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「そんな、魔法が……。でも私は……」
「掛けられていない、とおっしゃるのであれば、それが本当かどうか、試してみましょうか?」
「試す……?」
「簡単です」
クレメントは右手の中指と人さし指を揃え、神官長の顔面に先をぴたりと向けた。
左手の同じ指二本を、揃えた指の上に重ね軽く目を閉じる。
「——解呪」
指先から白く細い光が発した。光は神官長の額に真っすぐ当たる。
光に額を押された神官長は、僅かに頭を反らせる。
その途端。
神官長の灰色の瞳が大きく見開かれた。
「お……、おお、そうだ……。思い出した。確かに、ニーナミーナの言う通り、正午近くにお客人がみえて、礼拝堂はまだ信者の方で一杯だったので学舎の廊下でお会いしました。……しかし、それ以降の記憶が——」
「その後は、私が申し上げた通りです。でも、変だと思ったんです。夏節祭のこの時期に留学生の方が来るのも珍しいのに、それも、いつもはどなたがいらしても決してお通ししない部屋でお待たせするとおっしゃるので。でも、よろしいのですか? ってお聞きしたら、神官長は大丈夫だとおっしゃって」
「恐らく、その客という人物にそうするように言われたのでしょう」
クレメントの指摘に、神官長は両手で顔を覆った。
「何ということだ……。私は自ら大事な魔法石を賊の手に差し出してしまった……」
「仕方ありません。それだけ相手の魔力が強かったのです。それより、その客とはどんな人でしたか?」
クレメントは、顔を上げた神官長とニーナミーナを交互に見た。
ニーナミーナは首を振った。
「私は顔までは見ていません。私が神官長のご指示で学舎までご案内した時は、外套の帽子を深く被っていましたから。だから、声と背格好から女性だというだけしか」
「確か、黒髪の若い巫女でした」
神官長が言った。
「そう、ファーレン神殿の紹介状を持っていました。私はそれと許可証が本物なのを確認し、お返しして……。それから先が……」
「という事は、敵さんは神官長が書類を読んでいる最中に術を掛けたって訳だ」
ジェイスの言葉に、クレメントがにっこり笑う。
「その通りでしょう。そしてこの部屋へ案内させるようにした」
「変です、私ずっとお二人の側にいましたけど、女性に術を掛けるような素振りは全くありませんでした」ニーナミーナは、口を尖らせる。
クレメントは、柔らかな笑みのまま、女性神官を見た。
「強い魔導師なら、呪文の動作はほんの少しでいいんです。多分その人物も、術を小声で唱えて、それから神官長の身体の何処かに一瞬触ったくらいでしょう」
「額の裏に隠し扉があるというのは、どうやって賊は知ったのですか? それも神官長から?」
騎士団長の質問に、クレメントは首を振った。
「いえ。人の心を操る程の術者なら、この部屋に入れば在り処はすぐに分かります。魔法石はそれ自体が魔力の塊ですから。どんなに分厚い鉄扉でも、魔法で封印していなければ魔力はそこから漏れて来ます」
「そうですか……。して、魔法石を奪った賊は、どうやって逃走したのでしょう?」
「僕が賊がランダスに来たと分かったのは、ロレーヌ郊外の村に残っていた移動の魔法陣を調べたからです。それから考えれば、多分この近くに同じような魔法陣を、予め描いている筈です」