年のときの一人暮らしに比べて格段に生活は楽になった。その大きな要因、というかほぼ全ての要因は一つ下の桜が家事全般をやってくれているからであり、逆に言うと桜の負担が三倍以上?になったということだ。
しかしこれは決して僕や美香姉ちゃんが怠けていたり、ましてや何もしないという無言のプレッシャーを長期間にわたって続け、しぶしぶ桜に重い腰を上げさせたのでも当然なく、桜が自発的に家事を買って出たのだ。
もちろん桜が三人の中で一番しっかりしていて几帳面で、昔から母の家事をしょっちゅう手伝っていたので、最も家事をするのに相応しい人であることは僕と美香姉ちゃんも承知していたし、桜もそれを自覚していたと思う。しかしこれから三人で同じマンションに住むことが決まったときに桜が言った「私が家事全般するからね」という言葉には妙な迫力があって、家族の誰もがそれに口を挟めなかったことを考えると、何か心に秘めたものがあって桜が選択したのだろう。
そもそも三人で住むことになったのは美香姉ちゃんがきっかけだった。美香姉ちゃんは僕の五つ上で、これを言うと怒るのだが四捨五入すると三十歳になる二十五歳だ。地元の愛知にある大学を卒業して東京の会社に就職したのだけれど、精神的に参ってしまったようで二年も経たずに辞めてしまい、その後は派遣で職を転々としながら東京でしぶとく暮らしていた。
両親からは何度も地元へ帰って来いと言われていたが頑なにそこは了承しなかったので、苦肉の策というわけで、僕が大学二年、桜が大学一年になった年からたまたま三人が東京に集まることになったので一緒にこのマンションに住み始めた。つまり両親は誰かを美香姉ちゃんの傍に置いておきたかったのだ。
マンションの部屋は間取りが3LDKで、家賃二十万円に見合うような綺麗で広々とした部屋なのだが、各自の部屋は三部屋もあるのでそれぞれは思いのほか狭い。
それにもっと大きな問題があって、それは各部屋の広さが大中小と異なっていることだ。しかも大中には南向きに床から天井まで届く大きな窓があってバルコニーへ出入り可能で、さらに大は角部屋なので東向きにも窓が付いているというのに、小なんて南にも面しておらず、東向きの小さな窓があるだけで収納も狭い。
これではどう考えても不公平になってしまうだろう。ただ僕は最初にこの間取りを見たときから小の部屋になるかもしれないと薄々感じていて、実際誰がどの部屋を使うのかたいして話し合いもせずに美香姉ちゃんが大、桜が中、僕が小に決まってしまった。
理由は簡単で、美香姉ちゃんはとにかく私物が多いから大にならざるを得ず(僕が「ちょっと私物を整理すればいいじゃん」と言ったらキレられた)、桜はあまり私物を持たないがさすがに小の狭い収納では無理だったので、まあ必然的に僕が小になった。
しかしそれ以外は特に不満は無く、南に並んだ大中の部屋に面して十九平米の大きなリビングがあり、リビングを挟んだ小の部屋の隣には黒を基調とした小ぎれいなシステムキッチンがリビングとつながるように設置されている。
キッチンの横にはリビングから玄関へとつながる廊下がトイレを挟んで設けられていて、玄関に向かって左側に洗面所とその奥にバスルームが設置されている。どれもこれもがピカピカだ。
実家の家は美香姉ちゃんが生まれる前に建てられたものだから多少昭和の匂いが感じられたし、一年間の一人暮らしではろくなアパートに住んでいなかったので、このマンションは東京での生活を一気に都会な気分にしてくれたのだが、だからといって普段の行動に何か変化があるわけではなく、しばらく経つとマンションの新鮮味も薄れてしまった。