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異世界少女と道民少年 前編

 大陸の南北に細長く伸びる国、オルニタの北部は雪深い。

 本来なら只々静かに春の雪解を待つ山間の一帯だが、その年は様子が違っていた。


 山道を塞ぐように石組みの砦がそびえ、砦に繋がる北からの街道は多数の足跡で踏み固められている。その足跡も赤や黒の飛沫が染み付いており、更に北に目を凝らすと人の群れと群れが武器を持ちぶつかり合う姿があり、風に乗り雄叫びが砦まで聞こえてきた。

 歩兵たちの最前に立つのは二階建ての屋根に届かんばかりの鋼の騎士。背中から伸びる一対の角のような動力機関から蒸気を上げ、同じく立ち塞がる巨人騎士に相対す。剣を交えるたびに雪煙が舞い上がり、兵士たちはその一騎打ちの行方を固唾をのんで見守っていた。

 幾合かの剣を交えた後に銀色の巨人は殊更大きく蒸気を上げると強引に距離を詰め、反り身の刀を関節の継ぎ目に捩じ込むと、一息に相手の腕を斬り落とす。腕を失った巨人は後退りすると、くるりと背を向け駆け出した。

「敗走! 帝国の巨人騎士敗走!」

『勝機だ! みな、一踏ん張りせよ!』

 銀色の巨人から響き渡る女性の声に、砦を背に立つ兵士たちは鬨の声を上げ、敵兵に向かい歩を進める。

「姫様! 深追いは危険です、お戻りを!」

 巨人騎士の足元に騎竜に跨がる痩せぎすの将兵が取り付き、巨人の胸元に向け声をあげる。巨人は歩を止めるとその場に膝立ちとなり、胸の鎧を大きく開いた。

「しかしデヤンス。ここで戦力を削がねばまた彼奴らは春には戦力を立て直し攻めてくる。今のうちに足腰立たなくなるまで打払うが上策であろう?」

 姫と呼ばれた青い髪の少女は不平を隠そうともせず巨人の胸元から上体を出しデヤンスへ告げる。

「なればこそです。壊滅させては帝国は更に強靭な精兵を送り込んできましょう。程々で和平を結ぶほうが上策と私は思いますが?」

 少女は憮然とした表情で腕を組み、足元でヒゲをいじる副将の顔や、優位にたった戦場の様子に目をやっていたが、自らの顔を平手で打つと、釈然としない空気は出しながらもデヤンスへ顔を向けた。

「……ここまでで上出来としておくか。デヤンス。ヤンスを呼び戻し砦に撤収せよ。捕虜には医者と飯を。皆、引き上げだ!」

「はっ、姫……いやさ北壁将軍レイナ様!」

「だがあの巨人だけは追撃する。止めるなよ!」

 少女は胸の鎧を閉じると巨人を立ち上がらせ、勝どきを上げる兵を横目に駆け出した。

 足元で頭を抱える副官の姿が目に映ったが、いつものこと、と笑みを浮かべ。


 ######


 冬の北海道、特に道央に位置するこの町、岩見沢は雪深い。放っておくと二階を越え屋根まで白い壁が出来上がる。

 正志は日が昇る前からスキーウェアに身を包み除雪機のエンジンを回していた。

 市の除雪車が通過したあとは道路をどかした雪で自宅の前まで壁になる。最低限道を作っておかないと学校に行くこともままならない。

 正志は頬に当たる雪の冷たさに舌打ちながら道を作る。

 道を作ったあとは駐車スペースを確保する。三笠の研究所から夜勤明けで帰ってくる母に除雪機を使わせると事故が起きる。あの人は夜勤明けでなくとも事故を起こすだろう。絶望的に機械の扱いと言うものに嫌われている。

