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僕の身体が、バネのように跳ねた。
「こんの――ッ!!」
強化した〈武闘家〉の肉体が、僕にそれを可能にさせる。ほぼ垂直にジャンプする。ゆうに人を飛び越えれそうな高さだ。そのせいか、ふわりと宙に浮いた気分になる。
「あっ、うぁっ――!」
「わわわっ!」
そんな急に立ち止まったような、宙に浮かんだ僕ら目がけて一頭の馬が突っ込んでくる。
僕は、その馬の頭を足蹴にして踏み台にした。足に力を込めて、強引に身体の位置を変える。靴底が馬の頭の上でグリッと回る。そして、もう一度跳躍した。
その馬の乗り手を飛び越え、僕は逆走を開始する。
「ぐぁぁぁぁっ……!」
宙を浮きながら、僕の背後で誰かが馬と一緒に崩れ落ちる音を聞いた。人を射んとすれば先ず馬を射よ、とは言うけども、ここまでその言葉ピッタリになるとは思わなかったよ。
あの乗り手は、馬と一緒に地面にキスをしたに違いない。
そんな風に余所見というか、意識を散らしていたせいだろうか。
「はははっ! 気でも狂って、降参でもしに来たのかい!」
なんだか、痛々しそうな女性が立ち塞がっていた。猫人族の〈暗殺者〉だ。おっぱい大きめのケモナー歓喜な外見なのに、性格が残念な感じがする。男の趣味も微妙に残念そうだ。声から察するに、先程おまわりさんを呼んでいたのはこの人らしい。
それはともかくとして、この位置は……。
「危ないですよ」
「ごふっ!」
遅すぎる忠告だった。
偶然と言ってしまえばそれまでだけど、膝蹴りが決まった。僕が飛んでいた高さと、たまたま膝が通り過ぎる場所に顔があっただけだ。膝は、メリィと相手の顔面にめり込んでいく。結構痛そうだ。ご愁傷様です。
「うぉー」
そして、悲痛なのか間抜けなのかよくわからない叫びを上げながら、仰向けに倒れて転がって行った。
一方で僕は、ちゃんと着地する。腕の中のナナは、目を回しながら僕の腕を掴んだまま離さない。可愛い。
そのまま、体勢を立て直して、再び駆け出した。
「えっ? あれ? あれれ? あ、あれ? 衛兵は?」
「いや、そんなことより……でも、これはどうなってるんだ……」
少し遅れて誰かが困惑してるような声が聞こえてきた。
事故とは言え暴力沙汰が起きたというのに、衛兵が来ない。鬼たちが混乱している。これはチャンスだ。
「あっ、オイコラっ! 逃げるな!」
「逃げるわ!」
反射的に答えながら、逃げ続ける。多少息苦しいけど、走れない程じゃない。まだ走れるし、逃げれるんだ。予想以上に、僕の身体はタフになってるみたいだ。
とはいえ、今は走るだけで精一杯だ。スキルを使う余裕もない。解決策を思い浮かべる余裕もない。
いや、最後のはあった方が良いはずだ。とりあえず、走ることと解決策を考えることにだけ集中することにする。考えろ。考えるんだ。
「逃げても無駄だぞ!」
背後にいる誰かが叫んだ。そうだ。逃げても多分無駄だ。きっと誰かがフレンドリストに登録している。一方的でもフレンドリストに登録さえしてしまえば、同じゾーンのどこにいるかわかるような仕組みになっていたはずだ。
じゃあ、街を出てみるか? それも駄目だ。街の外に出ると、モンスターが出るのなら、〈冒険者〉である僕はともかく〈大地人〉であるナナが死んでしまうことだって充分にあり得る。
それならいっそ、ナナを置いて……やめだ。これは却下だ。ロリコン加害者と被害者の構図にしてしまえば丸く収まるかもしれないけど、僕が社会的に消滅してしまいそうだし、何より気にくわない。
……まぁ、ここまで野次馬に目をつけられた以上、何もかも遅すぎるような気がするけど。
