異世界少女と道民少年 後編
「マサシ! マサシ! 滑る、ころ……べっ!」
生まれたての子鹿のように足をプルプルとさせた後に雪原に倒れ込んだのは青い髪の少女だった。
正志と少女が立つのは週末のスキー場。滑るどころか立つことにも難儀している少女は家族連れの小学生が少女を躱しゲレンデへ向かう姿を横目で睨む。
「ストックはしがみつくんじゃなくてバランスとタイミングを取るものだべ。こうやってハの字に立って重心はヒザ」
正志は青髪の異世界人、レイナを起こすと体を使い立ち方を示す。
「情けない……。不敗で名を轟かせる北壁要塞の将軍があんな子供にさえ遅れをとるとは……」
「初めてなんだから仕方ないべさ。ほら、まずは立つところからやってみるっしょ」
虚空から鋼の巨人とともに現れた異世界の少女レイナ。正志が彼女を保護してから二週間の時が経ち、帰還を目指していたレイナも予定外の休暇に身を任せていた。
「リフトも全力でしがみついていたもんな。巨人なんて動かしているんだから高いところは平気だべ?」
「それとこれとは別です! ……こ、こうですね……ハノジで重心はヒザ……」
「そうそう。膝を落とすと止まるから。あーもう、やっぱり転ぶかぁ」
スキー板を履いてぎくしゃくと滑り始めたもののすぐにコケたレイナは雪まみれになった顔を上げる。
「むう。やはり難しいものですね。なんとか身につけてオルニタ軍の雪中行軍に役立てるように……べっ!」
気がそれた少女はずるりと再び雪に尻をつく。
「余計なことは滑られるようになってから考えるべな。さ、立ったら俺のいるとこまでハの字で滑ってきて」
「マサシ、厳しいですよ……、何でしたっけ、スパルタ?」
言いながら立ち上がったレイナはヨロヨロとハの字で正志の元へ滑り出す。
「そうそう、ハの字。上手い上手い」
「ふぅ、ようやくここまで来ましたよ。……っとぉ!」
「おわっ!? 危ねえな」
レイナと正志に殊更大きく雪をかけながら止まった人物は正志と同じクラスの、クールと称されるくせっ毛の少女だった。
「プププ! まさかレイナさんが、あのオルニタの騎士、銀の巨人の操り手がまさかボーゲンもできないなんて! うう、写真に撮って城塞に撒いてきたい!」
「知佳、そんなこと言うもんでね。誰だってはじめはできないもんだ。知佳だって去年のスキー授業は初心者クラスだったべさ」
正志が知る二週間前までの知佳は間違いなくクールで人付き合いを好まない少女だった。だがそれは一面の姿であり、最近知った素の性格はかなり迂闊で甘えん坊、そしてレイナに対抗心を抱く、そんな子だった。今日もレイナが初スキーと言う話をしたら鼻息荒くついてきた、と言うわけだ。
「うん、ちょっと意地悪したくなっちゃいました。さ、レイナさん立てる?」
知佳が差し出した手を握りレイナはやっと立ち上がる。
「チカ、ありがとうございます。なに、今の私は赤子も同然。失敗を重ねるのも覚悟のうちです」
「レイナ、肩肘張りすぎ。遊びなんだから楽しむべ」
「はい。でも、マサシ、あなたももっと楽しんでいいんですよ? 私を楽しませるのは義務ではないのですから」
「ま、それもそうだべな。じゃ次は下まで降りてリフト乗るべや。今度は転ばないようにしないとな」
「えぇ!」
*
「若いネェ。青春だネェ。なあ佐登サン、アッチは大丈夫そうだしオレたちも銀のシュプールでも描かない?」
内調の捜査員、レイナの護衛を自称する中年男の言葉に、隣に立つ女性はこれみよがしにため息をつく。
「ハァ? 石川くんは馬鹿なのかな? 仕事中だよ。彼女たちが例の『影』に襲われたら私たちの首が飛ぶのはわかってるよね? ハイ、いつものヤツ復唱して」
「『日本政府は異世界なるものには関知しません、存在しないのだから関知できません、ただ外国からの避難民として待遇の現状維持を約束します』!」
「よくできました。要するに関わりたくないからトットとお帰り願いたい。でも万一ホントーに異世界と繋がったときに恩は売りたいから保障はします、てわけね。あるかないかもわからん国にご丁寧なこと」
「佐登サン、オレが言うのもナンだけどさ、そんなにトゲのある言い方するとまた上から睨まれるぜ?」
「アンタが黙ってればいいのよ。巨人だか阪神だか知らないけどこっちはいい迷惑だわ」
ゴーグル越しでも不機嫌が伝わってくる石川は、『更年期障害では?』という一言を喉元まで出し、ぐっと飲み込む。
「はいよ。『影』も鳴りを潜めているしこのまま無事にお帰りいただく方法が見つかればいいんだけどねェ」
「ホントにねぇ……。で、どうなの?」
「ん?」
「『影』の件は」
「ああ、今のところは静かだよ。今朝も巡回したが異常無し。『影』どもはおとなしいもんだよ」
「そう……。他になーにか、隠している気がするのよねェ」
「滅相もない」
石川はにらみつける佐登から目をそらしポケットをまさぐる。実際、知佳については所長の娘としか説明しておらず、彼女もまた赤騎士の名で知られた異世界人であることは口にしていない。
「ま、いいわ。どうやら彼女が現れた光の玉以外にも異世界に繋がる門っていうのはあちこちにあるみたい。高田屋所長の『次元観測研究所』てのはその門が開く周期を調べて高次元の世界や並行世界なんて夢みたいな話を実証する、ていう研究所なのね。ただ……」
「実際に門が観測できたのは二年前の一件と、この間のお姫様が現れたヤツだけだな。あの影たちはナニモノか、別チームの報告待ち、てわけだ」
石川はタバコを吸い込むと紫煙をゆっくりと吐き出す。佐登は露骨に手で煙をはたき不快感をあらわにし、相方の冷たい視線に肩をすくめた石川は一服もしていないソレをスキーコース外の雪原に投げ捨てる。
「なあ、あの巨人は何なんだろうな? オレたちの常識なんて通用しない代物だ」
「私に聞かれてもわからないわ。でも、もしアレがこの世界に害をなすものなら……」
「始末せにゃならん、てことかい? 姫さんはいい子だぜ? 俺はゴメンだね」
石川はゲレンデでまた尻餅をついている異世界の少女に視線を向ける。
「そうならないことを祈るわ。石川くんも私に撃ち殺されたくないでしょうしねっ……」
佐登はその言葉を切欠にゲレンデへ飛び出しレイナと付かず離れずの距離へ移動する。石川はヤレヤレと肩をすくめると同僚の後を追いながら滑っていった。
***
「マサシはなんでスキーをやめたのです?」
麓のロッジでの昼食中、レイナの疑問に正志のカレーを掬う手が止まる。
「レ、レイナさん、それ聞いちゃダメなやつ! 『レイナさんは実はお兄さんが大好きなのでは?』と同じくらい聞いたらダメなやつ!」
知佳がバタバタと手を振りナポリタンを食べるレイナを静止する。
「わ、私の話はともかく。気になりますよ、これだけの腕前があり、教えかたも申し分ない。家計の助けとなりたいならこの道で身を立てるのが早道でしょうに」
正志の向かい側に座るレイナは小首を傾げながらもフォークを口に運ぶのを止めない。その様子に知佳がため息をつく。
「『ガクセー』っていうのはそう簡単じゃないの! 正志くんは頭は良いし運動もできるし、でもお母さんを一人にしたくないって家事をやるようにしたの!」
「……。失礼しました、余計なことを言ったようです。父君はあの光の玉に飲み込まれたのでしたね」
「そう。今のレイナさんと同じ。要塞の人たちがレイナさんの帰りを待っているように、正志くんもお父様が帰ってくるのを待っているの。だから大好きなスキーもその日まで我慢してた。でしょ?」
二人が向かいに座る正志の顔を見る。あまり図星で人の心のうちに立ち入らないでほしいのだが。正志の顔は恥ずかしさで赤く染まっていた。
「知佳、レイナを頼む。頭を冷ましてくるわ」
正志は立ち上がるとカレー皿を戻しロッジを出る。
「ほら、レイナさんが余計なことを言うから怒らせた」
「むう。心情に立ち入ったのはチカではないですか」
***
なぜスキーをやめたのか。実のところ、そこまで深く考えたことはない。
正志はコブだらけの上級者向け斜面を滑る。
父が消え、母を一人にしておけなかった、それは間違いなく一番の理由だ。だが周囲の期待に疲れていたこと、この道で正しいのか決めかねていたこと、様々な理由が重なり考えるのが面倒になった、そんな感じだった。
正志は斜面の具合から一番難度の高そうなラインを決め、ストックでタイミングを図りながら壁のような雪原に身を踊らせる。
レイナの何故、は逃げていた自分への何故だ。愛らしい少女だが時おり見せる鋭い視線や達観した物言いは彼女が生きていた世界がより過酷で、自分の悩みなどちっぽけで取るに足らないものなのだと現実を突きつけてくる。
「……ッ!」
スキー板が雪面を削っていく。
「俺は、どうしたいんだ」
正志は自分が何をすべきか、何ができるかを考えながら、しかし身体は滑り続ける。
*
麓まで一息に滑り降りると、青と赤の二人の少女が拍手しながら出迎えた。
「さすが正志くん! ほらほら、レイナさん?」
「あ、ま、マサシ、すいません、さきほどは、その、言いすぎました。個人の事情を慮れなかったのは私の、その、失態で……」
「いや、気にすんな。俺もちょっと頭に血が上った」
正志がレイナの頭をグローブ越しに撫でると、レイナは一瞬目を大きく開くが、次には目を細め、正志の撫でるに任せ頬を朱に染める。
「……マサシ、あなたはやはり優しい人です」
「よせよ、照れる」
「あー、レイナさん、ズルい! 私も撫でて!」
知佳が二人の間に飛び込み頭を正志に向ける。三人の笑い声が休日のスキー場の風に乗った。
***
「仕組みとしてはシンプルですね。人が腹に入る都合上、内臓……、内燃機関を外付けにしている。それが背中のマナ機関ってわけです」
三笠の次元観測研究所では、レイナとともにこの世界に現れた銀色の巨人騎士、クロウガンについての調査を行っていた。
「その機関でマナを取り込み水溶液として全身の筋肉……特殊な金属繊維を織り上げたものに送っています。操縦槽の中の連動管の動きをトレースして各所の弁が水溶液の量を調節し……」
「金属が反応して伸縮するってわけだね。専門家でもないのにご苦労さん」
正志の母にして研究所の主任、七生はまだ若い研究者の報告を聞きながらその鋼の巨人騎士を見上げていた。
6mほどの巨体に背中に生える一対の角のようなマナ機関。鎧を纏った大きな五月人形のような騎士か武者。これこそ異世界から降り立った銀色の巨人騎士、クロウガンである。
「だって巨大ロボですよ! ファンタジー系巨大ロボ! 意地でも動かしたくなるってもんです」