 そんなことを考えながら除雪機での雪飛ばしが済み、家に戻りストーブの前に着ていたウェアと長靴を干す。

 そしてようやく朝食にありつくのだ。

「お前の分もな」

 雪かきの間、手伝っているつもりなのか雪の穴を掘り続けていた雑種犬のロイドにも朝御飯を与える。

「待て……よし」

 ロイドは合図をうけてドッグフードにかぶりつく。その様子を見ながら正志も作り置きのおにぎりを頬張る。

 この瞬間が一番幸せだ。

 今日は何時くらいに帰ってこれるかわからないが、今年も春には高校三年生になる。進路を決めなければいけない時期だが、どうせ大学に行ってもやりたいことなどない。

 進学してから考えようと思っていたが、周りは母の仕事を継ぐものと決めてかかってくる。三笠の炭鉱跡に出来た……次元観測とかいっただろうか。

 まあ、あれのお陰で過疎地一歩手前だったこの一帯にも活気が戻ってきたのはいいことだ。いいことだが、それで自分の将来を決められたくもない。

 正志は制服に着替え、ロイドに留守番を任せると雪を踏みしめながら学校に向かうのだった。


 #######


 深い針葉樹の森に続く足跡を追い、レイナの巨人騎士は雪をかき分け進んでいた。

 森の中は昼間でも仄暗く、巨人騎士の人工の瞳孔では視界が悪い。

 それでも巨人騎士の動力機関が蒸気を噴き上げ、足下を固め、森を進む足跡を見失わないよう慎重に探り進む。

 警戒はしているが、レイナの脳裏にはついぞ関係ないことが頭をよぎる。そういえば、戦の起こりはこの森だった。二年前帝国の赤騎士がこの国境の森で姿を消したのだった。

 あの阿呆な兄たちが狩りになど出なければ。運が彼らに味方し赤騎士に手傷を負わせなければ。

 レイナは自嘲気味に口元を歪める。今はただ目の前の戦いに集中しろ。

 レイナは自らに言い聞かせるように身体を覆う連動管を動かし歩みを進める。

 ふと気がつくと巨人の足が止まる。

「これは……」

 足元に倒れているのは片腕を失った、つまりレイナが追いかけていた巨人騎士。騎士の腹部の操縦槽は噛み砕かれ、『中身』が引き出された跡がある。竜か巨熊か、いずれにしてももう命はないだろう。

 赤騎士もあるいは兄たちなどではなく、竜か熊にでもやられたのやもしれぬ。無双で知られる赤騎士が、三人がかりとはいえあの怠惰で権力に拘泥する兄たちに負けるなどとは到底考えられなかった。

「……?」

 獣の足跡がない。その事実が頭をよぎったレイナは銀色の巨人騎士を飛び退かせる。だが一足遅い。足元の雪原に針葉樹の幹と同じ程の太さの雪の柱が大きく立ち上がり、鎌首を上げ巨人に喰らいつく。

『雪蛟』だ。海を泳ぐがごとく積もった雪の底を自在に行き来し、捕食する大蛇。竜のような知性はないが、それ故に本能に従い生きる恐るべきケダモノ。

 雪蛟は巨人の足に巻き付き腹部の操縦槽めがけ牙を向ける。あの鋭い牙だ。先刻の巨人の腹を引きちぎるのもわけなかったのだろう。牙に残る赤い色が巨人の操者に起きた悲劇を想起させ、レイナは怒りと吐き気がいちどきに襲ってくるのを感じた。

「貴様ァ!」

 レイナの怒りを反映するように蒸気が吹き出し、銀色の巨人は足に巻き付く蛇の体を力任せに解き、雪色の巨蛇の腹を蹴り飛ばす。

「許さん! 絶対にだ!」

 レイナの叫びと共に、銀色の巨人、クロウガンは刀を抜いた。


 ######


 岩見沢の駅から学校に向かうバスの中、携帯に母からのメールがあった。

『ゴメン! 帰るの夕方くらいになりそう。ロイちゃんの散歩ヨロシクね!』

 まあいつものことだ。正志はため息をつきつつ了解とだけ返事をする。

 バスの窓から見える景色は真っ白に染まっている。降り積もったばかりの新雪を踏むタイヤの音がする。

 坂のほぼ頂点でバスを降り、雪を踏んだ轍の跡を一列に生徒たちは学校へ向かう。

「おーい正志!」

 後ろから声をかけられ振り替えるとクラスメイトの拓海がいた。白い息を吐きながらのんびりと正志の靴の跡を踏んでくる。

「よっ、おはようさん」

「ああ、おはよう」

「しかしまた、今日も大雪だなぁ」

「最高気温もマイナスだからな。お前も雪かきしてから登校?」

「んだ。こんどお前のところの犬を湯たんぽにさせてくれ。霜焼けになりそう」

 なんてことのない会話のうちに正志たちは学校の門を潜る。下駄箱で靴を履きかえ教室に入ると暖房が効いているのか暖かい空気が体を包む。

 窓際の席ではクラスメイトたちが朝の挨拶を交わし合っている。

「おっす~、さすがに寒いわな」

「聞いた? ヒグマが出たらしいよ」

「おいおい、冬眠中だろ?」

「それがマタギの元さんが呼ばれたって。デマじゃないみたい」

「マジかよ。猟友会呼んだら大事件じゃん」

「そうだねぇ。早く解決すると良いけど」

 担任の教師が入ってきたので話は中断された。

 ホームルームが終わり一時間目の授業が始まる。

「源九郎義経、ていうのは色々な伝説があってね。遮那王、牛若丸、判官、呼び名も色々。平泉から落ち延びて北海道を渡りモンゴルまでたどり着きジンギスカンになった、なんて話もあるんだ。函館の方には義経が座った石、なんて如何わしい史跡もある。非業の最期を迎えるとなんとかしたくなるのは人の性なのかもな」

