2話 魔法と生活
ハッと目が覚める。
知らない天井。そして、昨日椅子代わりにしていたベッド。
「目覚めましたか?」
少し遠くから声がした。声の方へ向き直ろうと上半身を起こそうとするも、右足に力が入らなくてバランスを崩してしまう。
「大丈夫ですか? ゆっくり起き上がってください」
イアがベッド横までやってくる。
私は彼女の手が差し伸べられる前に体を起こす。
「おはようございます。ご気分はいかが?」
「えっと、おはよう、ございます」
気分は最高とは言えない。
「顔色は悪くないですね」
上から西洋作りな美形が迫ってくる。
「ちょ、近い……」
「これは申し訳ありません」
イアの顔が離れたところで、私は胸を撫でおろした。
「それで右足以外に体調が悪いところはありますか?」
「……ない」
頭も不思議とすっきりしているし、気持ち悪かったりもしない。
「では朝ご飯にしましょう。まずは洗顔と歯磨きですね」
躊躇いもせず、イアが私の背中と膝下に腕を入れてくる。
「なっ!?」
そして、そのまま私は再びお姫様抱っこされた。
「暴れないでください」
「なんでお姫様抱っこなんて!?」
「? 右足が上手く動かないのでしょう。一人で洗面所まで行けますか」
イアは有無を言わせず、私を運んでいく。大きめの鏡がある洗面所でそっと木張りの床に下ろされた。
右足に感覚はないものの、立つことはできる。踏ん張れはしないけれど。
「タオルと歯ブラシはそこに置いてあるものを使ってください」
洗面台の上に薄緑色のタオルが置いてある。
「では、私は朝食の支度をしますので、何かあれば呼んでください」
状況がまったく分からない。私は仕方がなく洗顔と歯磨きをすることにした。
チューブに入っているのは……歯磨き粉っぽい匂いがする。
ひとまず首から上がすっきりしたところで玄関の方に目を向ける。
小さな窓がついていて外が見える。朝か昼間。雪は止んでいるようだ。
「夢じゃない……」
一体、私はどうしてこんなことに……。
「終わりましたか? 今そちらに行きますね」
大丈夫と言おうとして、足が上手く動かせないことを実感してしまう。せめて杖でもあれば……。
「失礼しますね」
イアは私を抱きかかえて、暖炉に近いソファへ運んでくれた。
「今用意しますから待っていてください」
「ぁ、ありがとう」
イアが運んできたのはポタージュとバターが塗られた焼き立てのパン。
「召し上がれ」
一度キッチンに戻り自分の分を手にしたイアは、私の向かい側に座った。
「毒なんて入っていませんよ」
なかなか食事に手をつけない私を見て、イアがスプーンを手に取る。湯気の立つポタージュにスプーンを潜らせて一口飲む。安全だとアピールしたいのだろう。
「冷めないうちにどうぞ」
私は少し迷った末にパンを一口齧った。バターの塩味が効いていて美味しい。
「……どうして知り合いでもない私にこんな良くしてくれるの?」
「シーは雪道で女の子が倒れていたら見捨てますか?」
「そりゃあ……助けると思う」
「そうゆうことです」
けれど見知らぬ人間。ここには他に人もいなさそうだし、家に迎え入れるのは物騒な気がする。
「衣食住を保証するというのは?」
「言葉通りです」
「普通知らない人にそこまでしないよね」
「……私も一人暮らしが長いですから、たまには誰かといるのもちょうどいいかなと思いまして」
二十歳そこらに見えるけど何歳なんだ、この人は。
「シー。あなたは一人で生きていけますか? 家を借りるお金はありますか?」
「…………」
何よりも私は一人で立って歩くことすらできない。
「昨日も言いましたが取って食べるつもりなどありません。独り身の話し相手にでもなってくれればいいんです」
「いやいや、釣り合わないよ。そんな」
「まぁ、しばらくはここにいてください」
イアは話が終わったとばかりに、朝食に集中し始めた。
「温かいうちに食べた方が美味しいと思いますよ」
イアの言う通りだ。ひとまず話は置いといて、私もポタージュに口をつける。じゃがいもかな。
ここは異世界だとか言っていたけれど、本当なんだろうか。
パンをつまむイアを見る。整った顔立ちは日本人には見えない。でも意思疎通はできているんだよなぁ。
「私の顔に何かついていますか?」
朝食を終えたところでイアが視線をこちらに向けた。
「いろいろ聞きたいことが」
「そうですよね」
同意しながらもイアは食器を片そうと立ち上がる。
「なにか温かいものでも飲みながら話しましょうか。コーヒーと紅茶、どちらがよろしいですか?」