「ハイハイ。男の子はそういうのが好きだべな。で、動くの?」
その言葉に若い研究員はがっくりと肩をおとす。
「水溶液の成分や機関部の付着物なんかを調べてますが、やっぱりこの世界の物質じゃないですね。こんなものが世にあったら原子力発電所なんていりませんて」
研究員は鋼の鎧を軽く叩く。
「レイナちゃんが言うには巨人の守護精霊と契約を結んだ者でないと動かせないんだと。しかも契約さえしてあれば乗らなくても多少は動くらしいよ。ハードだけじゃなくてソフトもよくわからんね」
まあ七生としてはレイナがいつか帰るとき、クロウガンもピカピカにして帰してあげたい、それだけなのだが。コレを動かすことに拘泥するアイツのことを考えなければ。
「イヤイヤ、もう少しマジメに調べてくれないですかネ? 七生さん、あなた研究主任でしょウ?」
アイツ、この研究所のスポンサー、二ツ橋技研から出向中の相談役、榎本だ。
「そうは言うけどさエノヤン、私らは時空震動の研究家であって巨大ロボマニアじゃないからね?」
「時空震動は我々の研究対象の一つ。それに異世界の技術が入っていればそれを解析するのは当然デショ」
まあ確かにその通り。ファーストコンタクトしてなんの収穫もなく『はいさようなら』では意味がないのも事実ではある。
「あなた方が二ツ橋への引き渡しを拒否したンだから、その分結果を出せと言ってるんです!」
七生ののらりくらりと答えをはぐらかすさまに、榎本は誰がみてもわかるくらいにイラつきを増している。
「そもそも私らの研究は異世界との門、時空震動の観測とその発生原因の究明。異世界からの来訪者は管轄外でーす」
「フン、ま、いいですよ。どうせ次の時空震動の予測もできてないんでしょ。ならせめて今あるものくらい解明してください。兎に角この研究所、結果を出さないと夢物語に無駄金を出している金食い虫で、仕分けの対象になりかねないんですヨ! その辺わかってるんですか?」
榎本の切実な訴えに七生は思わず目を丸くする。
「な、何ですか人の顔をじっと見て」
「いや、エノヤンにもこの研究所を心配する心があったんだ、って」
「と、とにかく! 私は所長とお話ししてきますから、あなたたちは異世界の技術なり門の固定方法なり、結果を出してくださいヨ! かばいきれませんからね!」
榎本は不機嫌そうにラボを退出する。
「あ~、アレは怒ってるねぇ」
「まあ、無理もないですよ。この研究所に赴任してからずっと働き詰めで成果が出ない。スポンサーの出資が打ち切られても文句言えないよ」
「だよねェ。でも、そんなに焦ってるってことは……」
「ヤバイかも?」
***
数日後。
北海道は未だ雪に覆われた季節。
正志は返却された学力試験の結果に唸り声をあげていた。
「大学って言ったけど、肝心の物理は平均並みか……」
あの蒼髪の少女に還す手段を見つけると啖呵を切ったものの、この成績ではいつになるやら。
正志はため息をついて試験の答案を鞄にしまった。ふと顔を上げると、窓の外に見えるのは、青い空と白い雲。
今日も快晴だなぁと思いながら、教室を出た。
靴箱まで行くと、クラスの集団が輪を作っている。
「あ、正志くん。今からカラオケ行くんだけどどう?」
「最近知佳と仲がいいって噂、ホントなの?」
「スキー場で正志くんと知佳の姿を見たって噂が!」
「知佳ちゃん可愛くなったよねー」
「えっ……いや、それは……」
突然の質問攻めにたじろぐ正志。
そんな彼を他所に女子たちは盛り上がる。
「うわ! 正志なまら赤くなってる~!」
どうにもこの手の話しは苦手だ。早く退散しようと辺りを窺うと、友人の拓海が学食の焼きそばパンを咥えながら歩いているのに気がついた。
助けを求めてハンドサインを送る。拓海はそれに気付いたのか、こちらを見て手招きした。
「わりぃ! 俺ちょっと用事あるからまた今度誘ってくれよ!」
そう言ってその場を切り抜けることに成功した。
拓海の元へ向かうと、彼は腹を抱えて笑った。
「いや、ハハハハ! モテモテだな? 正志よ!」
「あれはもててるわけじゃないべさ。美女と野獣の野獣が珍しいだけだべ」
「まぁ確かにそうだな!」
笑いながら焼きそばパンを貪る拓海にジト目を向けると、やっと落ち着いたようで深呼吸して涙を拭いた。
「でもお前も悪い。高田屋さんが急にお前にベッタリになったべ。あれを見てみんなついに一線を越えたかと思っているわけ。理由を聞きたいんだよ」
ミステリアスで知られる美少女高田屋知佳。
彼女が近頃急に雰囲気が変わり正志に懐くようになった。クラスの一同にしてみれば一大事だ。
確かに、正志は知佳の秘密を知ってしまった。
ミステリアスなどではなく、ただの人見知りだということ。真面目と言うわけではなく、学ばないと置いていかれるという不安が付きまとっているということ。そして、彼女もまた蒼髪の少女同様、異世界からやって来たということ。
「いや、高田屋さんのおじさんとウチの母さんが学生時代からの研究仲間だって分かって、そのついでで付き合いが増えただけだよ」
嘘ではない。実際それがきっかけで一緒にいる時間は増えたし、勉強を教えていることもよくある。
だがそれだけならこんな風に騒がれる事はないはずだ。
「じゃあ何であんなにベタベタしてるんだ?」
「……」
彼女が転校してきて不安いっぱいだったあの時。電車を待ってひたすら話していたあの時に刷り込み的に好意を持たれていても不思議はない。そしてうちの居候の蒼髪の少女、彼女への対抗心もあるのだろう。
「みんな、もっと話しかけてみればいいんだよ。見た目とは違う娘だべ」
正志は拓海に、というよりも窓の外を歩くクラスメイトに向けて呟いた。
それを見ながら拓海は焼きそばパンの最後の一欠片を飲み込む。
「そうだ正志、お前最近よくセイコマで美少女と買い物しているって話をオカンから聞くんだけどどういうこと?」
そうだ。拓海の母はセイコーマートでパートをしていた。ならばうちの居候の姿もよく見ているだろう。しかし、ここで彼女のことを話す訳にはいかない。
「別になんでもないよ。研究所のインターンでうちにホームステイ中。ちょっと手伝ってもらってることがあってね」
「ふぅん?」
納得のいっていない表情だったが、これ以上聞いても無駄だと悟ったのだろうか。
「まあ正志が幸せなら俺はなんでもいいや! でも二股だけはやめておけよ?」
と伸びをする。
子供の頃からの腐れ縁に隠し事は申し訳ないが、いつか話せる日が来ることを願い、正志は心の中で手を合わせた。
「あ、……正志くん……。お邪魔かな?」
話の切れ目を待っていたのか、知佳がいつの間にか二人の横にいた。
「うぉっ! 高田屋さんか。びっくりしたぜ」
「ごめんなさい、驚かせちゃって。それで、今日はこれから暇ですか? もしよかったら駅まで歩かない?」
正志は拓海をチラリと見る。
「あ、俺は急に用事を思い出したぜ。何てことない用事だが多分一緒には帰れないなー」
と拓海はわざとらしく言うと席を立った。「じゃ、また休み明けに会おう!」
そう言ってそそくさと学食から出て行ってしまった。
「おい拓海! なんで逃げる!」
「逃げたんじゃなくて用事があるのは本当だと思うけど?」
「ぐぬぬ……」
正志たちの通う緑が丘高校は山の麓にあり、駅まで歩くと三〇分程度。今日は天気がよいこともあり、気温は氷点下ではあるが、歩いて帰るには心地よい日和だった。
「ほら知佳。足元滑るから気を付けるべさ」
正志は照れながら知佳の手を取る。知佳はそれを嬉しそうに見つめると、「うん」と言って手を握り返した。
「えへへ、なんかデートみたいだね」
「デッ!? ︎」
「どうしたの?」
「い、いやなんでもね」
こんなところをクラスの連中に見られたらまた変な勘違いをされる。
そうは思いつつも正志は知佳と帰ること自体は嫌いではない。少しずつだが元の世界の話もしてくれるようになった。
赤騎士と呼ばれ近隣諸国に名を轟かせていたこと。それも恥ずかしいから仮面をつけていたこと。そしてこの世界に来たことで、もうその使命からは解放されたこと。
そして今、自分が何をしたいかということも。
「私、この世界に来れて本当に良かった」
「どうして?」
「だって、正志君と出会えたから」
正志は恥ずかしそうに顔を搔く。
成績表の話や最近のテレビの話など、何てことないことを話しているうちに駅にたどり着く。
「したっけ、今日はここまでだな。知佳は週末は用事はあるの?」
正志は札幌方面の電車の時刻を確認する。
知佳はその言葉を受けて正志の上着の裾を掴んだ。
「……じつはお父様から『しばらく正志くんのところに厄介になりなさい』って言われてて。その、いいかな?」
上目遣いで正志に聞いてくる。
「ええ? ち、ちょっと待って?」
携帯をとりだし母に電話する。
『あ、まーくん? うん、聞いた? そう。所長と飲んでたらそう言う話になったから。よろしく!』
どうやら選択権は無いようだ。正志は諦めと少しの期待を胸に知佳に向き直った。
「了解。んだば飯買って帰るべ」
知佳は顔を輝かせ改札を潜り、正志はあとを付いていった。
**
我が家のドアを開けると愛犬のロイドが駆け寄って、尻尾を振り回しながらわふわふと今日の報告をする。そのあとからジャージ姿の蒼い髪の少女が顔を見せる。
「マサシ、お帰りなさい。学校はどう……、何故貴女がいるのですか? チカ?」
「おじゃましますレイナさん! 正志くんに迷惑をかけていないか心配になってきました!」
「迷惑など……うむむ。いや、確かに今の私は無駄飯食らい、なにかできることがあれば……」
「留守番に雪掻きにロイドの世話、色々助かってるってば。知佳もからかわないでくれ」
「はい。ロイちゃんも久しぶりだねー」
ロイドは一声答え、案内するように居間に戻っていく。
「まあ、あがってよ。レイナ、知佳はしばらくうちに泊まるから、悪いけど一緒の部屋で寝て」
「おや。私は構いませんが。男女同衾などよく所長が許しましたね?」
レイナは来客用のティーセットの用意をしながら聞く。
「お父様からの私への信頼は絶大なのです!」
鼻高々に胸を張る知佳に正志たちは苦笑する。
「真面目な話、スポンサーの圧が強くてしばらく泊まり込みなんですって。特にエノヤンさん、ピリピリしてるらしくて。それはともかく、レイナさんはこちらにもう慣れました?」
「お茶の準備ができる程度には。便利な世の中ですね」
と言いながらお茶請けのクッキーを並べる。
「そっか、レイナももう半月だもんな」
正志は冷蔵庫から牛乳を取り出し、ミルクティーをつくる。