 正志はほどほどに教師の脱線気味の話を聞きながらクラスの最前列の席を見る。正志の視線の先ではくせっ毛の女子生徒が一生懸命に日本史のノートをとっている。名前は知佳。

 正志の通う高校の学年でもトップクラスの美少女である。外人の血が混じっているそうで容姿端麗かつ成績優秀、運動神経もよい。欠点といえば多少付き合いが悪く冷たい人間とおもわれがちなところか。

 正志とは住む世界が違うような存在だが、不思議と同じ高校に通っていた。


 ***

 きっかけはなんだったろう。

 確か、一年の秋頃、例の研究所のお偉いさんの娘、などと言って転校してきたのだったか。もっとランクの高い学校もあるのだが、本人曰く、制服がかわいいから、と言うことだ。確かに、その辺の女子高生が着るようなセーラー服ではなく、少しレトロな感じがしてよく似合っていた。

 それ以来、学校でも人気者となり、男子生徒の憧れの存在となった。

 正志自身は特に興味もなく日々を過ごしていたが、ある日の放課後のことだった。

 駅で電車を逃してしまい次の便が三十分後、となったときに、切符売場でオロオロとしている彼女を見かけた。

「あの、良かったら一緒に待つ?」

「え、あ……うん、ありがとう」

 彼女は戸惑った表情を浮かべながらも笑顔で応えてくれた。

「私、三笠から来た知佳」

「俺は、正志。転校生だよね、よろしく。家は上幌向だから反対だな」

「カミホロムイ? 変わった響きね」

 そこから何を話したかはよく覚えていない。帰りの電車が来るまでの間、唯ただ間を埋めていた気がする。

 それから特に話すこともなく一年以上時は過ぎたわけだ。


 ######


 野獣のくせに、とレイナは舌打ちながら刀を振るう。樹木が並びその中を自在に泳ぐ雪蛟は完全に地の利を得ており、一太刀浴びせれば終わる戦いにその一太刀がなかなか出ない有様だった。

 牙がかすめては雪に潜り、あらぬ方向からまた襲いかかる。

「鬱陶しいッ!」

 苛立ちが募り、レイナは巨人を跳躍させる。木々を飛び越えて空中に躍らせた巨人は、その勢いのまま雪原に着地する。

 衝撃で雪が舞い上がり、視界が閉ざされる。

 刀を納刀し身を低く構え、異物の音に耳を済ませる。自分、巨人、風音、雪、それ以外。雪の下を這う蛟の音を巨人の足の鎧越しに感じる。三…、二…、一……。

「そこだっ!」

 背中に立ち上がる雪柱に向け居合の構えから抜刀する。

 その一撃は雪柱を切り飛ばし、雪煙の中から飛び出してきた雪色の大蛇を半身に分けた。

「はあっ、はぁ……はぁ……」

 緊張の糸が切れてレイナは膝をつく。まだだ、こんなところでへばっている場合ではない。

 蛇は残った上体を引きずり森の奥の洞窟へと進んでいた。戻るべきか進むべきか。思案に暮れる時間はない。

『程々に勝つのが上策ですぞ?』と口煩い副将の髭面が脳裏によぎる。

「……いつまでも子供扱いするか」

 レイナは洞窟に向け歩みを進めた。


 ######


 夕方家に帰るとロイドがしがみつくように正志を迎えた。尻尾をぶるんぶるんと振り回しわふわふと語り掛けてくる。

「よしよし。いつも一人にして悪いな。母さんは……まだ帰ってないか。よし、晩飯前に散歩だ、散歩」

 スキーウェアに身を包み、ロイドと再び外に出る。冬の北海道の昼は短い。夕方には既に日が落ちており、足下の雪は凍り始めている。

 ロイドの首輪にリードをつけ、いつもの散歩ルートを歩く。

「今日はどこに行きたい、相棒?」

 ロイドの頭を撫でてやりつつ話しかける。

 よその犬の匂いをくんくん嗅いだり上書きするように雪原に尿をかけたり。きままに歩き回るのをただついていく。頭を空っぽにできるこの時間が正志は好きだった。ふと空を見ると一面大粒の雪。これは明日も雪かきだな、と思いつつ、ロイドに引っ張られるまま散歩を続ける。

