10
クレメントはもう一度水盤の上に手を翳すと、今度は左手の人さし指と中指を口元立て、呪文を唱え始めた。
「……永き役目を終え元の姿に戻れ。還元」
水晶から先程の光が再び立ち上る。が、今度は強く光ったと思った途端、光は周囲に霧散した。
目の裏に残る光の残像を振り払おうと、ジェイスは頭を強く一振りする。
「……何、やったんだ?」
「カスガの魔法を解きました。こうすれば、いつかここに来るかもしれない、これを見る事の出来る魔導師が、古い情報に惑わされずに済みます」
さて行きましょう、というクレメントの言葉で、一同は館の外に出た。
賊が内部を荒らした事を、王城とイリヤ神殿に伝えるよう警備の騎士に言い、彼等はそれぞれ馬に乗った。
「さて、いよいよロンダヌス。カスタ遺跡か」
ジェイスは馬首を戻り道に向ける。
「いえ、カスタへ行く前に一度ロレーヌへ戻ります」
「また何で?」
「僕は、現在家出中の身なので」
クレメントは苦笑する。
ジェイスは「あ、そうか」と頭を掻いた。
「一応親父さん、じゃない、ロンダヌス国王陛下に事のあらましを伝えないと。って、俺らも陛下に謁見すんのか? ……めんどー」
ジェイスっ、と、シェイラが睨む。
クレメントは、口元を拳で押さえつつ、笑い声で説明した。
「それもそうですが、カスタの通行証を貰うのが第一です」
「へ? カスタって、入るのに通行証が要るの?」
ニーナミーナが目を丸くする。
「腕に覚えがあれば、誰でも入れるんだと思ってたー」
「そうは行きません。極めて危険な場所ですので、万が一の場合、誰が入っていたのか確認が取れませんと」
「結構、面倒なのね」とは、シェイラ。
「まあ。通行証を発行してもらう時に、行くパーティの力量も調べられます。でもこのメンバーならそれは何も問題ないでしょう」
「ところで、ロンダヌスまでのコースは?」
パッドが後ろから尋ねる。
「そうですね。……最短コースは山越えですか」
「ええっ? コルーガ山地は妖魔の巣よっ?」
ニーナミーナが抗議する。
「アストランス南道を通っても妖魔は出るぜ。同じなら、山超えた方が確かに早い」
「そんな……」
「大体、カスタ遺跡にぜひ行きたいって喜んだ人が、街道の妖魔くらいでどうしてびびるの?」
眉間に皺を寄せ、ずいっ、と顔を近付けて来たシェイラに、ニーナミーナはしどろもどろに言い訳する。
「それはぁ……、確かに、カスタも妖魔の巣だけど……。そっ、それはそれよ。出会わない方法があるならその方がよっぽどいいじゃない?」
「確かにな」ジェイスは、ひとつ息を吐くと、クレメントに訊いた。
「飛翔の魔法って、何人まで運べるんだ?」
あれは、目が回る。本音はやって欲しくないが、コルーガ山地の危険地帯を回避するには、致し方ない選択肢のひとつだ。
「そうですねえ」クレメントは、小首を傾げて、頬に手を当てた。
どこから見ても、大輪の白薔薇の風情に、ジェイスは少しどころではなくドキドキする。
「五人、ですか。やったことは無いですが、多分運べると思いますよ?」
「そっ、そっか。なら、飛翔の魔法で……」
「でも、あれって物凄く目が回るのよねえ」
シェイラが、ジェイスと同じ感想を呟く。
多分、魔法慣れしていない人間にはきついので、クレメントは敢えて選択しなかったのだろう。
「どんな風に?」ニーナミーナが、恐々といった顔でシェイラに尋ねた。
「空の上を上下左右関係なくぐるんぐるん回って飛んで行くの。だから、着地した後は、しばらく立てないわよ?」
「ひぇーっ! 嫌っ!! 私、目が回るのと何処かから落っこちるのは、絶対ダメっ!」
頭を抱え、ぶんぶん振って拒絶するニーナミーナに、クレメントは、
「なら、山越えしかありませんねぇ」と微笑んだ。
「えーっ、そんなあっ!!」
「嫌なの? あっそう。ならいいわよ? 無理に一緒に来いとは言わないから」
シェイラが、渋面を揶揄い笑いに変える。ニーナミーナは、ぷっ、と、膨れっ面になった。
「いいわよう、行けばいいんでしょっ、行けばっ。何よっ、ボガードの一匹や二匹、すぐに頭かち割ってやるわよっ」
シェイラが吹き出す。ジェイスも、がははと笑い声を上げた。
笑いを堪えつつ、クレメントが言った。
「じゃあ、山越えで決まりという事で。出発しましょう」
ニーナミーナ、思いっ切りボガードの頭をかち割りそうです(苦笑)