「レイナさんのいた国はどんな感じだったんですか?」
知佳はふうふうと紅茶に息を吹きながらレイナの顔を見る。
「んだな。戦ばかりとか言っても王女さまだ。楽しいこともあったべ」
レイナは温かい紅茶を一口飲んで遠くを見る。
「どうでしょう。三人の兄と二人の姉。彼らが常に権力争いをしており、隙あらば追い落とそうと足元を掬い合っていた国です。私はそれが嫌で兵役に出ていたわけですが……」
クッキーを二つに割りつまむ。
「気がついたら激戦地、北壁要塞の指揮官です。まあ、居心地は悪くありませんよ。副官のヤンス、デヤンス兄弟に騎士見習いのアリブ。自称魔術師のエーロスなど、愉快な仲間に囲まれてました。……無事だといいのですが」
正志は思い出す。レイナはここに来る直前まで戦っていた。彼女にとっては過去ではなく、継続中の話なのだ。
「ゴメン。悪いことを聞いた」
「いえ、大丈夫ですよ。今はこうしてのんびり出来ている訳ですし」
そう言いながらレイナは知佳をチラリと見る。
「ふぅ。美味しい」
知佳は満足げにカップを傾けた。
「ありがとうございます。ところでマサシ、私は今貴方に借りたゲームを進めているのですが……」
何やら神妙な表情でレイナは正志に向き直る。
「どれ? 三國志? 信長? つまったべか?」
「いえ、『ゲンジ』の」
「ああ、源平のやつ。どこがわからん?」
「いえ、人物について教えていただきたく。ヨリトモ、ヨシツネ兄弟についてなのですが……」
「ほうほう。レイナさんは歴女に目覚めましたか」
知佳が訳知り顔で一人うなずく。
「レキジョとは……?」
「いいんだよ、レイナ。遠慮せずに何でも聞いて」
「はい、それではお言葉に甘えて。なぜヨシツネはヨリトモに恨まれ、追われることになったのです? 勝利の立役者ではないですか」
正志はレイナの不思議そうな表情に彼女の求める答えを考える。
「レイナはゲームでしか知らないもんな。幾つかあるんだけど、まず彼の戦い方が当時としては卑怯と言える戦い方だった。名乗っている間に射殺す、背面から奇襲するなどなど」
「普通では? 戦力で劣るなら勝ち筋を考えるのが将の仕事でしょう。私もよく帝国の食糧庫に火を……」
「さすが不敗の北壁将軍サマ! ウチの兵士さんも『あの部隊とは戦いたくねえ』って怯えてましたよ。こわいねーロイちゃん?」
知佳がレイナの言葉にうんざり気味にロイドの首のぜい肉をわしゃわしゃと弄る。
「まあ次な。勝利した源氏だけど、義経は頼朝の命に従わず京都……当時の首都な、に居座り朝廷……まあ当時の王様だわ、から頼朝の許可なく任官されたわけ。武家政権を立ち上げようとする頼朝からしたら、勝手に動き回る邪魔な存在になってしまったってこと」
「ふむ。となると確かにヨリトモから見ると討伐するしかないのでしょうね。私が見る限り、ヨシツネは唯唯兄に誉められたかっただけのように思えます。自分が信頼した相手から追手を向けられるとは心中如何ばかりだったのやら」
レイナは紅茶を再び口に含む。
「だべな。なんでそういう話はよく講談やお芝居のネタになってるよ。実は生き延びてこの北海道までやってきた、なんて話もある」
いつだったか日本史の教師が話していた内容だ。受け売りだがまあよかろう。
「なるほど。どんな理由があるにしろ、後世で語り継がれているならまだましなのかもしれませんね。私は彼が北海道まで落ち延びた話を信じますよ」
「レイナさんは意外とロマンチストなんですねー」
と知佳はロイドを抱き上げレイナに押し付ける。
不服げな態度をみせていたロイドだが、レイナに寄り添うと気持ち良さそうに体を震わせた。
「おやすみ、ロイド」
ロイドの頭を撫でる。ロイドは嬉しそうな表情を浮かべると、そのまま目を閉じ、再び眠りについた。
「ロイちゃんはすっかりレイナさんに懐いてますね」
「一日いる時間が長いですからね。最近は一緒の布団で寝ることもあります」
「もふもふ……」
知佳はロイドを愛おしげに見つめる。
「そう言えばチカ。あなた、そもそもこちらにやって来た経緯が熊狩りに向かった兄たちに遭遇して手傷をおったから、とかでしたね。あの阿呆な兄たちが貴女に傷を負わせたなど考えられないのですが」
知佳はその言葉に茶を噴き出しそうになる。
「ななな何を言っているのですかレイナさん?! 私はか弱い乙女ですよ?」
「赤騎士ですよね」
「はい……」
「無双の巨人スカーレットの操り手ですよね」
「ふふん」
「何で負けたのですか?」
「負けてません! あれは熊さんが……」
「熊『さん』?」
「熊さんが追いたてられて可哀想だったから助けに入ったんです! そうしたら何故か熊さんにも追いかけられて……。洞窟に逃げ込んだら今度は蛟の巣で……。気がついたらこちらに来てました」
「………あの戦がそんな理由で始まったとは」
「えへっ」
「誤魔化さない!」
「ひぃー!? ごめんなさいごめんなさい!!」
「マサシ。やはりこの娘は頭が悪い。貴方がきちんと手綱を握りなさい!」
「え? 俺は関係ないべさ?」
「今のチカは貴方しか頼れないのですよ? だったら責任を持ちなさい」
「頭が悪いとか、言いすぎですー」
知佳は頬を膨らませて抗議する。
確かに半月前には知佳がこんな一面を見せることも知らなかった。そこはレイナに感謝すべきなのだろう。
「さて、晩飯作るべか」
と席を立ったとき、ロイドの耳がピクリと動き、尻尾を振り回し始める。どうやら母が帰ってきたらしい。程なくして外にエンジン音が聞こえ、ロイドが玄関へ迎えに行く。
「ただいまー。知佳ちゃんいらっしゃい。ゆっくりしていって」
七生はロイドのお帰りの挨拶を聞きながらリビングに入る。
「おばさま、しばらくお世話になります」
知佳は礼儀正しく頭を下げる。
「まあ高田屋くんもエノやんにひっかき回されて大変だべ。私も着替えを取ったら徹夜で手伝ってくるからね」
「ほぉ、大変だなぁ」
「そう言う訳だから、夜は三人で仲良く過ごしてちょうだいな。あ、あと、まーくん。これ、所長からプレゼント」
チケットを三枚机に並べる。
「円山動物園?」
「知佳ちゃんはもふもふが好きだからみんなで行ってきなさいって。レイナちゃんも引きこもりがちだしね」
「私まで……、ご配慮ありがとうございます」
「じゃあ明日は札幌だな。弁当でも作っていくべ。レイナ、そのジャージ姿はまずいので知佳に見繕ってもらってくれ」
「了解しました」
「んじゃ、俺も夕飯の準備すっから」
「頼むねー。母さんはまた行ってくるべや」
母は慌ただしく部屋に戻る。
正志は戸棚からカレールーを取り出しまな板に野菜を並べる。
「あ、正志くん、カレーなら私も手伝うよ。お姫様は料理できないでしょうし」
「む。野戦指揮の時には私も調理くらいします。まあ今日はチカのお手並み拝見しましょう」
「はいはい。じゃ俺は玉ねぎを切るからニンジンの皮剥きをお願いできる?」
「任せて。うちでもカレーはよく作るんだ」
知佳はエプロンを身に付けニンジンと向き合う。
「包丁には気をつけてな。怪我したら痛いし」
「大丈夫だよ。刃物なら私は慣れてるからね」
「ん?」
「何でもありません」
「……」
何か聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたが、確かに鮮やかな手並みでニンジンをカットしていく。
正志は負けじと玉ねぎをみじん切りにした。
「じゃあこの玉ねぎと野菜を炒めてくれ。俺は付け合わせでも……」
冷蔵庫から豚カツ用の肉を出す。
「いいですね。揚げ物は久々です」
知佳は玉ねぎと野菜を炒め、豚肉を入れる。
「あとは煮込んでカレールウを投入」
煮込む間にカツを揚げる。
ジュワァ~っと音を立て、油の匂いが食欲をそそり始める。
「いい香りです」
知佳は目を輝かせている。
「この待ち時間が一番好きかも」
「私もです」
二人は鍋の前で待つこと数分、
「よし、ルウを入れるべ」
煮込んだ鍋にカレールーを投入し、辺りにカレーの匂いが立ち込める。数分間弱火でさらに煮込んで完成だ。
「これで完成!」
皿を出し、ご飯を盛り付ける。揚げたてのカツカレーだ。
「いただきます」
三人揃ってスプーンを取る。
「んー、美味しい! やっぱりカレーはこうでなくっちゃ」
「悪くない味です。なんとか国でも再現したい」
「母さん、カレー作ったから食ってから行きな」
正志は階段を下りてきた七生に勧める。
「ありがたいねぇ。もう朝から何も食べてなくてさぁ」
七生はいそいそと席に着く。
「玉ねぎが入っているからロイドはカレーはダメなのでしたね。じゃあ……」
レイナはロイドのドッグフードにこっそり豚肉を混ぜる。
「ロイちゃん太るわよ」
「まあまあ、いいじゃないか」
「じゃあ、気を取り直して、いただきまーす」
「「「いただきます」」」
「あ、うまい。まーくん、腕を上げたね」
「いや、カレーはほとんど知佳っしょ」「そんな事無いよ。正志君も頑張ってた」
「そうかな」
「うん。私が保証するよ」
知佳はニッコリ微笑む。
(うぅ……)
ドキッとする。
最近の知佳は距離が近い。先月までのミステリアスでクールな少女も魅力的だが、やはり素をさらけ出しているこちらの方が自然だ、と正志は思う。
知佳の視線を感じる。
ふと目線を上げると目が合った。
「どうかしましたか?」
「え? あ、いやその……」
「何ですか?」
知佳の顔が近づいてくる。
「あ、いやなんでもない」
「ハイハイ。イチャイチャするのは母が仕事に出てからにしてね」
と七生はカレーの皿を空にして流しに入れる。脇に置いた鞄を持ち、また三笠の研究所へ向かっていった。
「ごちそうさまでした」
三人は食べ終わった皿をまとめ流しに戻す。
「では、洗い物は私が。お二人は休んでください」
とレイナが食器を洗う。正志と知佳はリビングのソファーに腰掛けくつろぐ。
ロイドは洗い物をするレイナの足元で尻尾を振りながらお座りしている。
「はあ……、ロイちゃんかわいい」
知佳がその姿を羨ましそうに眺めている。
「なにも出ませんよ」
レイナはスポンジを握りながらロイドに言うが、気にする様子もなくレイナを見上げている。どうやらおやつの催促では無いらしい。
「わかりました。これが終わったら散歩に行きましょうか」
ロイドは我が意を得たり、とばかりに一言吠え、リビングに戻る。
「ロイちゃんと仲良いよね」
知佳は不満げにレイナに話しかける。
「そうでしょうか?」
「そうだよ。私なんて一緒にお風呂に入ったことも無いんだよ」