 そうこうしているうちにいつものルートを外れ農地の方へ出てしまった。目に写るのはただひたすらに白い平原。遮るものがないため、風が正志たちの散歩で汗ばんだ体をまた冷やしてくる。

「……帰るか?」

 相棒に話しかけると、寒さが堪えるのかクルリと踵を返し家に向かう。毛皮があっても氷点下はやはり寒いらしい。

 正志もリードに引っ張られるように方向転換する。その時、目の端、雪原に浮かぶ防風林の影に動くものが見えた。

『ヒグマが出たらしいよ』

 朝の話を思い出す。冬のヒグマは空腹で危ない。今のがなんであれ早めに退散した方がよさそうだ。正志とロイドは足早に家に戻っていった。

 玄関先、朝正志が雪かきしたスペースには車が停まっており、エンジンの余熱が車の下の雪を融かしている。母が帰っているようだ。

 ドアを開けるとソファの上に突っ伏すように母、七生が眠りこけていた。

「母さん、風邪ひくべや。風呂入って布団で寝な」

「うー。めんどいし、部屋は寒いっしょ……」

「ハイハイ。米炊いておくから。明日は土曜だし、メシ食って寝なよ」

「いつもごめんね……。仕事が徹夜の割に無駄骨でさぁ……」

 七生はフラフラと二階に着替えに上がる。どうせまた夜中まで研究資料を読み漁っていたのだろう。

 母が突っ伏していたソファの空きスペースにはロイドが目ざとく滑り込み、そのまま丸くなって冷えたからだを暖めている。

 正志は台所に入り、冷蔵庫から卵を取り出す。

 今日の夕食は親子丼だ。

 鍋から湯気が立ち、玉ねぎが飴色に染まっていく。

 溶いた玉子をくぐらせ、出汁醤油を加えていく。

 鶏肉にも火が通ったところでご飯に乗せれば完成だ。

 炊き上がったご飯を仏壇にも備え、おりんを鳴らす。

「南無南無……」

 リビングでは誰も見ていないテレビが流れている。天気予報が終わり、スポーツニュースのコーナーに入ったところで二階から七生が降りてくる。やぼったい黒縁メガネにラフなスエットの上下。その小さい体躯によくもまあノッポの自分が生えてきたものだ、と正志は思う。

「あれ? もう出来てるじゃん! やった!」

 いただきますっ! と元気よく手を合わせると箸を手に取り勢い良く食べ始める。

「うまいっ!!」

 口いっぱいに頬張りながら感想を述べる。

「ロイちゃんも食べるかー? いや、玉ねぎはダメだね。はいこれ」

 鶏肉だけロイドのお椀に入れる。ロイドはそれを満足げにペロリと平らげた。

「無駄骨って?」

 正志は母が呟いていたことを何となしに聞いてみる。

「あー……。昨夜ね、時空振動が起きるはずだったのよ。観測できれば同一座標面での二年越しの再観測でさ。研究所としても期待してたんだけど……」

「ダメだったんだ」

 言っていることはよくわからないが空振りだった、と言うことは伝わった。

「父さんくらい正確な予測ができればいいんだけどねぇ。おっと。ゴメンごめん…、愚痴だねこれは」

 言いながら七生は椀を空にする。

「あんたもそろそろ進路とか考えなきゃね」

「そうだなぁ」

「……やりたいこととかないの?」

「特に無いかなぁ」

「進学ならいいけど、就職だと大変だよ?」

「そうだなぁ……」

「スキーは? 全道まで行ったんだから辞めることなかったのに」

「……クロカンなんて他にやる人がいなかっただけだべさ」

「母さんに遠慮することないよ。正志がやりたいこと、好きにやってほしいのはホントウだから」

 七生は食器を洗い場に持っていくとソファに座り、そのあとをロイドが尻尾を振り回しながら追いかける。

「そうだよなぁ…………」

 正志はひとり、たくあんを咀嚼しながら母の言葉を反芻していた。


 ***

 食後、七生は徹夜が堪えたようで風呂に入ったあとはそのまま部屋に戻っていった。

 正志はロイドを撫でながらなんと無しにテレビを見ている。

「……この辺も過疎化が進んでるんだねぇ」

 画面に映るのは雄大なる大地、北海道を旅する二人組。岩見沢のあたりは、かつて炭鉱の鉄道輸送で栄えた街だったらしいが今は札幌のベッドタウンとしてかろうじて永らえていて、この手の旅番組に出てくることは殆どない。

