ずんべらさん
その小学校では『ずんべらさん』という遊びが流行っていた。
誰がどう始めたのかはわからない。しかし、一旦誰かがやりだすと、梅雨が明けるよりも早く、あっという間に全校に広がっていった。子供のネットワークは驚くほど緻密に設計されていて、例えばアリの巣の近くに砂糖がひと粒落ちてきたようなものなのだった。
ずんべらさんというのは、言わば正体不明のお化けのようなものである。何をしに来るのか、出合ったら最後、一体どんなことをされるのか、それすらもよくわかっていなかった。とにかく、子供たちにとっては恐ろしい何かなのだ。
その遊び方は簡単だった。
子供たちは放課後、四、五人のグループに分かれて、ずんべらさんの正体を調査しに出かける。そして翌日の昼休みに、集めた情報をみなで交換し合うのだ。
小学生のわりには大規模な調査の末、一ヶ月もしないうちにずんべらさんとはこういうものだというある一定の特徴が見つかった。
髪の毛はしめ縄のように太く腐った犬の臭いがする。
四つん這いになって時速二百キロで追いかけてくる。
両手指はあちこちにひん曲がり、爪がひとつもない。
なたを持ち歩いている。
みなが様々な情報を持ち寄ったが、不思議なことに実際にずんべらさんを見たというものはひとりもいなかった。
口を開くとみな、
「隣町のグループから聞いた話なんだけど…」
「この前、同じ団地のおばさんが見たんだってさ」
「またいとこの知り合いの友達が殺されて…」
といった具合であった。
また、先週と今週とで言っていることがちがったりすることもあった。男か女かもその時々で変わった。どういった理由で化けて出てくることになったのか、一番悲惨な話をみなで競い合うことなどしょっちゅうである。しかし、疑うものは誰もいなかった。誰もが夢中になり、自ら水を差してやめにしたくはなかったのだ。
とある少年もそのひとりだった。
少年は内気な性格で、同じクラスに友達がほんのわずか、いや、ひとりもいなかった。普段は休み時間になると、ひとり図書室で過ごすような生徒だ。図書室のほかには、にわとり小屋で世話をしながら過ごすこともあった。動物が好きなのだ。
そんな少年も、ずんべらさんはメンバーが多いほうが何かと都合がよいというのもあって、クラスのリーダー格の男子に何度も誘われるようになった。そのうちに彼と仲良くなり、そしてあくる週には、今まで話したこともない大半のクラスメイトたちとも友達になることができた。多少のスリルをともなった秘密の遊びというのは、性格や外見や能力といったものを飛び越えて、子供たちをさらりと結びつけてしまうものなのである。
少年は同じクラスの大勢の友達と一緒に、林や藪や、崩れかけた神社へ探検に出かけた。その翌日の休み時間には、リーダーの元に集まってみんなで意見を出し合い、次の作戦会議を開くのが常だった。
「明日は隣町との境にある林に行ってみよう。あそこはまだどこのグループも行っていないから何かあるかも知れないぞ」
「放課後、中央公園の入り口に集合だ。ロープとバケツと食料も忘れるなよ」
調査に出かけるのは主に男子で、クラスの女子たちはたいていが聞き役だった。時に鋭い独特の分析で、ずんべらさんの正体について新たな事実を解き明かすのである。
こうして梅雨も明けきらないうちに、ずんべらさんは校内の誰もが熱中する一大イベントとなった。少年も、休み時間や放課後にひとりで遊ぶかわりに、クラスのみんなで何度となくわくわくする探検に出かけた。
今日こそ、ずんべらさんは見つかるだろうか。
万が一にも見つかったとすれば、どうすればよいのだろう。
捕まればきっと恐ろしい目に遭うにちがいない。
調査に行ったものは探検そのものを楽しみ、行かなかったものは話を聞いてスリルを味わう。クラスの誰もが何らかのメンバーの一員であり、そこには何の垣根も存在しない。子供たちは毎日のように連れ立って出かけ、夕方遅く帰ることもしばしばだったが、親や先生たちはそんな遊びに気付く様子もなかった。男の子はみんな一緒に外で遊びまわるものだし、女の子は内輪で集まって男子をからかうものである。自分たちが子供の時分にもそうだった。
