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一面の、草原である。
茫々と生えた夏草は幾重にも折り重なり、遠くの木の梢さえ微かにしか見えない。
頭上で、ひばりが高くさえずっている。
夏節祭の賑わいは何処へやら、遠くに民家が数軒見えるだけで、人の姿は全く無い。
民家の手前は畑だろう。青々とした麦の穂が夏風に靡いている。
「……どこだ、ここは?」
ジェイスは、一変した風景に戸惑う。
「ここはロレーヌの郊外の、リトという村の外れです」
クレメントの声が答えた。ジェイスは声のした方を振り向く。
美貌の魔導師は、己の腰丈程に屋根のてっぺんが来る、小さな白い建物の前に立っていた。
生い茂った夏草が、建物の周囲を覆っている。
何の目的で、自分達をこんなど田舎まで引っ張って来たのか?
ジェイスは、呆れて脱力する。
もう一度草の上にへたってしまったジェイスに代わり、怒ったシェイラがどかどかと足音を立てて、クレメントへ近付いた。
「あんたっ、一体どういう積もりっ?! 何だってこんなとこに私達を——何よ? この掘建て小屋は?」
「これは、名の無い神の祠、と、この辺りでは呼ばれています」
「名の無い……?」
ジェイスは興味を引かれ、立ち上がると、二人の側へと寄った。
祠は、ジェイスの腰の辺りに屋根が来る程、小さい。
ジェイスはしゃがむと、祠の正面の白い扉を眺めた。
扉の上には小さな三角屋根が付けられている。屋根の真下、庇になる部分には、イリヤ神殿やウォーム神殿でも見られる植物の紋様が彫刻されている。
普通、各神殿の正面扉の庇に描かれる紋様は、その神殿の主神に関係のある植物であり、それが、その神殿がどの神のものであるかを現す。
大体が大陸に自生し、一度は目にした植物なのだが、この祠の庇のそれは、ジェイスが思い出す限り、一度も見た事が無い。
不思議に思っていると、同じ事を考えたらしいシェイラが、それを口にした。
「見た事の無い植物だわ……。空想の花なのかしら?」
「いえ」と、クレメントが首を振った。
「これは、かつてこの大陸に生息していた花です。ウォームとその配下の神が降臨する以前、この大陸にはこの花が咲いていたのでしょう」
「今は、全く無いの?」
「多分。——祠は、まだこの花がこの辺りに咲いていた頃に造られたのだと思います。実際、リトの村人に尋ねても、この祠がいつ頃からあるのか、分からないそうです」
「でもそんな話、あなた何処から……?」
シェイラの質問に、クレメントは肩を竦める。
「ロレーヌの王宮には、開かずの間が幾つもあります。その中のひとつが、ウォーム降臨以前の大陸について書かれた書物を集めた部屋でした。大半はカスタ語の古典で殆ど読めませんでしたが、ひとつ何とか読めるものがあって、その書物の中にこの花の事が書かれてありました」
「開かずの間に納められてたって、それ、禁書じゃないの? あなた勝手に開かずの間に忍び込んで、禁書を読んだの?」
「まあ、そうとも言えますね」
悪戯っぽく笑ったクレメントに、シェイラは眉を釣り上げた。