 母が通う三笠などは炭鉱閉山後は岩見沢の周辺都市、つまりベッドタウンのベッドタウンという状態だった。例の研究所ができるまでは市のよくわからない箱もので食いつないでいるような町だったそうだ。

「……よくわからないのは変わらないか」

 なんの研究をしているのか、母に聞いても意味不明の返事が返ってくる。次元の波動とかポータルとか……、正志の物理の成績では理解できないままに老人になるだろう。

「雪はどうだべ」

 正志が立ち上がると半ば眠りに落ちていたロイドも起き上がり伸びをする。

 カーテンの隙間から外を見ると大粒の雪が絶え間なく降っている。母の言葉に感化された、というわけでもないが、と自分に言い訳をしつつ、正志はスキーウェアを纏うと外に出ていった。


 ######


 洞窟は巨人騎士が入れるほどの大きさがあり、レイナは巨人の視界を夜間精度に調整し、蛇の足跡を追っていた。

 点々と続く血の跡は洞窟の深部へと続いている。蛇がつがいで暮らすなどとは思わないが、無傷の蛟がもう一匹出てこないとは限らない。用心しつつ進む。

 洞窟の中はひんやりとした空気に包まれており、レイナの吐く息だけが白く立ち上る。洞窟の奥から流れ込んでくる冷気が肌を刺すようだった。

「……これは?」

 地面には巨人騎士の背負うマナ動力炉が毟り取られたように転がっていた。古びており先ほどの巨人のものではないらしい。一対の蒸気筒は通常の騎士のものより大型で、角というより翼にも見えるほどだった。さらにそれは朱色に塗られており、レイナは先ほどの雑念を思い出す。

「赤騎士はここで……?」

 だとしても『本体』がない。蛟が動力炉だけをここまで引っ張ってきたのだろうか。

 だが、消息を知る一手にはなる。流石に潮時か、と足元に打ち捨てられた赤い動力炉を拾い上げようとしたとき。

 闇の中から蛟が絡みついてきた。

 気を取られた。全身に巻き付いたかと思うと絞るかのように締め付けてくる。後ろ半分がないとは思えない力強さだ。

「貴様……ッ」

 そのまま洞窟の壁に押し付けられる。首筋に牙が突き立てられる。

「くっ」

 両の手で蛟の首元を掴み引き剥がす。力は拮抗しただ睨み合う格好となる。奴の体力が勝つかこちらの絡繰が勝つかだ。

「ふっ!」

 思い切り力を込めると胴体を引きちぎるようにしてなんとか拘束から逃れた。蛟は一目散に洞窟の奥に向けて這ってゆく。

「逃がさん!」

 走り続け、洞窟の深部に到達する。

 開けた空間の中央には青く明滅する明かりが見えた。それは空間に光そのものが蛍のように浮いている球。小さく弱い光だったが『ソレ』は徐々に強さを増し、それに伴い大きさも膨らんでいく。

 その光に巨人の視界が奪われた瞬間、蛟は巨人の腕に巻き付くとそのまま光の球に道連れにするように飛び込んだ。

「……なっ!」

 光の中は上も下もなく、只々青く光る空間だけの世界。精霊の神がいるという世界に辿り着いたのか、レイナの脳裏にそんな考えがよぎるが、すぐにそれは間違いであると気がつく。

「ここはどこだ……」

 いつの間にか周囲には同じような光が無数に浮かんでいた。それらは不規則に動き回り、またあるモノは一定の距離を保ち、また別のものは一定の間隔を開けて漂っている。

 その光の一つがレイナと蛟を呑み込む。光を越えた先はー


 ######


 深く静かに雪が降り積もる平原を正志は進む。正志の通ったあとには二本のスキー板の跡がつき、その跡をロイドが跳ねるようについてくる。

 その様子に笑みを溢すとまた正面に向き直り、雪原を滑る。やはり白一面の世界に自分の足跡をつけるというのは楽しい。明日には消えてしまう足跡だが、これは自分が歩んだ証だ。