「あぁん! アシクビヲクジキマシター!」
などと思っていると、誰かがハートマークがついているような声を上げているのが聞こえてきて、少しずつ遠ざかって行った。転びながらもネタに走ったらしい。
「ネタに走ってる場合か!」
ついでにと言わんばかりに、転んだ誰かに突っ込みを入れた人の声も遠ざかっていく。
元気で気力が余ってるみたいだな、この人たち。
なんてことを思っているといきなり誰かが僕らの目の前にバッと現れた。どうやら先回りして、影になっている所に隠れていたらしい。僕らを捕まえるのに色々と考えているみたいだね。
「おっと、ここは通さねぇぜ!!」
でも、そのお約束なセリフが飛び出してくるものだから、妙にしょうもない感じがしてくる。
「残念だったな、トリックだよ!」
それが言いたかっただけだろ。
「てい」
「あふん」
とりあえず、僕は、躊躇うことなく、目の前にいる人を蹴り飛ばした。これだけやっても衛兵は来ないままだ。僕としては好都合だけど、少しは仕事しろって思う。
「ちくしょうめーっ!」
「おいやめろ、衛兵が来た!」
そんなことを考えていたせいか、本当に衛兵がやってきたみたいだ。思わず後ろを振り返って確認する。ボウガンを構えて僕を狙っていたらしい冒険者のすぐそばに、衛兵が浮かんでいた。どこぞのバトル漫画の如く、オーラが漂ってそうな巨兵だ。すごく大きいです。
……うん、見なかったことにしよう。
「ごめんなさい、もうしません!」
僕の背後で、誰かが情けなく衛兵に謝っているようだ。どうやら情状酌量の余地はあったらしく、悲鳴は聞こえてこなかった。
にしても、あれだ。誰かに攻撃を加えようとしたら衛兵が飛んでくるってのは、この世界でも一緒のことなんだね。ますます〈エルダー・テイル〉みたいだ。
……でも、それだと僕が彼らに蹴りを入れても衛兵が来なかったのはどういうことなんだろうか。思いっきり蹴ったはずなんだけど。
ひょっとしたら、ギャグかどうかで判断が変わったりして…………いや、まさかなぁ。
なんてことを余裕綽々で考えていたのが不味かったんだろうか。
僕の背中に声が突き刺さった。
「〈アストラル・バインド〉ッ!!」
少し遅れて、どこからか湧いてきた鎖が、ビュルと鞭を振るような音を立てて僕の身体に絡みついてきた。
畜生! 油断した!
締め付けられる。痛いような、そうでもないような、よくわからない感じになる。
でも、そんなことはどうだって良い。早くしろ、もう一度走れよ。動けよ足、動けっつってんだろ。逃げろよ、逃げろってんだよ!
「でかした!」
呪文を唱えた術師に、誰かが労いの言葉をかけつつ僕の方に鬼たちが集結しつつある。
今の呪文は魔術師系3職のスキルか。足止めにはピッタリの代物だ。足止め以外の効果が無いのが、今回は効果的に働いている。衛兵が来ないように、という努力が涙ぐましい。気持ちはわかる。
しかしまぁ、どいつもこいつも本気を出しやがって。そんなに僕みたいなヤツが気にくわないのかよ。
「……逃げるなよ、ロリコン野郎」
ナナを逃そうと思っていた僕の願いを裏切るように、さっきまで逃げようとしていた前方からも〈冒険者〉がやってきた。ゾロゾロと楽しそうに、ムカついてそうな感じに寄ってきてくる。どこかのチンピラのように見えなくもない。
「……シンイチ」
僕の胸の中にいるナナが、不安そうに声を上げる。
「大丈夫」
それに答えるように、根拠のない大丈夫を口に出しながら、僕は今も思考を回し続けている。
でも、〈武闘家〉である僕はに、それらの問題を打開する術が浮かんでこない。こんなこともあろうかと、打開できるスキルが――ってそんなご都合主義なんてあるもんか!
