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15話 虫刺されとデート

 朝起きて鏡を見たら、虫に喰われたように首に内出血の痕が複数あった。もちろん噛まれた傷もしっかり残っている。これはしばらく襟巻きが必要かもしれない。


「隠す必要なんてありません。そのまま出かけてください」


 つけた本人はまったく反省していない。イアの首元にも私がつけた歯形が残っているものの、昨晩より薄くなっている。


「これからハードゥと会うんだけど……」

「それが何か?」

「一箇所ならともかく、こんなに痕がついていたら絶対不審がられるって」

「何も悪いことはしていません」


 良いこともしていない。


「なんか上手い具合に隠す魔法とかないの?」

「あっても使いません」


 頑な〜。待ち合わせ場所の正門まではイアに送ってもらうことになるから、途中でどうにかするというのも無理だ。


「今日って寒いよね? 風邪引きたくないからマフラーしたいな」

「もう三月ですよ。そろそろマフラーは卒業してもいいのでは? それに風邪を引いたとしたら付きっきりで看病してさしあげます」


 引かない。三月ならまだマフラーをしてても良いと思うんだけど、そうゆう問題じゃないのだろう。ハードゥへの対抗意識故の意地か。

 もう私が何を言っても無駄な気がする。ハードゥへの言い訳を考えながら、支度をしてしまおう。


 ……そうだ。ハードゥ相手ならイアが服を選ぶこともないだろうから、カーリーみたいにハイネックを着よう。上の方の痕までは隠せないけど、噛み傷は隠せる。

 私はイアが不貞腐れているうちに着替えを終えた。ミッション達成。


 その後、不服そうなイアに抱きかかえられたまま待ち合わせ場所へと足を運ぶ。


 先に着いたのはハードゥの方だった。いつものきっちりした制服ではなく、白いニットワンピースとベージュのコート姿。ヒールを履いてるからか、普段から高い背がもっと高い。


「じゃあ、シーをお預かりしようか」


 ハードゥが両手をイアに向ける。そんなん勘弁してほしい。それにイアが許すわけがない。私はすぐさま石畳の上に下ろされ、半強制的に松葉杖を握らされた。


「シーは自分の足で歩けますので」

「それは残念だ。疲れたらいつでも言ってくれて構わないよ」


 放たれる美形スマイルが眩しい。


「シー。私はこれで行きますが、何かあったらすぐに呼んでください。いいですね?」

「分かったよ。お迎え待ってるね」


 渋々とイアは人の喧噪の中に消えていった。改めてハードゥが私に向き直り、眩しい笑顔を向けてくる。


「今日も可愛いね、シー。一昨日会った時の編み込みも似合っていたよ」

「あ、ありがとう」


 そう言うハードゥは今日ポニーテールじゃないんだ。オフの日は下ろしてるのかな。


「ところで小腹は空いているかい?」

「いや、お昼を食べたばかりだからあまり……。もしかして食べてこない方がよかった?」

「いいや。もし空いていたらと思っただけだ。ちょっと歩こうか」


 ハードゥがエスコートするように歩き始める。


「その首の痕はどうしたんだ?」


 やっぱり気づくよね。でも噛み傷が見えない今、理由はなんとでもなる。


「季節外れの虫に刺されちゃったみたい」

「……そうか。あの勇者に言って結界を強固にしてもらうんだな」


 嘘ってバレている気がする。でもこればかりは真実を伝えづらい。


「ハードゥの私服姿って新鮮だね」

「そうだろう。最近は任務続きで制服ばかり着ていたからな」

「でも制服姿も凛としててかっこいいよ」

「それはそうだ。私に似合うデザインを考えたんだからな」

「ん? ハードゥが制服のデザインをしたの?」

「そうだ。やはり団長が似合わなければ締まらないからな」

「団長??」


 騎士団長様ってこと? そんなの誰からも聞いてない! 騎士団の施設、結構でかかったよね。その一番偉い人ってこと!?