 振り返ってみると随分家からも離れ、農地のはずれまで歩んでいた。夕方に影を見た防風林の辺り。

 まさかクマなど出るわけが、と思いながらあとをついてくる相棒を待つため小休止する。

 そのとき。

 空が青く光った。

 白い雪原に光が照り返し、上も下も青い光に染まる。一瞬遅れて轟音。雷鳴が耳を打つ。

 閃光が収まると雪原はもとの静けさを取り戻す。

 正志とロイドは思わず身を寄せ合う。

 次のとき。

 地響きが鳴った。

 それはまるで巨大な何かが近づいてくる音。

「なんだ!?」

 振り返るとそこには白い巨体が滑るようにこちらに向かってきていた。

 白いヒグマ……か? 朝の話が頭によぎる。

 いや。

 ヘビだ。身の丈よりも大きい白いヘビ。

「うわぁあああっ!」

 思わず悲鳴を上げ、スケーティングで全力で来た道を戻る。

「ロイド!」

 大丈夫。ついてきている。

「ハァ、ハア……」

 息が切れる。普段の運動不足が祟る。

 後ろを振り返るとあの白い怪物は追ってきてはいない。

「なんなんだよぉ……」

 膝に手を当てながら呼吸を整える。ストックを雪原に突き刺し、足元にしがみついてくる相棒を拾い上げしっかりと抱きとめる。

 ひとりと一匹が息をついたとき。

 目の前が暗くなる。雪煙を上げ雪の柱が立ち上がる。

 巨大な蛇は鎌首をもたげ正志たちを見下ろす。

「ひいっ」

 恐怖に足がすくむ。腰が抜ける。ロイドを抱きかかえる手が震える。

「こ、こんなところで……」

 死ぬわけにはいかない。正志は必死に思考を巡らす。

「父さん……!」

 正志がロイドを守るように覆い、固く目をつぶったとき。

『おぉりゃぁぁァ!!』

 風圧が正志の体を押し退け、『何か』が大蛇にぶつかった。恐るおそる薄目を開けると、目の前に立つのは鋼の巨人。銀色の鎧が雪に反射し、命の危機にも関わらず、正志はソレを美しい、と感じた。

 六米はあろうその巨人の騎士は刀を抜き、大蛇へと躍りかかる。

『せいやぁぁ!』

 上段から振り下ろし、返す刃で横薙ぎに払う。その剣戟に怯んだ隙を見逃さず、巨人は大蛇の胴を蹴り飛ばす。

『これで終わりだぁぁぁぁぁぁ!!!』

 深く踏み込み、逆袈裟から大上段の切り下ろし。額から二つに分かたれた大蛇は雪の上でのたうち回っていたが、程なくして動きを止めた。

 巨人が納刀したのを見計らい、正志とロイドは少しずつ距離を取る。

 距離をとったところで振り返ってみると、巨体は足を止めていた。

 電池が切れたように動きを止めた巨大な鎧は、雪掻きあとの雪溜まりにつんのめり、白い山に突っ伏した。

 恐る恐る鎧に近づいてみる。近くで見ると白銀に輝く金属でできているようだ。

 しかし、表面には細かい傷が無数についていて所々剥がれ落ちているところもある。

「うぉおおお……」

 突然、鎧が叫び出した。

「なんだ?」

 叫んでいると思われた鎧だが、音は背中に生えた二本の角から響いている。車のマフラーを想起させる角からは蒸気が立ち込め、暫くすると上体を持ち上げ始めた。正志はロイドを抱え距離をとる。鎧が腕立て伏せを失敗したような膝立で両手をついた姿勢になった頃、蒸気は収まり、胸の鎧が開いた。

 そのままどさり、と雪の上に中の何かがこぼれ落ちる。

「宇宙人?」

 正志は昔見た映画のシーンを思い出しながら雪を掻き分けていく。あれは米軍のマッチョなパイロットだったから宇宙人をワンパンKOなぞできたが、こちらはただの高校生。助けてもらった恩を感じつつも、逃げる準備もしながらそっと落ちた何かを見てみる。

「…………?」

 目を擦りもう一度見てみる。

「………………女の子だ」

 青い髪の少女が時代錯誤なコスプレ衣裳で倒れている。馬術服に皮の鎧を着けたような格好だ。袖口には刺繍が施され、凝った作りになっている。

 ……なるほど。きっとこれは何とか研究所のプロモーションだ。明日母に聞けば何か判るだろう。

 とりあえずそのままにもしておけず、正志は少女をおぶり家に戻る。幸い農地から住宅街は離れており、今の出来事を気にするものはいないようだった。リビングのソファに寝かせ、毛布をかける。