「紅茶で」
多分、私はまだコーヒーを好きになるほど大人じゃないと思う。
「ミルクや砂糖は入ります?」
「ストレートで」
イアが茶葉とお湯が入れられたポットとティーカップを運んでくる。
……いつ、お湯を沸かしたんだろう。
「どうぞ」
目の前に出される花柄のティーカップ。私の髪色のような明るい茶色が湯気を立てている。
「いただきます」
疑っても仕方ないと思い、カップに口をつける。
「美味しい……」
「良かった。では、お聞きしたいことをどうぞ。答えられるものにはお答えしますよ」
「ここはどこですか?」
「……昨日お答えしたものですね。異世界というところが引っかかっている感じですかね」
その通り。異世界に来たなんて簡単に信じられるものではない。
「……シーのいた世界には魔法は存在しない科学的な世界ですね?」
「まぁ」
記憶がないにしろ、それは分かる。
「では見ていてください」
イアが右の人差し指を立てる。じっと言われたまま見つめていると、指の先から炎が現れた。手をかざしてみると熱を感じる。
それから左の手を開き、上に水球を出現させてみせた。
「触ってみます?」
左手を差し出される。おそるおそる水球に指を入れてみる。冷たい。そしてちゃんと水の感触がある。
「魔法、信じられましたか?」
「……そうだね」
私が肯定すると、イアは手から炎と水球を一瞬で消し去った。
テーブルの上には水滴一つ垂れていない。もちろんイアの手も濡れていない。
「本当はかっこつけてもっとすごい魔法見せたいんですけど、家を壊したくないのでこの辺で」
異世界……来てしまったのか。確か王都が近い森の中って言ってたっけ。
「王都ってすぐ行けるところにあるの?」
「私、明日行く予定があるので一緒に行きますか?」
「ぜひ」
でも右足動かないのにどうしよう。
「他に聞きたいことはありますか?」
「私は誰なのか、なにか知っていることはない?」
「さぁ」
冷たい返事だった。
「一応私の方で鑑定できるものと言ったら……、人間・十六歳・身長百五十八センチ・体重、」
「ちょっちょっと待って! 体重はいいから!」
「そうですか。ではあとは……スリーサイズを上から、」
「それもいらない!」
私にとって有意義な情報は年齢くらいだろうか。きっと年齢的に私は高校生をしていたに違いない。
「……じゃあ、イアのこと教えて」
「私ですか」
イアは突然自分に矛先が向いたからか、小さく唸ってから喋り出した。
「私は妖精の血を引く者です。だから大抵の魔法は使用できます」
「それってチートなんじゃ……」
「まぁ人間なんて束になってかかってきても、私には勝てないでしょう。安心していただいて結構ですよ」
安心って……物騒だな。
「あと話すことと言えば、料理が得意ってことですかね。掃除・洗濯はあまり好きじゃありません」
「どうしてイアは一人でこんな森の中に住んでいるの?」
「私、人混みって苦手なんです」
イアはどこか寂しそうな表情を浮かべた。妖精と人間では何かしらの確執があるのかもしれない。
「妖精がいるってことは、他にも人外の生き物がいるの?」
「えぇ。でもそれは自身の目で確かめた方がいいでしょう」
カップに入っていた紅茶がなくなってしまった。気づいたイアがすぐにおかわりを注いでくれる。時間が経っても湯気が立つのは、彼女の魔法のおかげなんだろう。
「他に聞いておきたいことはありますか?」
聞かなければならないことはたくさんあると思う。あり過ぎて何を聞けばいいのか分からない。
「私はどうしてこの世界に召喚されたのか分かる?」
「分かりません」
「そっか……。なんか世界を牛耳る大魔王とかいないの? それで勇者が召喚されるみたいなさ」
「今のところ勇者は間に合っていると思います」
うーん。私がわざわざ召喚された理由は何なんだろう。
「そんな悩まなくても、いつでも質問にはお答えしますよ。それより服を着替えませんか」
イアは立ち上がるとクローゼットの中から大量の服を持ってきてソファの上に置いた。
「私とほとんど体格が変わりませんし、好きなもの選んでください」
世界観としては和の国ではなく、西洋風だ。服のデザインもそれに沿ったものになっている。
……ドレスはやだなぁ。
イアが次々と見せてくる洋服に目を向ける。
彼女が着ているのはシックだけど動きやすそうなワンピースタイプだ。出てくる服も似通ったものが多い。
「シーはどんなタイプが好きですか?」
「とりあえずは動きやすいものがいいかな」