「あぁ、団長をやらせてもらっている。言ってなかったか。でも勇者のように気負わず接してほしい」


 私の周りはすごい人ばかりだな……。


「自分で言うのもアレだが、私と仲良くしておくと得だと思うぞ」

「イアに言っておきます……」


 イアってば、騎士団長にケンカを売ってたのか。いくら強いからってやめてほしい。


「でも団長なんて本当にすごい。ハードゥもよっぽど強いんだね」

「勇者には勝てないがシーを守るくらいできるよ」

「イアと戦ったら負ける?」

「さすがにあんな化け物には小細工をしても勝てん。だからつけ上がるんだがな……」

「ちなみにカーリーとハードゥだとどっちが強いの?」


 カーリーのあの火柱はすごかった。私が見た中で一番派手な魔法だ。


「近接戦になれば私が勝つな。遠距離になると分が悪い」

「やっぱりカーリーもやばいんだ……」

「この前の火柱は派手だったな。おかげで私は始末書を書いたぞ」

「団長なのに……」


 話をしながら、途中の屋台でハードゥがホットレモネードを買ってくれた。レモンの風味がさっぱりする。


「足は疲れていないか?」

「大丈夫。大分片足で歩くのも慣れたから」

「ひとまず飲む間は休憩しよう」


 近くにベンチはなかったので、建物の階段のところで腰を下ろさせてもらった。


「こちらの生活には慣れたか? やはり随分と勝手が違うだろう」

「記憶がないのでなんとも……。でも字も少しずつ覚えてきたし、簡単な買い物くらいならなんとかなると思う」

「そうか。困ったことがあれば騎士団に寄ってくれ」

「ありがとう」


 私がこの世界で出会った人は皆優しい。転移した時なんて、イアに出会ってなかったらどうなっていたことか。


「そろそろ良い時間だな」


 ハードゥが懐から懐中時計を取り出して時刻を確認する。


「どこに行くの?」

「ついてからのお楽しみだ。なに、そんなに遠くはないさ」


 階段から立ち上がる時、自然とハードゥが手を貸してくれた。こうゆう気遣いに惚れる女の子は多いのではないか。


 ハードゥがゆっくりと歩き出す。私が行ったことのない方角だ。


 目的地周辺はオシャレな人たちで溢れている。皆同じ目的なのかな。遠目で見えてきたのはホールのような建物だ。看板が出ているけど、まだ読めない文字だった。


「この王都で一番大きな劇場だ。今日はオペラを鑑賞しようと思ってね。まだこの国の芸術に触れたことはないだろう?」

「ない。本も読めないから、本当まったく……」

「それなら良い機会だ。歌は国籍を問わないしな」


 豪華な人混みの中に堂々とハードゥが歩み進めていく。受付で様付けをされていたから、騎士団長として招待されているのかもしれない。


「段差がないとなると後方席になってしまうが良いかな」

「そんな招待されて文句なんて言わないよ」

「シーは本当良い子だな」


 誰と比べられているのだろう。


 私は案内された席に腰を掛けた。天井を仰ぎ見ると高い。音の反響を考えて造られたであろう天井は複雑な形をしている。


「寒くはないか?」

「大丈夫だよ」


 ハードゥも心配性な質みたいだ。私は念のため脱いだコートを膝にかけておく。


 しばらくして開演のベルが鳴り、客席が暗くなる。

 歌は聴き取れるものもあったけど、ほとんどがどこの国の言葉か分からないものだった。それでも音楽を体感するってすごい体験だ。言葉が分からなくても感動が伝わってくる。


「退屈しなかったか?」

「全然! すごく有意義な時間だったよ」

「そうか、それなら良かった。……夕食なのだが、まだ予約の時間まで少しあるんだ。何か行きたいところとか、見たいものはあるか?」


 ディナーの予約までしてくれるなんて、デートっぽい。口に出したらイアが拗ねるので言わないが。


「行きたいところが思いつくほどこの街のこと知らなくて……」

「それもそうか。とりあえずレストランの近くまで行こうか」