「……ん」

 少女が小さく身動いだ。正志は身を硬くし少し距離を取る。

 ……起きる気配はないようだ。ロイドは正志に付き合うように少女を珍しそうに眺めていたが、流石に先程の出来事に疲れたらしく、害がないと判断したのか水をピチャピチャと飲むと、リビングの隅っこの自分のベッドに潜り込み寝息をくうくうとたて始めた。

 一人になり改めて少女を見てみると、年の頃は正志と同じかやや低いくらい。青みがかった後ろに束ねた長い髪が特徴か。日本人にも見えるが、外人の血も入っているように見受けられる。そう、例えばあのくせっ毛のクラスメイトみたいにー

 そこまで考え、正志はかぶりを横に振り我に返る。いかん。助平根性で人を見るものじゃない。正志は邪念を振り払いつつ、台所に向かうとコーヒーを沸かし、カップを持ってリビングに戻った。

 温かいコーヒーカップを握ると冷えていた手に熱が伝わる。そのまま喉に流し込むと、苦味と温かさが胃に落ちてゆくのを感じる。

「ふぅ……」

 一息つき、少女の呼吸とロイドの寝息に自分の息を合わせているうちに、正志もゆっくりとソファに沈んでいく。


 ***

「デヤンスっ! 矢を放てっ!!」

 その叫び声に正志はソファーからずり落ちる。

 ……すっかり眠ってしまったらしい。ソファーに手をかけ起き上がると、目の前には毛布片手に不思議そうにリビングを見渡す少女が立っていた。

 青い瞳がこちらを捉え、目があう。

「うおっ!」

 正志は思わず飛び退き、ソファーの背もたれに身を隠した。

「なっ、何者だ貴様は!?」

 少女は怯えた様子で後ずさりすると壁に背中をぶつけた。

「むしろ俺が聞きたい。母さんに唆されてなんか変なことを始めたんだろうけど、やめておくべさ」

 少女は怪訝な顔で正志を見る。

「むう。貴さ……あなたは誰だ。蛟はどうなった? クロウガンは……」

「蛇なら君が巨人で真っ二つに。俺は君に命を救われたただの高校生だよ」

 正志はまだ混乱が見られる少女を落ち着かせるように、両手を見せながらソファーに腰を下ろす。

「コーコーセー……農夫の類? ここはオルニタか? 帝国か?」

「いや、日本の北海道、空知地方だけど……」

「ニホン……? 聞いたことのない国だが……」

「俺だってあんな巨人やら大蛇やらは初めてだよ。本当に母さんとは関わりないの?」

 目の前の少女はまるでRPGに出てくる騎士のような出立ちをしている。革製の鎧に乗馬ズボン。腰には反り身の刀と思しきものを差していた。

「……あなたが何を言っているのか分かりませんが、私の身に何か起きたのは間違いないようですね……。……むう」

 少女は顎に手をかけ考えると、少し柔らかい態度となり、正志に、と言うより自分に向かい語りかける。そこまで言ったところ、ぐう、とお腹が音を立てた。

 顔を赤らめる少女に向かい正志は笑顔を向ける。

「とりあえず何か食うかい?」


 ***

 時計を見ると深夜二時。

 少女は炒飯を頬張りながら自らをレイナと名乗った。名字も名乗っていたが長くて複雑で正志には覚えられなかった。

「これは旨い。単純な味付けだが油がよく効いている……。マサシと言いましたか。何処かの料理人ですか?」

「残念ながらただの学生だよ。ただの炒飯に誉めすぎっしょ」

 レイナと名乗った少女の足元にはいつの間にかロイドが姿勢正しく座り込み、期待に満ちた眼差しで見上げている。

「……マサシ。この子は?」

「ロイドだよ。犬。おこぼれ狙いなんだろ。ほら、お姉ちゃんが困ってるだろ。こっちに来な」

 ロイドは不満げに鼻を鳴らすとレイナに尻尾を向け、正志の隣で丸まった。

「こ、こやつ……」

「ははは。ロイドは賢いからね」

「むう……」

「それで、君はなんでここに来たの?」

 レイナのレンゲを持つ手が止まる。

「……わかりません。洞窟で蛟を追っていたのです。蛟に引っ張られて光る穴に落ちて……。違う国にでも繋がっていたのでしょうか」

「この近所に洞窟はないな……。それに……」

 蛇は空から落ちてきた。正志はその言葉を発することには躊躇われ、やめた。

「穴から落ちたら違う国。まるで『不思議の国のアリス』だな。てことは俺はさしずめ帽子屋さん、てとこか」

「あなたの生業ですか?」