正直ジャージのままが動きやすくていい。しかし、洗濯をしないわけにもいかないし……。何かしら服は見繕っておいた方がいい。
「これとかどうですか?」
「できればズボンがいいな」
「パンツルックですか。こちらとか?」
「うん、それでいいよ」
セットアップらしい黒色の服を受け取る。軽く合わせてみるけどサイズは大丈夫そうだ。
「あと必要なのは……一応靴ですかね。用意しておきます」
「ありがとう」
「他に欲しいものあります? 家の中での暇つぶしもほしいですよね……」
イアは右手の指で自身の顎を触って考える。
「……イアはいつも何をして暇つぶししているの?」
「私は……魔法の研鑽とかですかね。本もよく読みます」
「それなら私が読めそうな本ないかな」
この世界を知るには、本という情報はうってつけだ。
「それは全然構いませんが……」
イアは言葉を少し濁しながら、リビングにある書棚から一冊の本を取ってきた。
「どうぞ」
青い表紙の本を受け取る。
表紙を見た時点で嫌な予感がした。
中をパラパラとめくってみるとやはり。話し言葉は通じるようになっているが、書き言葉は理解ができない。
「読めなさそうですね」
分かっていたとばかりにイアは言った。
「無理くり魔法で読めるようにすることもできますが、肉体に負担がかかるのであまりオススメしません」
……魔法も万能でないのか。
「自分で学習しますか?」
「……そうする」
どうせ今は一人で行動できる範囲も限られているし、活字は理解していた方が今後役に立つだろう。
「こちらの本を使ってください」
イアが新しく渡してきたのは三冊の絵本だった。驚くことに日本語訳が書かれている。
「どうして日本語が?」
「私が読み書きできるからです」
「どうして」
「練習する時間は山程ありましたので」
……少なくとも私以外に異世界転移をした人がいるってこと?
「分からないところがあれば呼んでください」
私の食器を手にし、イアはキッチンの方へ行ってしまった。
まともに動くこともできなければ、この世界の知識もない私は、ひたすらに文字の勉強に勤しんだ。
昼ご飯はサンドイッチ、夜ご飯はシチューを図々しくもいただき、シャワーも浴びることができた。最初、イアが体を洗うのも手伝うとしつこく言ってきたが、さすがに恥ずかしいので一人で無理矢理入った。
――シャンプー、いい匂いがする……。
生活用品に香料をつけるくらいには豊かな国なのだろうか。
「上がりましたか」
服を着て脱衣所を出るとすぐそこにイアがいた。確かにここから先は伝い歩きができないのだが、こんな至近距離で出迎えられると困る。
「風邪を引かないように髪を乾かしましょう」
ひょいと簡単に私を抱き上げ、イアはソファのところまでいく。
この世界にドライヤーなるものがあるのだろうか。
「熱かったら言ってください」
イアがそう言うと、後頭部に温かい風が当たる感触があった。そうか、魔法で温風を出しているんだ。
「魔法って便利だね」
「シーの世界の方がきっと便利ですよ」
確かに科学が発達した世界は便利かもしれないけど、私には仕組みの分からない魔法の方が高尚なものに感じられる。
「はい、終わりました」
あっという間に濡れた髪の毛は乾き、肩にかけていたタオルが回収されていく。
「寝酒は飲むタイプですか?」
「いやいや私まだ未成年……」
「この世界では十六から飲酒が許されています」
「いらない」
「そうですか。それなら今日は私もやめておきましょう」
少なくともイアは十六歳以上なんだ。
「明日は出かけますし、布団に入りましょうか」
慣れた動きでイアが私をベッドにまで運ぶ。
私が大人しく横になったところで、イアも同じ布団に入ってきた。
「!? 何で同じベッド!?」
「何でと言われましても、この家にベッドは一つしかないもので」
「じゃあ私はソファで寝るから!」
「待ってください。この時期にソファで寝たりしたら風邪を引きます。それに昨日も一緒に寝たじゃないですか、今さら何を」
「昨日のことは覚えてない!」
初対面の人と同じベッドで寝ていたなんて……。
「緊張して眠れないと言うなら、睡魔が現れる魔法をかけましょうか」
「結構です」
私は大人しくベッドに体を任せ、イアに背を向ける。
「おやすみなさい。シー」
「……おやすみ」
一瞬で部屋の明かりが消えた。
虫の音もない静かな空間。
イアの指らしき温かいものが、私の額に当たった気がする。
私は少しでも早く夢の世界へいこうと、強くまぶたを閉じた。




