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翌朝。
一行は出立前の買い物にとミルガルトの市場へ出た。
山越えは諦めたが、旅はまだまだ続く。
装備を点検して、使った分の食料と薬を買い足す事にした。
携帯食料の買い出しにはパッドとニーナミーナが、残り三人は薬草を買いに薬屋へと向かった。
何処の街の薬屋も同じだが、壁という壁は、天井に届くまでの高い引き出し棚に覆われ、床には幾つもの素焼きの大壺が置かれている。
鼻をつく薬草のにおい——ジェイスはこのにおいが嫌いだった。
幼い時に亡くなった母の部屋に、何時も立ち込めていたにおいだった。
先代のカーライズ公は女房運が悪いと言われた。
兄二人の実母も、ジェイスの母である後妻の、先代国王の妹姫も、嫁いで十年経たぬうちに病で亡くした。
薄暗い病人の部屋と薬草のにおい、そして、父の持つ謹厳な雰囲気。
幼い頃、実家の館を支配していた、馴染めなかった陰鬱な空気を思い起こし、ジェイスは思わず顔を顰める。
事情を知っているシェイラが、「外で待ってれば?」と小さく言った。
「いや、いい」
「どうかしました?」
気付いたクレメントが寄って来る。
息も掛からんばかりの至近距離から見上げてくる銀の瞳に、ジェイスの心音が高鳴る。
そう言えば、昨夜クレメントも母親の夢を見たと言っていた。
月明かりに、泣いた跡が白い頬にくっきり残っているのが分かった。
まるで、雨に打ちひしがれた百合の花のようだった。
萎れた表情が切なくて、愛しくて、我慢できずに頬に触れてしまった。
自分が、この美貌の王太子にかなりぞっこんである自覚はもうとっくにあったが、相当な深みにまで嵌まっているのに、今更ながら驚いた。
昨夜はそれでも、頬には触れたが唇を奪うまでは、どうにか思い留まった。
惚れた相手に手も出せないとは、男として意気地のないことこの上無いのだが、しかし相手は男だぞ、とジェイスは遅蒔きながら、内心自分に言い聞かせる。
惚れて報われる相手ではない。ロンダヌスの王太子ではなおさらだ。
諦めろ、と、己の『恋心』に命令する。
だが、自分の想いを、人間そう簡単に操縦するのは難しい。
まして、『恋愛』では。
こうして間近にクレメントと接していると、やはりどぎまぎしてしまう。
ジェイスが一人勝手に赤くなったその時、店の奥にいた二人の男が、入り口へと出て来た。
奇妙な出で立ちの男達である。レンと呼ばれる、鹿に似た動物の毛皮で出来た帽子を被り、腰には鮮やかな色の毛織物の腰当てを付けている。
ボウガンを背に背負っているが、それも普通の形のものとは違い、極端に握りの部分が細い。
ジェイスには、この不思議な格好の二人が、すぐにサッド族であると分かった。
目的のものを見付ければ、例え恋に波立っていようと心を瞬時に平静に整えられるのは、戦士の性といえる。
ジェイスは、店を出ようとする二人を、急いで呼び止めた。
「よお、あんた達、サッドの人だよな?」
二人の男は、足を止め、何事かという表情で振り向いた。
「山の妖魔が増えて、レクにはサッドは来ていないって聞いたんだが?」
ジェイスは、黒い毛皮帽を被った、年嵩の方の男に話しかけた。
男は、赤毛の大男を怪訝そうに見上げる。
「……確かに、俺達以外のサッド族はレクには来ていない。俺達はハイライ(フィアス属領)を回って、サゼからレクへ入った。ロンダヌスへ直接通じている山道は、今は妖魔だらけで俺達でも通れない」
「それは昨夜聞いたが……」よくない知らせの繰り返しを聞き、ジェイスは、やや重い気持ちで腕を組んだ。
もう一人の、灰茶の毛の帽子を被った男が口を開いた。
「ハイライでさえ危険だ。サゼは、アストランスとフィアスの国境に、警護の騎士団を置いている」
ジェイス、クレメントへの想いで、かなりジタバタしています(笑)
だから、男だってば……?




