9話 吹雪の日の膝枕
窓の外を見ると猛吹雪だった。さすがのイアも外に出るつもりはないらしく、家の中で読書をしている。
「何を読んでいるの?」
文字の勉強に飽きてきた私は、隣に座るイアの本を覗いてみる。もちろん読めない。
「小説ですよ。ミステリーです」
「イアもそうゆうの読むんだ……」
「読みますとも。時間は無限にありますからね。読書は一番の暇潰しです」
「そっか。じゃあ、それ読み終わったら聞いてもいい?」
「今でも構いませんよ。何でしょうか」
イアは栞を挟まずに本を閉じてしまった。
「フリーア王国について聞きたいんだ」
小さくイアは「はい」と返事をする。
「王都以外の街も国にはあるんだよね? どんなところなの?」
「東西南北に要となる都市があります。イースト地方は田舎ではありますが人口は多いです。農作が盛んでして、王都との往来は一番ですね」
美味しいものもあるのだろうか。
「ウエスト地方はあまりオススメしません。なにせ治安がとても悪いので……。移民も多いですしね」
「どう治安が悪いの?」
「街全体が歓楽街みたいになってます。決して行かないように」
釘を刺されてしまった。行きやしないのに。
「サウス地方は比較的温暖で過ごしやすい場所です。海底都市があるので観光として行くなら面白いかと思います」
「海底都市……!」
「興味ありますか。それなら今度一緒に行ってみましょうか」
どんな感じに見られるのかな。潜水艦とかで潜るのかな。
「最後にノース地方ですが、冬が長い地域で寒いです。あとエルフが住む森が近くにありますね」
「ハードゥの故郷ってこと?」
「はい。あの子は仕事を言い訳にしてほとんど帰っていないみたいですが」
エルフの住んでいるところって、やっぱり神秘的なところなのかな。
「妖精が住んでいる地域はないの」
「……ここくらいですよ」
「ここ?」
迷いの森ってこと? この森で他に生き物の気配はしない。
「妖精の生き残りは私だけです。集落などはありません」
「ご、ごめん……」
「気にしていません。謝らないでください」
つまり、イアには家族も残っていないということだ。この辺りのことは触れないでおこう。
「この世界で一番割合を占めているのは人間です。エルフだってそこまで多くはありませんし、彼女らも緩やかに絶滅の道を辿っていくでしょう」
イアは悲しい素振りも見せずに言う。あまり関心がないのかもしれない。
「あまり暗い顔をしないでください。私なんて当分死期はきませんし、エルフだってあと数千年は繁栄を続けるでしょう。ハードゥだって二百年ちょっとは生きてますよ」
見た目からは考えられない数字に驚く。
「エルフの中ではまだまだひよっこですね」
イアが紅茶を啜りながら、視線をどこか遠くに向けた。
「人間はすぐ大きくなるから困ります。カーリーなんてつい最近生まれたと思えば、酒ばかり飲む悪い子に育ってしまいました」
桜のカフェでお酒を渡していたことを思い出す。
「カーリーやハードゥとはどんな馴れ初めがあるの?」
私の興味が地方都市からイアに移っていく。イアは何かを辿るように記憶を掘り起こしていた。
「カーリーについては彼女を取り上げたのが、付き合いの始まりです」
妖精は人間のお産にも対応できるのか。
「魔法の存在を知ってからは、私に毎日せがむんですよ。魔法を見せろ、教えろって」
「カーリーが使う魔術ってイアが教えたの?」
「大方そうですね」
しかし、カーリーが魔術を使うところは見たことがない。どんなものを扱うのだろう。
「続いてハードゥですが、彼女も出会ったのはこんな小さい時でした」
イアがソファよりも少し高い位置で手を止める。
「昔から彼女は生意気でしてね。何度暗殺を企まれたことか」
「暗殺!?」
物騒な言葉が出てきたな。
「ハードゥは昔から敵対心が強くてですね、事ある度に飛び掛ってきました。そう考えると今は落ち着いた女性になったのかもしれません」
「何で子供に命を狙われるのさ」
「私のことが嫌いだったんじゃないですかね」
「そんなあっさり……」
「私からしたらハードゥの行動は可愛いものでしたよ」
相変わらずイアは表情を変えなかった。思い出を語るというより、ただ事実を述べているだけという感じ。
「昔からハードゥとは仲が悪かったんだね」
「私は別に彼女のことを嫌っていませんよ。一方的に煙たがられているだけで」
「それって別に仲が良いとは言えないよ」
イアが「そうですか」ととぼけた返事をする。イアは少し距離感がおかしいから、何か気に障ることをしたのだろう。今もこうして隣に座っているけど、かなり距離が近い。同じ本を読んでいたわけでもないのに。
ただ、私はこの距離感が嫌いじゃない。誰とでも近い距離が良いわけじゃない。単にイアが近くにいると落ち着くのだ。良い匂いもするし。
シャンプーの匂い? でも私も同じものを使っているしな……。
「どうしましたか」
覗き込んでくるイアの顔があまりにも近くて、思わず「うわっ」と声が出た。綺麗な顔なんだけど、綺麗過ぎて長時間見つめるのは適さない。
「どうもしないよ」
イアの肩を押し返す。女性らしい華奢な体格をしているが、いつも出かける時は私を抱えてくれる。それなのに疲れた素振りを見せたことはない。
「飽きたのなら甘いものでも食べますか」
そしてイアは私に甘い。すぐに餌付けしてくる。
「さっきお昼を食べたばかりだよ」
「でもシーは甘いものが好きでしょう」
「好きだけどさ。甘いものばかり食べていたら太っちゃう」