「それは当然でしょう。犬を風呂に入れるのは大変なのですよ。逃げるし暴れるしそのくせ体を洗うとしょんぼりしてしばらくは恨みがましい目で見られる。あなたの思うような童話のようにはいきません」
「そっかぁ、残念」
「その代わりに散歩に出てみます? ロイドは賢いから早さも合わせてくれますし、経路も自分で決めてくれますよ」
「うん! 行く!」
「では、準備をしてきてください。私は後片付けをしますから」
「はーい」
知佳は元気よく返事をし、二階へ上がっていく。
(なんというか、本当に姉妹みたいだな)
敵味方に分かれていたがこの世界で唯一の同郷だ。戦いがなければ友達にもなれるだろう。
「マサシは行きますか?」
レイナが尋ねるが、正志は断る。
「今日は二人で行ってきな。女の子同士の話もあるべ」
「そうですね。では、行って来ます」
「はい、いってらっしゃい。暗くならないうちに帰っておいで」
「わかりました」
玄関を出て二人と一匹で並んで歩く。
見送った正志は風呂に湯を張り始める。
そう言えば、レイナは札幌に行くのは初めてか。人口百万を越える大都会、前にイオンに行ったときも驚いていたが今回はそれ以上の驚きだろう。あの蒼髪の少女が目を丸くする姿を想像し、正志はクスリと笑う。
明日が楽しみだ。
***
雲一つない夜。空には丸い月が輝いている。
月は光。
月は命。
白く太陽の灯りを照り返すそれの夜空の歩みを追いかけるように赤い影が覆い被さる。
月は神秘。
月は魔力。
月は狂気。
赤い月明かりを受け影たちは立ち上がる。
***
岩見沢から札幌へは列車で一時間程度。赤い電車のボックス席で三人は流れる景色を眺めていた。
河を越える鉄橋にレイナは驚きを隠せない。
「素晴らしい! こんなに長い鉄橋が作れるなんて!」
「海を越える鉄橋とかもあるぞ」
「本当ですか!?」
「ああ。あとは……、海を潜るトンネルや……」
「えぇっ!!」
「あと、これより速い新幹線もある」
「すごいです!! ここはまるで異世界のようですね!」
レイナにとってはまさに異世界なのだろう。知佳が先輩面でレイナに言う。
「スゴいでしょう! さらに、この世界の人たちには空飛ぶ機械もあるのです!」
「空を……? 竜を手なずけたとかじゃないですよね?」
知佳はレイナの表情を見て察したのか、慌てて訂正する。
「違うわよ。飛行機っていうのがあって、それを飛ばすの」
「ほう。飛行機ですか。確か、遠くの国でマナ機関の応用でそんなものを作ろうとした学者が居ましたね……。笑い話と思っていましたが」
そんな話をしているうちに赤い電車は巨大な駅舎に飲み込まれるようにホームに止まる。
ここから地下鉄に乗り換え動物園に向かう。
「マサシ? この人混みは……」
「ほれ、はぐれないように手を繋ぎな。北海道の最大都市、札幌の駅だ」
レイナが珍しく不安そうにマサシの手を握る。
「はい」
レイナと正志は手を繋いで歩き出す。
「大丈夫だ。人が沢山いるだけだ。ここより凄いとこいっぱいあるからな」
「そうなんですか?」
「ああ。それに今日は平日だからな。動物園まで行けば少しは減るべ」
正志たちは乗り換え駅を目指し地下街に降りる。
「ダ、ダンジョンですか?」
「レイナさん、大丈夫です。私も初めて来たときはビックリしたけど、この街は冬の寒さを避けるために地下に街があるの」
それだけではないのだが、手っとり早いので知佳の言うに任せておく。
「なな、なるほど。彼の大遺跡のようなものですね」
「大遺跡?」
「はい。私の国にあった古代文明の遺跡のことです。あそこには地下迷宮があったんですよ」
「へぇ、なんか面白そうだな。今度、行ってみたいなぁ」
「そうですね。機会があれば案内してあげましょう」
話しているうちにレイナも落ち着きを取り戻し、地下鉄に乗り換え円山動物園に到着した。
確かに町中よりは人も減り、陽光が柔らかく敷地を照らしている。
「さて、知佳は何から見たい?」
「うーん、じゃあペンギン見たい!」
「私は……、この世界にどんな動物がいるのか見てみたいです」
「了解」
まずは入り口近くにある広場の売店でパンフレットをとる。
「ペンギンは結構奥だな……。のんびり歩くべ」
知佳は目を輝かせ正志たちを先導する。
「あっちですよ!」
正志はレイナがまだ手を繋いでいることに今さら気がついた。
「レイナ?」
「あ、すいません……。なれない街で不安だったようです」
慌てて手を引っ込めようとするが、正志はその手を再び握る。
「まぁ、なんだ……。もう少しだけ繋ぐか?」
「いいんですか!?」
「おう」
二人はそのまま歩いていく。
日差しの中、二人の影が長く伸びていく。
***
「ここです! フンボルトペンギン!」
知佳は愛らしくよちよち歩くペンギンたちの群れに駆け寄る。
「可愛い~♪」
知佳に続いてレイナは小走りに後を追う。
「おぉ、ペンギンってこんなに沢山いるんだな」
「ふむ。これは興味深い……。鳥なのですね?」
「飛べないけどね。泳ぐためにこんな姿になったらしい」
「ほぅ、面白いですね。本来の生き方とは違う場所に順応する……。それもまたひとつのあり方でしょうか」
レイナは知佳をチラリと見る。
「この子たち、泳いでますね……」
「うん? あ、本当だ」
ペンギンは水場に入ると一斉に泳ぎ始めた。
「おお、綺麗なフォームで泳ぐなぁ」
「しかもさっきまでの赤子のような歩きとは全く違う。速く、力強い泳ぎです」
レイナはペンギンに見入っている。
「さあ、レイナさん、ペンギンさんだけじゃないですよ! ここにはモフモフがイッパイです! 行きましょう!」
知佳はレイナの腕を引く。
象やサイの大きさに驚き、熊が囲われていることに驚嘆する。レイナには驚きの連続だった。
「もぐもぐタイム?」
「んだ。おっきいものばかり見たから小休止。そこのふれあい広場でウサギや馬にエサでもあげてきな」
正志たちは売店で買ったホットドッグを食べながら休憩していた。
「ウサギさん触りたいです!」
走る知佳にレイナも嬉しそうについてくる。
「ふわっふわだぞ」
「もこもこですね」
「マサシは行かないのですか?」
「おじさんは疲れた。若いものたちで楽しんでくれや」
と、気分はすっかりお父さんだ。
「わかりました、では正志はこのオルニタ王家名誉執事ロビンソンとともにお休みください」
と売店で正志と買ったペンギンのぬいぐるみを押し付け走り出す。
「ロビンソン?」
確かに黒と白の燕尾服のような姿は執事に見えなくもないが。
(こいつらは……本当に楽しそうだな)
レイナはウサギを抱きかかえて撫で回している。
「気持ちいいですねぇ……」
その横ではヤギに抱きついた知佳が微笑んでいる。
「動物さんってあったかいですよね」
正志はベンチでその様子を眺めている。二人ともこの世界を生きる普通の娘と何ら変わらない。このままこっちで暮らせばいいのに。そんな考えが頭をよぎり、正志はそれを否定する。レイナはまだやり残しがある。それを捨てるのは彼女自身の生き方を否定することだ。
「いや、それも悪くないんじゃあないですかあ?」
不意に横から声がかかる。いつの間にかベンチのとなりで黒スーツにコートをはおり、丸目のサングラスという、動物園には不釣り合いな男が背後に大柄な秘書を従えながら肉まんを頬張っていた。
「榎本さん?」
「ああ、覚えていてくれましたか。ケッコウケッコウ」
「あの、なんのご用件でしょうか?」
胡散臭そうに視線を送る正志の様子に榎本はやれやれと頭を振り、肉まんにかぶりつく手を止めながら口を開いた。
「単刀直入に言います。レイナさんをいただきたい」
正志は驚いて目を丸くする。
「……どういうことですか? 彼女は俺の家族です」
「いや、まあ、そうでしょうねぇ。じゃあ彼女の巨人騎士。それだけでもいいのですが」
「…………」
「いやね、ウチの研究所、二ツ橋から目をつけられてまして。所長や七生さんがカンヅメなのは聞いたでしょ? 存続のために実証が必要なんです」
「それで、レイナがモルモットだと?」
「いやいやいやいや、そこまでは言ってませんよ。あくまで協力者として、データが欲しいだけです。それに、彼女だって帰りたがっているんでしょう? なら丁度良いじゃあありませんか?」
「……」
「レイナさんだって研究所がなくなったら帰れないんですよ? そのへん、よく考えてくださいな……うぼっ?!」
榎本の顔面にセロリの束が投げつけられた。
「何をしているのです。私に用があるなら直接来なさい」
「いやはや、私、青野菜はあまり好きではないのですが」
と体勢を直し席を立つ。
榎本を見据えるレイナの目は、先程までの少女のものではなく、一軍の将としての殺意を込めたものだった。
「私が帰るべき時は自分自身で見定めます。
それが私の意志です」
「ふ、ふん。後悔しますよ。な、なんですかっ」
殺意を隠そうとしないレイナに怯えるように、榎本は秘書の背中の影に隠れる。
「アレもあなたの仕業か?」
レイナが殺意を向けるのは榎本よりも更に先、広場を超えた坂の上。影が地面から起き上がり、黒い人型の平面がレイナたちを見下ろしていた。
「な、なな、なんですかアレ? 私は知りません!」
榎本は秘書の裾にしがみつく。
「あらら、エルぅ、アレが噂の影ってやつ?」
沈黙を守っていた秘書が実に愉快と言わんばかりに榎本を抱き寄せ影を見やる。
「影……、報告にあったアレか! う、ウズメなんとかしなさい!」
「あいあーい」
秘書は目深に被っていた帽子を脱ぎ、上着のポケットにねじ込む。その額には二本の角が伸びていた。
「茨木童子に連なるもの、ウズメ。さんじょー」
「鬼!?」
正志が叫ぶ。
「あちゃあ、やっぱりバレてる?」
ウズメは舌を出しておどけて見せる。
「あんたら、一体何者だ!?」
「異世界門が一つだけだと思う? ほらほら増えてるよ」
ウズメの言葉どおり影は次々と立ち上がりその数を増している。平面だった影は徐々に厚みを得て、以前に見たような黒い人型をなしていく。
「イシカワ! いるのでしょう! マサシとチカの保護を!」
レイナの声に応え、動物園の入り口のほうから一人の男が現れる。
「へいへい。やってるよ」
「マサシを頼みます! 私はこの者たちを片付けます!」
レイナは影に向かい駆け出す。
「へへっ、お先!」
その横をウズメが追い抜き坂を一息に駆け上がる。影たちの力なのか、その裏にいるものの手回しなのか、正志たち以外の人はなく、ウズメは遠慮なし、とばかりに走る勢いで影に蹴りを入れる。
「はぁ!」
レイナが動物園備え付けのスコップを構え斬りつける。
「せい!」
