観覧車
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「『観覧車から聴こえる声』……だあれも居ない筈なのに、観覧者の近くを通ると声がするんだって」
ヤヨイが口を開いた。その声に思わず耳を傾ける4人。
「小さな声でね、「出して……」って!」
なんだか嬉しそうな語尾の上がり方に、張り詰めていたはずの空気が少し緩んだ。
「もおーなんで嬉しそうなのヤヨイちゃん」
若干涙目のハルナはスミレコの手を握りながら震え声を漏らす。
「大好きなオカルト話を実際に検証しにいけるんだもん。そりゃ高まるよね!」
「ハルナさん、怖いのが苦手なら無理してこなくても良かったのに……。」
「ハルナは来たくて来たんじゃない!」
そんな会話をするうち、すぐに観覧車についた。
「とりあえず、ウチとマリとハルナの3人はゴンドラ付近で待機。声が聞こえないか調べる。ノゾミとスミレコは周辺の捜索ね。」
やよいの指示に従い、二手に分かれる5人。
暑い雲間から月明かりが零れ、『裏野ドリームランド』を照らす。
青白く光るランド内の景色はヤヨイの目にとても綺麗に映った。――
「ノゾミさん」
みんなから少し離れてスミレコが声をかけた。
「な、何?」
「さっきヤヨイさんが行ってた噂についてなんですけど。本当は何か聞いていますね? 『廃園の理由』か……『子供が居なくなる噂』について」
「っ!」
思わず肩を揺らすノゾミ。その反応にスミレコは苦笑した。
「わざわざ隠していたことですから、無理に話せとは言いませんが。……私たちが危険になるような事なら、しっかりと話してくださいね」
スミレコに対しもっと堅く、厳しい印象を抱いていたノゾミは、スミレコの柔らかな表情を見て、少し安心した。
「うん……ありがとう……」
不意に、スミレコが止まる。
「あそこ、入りましょうか」
ノゾミも止まって、スミレコの視線を追う。
観覧車から20メートル程離れた所。小さな白い光に照らし出された壁にはmenとwomenの表示があった。――
「ちょっと聞いて良い?」
むすくれた様子でマリが言った。
ゴンドラの中に何もないのを確認してから、その横で待機する3人。ヤヨイはゴンドラにぴったりくっついて座り込み、マリは順番待ちのチェーンに腰を預け、ヤヨイはその間で立ちすくむ。
「何でノゾミとスミレコなの?」
「何でって……鍵を持っているノゾミは周辺調べるときに障害が少ないからだけど」
ヤヨイが即答する。
「じゃあ何でスミレコなの? 私でも良くない?」
「スミレコと一緒に居たくなかった」
また即答。
「は? それだけ?」
「それだけ」
「くっだらない! まだそんな――」
「マリだって仲の良いノゾミと一緒に居たいだけじゃん」
更に食いつこうとするマリを先に制したのはヤヨイだった。
的を射た言葉にマリは何も言い返せない。嫌な空気が二人の間に流れる。
「で、これは止めないの?ハルナ」
突然会話に入れられ肩を揺らすハルナ。無理に明るい表情を作って口を開いたそのとき――さっき中を確認したゴンドラが、小さく、きぃ、と揺れた。――
からん、と乾いた空き缶の転がる音が女子トイレに響く。
「ゴミはゴミ箱に。って、もう掃除する人も居ないんですよね」
空き缶を倒してしまったスミレコが独りごちる。
いくら廃園になったとはいえ、少し汚れすぎだとノゾミは思った。床に散らかるゴミはジュースの缶やペットボトル、お菓子の袋など様々で、壁の至る所によく分からない英語が描かれていた。
「あ、注射器もありますよ! 何でこんな所に……?」
「ほんとだ。何でだろ……病院じゃないのに」
ノゾミが不思議に思っていると、スミレコがノゾミの服の端を無言で引っ張ってきた。
「なに?」
目で訴え、指を差したのは一番奥の個室だ。
「あそこがなむぐっ」
何?と言いかけて口を塞がれ、そのままトイレの外まで引っ張り出された。
「早く!」
そう言ってスミレコはノゾミの手を引き観覧車まで走り出した。
「一体どうしたの?」
ノゾミが聞くもスミレコに答える余裕はないようだ。
上がる心音に上気した息を凍り付かせるような、ぞくりとした寒気が胸をさらう。
なんだか急に恐ろしくなったノゾミは、トイレの方を振り向けなかった。
その時、観覧車を見ていたはずのマリ、ヤヨイ、ハルナがこちらに走ってきた。
5人は立ち止まり、それぞれ呼吸を整えながら何が起きたのか説明し合う。
「ゴン、ドラがさ、はあ、ガタガタ揺れ出したのよ!はあはあ、誰も触ってないし風も吹いてなかったのに!」
息絶え絶えにハルナが言うと、マリが続いた。
「そんなもんじゃない!順番待ちの鎖とか、最後は観覧車全体が凄い音を立てて揺れ出してっ……ノゾミ達は何も聞こえなかったの!?」
「そんな大きな音したの?」
え、と小さな声が誰からか漏れた。
ノゾミの言葉を最後に、5人が沈黙する。しばらく荒くなった息を落ち着かせる時間が続き、今度はスミレコが話し始めた。
「そちらの音は、私たちトイレに入っていたので分からなかったのかも知れません。それで、そのトイレがあそこにあるのですが……」
と、指を差して口ごもるスミレコ。
「どうした?」
ヤヨイが聞く。
「多分人が居ます。あの女子トイレ、一番奥の個室に」
その言葉に、ノゾミは背筋の凍るような感覚を覚えた。あの場にもう一人居た……?