少年には、ずんべらさんはこのまま永遠に続くものと思われた。
しかしそれはある日突然、何の前触れもなく終わりを迎えた。
誰かが、一向に正体の明かされないずんべらさんに疑問を抱いたのだ。少年にとってはまったく突然の出来事だった。
昼休みの作戦会議で口にされたその疑問は、始まった時と同じように瞬く間に全校に広がった。
「本当にいるのか。怪しいもんだ」
「そうだ。おれもそう思ってたんだ」
「そもそも言いだしっぺは誰だよ。証拠がないじゃないか」
夏休みが近付くにつれ、ずんべらさんはみるみる勢いを失っていった。つまりは、長い休みの間の旅行やプール、お祭りといった目前のイベントに差し替えられただけの話なのだ。
少年は、休み時間や放課後をまたひとりで過ごすが多くなった。たまにクラスメイトを誘っても気のない返事が返ってくるだけだった。
「ずんべらさん? 悪いけどぼくは行かないよ」
「今日はみんなでゲームをする約束をしてるんだ」
などなど。
こうなってしまうと、誰もが面倒で疲れる調査になど行かなくなるものだ。みな、梅雨が明けるのを今か今かとそわそわし始めていたのもあった。
それでも少年は仕方なくひとりで調査を続けることにした。
林や藪や川など、しかし一度みんなで回ったところばかりで、もちろん特に新しい発見もない。それに、帰ってからも誰と話ができるでもない。ほどなくして、まったくつまらない遊びだなと少年自身も思うようになった。
それから数日経ったある日のこと。
ひとりの男子が学校の裏のため池で溺れ死んでいるのが発見され、ずんべらさんはまた全校一の話題となった。というのも、ため池のそばの林で、なたを持ったざんばら髪の女を見たという目撃者が現れたのだ。
この初めての目撃者に校内は騒然となった。
「やっぱり本当にいたんだ。まちがいない」
「あいつ、溺死じゃなかったらしいぜ。とても口じゃ言えないぱっくり割れた大きな傷口があって、先生たちは何か隠してるらしい…」
「あの林をみんなで調査しに行こう」
こうしてメンバーに再召集がかけられることになり、少年ももちろんそれに加わった。それは調査というよりは捜索に近かったのだが、少年にとってはどちらでもいいことだった。
しかし、今回は今までのようにはいかなかった。薄気味の悪い心地を誰もが感じていたからだ。
ため池のそばの林には何度か調査に来たことはある。その時は特に見るもののないただの雑木林に思えた。しかし今はちがう。つい先日まで、すぐそばの池には死体が浮いていたのだから。
林の中は昼間でも薄暗かった。梅雨の長雨でよりいっそうじっとりと湿っぽい。服が生き物のようにまとわり付いた。それに何だか臭い。変な匂いがする。何の匂いなのか、誰にも皆目見当がつかなかった。
前回とちがって注意して歩いてみると、林には意味の分からないものが散り散りに落ちているのに気付く。ぼろぼろになった花柄のまくら、腐りかけた木の椅子、そして手紙のようなもの。中身は文字がにじんでいてとても読めたものではなかった。
しかし結局のところ、それらはあまり関係のないもののようだということが判明した。みなでひとかたまりになりながら恐る恐る林を一周してみたものの、ずんべらさんの手がかりは何ひとつ見つからなかったのである。
少年は、あのずんべらさんがまた始まった、夏休みの間もずっと続くのだと期待した。しかし、一度林に行ったきり、その後にまた行きたがるものはひとりとしていなかった。
理由はふたつ。とうとう親や先生たちが気付いてかたく禁止されたのと、林に入った男子のうち数人が実は何かを見たり聞いたりしたと言い出したのだ。
「あの時は怖くて言えなかったが、林の中には自分たち以外に誰かがいた」
とか、
「自分たちの後ろを誰かついてきていた」
といったものや
「ぶつぶつと、林の中で誰かが意味の分からないことを話している声を聞いた」
など、そんなふうなことである。
ずんべらさんは最初、とらえどころのない空想上のお化けでしかなかった。それが今や、まったく得たいの知れない恐ろしい何かに変わっていたのだった。