 人の流れが落ち着くのを待ってから、私たちは劇場を後にした。向かうのはまたもや来たことのない方角の通りだった。


「なんだかいつもより街中が賑わっているね。祝日か何か?」


 夕方でも人が多いし、馬車や荷車もよく通っている。


「永陽祭という祭りが来月初めにあるんだ」

「えいようさい?」

「あぁ、春の訪れを祝う祭りだな。各地方からも多くの人が集まるとても大きな祭りだよ。その準備があちこちで始まっているから賑やかなんだと思う」

「お祭りかー……」

「屋台もたくさん出るぞ。地方の料理人たちも腕を振るうから楽しみにしているといい。……そう言えばサクラも出店すると言ってたな」


 桜の行動力は凄まじいな。毎日料理のことを考えていそう。


「私は警備で顔を出せるか分からないから、出来るなら顔を出してやってほしい」

「もちろん」


 こんなにも前から準備が行われるなんて、どれだけ大きなお祭りになるんだろう。まずはイアにちゃんと行きたいと伝えないと。


「あちらの広場に噴水がある。時間潰しがてら行ってみないか」

「うん、行ってみよう」


 大して歩いているわけではないが、ちょっと疲れてきた。やはりイアと歩き回る時とは勝手が違う。広場に行けば休める場所くらいあるだろう。


 もしかしたら広場はデートスポットになってるのかもしれない。右を見ても左を見ても若いカップルがいる。奥にいるカップルなんてキスしてるぞ。

 ハードゥの目にも入っているはずだが、彼女は何のリアクションも取らない。


「少しそこで休もう」


 広場にはベンチが設置されている。ハードゥも私の疲れを見越していたのかもしれない。


「慣れない靴で歩くと疲れるな」

「……ハードゥって身長いくつなの?」


 ヒール部分に目線を落としながら聞いてみる。


「百七十一だ。だから今日は七十五は超えているな」


 私と二十センチ近い差!


「シーとはちょうどいい身長差になるだろう?」


 何を目的としてちょうどいいのか分からない。


「しかし、身長が高いと目立つものでな。しかもエルフだろう。良いことばかりではないさ」


 私からしたら身長が高いことは憧れだ。


「シーくらいの身長が可愛くてちょうどいいさ」

「イアも同じくらいだけど」

「あいつは別だ。可愛さの欠片もありゃしない」


 可愛いところいっぱいあるんだけど、伝えても無駄だろう。

 広場の鐘が鳴る。夕方から夜と言っていい時間になる。


「もう少ししたら行こうか」


 時間までハードゥは騎士団での仕事の話をしてくれた。平和な時は猫の捜索だって行うそうだ。団長という立場から普段は書類作業が主らしいが、ハードゥとしては前線で剣を振るう方が好きらしい。確かに制服姿の時は、腰にレイピアと思われるものを下げていた。


「団長なんて柄じゃないんだが、如何せん年の功というやつだ」


 エルフ族の彼女もまた、私たちよりずっと長く生きている。


「さて、そろそろ良い時間だ。レストランに向かおうか」


 差し出された手を握る。あぁ、ハードゥの匂いがーとか言われちゃうかな。


 ハードゥが案内してくれたレストランはこじんまりとしたところだったけど、予約客で満席になる人気店だった。


「私はオレンジジュースにするが、シーは何を飲む?」

「ハードゥはお酒飲まないの?」

「恥ずかしい話、実はめちゃくちゃ酒に弱いんだ。ここで酔い潰れたら、さすがに勇者が怒るだろう」

「私もお酒弱い……」

「シーはもう十六になってるんだな」

「幼く見える?」

「もう少し下かと思っていた」


 日本人って幼く見えるって言うし……。


「私はブドウジュースがいいな」


 ソフトドリンクの欄は何とか読めたが、料理の方は分からない。注文はハードゥに任せることにした。


「足りなかったら追加で注文するから言ってくれ」


 しかし、テーブルに届いた料理は二人で食べるにはちょっと多い気がした。ピザを二枚頼むなら、ラザニアはいらなかった気もする。ハードゥが食べてくれるならいいんだけどさ。


