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レクから公国ミュシャへ少し寄った辺りは、コルーガ山地でも一番魔物が多く出没する。この周辺は、切り立った岩場が多く妖魔が住処とし易い洞窟が幾つもある。
妖魔が出没するので、付近には獣の気配がない。
一際突出した岩場の上に、アーカイエスは立っていた。
山の天候は変わり易い。つい先程まで薄曇りであったのに、今は雷雲が上空を覆い始めている。
「……さっさと済ませた方がいいな」
アーカイエスは、黒雲の掛かり始めた空を見上げ、呟く。
岩場の下は針葉樹と照葉樹の入り交じった森である。
陽の光りが差し込まぬ深い森には、昼間でもボガードやユガーが徘徊している。
足下へ目を転じたアーカイエスは、危険が潜む緑の海の中へ、微塵の躊躇いも見せずひらりと身を躍らせた。
落下しながら浮遊の魔法を唱える。長身は、見えない羽に支えられ、ゆっくりと森の底へと降りる。
以前から時間を見付けては、山中で探し物をしていた。彼等ノルン・アルフルが近くに来ると、妖魔は闇の『気』に反応して活発になる。
昼には出歩かぬボガードやユガーが一日中徘徊するようになるのも、そのせいだ。
予想した通り、彼が降り立つとすぐに薮の中から妖魔が数匹、躍り出て来た。
手に小剣を持ったボガードは、威嚇の咆哮をしながらアーカイエスに迫る。
妖魔にとっては、人間もノルン・アルフルも同じ『獲物』でしかない。
妖魔の鳴き声は、人間に恐怖を抱かせる。
だが、ノルン・アルフルの血を濃く受け継いだアーカイエスには、彼等の咆哮など小鳥のさえずりに等かった。
自分達の声に寸分も怯まないどころか、余裕の笑みさえ浮かべている無謀な人間に苛立ち、ボガードが一斉に襲い掛かる。
小剣の切っ先がアーカイエスの身体に届くかと思われた瞬間。
「——火霊召還」
妖魔達の眼前に炎の楯が出現した。
「おまえ達の相手をしている暇は、私には無い」
ボガード達は、突然現れた炎に怯む。アーカイエスは指を鳴らすと、火の精霊に妖魔達を襲わせた。
楯がうねり、たちまちボガード達をその舌に巻き込む。
火だるまとなり、悲鳴を上げて地に転がる妖魔を無視して、アーカイエスは奥の薮へと入って行く。
そこには、先鋒の戦いの様子を窺っていたボガードがまだ数匹、隠れていた。
アーカイエスが近付くと、彼等は一目散に逃げ出そうと後ろを向いた。
「止まれっ。……主の命に従え」
術ではない。ノルン・アルフルの身体に流れるノルオールの血が持つ圧倒的な『闇』の気が、妖魔の動作を一言で拘束する。
ボガード達は己の意志に反し、その場に留まる。
アーカイエスは、醜悪な顔を更に醜く歪めて怯えるボガードに、満足げな笑みを見せた。
「いい子達だ。——では、おまえ達がこの世界に最初に現れた場所へ、連れて行って貰おう」
ゆっくりと、魔導師の呪縛を受けた妖魔が歩き出す。
ボガード達が彼を連れて行った場所は、薮からそんなに離れた所ではなかった。
そこは巨大な一枚岩をくり抜いた、古い祠だった。
祠の両開きの扉は片側が壊され、中から妖魔の呻き声が聞こえて来る。
妖魔が最近出入りしたのが、正面にびっしり生えた蔓性の植物が引き千切られた跡が、まだ新しいことで分かる。
アーカイエスはボガード達をその場に待たせ、蔓を潜った。
祠の中へ入ると、奥から淡赤色の光が漏れて来ている。黒い魔導師はその光に薄く笑った。
「やっと探し当てた。これで、我が積年の望みが叶う」
これまで訪れた山中の祠には、彼の探すものは無かったり、あっても既に役に立たなくなっていたりした。
完全に使用出来るものとして、これは最後かもしれない。
「失敗は、許されんな……」
呟いて、アーカイエスはゆっくりと光の方へと進んで行った。