影はレイナの攻撃を避けるように動く。
(なんだコイツら……。まるで意思を持っているようだ……)
正志がレイナに加勢しようと近づく。しかし、それは間に合わない。
「くそっ……」
「石川さん、私も加勢を!」
知佳が前に出ようとするが石川はそれを制止する。
「お前さんは只の所長の娘。手の内を見せるな、とさ」
「でも……」
「大丈夫だよ」
「お嬢ちゃん、ちょっと下がってな」
ウズメは飛び上がって一回転、着地と同時に強烈なかかと落としを決める。
「ほいっと!」
「……!」
ぺしゃん、と潰れた影は白い雪の上に再び黒い姿を描き、主がいないそれはそのまま光に溶けていく。
『カ・ラ・ダ……』
レイナが幾合かスコップを交え、叩きつけた影は、大地に還る刹那、奇妙なつぶやきを残し消え失せた。
「カラダ?」
レイナは油断なく構えたまま聞き返す。
だが消え失せた影からの返事はない。
雪原に残っていた黒い染みも溶け込み、もとの白い雪が残るのみ。
「うぇ~、また消えたぁ」
ウズメは不満げに足元の雪を踏みつけている。
「片付いたみたいだな」
石川が汗ばんだ手で握っていた銃を懐に戻す。
「影、カゲ、かげ! 何なんです、アイツラ!」
場が落ち着いたと見るや榎本は飛び出し影の倒れた場所を何度も踏む。
「だから早く時空観測の仕組みを確立しなきゃならないんですヨ! レイナさん、四の五の言わず協力しなさい!」
「メンゴメンゴね、おヒメちゃん。ウチのエルってばコンナので」
ウズメは榎本を羽交い締めにして押さえ込んでいる。
「いえ、あのような怪しいものが現れるならエノモトが不安になるのも然るべきかと。しかしウズメ、でしたか。あなたは別の異世界人なのですか?」
レイナはウズメの額に伸びる二本のツノをしげしげと眺める。
「らしいよー。まあ私は子供の頃に山で迷っていたところをエルに助けられたんで向こうの記憶はあまりないけど。鼻水垂らして虫取り網持ってね。『オニの女の子だー』って目を輝かせて……、それが今ではこんな厨二病に」
「忘れなさい! と、とにかく私はウズメを鬼の家族に会わせると約束したのですヨ! 研究を止めさせるわけにはいかんのです!」
「……なら、もういいんじゃあないですか?」
知佳があきれたように言う。
「え?」
「だって、研究所が無くなったら困るんでしょう? それなら私たちに協力すればいいんじゃあないですか? それとも、何か問題でもあるのですか?」
知佳の問いに榎本は押し黙る。
「エノモト。あなたにも事情があるのは判りましたし、このままでは埒が明かないのも間違いない。私が協力できることは致しますよ。ただし、」
「ただし?」
「情報の開示を要求します。程度は問いません、とにかく沢山の情報です。重要度の判断は私がします。おそらく、何者かが私に、私達になのかはわかりませんが、戦を仕掛けている。ならば将として勝つための手を考えなければなりません。そのためにはとにかく情報が必要です」
「……」
榎本はしばし考える仕草を見せた後、首を縦に振った。
「……わかりました。確かに我々としても貴方がたが敵である確証がない以上、味方に引き入れるべきでしょう」
「よーし、ヨロシク! 私はウズメ、京都は大江山の出身、見ての通りの鬼さんさ!」
ウズメが差し出す右手にレイナは困惑の眼差しを向ける。
「握手だよ、握手! ほら、お嬢ちゃんも!」
「レイナさん、この世界では敵意がない証に互いの手を握り合うの」
「ふむ、こうですか?」
レイナが不思議そうにウズメの手を握ると、ウズメは笑みを浮かべその手をブンブンと振り回す。
「ほら、エルも、少年も!」
「あ、じゃあ俺も」
石川はおそるおそる手を出すが、榎本にその手を思いっきり弾かれてしまう。
「痛え! なんでだよ!」
「アナタは信用できません! 握手などできるか!」
石川は叩かれた手をふうふうと吹き残念そうに首を傾げたのだった。
***
「な、何ですって? この『源平戦記』、貴方の知人が開発に携わっていると!?」
その夜、正志宅にそのまま移動した一同だが、レイナが起動したゲームに対し榎本がぽん、と手をうち思い出したかのようにその一言を告げた。
「ええ、ゲーム開発部の部長、水橋……でしたっけ。彼ですよ。あのオタク野郎は!」
「……お知り合いで?」
レイナがおそるおそる聞くと榎本は誇らしげに胸を張る。
「私の学生時代の友人です。アイツはウズメに告白して振られた過去がありまして……」
「ミーちゃん? ダメダメ、アイツはヒョロもやしスギ。筋肉がないとねー」
ウズメの言葉に正志はつい自分の腕に力を入れてみる。目の前でゲーム談義に興じるこの姫様は、筋肉の多寡で好き嫌いを決めるだろうか。それとも知性の方だろうか。いや、姫様らしく家柄なのかしらん。そんなことに考えが向かっていると、隣でお茶の準備をしていた知佳が正志の脇を思い切りつねる。
「痛っ! 何するんだよ!」
「正志くん、顔に出てた」
知佳はレイナに目線を向け、話の輪に飛び込んだ。
「今はそんな話をしている場合じゃないでしょう! 互いの情報を突き合わせるんじゃないんですか?」
「そうでした。ふむ……、影、消えた蛟、輸送艇……二年前の実験。順にまとめていきましょうか。まず、はっきり言うとエノモト、私は貴方が黒幕だと思っていました」
榎本は盛大に茶を噴き出すが、その場にいた面々は、ウズメさえも大きくうなずき同意した。
「そ、そんな、なんで!?」
「いやー、そんな黒ずくめの格好で思わせぶりなことばかり言ってたらそう見られると思うよ?」
ウズメがカラカラと笑いながら榎本の背中を叩く。憮然とした表情で湯呑みの残りを飲み干した榎本は息をつくと口を開いた。
「まあワタシが黒幕の一端なのは否定しませんヨ。スポンサーを探していた高田屋所長にコレ幸いと声をかけたのは私ですし、二年前に現れた赤い巨人を二ツ橋に引き渡したのも私です」
知佳がゴクリとつばを飲みレイナを見る。レイナは指で榎本の話を聞くように制する。
「赤い巨人騎士については何か判ったのですか?」
「引き渡した次の日には『なんだったかなあ、ソレ?』と言われましたヨ! 二ツ橋の軍備ラボに回収されて秘匿されたみたいです。相談役なんていっても本社ではそんなに偉くないですからね、ワタシ」
「それはお気の毒に」
レイナは大げさに肩をすくめてみせる。
「ふむ……、つまりフタツバシとやらは異世界の実証を手にしているが秘匿している。最前線である研究所にも明かしていない。明かさない理由は何でしょう?」
その問いに石川が手を上げる。
「まあ、軍事転用だな。二ツ橋技研は大戦時に国の兵器開発を一手に担っていた元財閥だ。だが近年は諸外国に大きく遅れを取っていて新技術を欲している」
「ふむ。しかし動力がない巨人は案山子です。そんなものから何かわかりますかね?」
「わからないところは後まわしでいいってことだべ? 全てが未知の技術なんだからわかるところから手を付ければいいさ」
正志の言葉に榎本がそう、とばかりに指を差す。
「そのとおりです。ただし、引き渡された巨人には制御装置……頭と動力がありませんでした。動く姿を見られない以上、全ては想像、まさにただのカカシですヨ」
「そんな折に私とクロウガンが現れた。完品の巨人騎士です。喉から手が出るほどほしいでしょうね」
「んで、巨人は回収できなかったが、蛇は回収したと。蛇を回収したヘリも二ツ橋の手回しだろう。影は?」
石川の疑問には榎本は首を横に振る。
「ワタシもレイナさんの話で初めて知りましたヨ。何なんです?」
影。『影』としか呼びようのない何か。しかし明確にレイナを狙い襲いかかってきた。
「確か散り際に『カラダ』と言いました。確かに彼らに肉体は無いですが」
「……、SFみたいな仮説なら思いつくけど。レイナは次元の穴から落ちてきた。チ……、ウズメさんも。てことは他にも落ちた人間がいるはずだべさ。でも落ちきらないうちに穴が閉じたらどうなる? 弾かれるにしても何かしらの痕跡が残るはず。それが……」
「『影』、だね。正志! 冴えてる!」
「母さん? 所長も、いつ帰ってきたのさ?」
「今だよ、正志。やっぱり正明さんの息子だねェ……」
「今の仮説に乗っかるとするなら、影は残滓に過ぎない。だが戻りどころのない意識もまた条件があった時に仮初めの肉体を得るのだろう。怪談だね」
高田屋所長が知佳の湯呑みを取り上げ喉を潤す。
「でも私は科学者だからね。怪談で済ませたくはない。影が現れたときのことでなにか覚えていないかな?」
高田屋所長の問いに皆は各々が影を見たときのことを思い出す。
「雪……はいつも降ってる。人……はレイナを明確に狙っている」
「むう……。いえ正志、雪はむしろ降っていませんでした。昼ながら月の姿が見え、この世界の月は赤いのか、と思ったほどです」
「はい? 赤い月?」
「違うのですか?」
「月ってのは黄色く輝くもんだ。太陽の輝きを反射してるんだから赤く輝くには条件が絞られるんだ」
「おお、正志くん、よく調べたね」
高田屋は感心したように手を叩く。そしてレイナの方を向いてニヤリと笑った。
「さて、そこで問題です。月が赤く輝く理由とは?」
レイナは少し考えて答える。
「月蝕の先触れ? 炎竜が荒ぶる日などと言っておりましたが……」
その回答に高田屋は目を輝かせる。
「うんうん、異世界でも物理法則は似かよるんだね。そう、光の回折現象だ。だが思い出してくれ。月は消えたかな?」
「いいえ、消えませんでした」
高田屋はニンマリと笑い正志を見る。
「影を異世界側の人間と仮定するならば……、月は消えたかな?」
レイナは一瞬考え答える。
「……いえ、消えていません。むしろ赤く輝きました。月が赤く染まりました!」
「どういうコトですか?」
榎本は早く結論を言え、とばかりに高田屋を睨む。
「あ! それだべや。影なんだから何かを映しているわけだ。異世界人の残滓を照らす周波の光……! 高田屋くん!」
「ナナオくん、レイナさんを帰せるかもだ!」
興奮する高田屋と七生の様子と対象的に一同は冷めた視線を送る。
「えっと……、それは?」
レイナの言葉に七生は得意げに胸を張る。
「周波数が違う光、異世界人を照らす光なら異世界の光源に決まってるべさ! 赤い弱い光だから残滓だけが照らされているけど、この光を強くできればレイナちゃんの世界への道が開かれるはずだべ!」
「なるほど。しかしどのようにして?」
レイナの言葉に一同は首をかしげる。
「……それは、わからない」