そしてすっかり梅雨の明けた終業式の日。
ずんべらさんのことは誰もが怯えて口にしなくなり、少年はまたクラスの騒ぎから外れ、ひとりぼっちで過ごしていた。
かといってぼんやりと過ごしていたのではない。みんながやらなくなった調査をひとりで続けていたのだ。時間はもちろん十分にあった。そしてとうとうやってのけた。ついにずんべらさんの正体を明かしたのである。
少年は誰かにそれを言いたくて仕方なかったが、クラスの誰も話を聞いてくれそうにない。自分たちのことで頭がいっぱいなのだ。
そうこうしているうちに終業式も終わってしまった。これではみんなそれぞれの夏休みに入ってしまう。
少年はひとり、蒸し暑い夏の匂いのする教室でぼんやりと座っていた。毎日毎日、町の図書館へ行ったり母親の用事を済ませている自分を想像してみる。そう、それがいつも通りの少年の夏休みなのだ。
するとそこへ、ひとりの男子生徒が忘れ物を取りにやって来た。クラスのリーダー格の生徒で、名前は確かたかしといったはずである。
少年は、彼に話せばまたあっという間に全校に広がるだろうと思った。みんながずんべらさんを忘れてしまうなど、あってはならないことなのだ。
少年は彼に話しかけた。
「ずんべらさんの正体がわかったって?」
と、彼は意外にも興味深そうな驚きの声を上げた。
ああこれなら大丈夫だ。
今から一緒に見に行こうと彼を誘った。彼は一瞬だけ面倒くさそうな顔をしたものの、
「よし。連れて行ってくれ。これでみんなにも自慢話ができるぞ」
と、得意げな様子で言った。
ふたりは調査に出かける時のように連れ立って教室を出た。昇降口は通らずに上履きのまま裏口を抜ける。空は鮮やかに晴れ渡り、これから毎日がすばらしい夏休みになるだろうと思わせた。
ふたりは誰もいないがらんとした保健室の脇を通り抜けて、さらに建物の影になった奥の空き地へと進んでいった。まったく人気のない、いつも日の当たらない薄暗い場所である。
ずんべらさんは、なんと学校の裏庭にあるにわとり小屋にいたのだ。
「なんだ。ただのにわとりじゃないか」
と、彼が不満そうに言った。
少年はただうなずいた。
ふたりが小屋に入っていくと、にわとりたちがいつものごとく大騒ぎを始めた。少年がえさをあげる時も掃除をしてあげる時も、歓迎されない侵入者が来たようにいつもこうなのだ。いつまで経っても慣れてはくれない。
「ずんべらさんはにわとりなのか? まさかそんなわけあるはずないじゃないか」
彼の表情が先ほどと変わっているのには気付かず、少年がまたうなずく。
「何だよそれ。つまんねえの」
と、鼻で笑う音が聞こえた。
少年はその時、逃げようとするにわとりをつかまえようと後ろを向いていた。
ずんべらさんはつまらない?
そうなのだろうか。そうは思えない。いやでも、彼が言うからにはきっとそうなのだろう。
つまらない。
つまらないのだ。
ずんべらさんはつまらない。
よくよく考えてみると、ずんべらさんはあまりにも薄っぺらで話が少なすぎた。交通事故で死んだ女のひとの霊なのだとか、その昔ため池で溺死した少女なのだとか、うわさをする最初から、もっと色々話を付け足しておけばよかった。そうすれば、こんなに早くみんなに飽きられることもなかったかも知れない。
次はどうしよう。
どんな話がいいだろうか。
たいした意味もなく殺された生徒の話なんかどうだろう。
ある夏の日、クラスで人気者の男の子が見知らぬ中年の男になぜか惨殺され、血だらけのまま夜の学校をさ迷い歩いている話。
そう、ずんべらさんの次は『たかしくん』。
ああそれがいい。
これなら、みんなともっと長く一緒に遊べるにちがいない。ひとりで図書室やにわとり小屋で過ごさなくてもよくなる。つまらない母親の用事とやらもやらなくてすむのだ。
「うへえ。見ろよここ。にわとりが死んでるじゃないか。
あれ。こいつ、首がないぞ…」
背後で彼が言った。
少年はえさ箱の下に隠してあったなたを取り出して、ゆっくりとうしろを振り返った。