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1話 記憶喪失と異世界

 閉じて、目を閉じて――



 どこかから声が聞こえる。

 私は……私は……。

 体が重だるくて動かない。

 まぶたを動かすことさえできない。



 声がだんだん強く大きくなる。



「起きてください。聞こえていますか?」


 はっきりと声の輪郭を感じ取り、私の感覚が一気に戻ってきた。


 冷たい。寒い。

 ここは……雪の上?


「起きましたか?」


 落ち着いた声の方をに視線を向ける。そこにいたのは金色の長い髪を持つ女性。


「聞こえていますか?」


 どこか虚ろな金色の瞳が私を刺す。


「聞こえています……」


 寒い。とりあえず体を起こして立ち上がろう。

 しかし、私の意思に反して体が上手く動かない。


「起き上がれませんか。……起き上がれませんよね」


 落ち着いた声は白い息と共に消えていく。

 名前も知らない少女はため息を小さくついてから、雪の上に膝をついた。それから両手を私の下に通して立ち上がった。

 所謂、お姫様抱っこというやつだ。


「なっ!?」

「じっとしててください。このままだと風邪を引いてしまいます」


 空は曇天。雪がちらついており、よく見ると少女の頭にも薄っすらと積もっていた。


「あの……」


 私の体が持ち上げられる。


「ちゃんと掴まってくださいよ」


 不思議なほど彼女から悪意は感じられない。私は言われるがままに少女の首に腕を回した。温かい熱が伝わってくる。


 ザックザックと雪が音を立てる。

 吐く息は白い。


――あれ、私って雪が降っているところにいたっけ。


 そもそも私は何でこんな人気のないところにいるのだろう。

 いや、そもそもどころの話ではない。


――私は、だれ?


「どうかしましたか?」


 至近距離で金色の目がこちらを向く。


「……あなたは私の知り合いだったり……しますか?」

「あぁ……」


 彼女は小さく呟くと視線を逸らした。


「私たちは知り合いではありません。……私の名前はイアと言います。敬語は使わなくて結構ですよ」


 ザックザックと沈黙の中に足音だけが響く。


「……あなたのお名前は?」

「…………」

「覚えていませんか」


 全てを見通すような虚ろな目が再び私を捉える。


「覚えていないなら無理して思い出す必要はありません。覚えていないということは必要がないということです」


 私の名前は? 家族は? 友人は?

 何をしてここまで辿り着いたの?


 うぅ……考えると頭が痛む。


「辛いようでしたら目を瞑っていてください」


 さすがに運ばれている身で図々しい真似はできない。


 私はこっそりとイアと名乗る少女の顔を見る。

 高校生、もしくはもうちょっと上くらいかな。


「私の顔に何かついていますか?」


 ガッツリ見ていたわけではないのに、あっさりと気づかれてしまった。


「もうすぐ着きますから……」

「着くってどこに?」


 イアの進みが少しだけゆっくりになる。彼女が移動させた視線の先には明かりがついた木造の家があった。


「家の中は暖かいですから。もう少し辛抱してください」

「家って誰の?」

「私の家ですよ。安心してください」


 見知らぬ人の家に向かっていると言われても安心感はない。


「別に取って食べたりしませんよ」


 確かにイアからは私を騙してやろうという妖しさは感じられない。


 見知らぬ土地、降り積もる雪の中、私が逃げ出したところで助かる見込みはない。それなら助けてくれるだろう彼女に従うのがベストだと感じた。


「着きましたよ」


 イアが玄関と思われる扉の前に立つと、中には誰もいないのに勝手に扉が開いた。

 ……自動ドアには見えない。


 私は玄関で下ろされることなくそのまま中へ通される。


 家の中は広いワンルームになっており、手前にはキッチンとリビング。奥にはベッドがあった。


「疲れましたか?」


 私が下ろされたのは広いソファではなく、奥にあるベッドの縁だ。三人くらいは寝れそうな広さがある。


「えっと……ありがとうございます」


 何でベッド? ソファでよくないか?


「冷えたでしょう。今温かいものを用意します」

「待って……」


 踵を返したイアを呼び止めようとして、違和感。そして、すぐに私の体はバランスを崩した。


「……大丈夫ですか」


 素早く反応したイアが受け止めてくれたおかげで転倒せずに済んだ。


「すぐ戻りますから大人しく座っていてください」


 再びベッドに腰をかける私。


 おかしい。

 私の右足がおかしい。


 膝から下に全く力が入らない。動かせない。恐る恐る触ってみる。……触感はある。でも痛感はなかった。


 どうゆうことだろう。

 私は元から右足が不自由なのだろうか。


 ……思い出せない……。


「ココア、飲めますか?」


 湯気が立つマグカップを持ったイアがこちらに歩いてくる。


「飲めるけど……」


 けど、そんな場合なのか。私はのんびりココアなんて飲んでいてもいいのだろうか。


「どうぞ。熱いですから気をつけてください」


 おそるおそる私は両手でマグカップを受け取った。甘い匂いが鼻を突く。

 飲んで大丈夫だよね? まさか薬が入っていてこの後別のところに連れて行かれたりなんて……。


「ココアより紅茶とかの方がよろしかったでしょうか?」

「いや、そんなこと……」


 イアは命の恩人だ。疑っては罰が当たる。

 私はそっと陶器に口をつけた。


「美味しい……」


 ちょっと甘めのココアは緊張を解す作用もあるみたい。


「お口に合ったのならよかったです。ゆっくり飲んでくださいね」


 もう一口ココアを飲む。冷えた体が暖まっていき、止まっていた思考がゆっくりと動き出していく。


「助けてくれてありがとうございます。……ところで、ここはどこ?」


 目を覚ますまで、私はどこにいて何をしていたのか。何も、何一つ思い出せない。


 イアは少し考える素振りを見せてから、私の横に腰を掛けた。ベッドが少したわむ。


「ここはフリーア王国と呼ばれる国にある森の中です。首都である王都が近くにあります」


 私の思い出は失われているけれど、学んできた知識までは消えていない。だから『フリーア王国』なんて地球に存在していないことは分かる。


 改めて自分の体を見る。

 外にいたのに靴は履いていない。靴下も履いていない。感覚のない右足は、外見上左足と相違ない肌色をしている。


 上下黒色のジャージを着ていて、結構使い込まれている。そして、ジャンパーを着ていないので雪の中で過ごすのは自殺行為になる。


 顔に垂れてくるセミロングの髪は明るめの茶色をしている。


「私は……誰……?」

「記憶を失くしましたか」


 独り言にイアが反応してくる。反射的に彼女の顔を見る。


「異世界に召喚されるなんて負担がすごいですからね。記憶がなくなってもおかしくはないですよ」

「……異世界?」

「この世界では魔法や魔術といった超次元的な力が存在しています。別の世界から人間が召喚されることもあるでしょう」

「私の記憶は戻らないんですか?」

「さぁ」


 頼りない返事をしてイアは顔を背けた。


「でも安心してください。衣食住は私が保証します」


 再度イアはこちらを向くと、冷えた手で私の右手を握ってきた。


「当分の間、あなたの呼び名はシーにしましょう」

「シー? ……海?」

「疲れているでしょう。ココアを飲んで休んでください」

「待って、まだ聞きたいことが……」

「それは明日起きてからゆっくり話しましょう。大丈夫です。私はいなくなりませんよ」


 急に眠気が私を襲う。


「おっと、ココアは預かりますね」


 もしかして薬でも入れられていたのか……。

 考えるよりも前に私の意識が途切れる。


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