ただでさえ長距離動くことができないのだから、欲望のまま食べることは禁物だ。
間を置くために紅茶を飲む。最後の一口だったようで、カップが空になった。
「新しいの淹れましょうか」
「ありがとう」
イアが茶葉から入れ替えてくれる。この世界では清涼飲料水と言えば、水と野菜ジュース、フルーツジュースくらいしかない。私は結局ほとんど紅茶しか飲まない。たまにココアも飲むが。
イアも私に合わせてか紅茶ばかり飲む。夕食の時にワインのようなものを飲んではいるが、酔っぱらった姿は見たことがない。
「どうぞ」
淹れてもらった紅茶は先程のものとは香りが違う。
紅茶を淹れるために一度立ち上がったイアは、再び私の真横に腰を下ろした。ふわっとイアの匂いが香る。
うーん、気にするべきではないけど、毎度「良い匂い」って思っちゃう。良くないなぁ。
イアが読書に戻ったので、私もペンを持ち勉強に戻る。勉強は毎日続けるようにしているが、未だに数えられるくらいしか単語を覚えていない。
とりあえず街中で使うような単語は優先的に覚えたい。今の私は一人でまともに買い物もできないのだ。まぁ、足のことがあるから、そもそも一人で行動するのが難しいんだけど。
「……」
特に会話もなく時間が過ぎていく。私はきっと元から勉強が得意じゃないんだろう。小一時間も集中していると欠伸が出てくる。
「眠たいなら寝てください」
甘い。すぐ甘やかす。ほんとにもう。
「まだ寝ないよ。夜寝られなくなっちゃう」
「今なら私の膝をお貸ししますよ」
思わずイアの脚に目がいく。真冬だが部屋の中は暖かいので厚着はしていない。ちなみにスカートだ。
「どうぞ」
ティーカップを置く時と同じトーンで脚を提供される。同じベッドで寝ているのだから、今さらなんだという話でもあるが、やはり問題だと思う。
「いやいや、寝ないよ」
「私の膝枕では物足りないですか?」
「そうゆうことじゃなくて……」
何て言えばこの行動が間違っていると伝わるのかな。
「今は寝ないから」
「……つまり夜ならいいと?」
何でそうなる。私ってそんなに膝枕されたい顔してるかな。
「膝枕はしません!」
イアは私の拒否にきょとんとした表情を浮かべる。
「人間の子供は膝枕をよくするものだと思っていました」
「子供って……私はもう十六なんでしょ」
「たった十六年しか生きていない子供じゃないですか」
「そりゃあイアからしたら子供かもしれないけど……思春期ってやつなの」
理解してない様子だった。
「お年頃だから膝枕は恥ずかしいの」
「そういうものですか」
「そうゆうものです」
私は息をついてイアから視線を外した。調子が狂う。記憶がないから私の本調子がどんなものか分からないけど、なんか手のひらで転がされている気分だ。
「お年頃というのは具体的にいつからいつなのでしょう」
「えっ。……大人になるまで?」
「大人になるのは何歳なのですか」
「……そんなに私を膝枕したいの?」
私が呆れ気味に聞くと、イアは考える素振りを見せた。
「はい、したいです」
そして恥ずかしげもなく答えた。
「じゃあ、私がイアを膝枕するじゃダメなの?」
「私がしたいんです」
意外と頑固だな。
「分かったよ。膝枕お願いします」
私は諦めて脚をソファの上にあげる。それから少し躊躇って上半身をイアの方へ倒した。細身ながら柔らかい太ももの感覚。
落ち着かないなと思っていたところで、温かな手が私の頭を撫でた。くすぐったい。
「誰かを膝枕するなんて初めてです。少しこそばゆいものなんですね」
彼女は何を見て膝枕をすることに憧れたのだろうか。
「寝心地は悪くないですか」
正直言うと、緊張するので普通の枕の方が寝やすいと思う。
「温かくて落ち着く」
枕より温かい。柔らかい。
……イアの指が触れる。敵意はまるで感じられない。彼女がいつも私に与えてくれるのは安心感だ。
「寝ますか?」
「寝ないよ」
イアとは反対方向を向いていたけど、体を九十度表に返した。私を覗き込んでいたイアと目が合う。
「金色の瞳、イアしか見たことない」
この世界では色とりどりの色を見てきたけど、金色の瞳を持つのはイアだけだ。
「妖精の瞳の色が金色なんです」
下から瞳を覗く。会った時と変わらぬ虚ろな金。
「私はシーの茶色い瞳も好きですよ」
「日本人皆こんな色だよ」
「桜は黒いですよ?」
「黒か茶色なの」
イア、全然瞬きしないな。……まつ毛長い。
私はこの心地良い生活が気に入ってしまっている。記憶がないから前の世界に戻りたいとも思わない。……記憶を取り戻して、その上で判断した方がいいのは分かっている。
しかし、桜みたいに明確な目標がないと、心地良い温もりに気持ちが流されてしまう。
「起きたくない……」
思っていた以上に膝枕は心地よいものだった。
「しばらくこのままでいいですよ」
「イアはすぐ私を甘やかす……」
「厳しくされるよりいいじゃないですか」
確かに……。
「イアが誰かに厳しくするってあるの?」
「身内以外には厳しいと思います」
私は一応身内扱いしてもらってるのかな。
「あぁ……でも……」
イアは目を少し細めて脅すように言った。
「私を怒らせるようなことはしないでくださいね」
「……ちなみにイアを怒らせるってどんなこと?」
「シーが自分を大切にしてくれれば怒りません」
ぺしりと額を叩かれた。痛くはないが反射的に目を瞑ってしまう。
「怒ったイアは怖そうだ」
「ふふ、どうでしょう」
眠るつもりはないけど、軽く目を閉じた。今は優しいイアに甘えることとしよう。




