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銀の水盆の表面に映るジェイス達の姿を、男はじっと見詰めていた。
「……キリアン伯、か」
彼等の姿は、『眼鏡』と呼ばれる魔法を掛けられた夏虫を通して、水に映し出されている。
男が現在居るのは、イリヤ神殿近くの廃墟となった商人の館。クレメントの予測通り、彼は王の大剣奪取の頃合いを狙ってランダスに留まっていた。
水を揺らせば消える魔法の景色を、男は水盤の縁を叩いて終わらせた。
「さて……、厄介な事になったな」
昨日からこの館に入り、『眼鏡』を使って城の内部を監視していたのだが、まさか魔法石を『囮』にするとは思わなかった。
しかも、預かったのはあのジェイス・キリアン伯である。
二十人斬りの騎士。
ジェイスがランダス一の剣豪であるのは、男の耳にも伝わっている。
生半な相手ではない。魔法を使うにしても、用意周到に行わなければこちらが殺られてしまう。
おまけに、ロンダヌスの王太子にして強大な魔力を持つクレメントまでが、同行している。
「大剣を、無理にでも急いで奪うべきか、否か……」
思案の目を、廃墟の破れた硝子窓へと移す。
その時、不意に目の前に少女の姿が現れた。
「——アーカイエス様」
黒髪に黒い瞳の幽鬼のような少女は、儚げな声で男を呼んだ。男——アーカイエスは赤い目を僅かに細める。
「ララか」
「はい」
少女は、やはり弱々しい声で答えた。
「昨日のウォーム神殿での魔法、よく出来た。ご苦労だったね」
ララは、実はロンダヌスに居る。昨日ウォーム神殿で、ジェイス達を犯人に仕立てようと神聖魔法を唱えたのは、彼女だった。
アーカイエスは、ララと遠距離でも会話出来るよう、自分の血を固めて作ったペンダントを彼女に持たせている。
ララがそれに向かって話せば、アーカイエスの眼前にぼんやりとだが少女が現れる。
ぼうっと霞むララは、心配そうな表情でアーカイエスを見詰めた。
「……本当に、あれで良かったのでしょうか?」
「何の、話だ?」
「七賢者のお一人、アルクスク大神官の魔法石を持ち出すなどと……。やはりしてはいけないことなのでは……」
「ララ」
アーカイエスは、殊更優しい声で言った。
「ファーレン神殿に帰りたければそうしなさい。神官長には私から手紙を書いておく」
「いいえっ」
だが、ララは強い声で否定した。
「申し訳ありませんっ、アーカイエス様っ。もう申しませんっ。ですから……っ」
「分かっている」
アーカイエスは薄く笑んだ。
「ところで、今何処にいるのかな?」
「ロレーヌの南区の宿屋におります。……私、これからどうすれば?」
「そうだね、もう少しでこちらの用が終わる。ロレーヌに行くのは後四、五日掛かるから、それまでそこの宿屋にいなさい。宿の名前は?」
「川蝉亭です」
「分かった」
ララは深く頭を下げると、現れた時と同様唐突に消えた。
少女の残影を惜しむように、アーカイエスは暫し彼女の居た虚空に目線を留める。
「済まないな」
溜め息をひとつ落とし、脚の高い椅子から降りる。
「……あちらの思惑に乗ってやるか」
小さく呟くと、アーカイエスはゆっくりと部屋を出口へと横切った。
魔法石の盗人にして、ノルン・アルフルの魔導師、アーカイエス。
やっと名前が出てきました・・・(汗)