「……大丈夫だから」
もう一度、ナナに根拠のない言葉を贈る。ついでに自分自身にも言い聞かせる。
大丈夫だ。僕らは大丈夫だ。多分きっと。どうにかなるって。そうだ。誤解を解こう。話せばわかってくれるさ。コミュニケーションさえ出来れば問題ないんだ。
……コミュニケーションも通じない時は、完全にお手上げで痛い目にあうだろうけど。もうあんなのはごめんだ。勘弁してくれ。
そして、そんな僕の願いは――。
「やっと、追い詰めたぜロリコン野郎ぉ……!」
「この女の敵……!」
「NPCとはいえ、幼女に手を出しやがって……!」
「リア充は死ね!」
「ちくわ大明神」
「正義の鉄槌を受けてみろ!」
「追いかけっこ楽しかったぁ! あははははっ!」
うん、まぁ、色んな意味で駄目かもしれない。どいつもこいつも元気いっぱい、胸いっぱいな連中ばっかりだ。さっきまで帰れないとかほざいていたのが嘘のようだ。一度でもストレスを発散すれば、こういう風に立ち直ることもあるんだね。今知りたくなかったけど!
……あーもう、どうしてこうなったんだ。
なんて僕の想いが通じたのか、それを鼻で笑ったのかはわからないけども、野次馬の中にいた常識人っぽい人がぜーぜーと荒い息を吐きながら、ヤケクソ気味に叫んできた。
「あぁぁ、もう! なんで俺たちは、こんなところに拉致されて、家にも帰れないってのに、鬼ごっこなんてやってんだよ! 何やってんだよ、俺たちは!」
そのことには同感だけど、一つだけ言わせてくれ。
(僕が、知るか!!)
いや本当にまったく。
「んで、こいつどーするよ」
「埋めようか?」
「埋めよう」
「埋めよう」
「埋めよう」
どこにだよ。
おまけに、満場一致かよ。
「フレンドリストに登録して、今後ストーキングして、悪いことしないように見張ろうか?」
「めんどいからやだ」
どうやら、彼らは僕をフレンドリストに登録する余裕も無く追いかけてきたらしい。ある意味助かった。それにしても、この機能、下手するとストーカーを量産してしまいそうだね。
「俺決めたよ! 今度、銃を作ってみるんだ!」
誰かが自分自身に言い聞かせているような独り言が聞こえたけどスルーだ。勝手にしやがれ。
そんな僕らに向かって、一人の女が寄ってくる。僕より年上で、真面目そうな大人って感じだ。鋭い目をしていて、ナイフのような視線が僕を貫いてくるようだ。そんな目で見ないでくれ。
「……ほら、あんた、その子を開放しなさい」
僕の胸の中にいるナナへと、女が手を差し伸べながら言ってくる。それはナナを心配するような口調で、僕にも言っているようだった。
「そろそろ観念しなさい。あんたも、あたしと同じようなもんだけど、こんな時だってのに、何やってんのよ」
それは、こんな時だからこそ出てくる言葉で――ようするに、集団の中で冷静な人物が、錯乱中の人のメンタルケアをしているような感じだ。
「こんな女の子に、エッチなことして、何やってるのよ」
確かに、今の僕はおかしい。何をやっているんだろう。浮浪児のナナに金を恵んで、買ってくれと懇願されて、セックスし、今はこうしてナナを抱き締めながら逃げている。客観的に見ると、よくわからなさすぎて、辻褄が合わない。脈絡がない。正気があるようには思えない。
……本当に、何をやっているんだろうか。僕は。
「この子を、こんなに振り回して……とにかく、その子を私たちに渡しなさい。悪いようにしないわ」
「……なんだよ、それ」
彼女の言うことに疑問が浮かんで、口から声が問いかけとなってこぼれ出た。僕らを追いかけ回した挙句、ナナを渡せと言っている。どういうことだ。わけがわからない。
「色々とあって、NPCに手を出した。それも子供なNPC。いくらNPCとは言っても、それに手を出すヤツ、世間的に見てどうよ」
……うん、まぁ、それはわからんでもない。
「ここがゲームの世界とはいえ、正気じゃなかったら、何しても許されるって思ってる?」
現実世界でだって嫌だ。正気じゃなかったんです許してください、精神鑑定でもそう言ってるじゃないですか、なんて言われたところで、言い訳にしか聞こえないくらいだ。薄っぺらい謝罪のようで、酷くみっともない。
「だから、あんたのしたことは、正気じゃないまま何かをしてしまったってことで――彼女はあんたから離した方が良さそう、って思ったの」
そう言って、彼女はナナに手を差し伸べる。救いを与えるための手だ。自分が正義だと言わんばかりの手だ。
気の迷い?