「わからないものは一旦脇に置きます。マサシが言ったとおりわかるところから解けばいいのです。それで、影ですが明確に私を狙っていた。残滓が意思を持つのか? 無いなら操るものがいるはず。……まあフタツバシの何者かでしょう。個人か組織か、個人ならば与しやすいですが、組織なら戦術を考える必要がある。エノモト、どう見ます?」
急に指名された榎本は慌てる。
「そ、そうですね……、少なくともワタシは二ツ橋という組織自体に悪意はないと信じています。軍備部以外の業績は好調ですしネ。おそらくは軍備部の独断行動かと」
「私もそう考えます。しかし残滓が誰の指示を聞くのか? 操る手段があるはず。ふむ……その赤い光でしょうね。発生させる装置があるはず」
レイナは考えを巡らせる。
「エノモト、お願いがあります。フタツバシの軍事部へ赴き、私とクロウガンを帰す算段がついたと吹聴してください。彼奴らはまた影を操り私の帰還を阻止しようとするでしょう。黒幕を釣り上げ装置を奪取します」
「えぇ? ……やるしかないですかネ……」
榎本は隣で愉快げに自分の困り顔を見るウズメを横目に見ると、ため息をつきながら立ち上がる。
「となるとスパイは退散しますヨ。つるんでいる姿を見られると疑われますし」
「ええ、お願いします」
榎本が出ていくとレイナは残った面々に向き直る。
「さて、策を練ります。二重の策です。エノモトが我々と通じたことは看破されているでしょう。なれば更に裏をかく。エノモトも知らない一手を仕込み勝利を決定的なものとします」
「うわ、レイナちゃん悪い笑顔。やっぱり将軍様なんだべな」
「いえいえ、私の副官、デヤンスと比較すればまだまだです。あやつ、心を攻めよとか下策を使うなとかいつまで経っても子供扱いして……」
正志は戦の話をするときのレイナの顔は好きではない。美しいが冷酷さを醸し出し、彼女が日々命のやりとりを行っていた事実を突きつけられる。年相応の笑顔を見せる姿のほうが好きなのだが、人には色々な側面があるのだと、自らを納得させた。
「ハイハイ。北壁将軍様は楽しそうだねー、ロイちゃんはお姉ちゃんと遊んでようねー」
知佳はそんな正志の内心を読んだようにジャーキーの袋を開けロイドと戯れる。彼女が言うもう戦いたくない、という言葉には嘘偽りないのだろう、戦という言葉に辟易した様子が見て取れた。
「んで将軍様にはどんな策があるんだい?」
石川の問いにレイナは不敵に笑う。その笑みはどこか策士めいたものを感じさせた。
***
雪が降る。
夜の町に音もなく雪が降る。
まだ深夜と言うには早い夜十時過ぎ。だが人家のない山際の遊園地はただ静かに雪に埋もれ眠っていた。
その静寂を破るようにトラックがバリケードをつくり広い駐車場に立つ雪像のような巨人を囲んでいる。
レイナは冬期閉鎖中の遊園地の観覧車やジェットコースターのレールを不思議そうに眺めていたが、兵士の目に戻ると駐車場に集まった研究所の職員たちに声をかけた。
「皆様。決して無理はしないようにしてください。私の配下なら命を懸けよと言いもできますが、ここは貴方たちの世界です。異世界人一人のために命を懸ける必要などありません」
職員たちは無言で頷きレイナは傍らに立つ高田屋を見上げる。
高田屋はレイナの背中を軽く叩き、いつものように白い歯を見せニカリと笑う。
「大丈夫。みんな引き際は心得ている。レイナさんも正志くんがいなくて不安だろうが……」「わ、私は不安などありません!」
図星とばかりに顔を赤くし否定するレイナに高田屋は殊更の笑顔を向ける。
「レイナさん、異世界だろうがなんだろうがね、私は宝を頂いたんだ。技術とは人を幸せにするためのもの。スポンサーだろうがその人の幸せを邪魔するのなら蹴り倒してしまえばいい」
「ええ、もちろんです。でも宝とはなんです?」
レイナの疑問に高田屋は笑う。
「君も人の親になればわかるよ!」
***
正志と知佳は遊園地の隣の山の頂きから、双眼鏡で麓を眺めていた。
知佳はレイナと同じような馬術服に革の鎧を取付けたような巨人騎士操者の格好。赤を基調としたその鎧姿と脇には二本の刀を垂らし、正志と親しくなる前のような冷たい視線で麓を睨む。
「赤い月が表れないうちは影も出てこない。私達の出番はまだ先だから」
正志は頷き双眼鏡を覗く。肉眼では見えないが、望遠鏡で拡大された視界は麓に散らばる研究員たちの姿をおぼろげながら見ることができた。
「……来た」
駐車場に向かい走りくる数台のトラックの姿を見留た正志は無線の呼び出しボタンを三度押す。
声を立てるな。獣のように雪に溶け込み気配を悟らせるな。レイナからのいち高校生へのやや無謀な指示である。
「雪も止みそう」
知佳の呟きどおり、空の雲には切れ間が見えてきた。
***
「次元観測研究所の諸君。異世界人と巨人を引き渡せば不問とする。スポンサー契約も継続しよう。さあどうするね?」
トラックから降り立った警備装備の男たちの中央でスーツ姿の小太りの中年が見下すようにメガホン越しに声を出す。
「二ツ橋技研軍備部の土方部長でしたか。我々の意志は固まってます」
高田屋の言葉を受け、レイナを囲む研究員たちが一斉に声を上げる。
「お断りだー!!」
「だ、そうです。どうやら人望は私のほうがあるようですね」
研究員を制しレイナが一歩前に出る。
土方は額に一筋の汗を垂らすと鼻息を荒げメガホンを握る。挑発と分かってはいるが、何も言わなければ負けだ。
「警備は十人以上! 異世界人を拘束する正当な理由はある!」
「ははは。拉致誘拐も正当ですか。そうまでして私を手に入れたいとは、二ツ橋も思い切ったことをしますね」
レイナは前髪をかき上げると背後に控えていた巨人を見上げる。
完品の巨人騎士、クロウガン。言ってはなんだが、レイナ本人より優先度は高かろう。だからこそこれみよがしに置く価値はある。
まるで自分は逃げも隠れもしないが、二ツ橋は必ず欲しければそれを勝ち取れと。
「煽っても無駄だ! 正当に立会人としての立場を……!」
土方は追いつめられた様子で更に言い募ろうとするが、後ろで控えていた手で制される。
土方は咳払いすると右手を上げ、そのまま前を示す。警備員たちは無言で土方の前にでる。
「最後通告だ。今引き渡せば研究員の立場は保証しよう」
「最後通告ですか。お断りします」
土方はキッとレイナを睨みつけるが、それ以上何も言えない。
しばしの沈黙の後、一人の警備員が前に出る。
「君たちを拘束する。異世界人は殺さずに確保せよとのことだ」
「君たち。今の軍備部の社内状況は知っているのかな?」
高田屋はその男に向け声をかける。
「公表はされていないか。戦前から続く歴史ある部門だが今では海外の技術に押され火の車。グループ全体としては好調だが足を引っ張る唯一の部門。切りたいけど切ると国防技術が海外に流出する。故に切れないというジレンマだよ」
土方が顔を真っ赤にして口を開く前に、隣の一人が言葉を発する。
「今言ったことはすべて二ツ橋技研の極秘情報だ! どうやって知った!」
「さあ? だから売り込める新技術を欲したんだね。異世界門やそこからもたらされる技術。で、あの巨人と言うわけだ」
「殺せ! あの連中を殺すんだ!」
土方が唾を飛ばしながら命令する。
警備員たちは銃を構え研究員たちに向ける。互いに目を合わせ、撃ってよいのかためらう姿にあまり乗り気ではない様子が見て取れた。
「ふむ。戦場に立ったことは無いでしょう。人の命を奪うなど下衆のやることですよ」
レイナは白い息を吐き皆の前に一歩出る。
一歩、また一歩。誰もが固唾を呑む間にレイナは警備員の構える銃口が自らの胸に付くまで歩み寄った。
「オルニタが第三王女、レイナ・ダン・ラウルト・オルニタである。我が命を吸い英雄となるか、業を負わず只人として生きるか。覚悟を持って選べ」
銃を構える腕が震える。目の前の少女の言葉は脅しではないと直感する。それでも、部下が引き金を引くのを見ていられず、土方は目を瞑った。
パン! と乾いた銃声が一発響き渡る。警備員の誰かが撃ったのだ。しかし何も起こらなかった。銃口は空に向けられており、次にはその警備員は銃を雪原に放り投げる。
「部長、退職します。あとはご自由に」
その言葉を皮切りに囲んでいた警備員たちは我もわれもと続いていく。土方の周りには何人かの側近が残るばかりとなった。
「い、異世界人め……。芹沢、装置を起動だ!」
土方は震え声で脇に控える男に指示すると、彼は無表情のまま小さく頷いた。
***
芹沢が無線機で何者かに指示を飛ばすといつしか晴れていた空に浮かぶ月が赤く染まる。
赤い光に照らされた雪原はその白い世界に赤い影を落とす。
光を受けた赤い影はゆっくりと立ち上がり、仮初の命を得る。
意思なき屍であった影は、意思を得て立ち上がり歩き出す。
「オオオォォ……」
赤く照らされた雪原に唸り声が木霊する。それは歪な人型をした怪物の群れだった。
***
「正志くん、始まった」
双眼鏡で麓を伺う正志と知佳にも影が動き出した様子が見て取れた。
更に周辺をみると、少し離れた広場に置かれたトラックのコンテナが開き、大きなライトのようなものが月に向け赤い光を放っている。
「あれだ。行くべ」
正志と知佳はスキーで雪を蹴り、麓めがけて滑り出す。
雪は止み、冷たい風も凪いだ。
月明かりに照らされた雪原を人影が走っていく。それは高速で地を這う獣の影のようだった。
直滑降にも等しい速度で正志と知佳は怪物を躱しながら麓を目指す。木々の間を抜け、コブをはね、目指すは麓の赤い光を放つ機械。
機械の傍らには白衣の研究者らしい男が立っていて、手にした何かを操作している。
「正志くん! 離れないようについてきて!」
麓へ降り着いた二人の前に影の群れが立ち行く手を塞ぐ。
知佳はスキーを脱ぎ捨てると腰に携えた二本の刀を抜いた。
「帝国の赤騎士ティカリア。今は緑ヶ丘高校二年三組、出席番号二十六番高田屋知佳。命が惜しくなくばかかってこい!」
***
レイナと研究員たち、そして寝返った警備員たちは眼の前のよくわからない影たちに必死で防戦していた。
「トラックの後ろに逃げ込め!」
とはいえ未知の怪物対素人。応戦するも勝ちの目は薄く何人かの警備員とレイナが走り回り研究員たちをフォローする。
「七生くん! どうだ?」
「確かに時空振動の係数が上がってる! でも座標設定がメチャクチャだよ、これじゃ不完全な影が立ち上がるはずさ!」
七生はトラックの荷台に上がりノートパソコンを操作する。
「無線と信号波形を補正して……これでどうだ!」
パソコンから機械的な音声が流れる。
「やっぱだめだわ。なにか触媒になる情報があればなあ。レイナちゃんの世界の座標を割り出さないと」