ノゾミの足が震えるのにいち早気づいたマリが、ノゾミの両手を握る。
「大丈夫だよ、私がついてる」
うん、と涙目になりながら抱きつくノゾミにヤヨイは目もくれずトイレへ歩を進めた。
「ちょっと、やめときましょう! もう帰ろ! 危ないです!」
スミレコの制止も全く聞かず、ヤヨイはそのままトイレに入っていった。
仕方が無く追いかけるスミレコ。ノゾミ、マリ、ハルナがついてくる気配は無かった。
中に入ると、ヤヨイはライトを一番奥の個室に当てて立っていた。
「不安要素は取り除いておかないと、この先の調査の邪魔になる」
静かなヤヨイの声がトイレにこもって、吸い込まれていった。
やっぱりそうだ、とスミレコは確信した。他の扉は全部開いているのに、あのドアだけ閉まっている。
しかし、その奥に誰か居ると思うと、声を出すことは出来なかった。それどころか、音を発すること、歩くことすら出来なくなる。
しかし、ヤヨイは臆することなく歩き出した。床に転がる缶を蹴り、ゴミ袋を踏み潰し、一番奥のドアの前に立つ。
そして――き、と高い摩擦音が響いて、ドアは開いた。
「何も居ないじゃん?」
「あれ……?」
「何その信じられない物見たみたいな顔。別にここ、この個室だけ小さいから外開きにしてるだけでしょ。で、外にドアが開いてると邪魔だから常に閉まるようにしてるだけだと思うよ」
そう言ってヤヨイは呆れた様子でトイレを出て行った。
違う、とスミレコは思った。あの時は確か、内側から鍵のかかっている赤い表示があった筈だと。既に朧になりかける自分の記憶をしばらく反芻して、スミレコはトイレから駆けだした。
外に出ると、4人は既に次の場所に関する話し合いを進めていた。
「観覧車はちょっと噂と違ったけど、確実ないわく付きだった。証言のまとめは後でやるとして、次は『ミラーハウス』だね」
「ちょっと待ってください!」
話を進めるヤヨイをスミレコが止める。
「何? 証明できない事があったからこれ以上否定されないようにもうやめにしたいって?」
「ち、違います! そうではなく、私はこのランド内が危険だと言いたいんです」
「危険? 何、今度は幽霊信じすぎて怖くなっちゃった?」
ヤヨイの挑発にスミレコは目を見開いたが、すぐに深呼吸して落ち着きを取り戻した。
「……わかりました。続けましょう、この危険な遊園地巡りを。ただし、以降必ず5人で動くこと、これが条件です。私が幽霊を怖がっているのだと思われてもかまいません」
「……まあ、別に問題ないよ。5人で動こう。確かにどんなことが起きるかも分からないし、次の2つは室内だからどちらにせよみんなで行くつもりだったから」
なんとか収まったその場にため息が溢れる。
「もおーほんとにやめて世こんな時に……」
既に随分と憔悴した様子のハルナが肩を落とす。ノゾミは気遣って身を寄せるが、マリは気にする様子もなく話を進める。
「じゃあいこ、時間ないし」
マリが歩き始め、4人はそれに続いた。
手を繋ぎながら歩くノゾミとハルナ。スミレコは後ろについて辺りを見回し、ヤヨイは少しだけ小走りしてマリの横に付く。
「なんで急にやる気なの? 乗ってきた?」
「早く終わらせたいだけよ」
キラキラとした目のヤヨイに、マリは冷たく吐き捨てた。
――それきり、5人は言葉を交わすことはなく、ミラーハウスへと向かっていった。5人の中に生じる疑惑、恐怖、興奮。それらは元から入っていた小さな亀裂を更に深く裂き、少女達を飲み込む奈落の予感だった。