……違う、そんなんじゃない。
「……ヤダ!」
差し伸べられた手を、ナナが首を横に振って拒絶した。強い感情を含んだ行動だ。彼女は僕にしがみ付いたまま離さない。
「――っ、この子をッ!」
そう言いながら、女はナナに向かって強引に手を伸ばす。理屈じゃない。よくわからない感情に突き動かされているみたいだ。
あぁ、もう。
みんながみんなおかしいことになっている。まともに何も考えられない。頭のどこかのブレーキが壊れたまま、何が正しいのか間違っているのかよくわからないままに行動する。モラルの低下とでも言うべきか、モラルハザードとでも言ってみるべきか。知るか。僕にどうしろって言うんだ。
今の僕らには何もない。信念も、感情も、理屈も、言葉も、基準もよくわからない。全部グチャグチャにかき乱されてぶっ壊されてしまった。おそらく、法も、価値観さえも。
何をすればいいのかわからないまま、それでも何かをしようとして、結局は振り回されているんだ。砂漠の真ん中に放り出されたみたいに、自由すぎて何もわからないから、中途半端な何かに縋ることしか出来ないんだ。
そのことが、ちょっとだけわかった気がする。
だから、僕はナナに縋る。
彼女に縋る。縋って、縋り付いて、縋りまくる。キスして、セックスして、笑い合って、一緒にいる。そして、僕は。
――ふと、策を思いついた。
反射的に一歩後ずさる刹那に浮かんだものだ。
起死回生の一発。上手くいくかどうかはわからないけど、ひょっとしたらって策だ。簡単だ。衛兵を呼んで、この場を混乱させればいい。
出来るのか? 自分自身に問いかけてみると、出来そうだという答えが返ってきた。
衛兵を呼んだらどうするのか――決まっているよ、逃げるんだ。衛兵が来れば場は混乱してくれるはずだ。信じている。
でも、万が一、衛兵に殺されそうになったらどうするか……あっ、しまった、そこは考えてなかった、どうしよう。
僕が殺されたらナナは、どうなる。
「――こん、のっ!」
その時まで、色々と考え込んでいたせいか、何かに縋るように伸ばされた手に気が付くのが遅れた。
伸ばされている手は、もう少しでナナに触れようとしていた。
それは、ナナに手を差し伸べていた女のモノで。
少し前まで、僕は衛兵を呼ぶ方法について考えていて。
(こ――――!)
だから、僕は反射的に飛び跳ねた。〈アストラル・バインド〉の効果が切れている。腕が伸びて肘が曲がる。足を踏ん張る。身体をバネのように捻る。一際強くナナを抱き締める。
「――――――のッ!」
そして、僕は――拳を握り、彼女の顔面に目がけて、親指を立てて、右目を。
(『駄目だ、違う』――ッ!!)
反射的に、何かを間違えたことに気が付いても、振り下ろした手は止まらない。拳は開かない。親指も前を向いたまま。爪は刃物のよう。僕は、それを止められない。
そのまま、僕の指が、彼女の目を潰そうとして。
「――〈セイレーン〉ッ!!」
その瞬間、誰かの声が、僕の動きを引き裂いた。
僕が取り返しのつかないことをしてしまう手前で、呪文と共に『何か』が空から降り注ぐ。
「しまっ――!」
僕の周りを囲んでいた誰かが、慌てたような声を上げるも一瞬で遠ざかっていく。夢から覚めていくようだ。
いや、これは夢の中に沈んでいくようにも思える。
どこからか吹いてきた突風が僕らを押し流していく。夢から現実へ、或いは現実から夢へと流れるように。
突風に紛れて綺麗な歌声が聞こえてくる。透き通った誰かの歌は、僕らを包み込んでいき、そして――。
久々の更新です。
なんやかんやあって、あまり筆が進みませんでした。
次々回あたりで第一章が終わりそうです。一応、第二章も考えていると言えばいるんですが、色々と迷走中です。
他に色々と書きたいものや書けるようになりたいものが増えたりで……なんとやら。
とりあえず、第一章は書き上げて、一区切りつけるつもりではいます。
次回も気ままにお待ちください。