七生の嘆息に反応したのか、影の一人が跳び、その爪をふるう。間に割って入るレイナは刀を抜き影を二つに切り分ける。
「急ぐ必要はありません。それぞれがなすべきことをなすことが大事です」
土方と芹沢もまた、レイナと同じく急ぐ必要はない、と視線を合わせていた。
何せ影の軍団は無数の群れだ。残滓に過ぎない彼らがやられたとて気に病む必要はないし、予備はまた補充される。
その予想通り、影の包囲は徐々にではあるが範囲を狭めており、トラックのバリケードも何台かは既に破壊され、その隙間から入り込もうとする影たちに研究員と警備員が必死で立ち向かっていた。
「しまった! バリケードが……」「も、もうだめだ!」
トラックの前方と後方で悲鳴があがる。既に影はトラックの荷台に入り込み、その爪を振るっている。
「ひっ……」
まるでゾンビ映画だ、と若い研究員は手に握る消火器を放ち時間を稼ぐ。日付が変わるまで耐えれば勝てる。あの青髪のお姫様はそう言っていた。
あと十分か、一時間か。
「その程度では!」
レイナの振るう刃が影を切り伏せる。もはやいくら切られようとも本体にダメージを与えることはできないだろう。だが時間稼ぎにはなる。そう信じて戦うしかない。
その時、赤い月の光が一瞬翳った気がした。
「マサシ、取り付きましたか」
***
知佳が無双の赤騎士と呼ばれていたことは全くの真実であり、正志はその意味をまざまざと見せられていた。
知佳が手に握る二刀は数年放置されていたわりに切れ味が落ちるわけでもなく、一振り、二振りするたびに影たちは容易く大地に伏していく。反対に影たちの爪は知佳に届くこと無く、舞を踊るように躱されていく。まるで特撮ヒーローが戦闘員を相手にしているようだ、と正志はただその剣舞を眺めていた。
「正志くん、行こう」
知佳が作った道を駆け、正志はトラックに飛びつく。月に向けられたサーチライトのような機械をいじる研究者めがけ正志は体当りする。
「こんダラ(馬鹿)が! 半可臭いことしてんじゃねえべや!!」
正志は七生に叱られるときのように方言丸出しで感情をぶつける。
「ひっ!?」
研究者は短い悲鳴を上げ、しかしそれでも機械を操作し続けた。
「こ、これで……次元を固定できる! 私は学会に復讐するんだ!」
その研究者の言葉に正志と知佳は顔を見合わせる。そして次の瞬間には研究者の胸ぐらをつかんでいた。
「今すぐ止めるんだ! でなけりゃこんなモノぶっ壊す!」
研究者は機械から手を放し、床に転がり落ちた。
「そ、そんなことをしてみろ! 次元が不安定になってこの町の住人も消え去るぞ!」
正志と知佳は視線を合わせた後、即座に機械の動力部分を探し始める。
「なら停止手順を教えろっ、すぐ言え! じゃねえとお前ごとぶっ壊すぞ!」
「ひ、ひい……」
知佳の持つ切っ先を目の前に突きつけられた研究者は腰が抜けたのか、ガクガクと震えながら指図を始める。
「レイナ、待ってろ」
そのとき正志の携帯のsmsに『着信』のサインが光っていたが、気がつくのはまだ少し先である。
***
駐車場ではさらに研究所の面々への包囲が狭まり、レイナをはじめ皆の顔にも疲労の色が見えていた。
土方と芹沢は自分たちの優位を確信したのだろう、再びメガホンを握りレイナに向け降伏を呼びかける。
「異世界人レイナ・ダン・ラウルト・オルニタ! 命が惜しくば降伏せよ!」
土方は言葉こそ強いが、その語気にはもはや覇気がない。芹沢も戦場への興味など無いと言いたげにそんな上司を横目で見る。
「……ふむ」
レイナは影たちを捌きながら上空に目を遣る。なるほど優位にたった油断というやつだ、自分たちの切り札がいまどうなっているかご存じないらしい。
月の赤い光が弱まっている。
『優位に立ったときこそ油断めさるな。勝ち目のない敵はその一瞬に賭けるのですから』
レイナは久々にいつも脇に立つ痩せぎすの副官の髭面を思い出し苦笑する。まさか自分がその一瞬に賭ける側に立つとは。
「土方、芹沢」
レイナは刀を納めるとゆっくりと二人に近づく。土方と芹沢が目配せをするがもう遅い。
「残念ながら私の、いや私達の勝ちです」
その声と共に赤い月の光は完全に消え、静寂が戻ってくる。
影の怪物たちは再び雪に伏し、はじめからいなかったかのように消え失せる。
芹沢は慌てて通信機の呼び出しボタンを押し、応えがないことに気付くと通信機を雪原に叩きつける。
「だ、だがスポンサー無しに研究が続けられると思うのか! 貴様らももう終わりだぞ!」
レイナはニヤリと笑う。それこそ仕込んだ最後の一手。
「ヒジカタとやら。日付は変わりましたか?」
「な、何……?」
土方は慌てて時計を見る。すると、短い針は12の字を通過し、次の日に変わったことを示していた。
「だからなんだと言うんだ!」
「つまりな。『次元観測研究所』は今政府の研究機関になったってこった」
駐車場に向かいのんびり歩いてくる男が一人。
「イシカワ。間に合いましたか」
「あちこちにハンコをもらい、南北縦断だよ。もう二度とやりたくないね……」
石川は通知書のコピーを土方の足元に投げ捨てる。
「なんだ、これは」
土方は通知書を拾い読みする。その顔を驚きと混乱が満たした。
「ば、馬鹿な! 日本政府だと!?」
レイナはククッと笑う。ここまでして、ようやく敵の大将を驚かせられたのだ。愉快でたまらない。
「つまり、スポンサーはもう不要ということだよ」
高田屋は実に楽しげに歯を見せ、研究員たちもあとに続く。
「もう一つ。日本政府は異世界門を抜けられた場合、正式にオルニタと国交を結ぶ用意がある」
石川の側に同僚なのだろう、目付きの鋭い女性が歩み寄り、もう一枚の書類を放り投げた。
「佐登サン。行けたかい」
「キミの頼みでももう二度と御免だね……。あちこち頭を下げて判子をもらって……。私は便利屋じゃないぞ」
石川は肩を竦め、コートのポケットからタバコを取り出す。
「本当、ご苦労様」
石川が労いの言葉をかけると佐登と呼ばれた女性は深くため息をついた。
*
「ま、まだだ! こうなれば一蓮托生、死なば諸共だっ」
土方が指を鳴らすと芹沢はスマートフォンをタッチし何かしらのアプリを起動する。
彼らの背後にあったトラックの荷台が立ち上がり、鋼の巨人がその姿をあらわした。
「赤騎士……? しかしあれは……」
背中にはマナ機関の代わりに鉄の樽のようなものが括り付けられ、頭部には簡素なカメラが付けられている。影と同じく赤騎士もまた残滓に過ぎないようにレイナには見えた。
「軍用の高性能バッテリーだ! そちらの巨人はカカシだろう!」
アプリの操作で赤騎士が一歩踏み出す。
その一歩で荷台はひしゃげ、その勢いでバランスを崩したトラックが転倒する。
赤騎士はよろけるも直ぐに踏みとどまり、再び前進する。
トラックの側にいた土方はその風圧によろめき尻餅をつく。
「ひひっ……、こうなりゃヤケクソだ! やっちまえ芹沢!」
芹沢はアプリの画面をいじり、『戦闘プログラム』と書かれたボタンをタップする。
赤騎士はトラックの荷台からこぼれ落ちた二本の刀を拾い、構えながら前進する。目指すは案山子のように動かない銀色の巨人。
レイナは赤騎士を見上げると、後方で立ち尽くす相棒めがけ走り出す。
胸にぶら下がる宝石に念を込めると巨人の目に光が灯り、胸の鎧を開きながら腰を落とす。
レイナは騎士の胴体、操手槽に自らの身体を滑り込ませ、眼の前のくぼみに宝石を挟み込む。それに伴い背部のマナ機関が唸りを上げる。体内のマナ残量から見るに一撃与えるのがやっとだろう。各部の動作を確認しレイナは胸の鎧を下ろす。
鎧の内側には巨人のモデルとなった祖王の名が刻まれている。
『九郎判官』。
失伝していた文字だが今なら読める。かの王は八百年の昔にこちらの世界から落ち延び、門を超え、国を興したのだ。
クロウガンはレイナの思いを受け立ち上がる。
再び故郷へ、日の本に戻るために。
「クロウガン。……やりますよ」
二体の巨人が対峙する。
赤騎士に備えた戦闘プログラムは最新のドローンが使うものをさらにチューニングしたものだ。異世界ならいざ知らず、自分たちの世界で負けるはずがない、と芹沢は鼻息も荒く目標を設定する。
赤騎士の手にした刀がクロウガンの装甲に叩きつけられる。だがそれは表層を僅かに傷つけるにとどまった。
「なっ!?」
続けざまに別の斬撃を放つがそれも効果はなく、逆にクロウガンの拳が赤騎士を捉えた。
巨人の腹部、すなわち本来ならば操手へ与える直接打撃。赤騎士は揺らぐがドローンとして扱われているその巨人の操者に恐怖を与えるまでにはいかず、再び距離を取り刀を構え直す。
「……ふむ」
レイナもまた巨人の刀を抜き赤い巨人の足捌きを見る。自動で動く人形相手では揺さぶりをかけるのは難しいか。
マナの残量計を見ながらレイナは相手の出方を窺う。
***
『母さん! コッチに来られるか?』
携帯電話を取った七生に正志は勢いよくまくしたてる。
「正志! 無事でよかった……、知佳ちゃんは?」
『知佳も大丈夫。それより! 装置を奪ったんだ! 座標を設定してくれ!』
「わかった! 言うわけで高田屋くん、行ってくる」
「ああ! 気を付けてな!」
七生は何人かの研究員を伴い影の発生装置まで駆け出していく。
**
「適切なプログラムがあれば人間などノイズなんだよっ! より安全に戦争ができるんだ!」
「意味がわかりません。安全に戦争? 国の威信をただの遊戯に貶めるつもりか!」
「俺は科学に殉ずる!」
「奇遇ですね。私もです」
赤騎士は刀を振り下ろす。クロウガンも鋼の刃でそれを受け流す。火花が散り、互いの装甲に傷がつくものの、やはり決定打とはならない。
理由は明快。クロウガンはその動きを最小限にとどめており、マナの消費を避けているからだ。
「あちらの巨人は強い。だが、マナ残量が限界に近いのでは? 攻撃パターン解析終了……、やれ、赤騎士!」
赤騎士はクロウガンの動きを予測し、その動きを妨害するように刀を振るう。その一撃の重さについにレイナの膝が落ちる。
「くっ……」
赤騎士がクロウガンの眼の前で二刀を大上段に構え、後方で応援するしかない高田屋所長たちはつばを飲む。
だがそれはレイナが見せた勝機。
膝を落とした姿勢から一瞬にて伸び上がると赤騎士の腕を切り落とす。
返す刀の軌道が赤騎士の首元を捉えたとき。
マナが尽きた。
クロウガンは一度背中の角より大きく蒸気を上げると刀を構えたまま停止する。
それはまさに皮一枚。土方と芹沢は自分たちの巨人が片腕を失ったが継戦可能であることに安堵し、一度距離を取る。