「このピザ、めっちゃ美味しい!」


 多いなと思っていたピザだけど、この美味しさならぺろっといけてしまうかもしれない。もちろん、イアが作った料理の方が美味しい。


「その足だと家では勇者が料理をしているのか」

「うん。イアが毎日三食作ってくれる。美味しいんだよ、イアの料理は」


 私が嬉しそうに話すと、ハードゥは咳払いを一つ入れた。


「シー、今君の世界は勇者の影響を強く受けているだろう」


 それは当たり前だ。一番過ごす時間が長いし、分からないことに答えてくれるのも彼女だ。


「だがしかし、この世は人間社会であり、君も人間だ。妖精の血が流れる彼女の話ばかり鵜呑みにしてはいけない」


 確かに常識外れなこともこなすイアだが、世界から逸脱しているようには見えない。


「何か意見を求める時は私やカーリー、サクラの話も参考にしてほしい」

「それはそうしているつもりだよ」


 ハードゥは首を横に振った。


「君は勇者に感化され過ぎている。あいつはとても本能的で独占的なんだ。身を任せたままでいると危ないよ」


 それはイアだからいけないわけではない。誰に対しても依存し過ぎるのは危険な行為だ。分かっている、私がいけないのは。


「でも、少なくともイアは悪い妖精じゃないよ」

「そうだな……。……すまない。食事中にする話でもなかったな」


 ハードゥは軽く頭を下げるとジュースのおかわりを注文してくれた。


 そこから食事を再開し、やはり二人ではちょっと多い夕食と別腹のデザートを食した。

 お腹いっぱいになり、私たちは腹ごなしもかねて夜道を散歩することにした。


「永陽祭があると先程言っただろう」

「うん」

「実は、昔は妖精祭と呼ばれていたんだよ」

「へぇ、それは何で?」


 ハードゥは動きを止めた。振り返って私を見る。ハードゥは真面目な顔で問いかけてくる。


「その首の痕、虫刺されじゃないだろ?」

「……」


 私の沈黙をハードゥは肯定と受け取ったようだ。


「先に言っておくがエルフ族というのは嘘を嫌うものなんだ。今度から嘘はつかないでくれると助かる」

「うん、分かった……」

「で、その痕、本当はどうしたんだ?」

「あー……」


 私の視線が迷子になる。嘘をつかないと約束したばかりで嘘をつくのは憚られる。


「……イアにつけられた」

「暴力か!?」


 肩を掴まれゆすられる。


「違うよ……! その、これは……キスされただけだから」

「キッ!?」


 面白いくらいにハードゥの顔が赤くなる。嘘だと気づいていても、何でできた痕かは想像できていなかったんだ。


「別に無理矢理ってわけじゃないから大丈夫だよ」

「そうか……。まぁ、プライベートなことにまで何か言うつもりはない。ただ、自分のことは大事にするんだな」


 ハードゥの腕が離れていく。


「……妖精祭の話だったな。それは――」


 ハードゥの話が少しだけ続く。ゆっくり正門の方へ歩いて行く。


 ちょうど話が切れた時、タイミングを計ったようにイアが現れた。どこから話を聞いているのだろうか。まぁ、しかし、タイミングを見るだけの気遣いはしてくれている。


「随分長いこと私のシーを独占していましたね」

「だから貴様のではないだろう」


 見せつけるようにイアは私をお姫様抱っこする。まだ正門まであるんだけどなぁ……。


「匂いつけられてませんか」


 嗅がれる。


「シー、今日は楽しかった。ぜひ、また誘わせてほしい」


 ハードゥもちょっとしたいたずらのつもりなんだろう。抱っこされている私の右手を取ると、甲に軽くキスをした。


「あぁ!?」


 うるさっ。耳元で叫ばないでほしい。


「では、夜道に気をつけて。おやすみ」


 イアに手を出される間にハードゥは行ってしまった。


「手、消毒しますか?」

「軽く触れただけなんだから気にしないでよ」


 邪魔しないで大人しく待っていてくれたのだから、もう少し優しくした方がいいかな。


「ハードゥに首の痕のことバレちゃったよ」

「虫に刺されたとか言ったのでしょう。夏でもないのに通じませんよ。……つまり、夏ならいくらでもし放題ってことですか」

「じゃあ、夏まではお預けだね」

「それは困ります。週に二度、できれば毎日したい所存です」

「毎日もしたら私が保たないよ」


 気軽にいいよなんて言ったら本当にやりかねない。本能的、というのはハードゥの言う通りだ。


「帰ったらいっぱいぎゅっとさせてください。八時間も離れていたので供給不足です」

「半日も経ってないじゃん……。ぎゅっとするだけね。それだけだよ」


 イアは優しい妖精だ。ハードゥが何と言おうとその事実は私の中で変わらない。


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