「ぬはは、見たか高田屋! 我々の勝ちだ! 巨人があればまだ二ツ橋は盛り返せるぞ!」
「我々の科学は異世界の力を凌駕するのだ!」
そう勝ち誇る二人は気付いていない。目の前の巨人の目に青い光が灯っていることに。
*
「レイナちゃんの世界の光っしょ……、これじゃないし、これでもなし……、わからん!」
赤い光を放っていた装置は今や沈黙し、そのコンソールの前で七生は頭を抱えていた。
次元を超えて照らされる光からレイナの世界のものだけを選び出し、増幅する。理屈ではそれだけの話だが、この装置手当たり次第に次元を超えた光を拾うことしかできないため、その中からたった一筋の光だけを探し、拾うなど無理のある話に思えてきた。
「レイナが落ちてきた日の振動周波数だべさ。母さん記録してたんだべ?」
「した! それが無いのよ!」
研究所に残る記録媒体の中から振動周波数のグラフを探し、モニターに表示する。しかし、何度見てもやはりレイナが落ちてきたときのものだけが無いのだ。
だが七生は諦めない。必ずこの中にあるはずとあらゆる波長で探し続ける。
「早く見つけないと。クロウガンが停止したみたい。赤騎士はまだ動いてる」
周囲を警戒する知佳が二人に声を掛ける。
「母さん、自分で天才だって言ってたべさ、レイナを、レイナを助けてくれ……」
「大丈夫、母さんホントーに天才なんだから! ちょい待っててよ……」
「頼むよ。……? なんだよこの忙しいときに……」
正志はポケットの中で振動するスマホに気が付くと画面に表示されたメッセージに目を向ける。
「か、母さん!! 父さんだ!」
「は? 正志、何いってんの、我が子ながら遂に心が壊れるなんて……」
七生はモニターを見つめたまま振り向くこと無く指を動かし続ける。
「父さんだよ! 父さんからメッセージが入ってるんだ!」
正志は七生とモニターの間に割り込むようにスマホを突っ込む。その画面に表示された差出人は『父・正明』。メッセージには意味不明の数字が羅列されている。
それを見た七生は信じられないとでも言うように目を丸くするが、数字の意図を理解したのか『それ』を装置のコンパネに叩き込んだ。
「まさかまさか、まさかだよ正志! 父さんはやっぱりレイナちゃんの世界に移動している! この数字がわかる? これこそレイナちゃんの世界の次元の周波数だよ!」
「じゃ、じゃあ!」
「そうさ! 父さんは無事だよ! おそらくこの赤い光に紛れてレイナちゃんの世界から電波を乗せたのさ! 正志、装置を起動して!」
「応さっ」
正志が七生に従い装置のレバーを引くと、月にむかい『蒼い』一筋の光が放たれる。
その光を受けた月は蒼い光で周囲を照らし出す。
「感じる……マナが広がっていく」
知佳は懐かしむような顔を蒼い月に向け呟いた。
*
銀色の巨人が動けないと悟った土方たちは、赤い巨人で玩具を弄るようにそれをちくりちくりと蹴飛ばしていた。
「お姫様! 投降すれば悪いようにはせんぞ? ヌハハ、さあさあさあ!」
レイナは答えず、暗い操縦槽の中で正志が使命を果たすことを待ち続ける。
そしてその時は来た。
計器に示されるマナの濃度が上がっている。
それは次元を繫ぐ力。異界の門が開き、マナにあふれる大気がこの世界に注がれている。
「だんまりか。そうかい、じゃあしょうがないな」
芹沢は刀を構えなおすと、一歩前へ踏み出す。巨人の力であれば刀を一振りするだけでこの目の前の鉄くずをバラバラにできるだろう。
「芹沢! 頭とエンジンは傷つけるな! 持ち帰って解析するんだ!」
土方の叫びに高田屋たちは力及ばなかったかと拳を硬く握る。
『……優位にたったと思うな三下ぁっ!』
赤騎士が残る腕で刀を振り上げたとき、銀色の騎士が唸りを上げた。
高鳴る音とともに背部の二本の角から蒸気が巻き上がる。巨人の双眸に光が宿り力強く大地を踏みしめる。
「な、なんだぁっ!?」
芹沢は慌てて跳び退き距離を取る。高田屋たちも信じられないものを見るかのように画面に映る銀色の巨人を凝視する。
「見ろ、月が!」
研究員の一人が指差す先、空に輝く月が蒼く染まり銀色の騎士を照らしている。
大気に溢れるマナを吸い込みクロウガンのマナ機関は本来の力を取り戻す。
「おのれぇ、小娘がぁっ! 俺だってチャロンやBBならやり込んでんだっ!」
芹沢は戦闘プログラムをマニュアルに切り替え、紅の巨人はクロウガンの首に狙いを定めると刀でその装甲に斬りつける。
だがクロウガンは易易とその刃を受け止め払い飛ばす。
体勢を立て直そうとする赤騎士だが、モニターの画面から銀色の巨人が消えたかと思うと目の前に大写しとなる。次の瞬間、モニターに映る画面は蒼い月となり、プツリと消えた。斬り飛ばされた首が自分たちの背後に落着し、雪煙を巻き上げたことで土方と芹沢は何が起きたか理解する。再び首を失った赤い巨人はゆっくりと踏み固められた雪原に倒れ込む。その正面では銀色の騎士が静かに納刀していた。
**
土方たちは警備員に拘留され、石川と佐登なる女性に引きずられていった。
あとに残るは月に照らされる半壊した赤い巨人と異世界を照らす装置、それに銀色の巨人の騎士だった。
***
数日後。
レイナは朝から雪かきをしていた。スノーダンプを押し、雪を家の裏手の雪捨て場に集めていく。その後ろをロイドが、思うところでもあるのか、ふざけること無くついて回る。
一時間も行っただろうか。下着は汗に濡れ、息は上がっているが家の前の雪はすっかりなくなっていた。
空は晴れ渡り澄んだ空気の冷たさが痛みとなり肌に伝わってくる。
旅立ちには良い日だろう。
レイナが雪の上に寝っ転がると、その腹の上にロイドが身を寄せ寂しげに声を上げる。
「お前は賢いですね。正志を頼みます」
ロイドはレイナに頭を撫でられ、くすぐったそうに身をよじらせる。そして一声鳴いたあと、雪の上を二、三歩跳ねて見せた。
「私はもう行きます。お前も好きになさい」
***
あの日レイナが現れた佐々木さんの畑の辺りには研究者や政府の役人が集まり、銀色の巨人や投光器のような機械を眺めていた。
「……レイナ。お弁当な、コレ。おかかにシャケ、キムチ明太」
正志は眼の前で物憂げに立つ蒼い髪の少女に紙包みをもたせる。
「正志……。その……、あの、ありがとうございます」
「よせやい、恥ずかしい」
レイナは弁当を胸に抱えうつむき加減に礼を言い、正志はそれを茶化す。
「……元気でな」
「はい……。またいつか」
別れの挨拶は一言だけだった。だがそれで充分だった。
七生はレイナを見遣ると小さく息をつき、装置を起動する。青い光が白昼の月に伸び、照り返した光が雪原に落ちる。ゆっくりと装置の光を強くしていき、照り返しが増していくと光は玉をなし、それは大きく、明るくなっていく。
「レイナちゃん、あんたはウチの娘だからね。あのバカ……、正明を見つけたらまた帰って来るんだよ。アンタたちもね」
レイナの帰還に際し同行を志願した研究員や警備員が何人か。皆独り身で次がない可能性があることを知ったうえでの志願だった。
彼らは笑顔で頷き高田屋のようにニッカリと歯を見せる。
「ホント、バカだよ……」
「そのバカ、私も混ぜてもらっていいかな?」
大きなリュックを背負い車から降りてきたのは一組の父娘。
「所長……? チカも?」
知佳は赤い鎧を身に着け、騎士の風格を取り戻したようにレイナに歩み寄る。
「チカ、折角戦う必要がなくなったのですよ。貴女は……もう……」
「レイナさん。アナタはあのとき、騎士には責任がついてまわると言いました。ならば私は私の責任を、戦を終わらせに戻ります。そして大手を振って、堂々とこの世界に帰ってきます! それに私には家族がついていますもの! ね、お父さま!」
知佳の言葉に高田屋は力強く頷き、娘の頭を撫でる。
「そうとも! 私の宝だ、私もついて行くさ! 七生くん、エノヤンに研究所を任せることにした。君がフォローしてくれよ?」
七生はパチクリと目をしばし瞬かせ、先ほどより大きく、これみよがしなため息を付くと声を大きく張り上げた。
「この無責任! だったら必ず正明を連れて帰ること!」
「了解! さ、知佳行こうか!」
研究員たちは鬨の声を上げ球体に次々と飛び込んでいく。
知佳は七生の横に立つ正志の目の前に寄ると、困惑する正志の口に唇を重ねた。
「んなっ!」
「ヒヒ。レイナさん! これで私が一歩リードですからね?」
癖っ毛の少女はケラケラと笑いながら正志から離れると、父の手を引き球体に飛び込んでいった。
そして残るは蒼い髪の少女と銀色の巨人。
レイナはクロウガンの胸の鎧に手をかけ中へ滑り込む。
「……。正志」
「レイナ……」
「正志、七生。……ありがとうございました。ロイドに優しくしてあげてください。ロビンソンは、その、私の代わりと思って取っておいてください。あと、その……」
レイナと正志は目を合わせ、目を逸らせ。二人の間に短く長い沈黙がおきる。
「……、…………。母さん、俺も行く。いいべ」
その言葉が出ることを七生は薄々気が付いていたのだろう。真剣な顔で正志を見たかと思うと、ニコリと笑い息子の背中を強く叩きレイナの方へ押し出した。
「行って来い、私の息子! アンタの人生はここからだ!」
正志は力強く頷くとクロウガンの掌に飛び乗り、レイナと目を合わせる。二人は前を向くと巨人を光の玉へ向け、一歩を踏み出した。
光に照らされる巨人の後ろ姿は一歩、また一歩と進むうちに小さくなり、玉の中へその巨体が吸い込まれていく。巨人の影が完全に飲まれた頃には光はその力を弱め、玉も小さくなりつつあるとき、最後に一人男が飛び込んだ。
「待ってくれーっ! 俺はこっちで最初の配下だろ? 置いていくなんてなしだぜ!」
「あら石川くん。……みんな行っちゃったか」
かくて雪の平原はもとの静寂を取り戻し、装置と幾ばくかの人が残るばかりとなった。
「ま、オトコのコはあのくらいバカが丁度いいんですよ……不味っ」
「佐登さんだっけ。無理にタバコ吸わなくてもいいっしょ?」
隣にいつの間にか立ちゲホゲホとむせる女性の姿に七生は思わず茶々をいれる。
「吸ってる間はあのバカの顔が脳裏にちらつきますから。私くらいは覚えていてやらないと」
「そだね」
二人は光の玉があった場所をボンヤリと眺めていた。
***
数年後、日本とオルニタを繋ぐ門は再び開き、二国の間に国交が結ばれる。
だがそんなことよりも、再会した家族で食べたジンギスカンの美味しさのほうがかの蒼い髪の姫様は大事なことだったと言うそうな。
終わり