 レイナは目をパチクリさせ、部屋の中に帽子があるのか見渡す。

「あ、違う違う。童話だよ。君みたいに違う国に迷い込んだ女の子の話。その案内役が帽子屋ってわけ」

「ああ、なるほど。では私はそのアリスとやらの役回りですかね。しかし……」

 レイナはレンゲを置き、居住まいを直す。

「あなたは私を助けてくれた。その礼をしたい。こう見えても私はオルニタの第三王女。無事帰れたあかつきには如何様にも褒美を与えましょう」

「いや、お礼は別にいらないかな……」

「なっ? 確かに我が国は小国だが、かの精霊教会の本殿もあり、人ひとり礼を出すことはわけないぞ?」

「いや、人助けだろ? なにかしてほしくてやったわけじゃないよ」

「むう……」

 レイナは正志の言葉に口を尖らせる。

「そもそもそんな簡単に帰れるの? オルニタなんて聞いたこともないし」

 レイナの表情が固まる。

「……明日大使館でもあるか調べてみよう。レイナさん、食ったら風呂でも入ってくれ。布団は敷いておくよ。着替えは……悪いけど俺のジャージで」

 正志は風呂場を指差す。

「風呂か。……入らせてもらいます」

 レイナは風呂場へふらりと吸い込まれていく。その様子を見届けた正志は仏間の押入れから布団を引っ張りだし、寝床を拵え、洗濯済みの学校指定のジャージを畳んで置いておいた。

「ふぅ」

 正志はソファに腰を下ろす。さんざんな夜だ。しかし、これで起きてこない七生は余程疲れていたのかそれとも豪胆なのか。

 ロイドもやり取りに飽きたのかリビングの隅の犬用ベッドに潜り込んで寝息をたてている。ロイドの寝息に自分の呼吸を合わせているうちに、正志も再びソファに沈んでいく。


 ***

 ああ、これは夢だ。だって父が食卓に座っている。自分は小学生、いつものあの日。

 -正志、三笠の炭鉱な。面白いことになるぞ。

 お決まりのように父が言う。

 -観測所を作るんだ。天気? いや。地震? それに近いかな。時空の地震を観測する。もしかすると割れ目から何か落ちてくるかもな。

 相変わらずよくわからないことを言う。

 そんなことを話していると玄関のチャイムが鳴る。

 -来たみたいだ。

 インターホンから声がする。

 -今開けるよ。

 扉の向こうには青い髪の少女。

 自分は少女に語りかけようとするが声がでない。手を伸ばすが彼女には届かない。

 少女は父を誘い、二人は家を離れていく。


 そこで目が醒めた。

 ***


「起きましたか」

 目を開けると、青い瞳の少女がジャージ姿で覗いている。

「あ……うわあぁぁ!」

 あまりの距離の近さに思わず飛び退く。

「失礼な。人が心配してみれば……」

 レイナはロイドを抱っこしながら不満を口にする。わが相棒はすでに篭絡済みらしい。

「まーくん。ちゃんと布団で寝ないと風邪引くんだろー?」

 食卓から母がニヤニヤこちらを見ている。

「母さん、やっぱりあんたの仕込みか?」

 七生はパチクリと大きくまばたきする。

「レイナちゃんのこと? そんなわけないっしょ。さっきリビングに降りたらソファに寝ているまーくんとそれをじっと見ているこの子。ついにまーくんも大人になったかと思ったら……なんだか変なことに巻き込まれたみたいだねえ」

 母は呆れたように肩をすくめる。

「じゃあ外のアレは、研究所のモノじゃない?」

「話に聞いただけだけど、ウチでそんなモン作れるわけねえべさ。アニメじゃないんだよ? 研究所って言葉に夢を見すぎっしょ」

「だよな……。母さん、オルニタって国知ってる?」

 七生は少し考え込むように眉間にシワを寄せると首を横に振る。

「ん~聞いたことないねェ」

「……そっか」

 正志は再びレイナを見る。

「あの、レイナさん……」

「『さん』は敬称ですかね? ならば不要です」

「……レイナ、」

 多分君は時空の狭間に落ち、別の世界からやってきた。この世界にはあんな巨人はないし、大蛇もいない。

 そう言うつもりだった。

「なんでしょう? 黙ってしまっては伝わりませんよ」

 正志は起き上がると窓の外を見る。

 雪は既に止み、陽光が射していた。

「いや…………。うん。あの巨人、もう一度見に行くべ。佐々木さんの畑にあんなもんあったら驚くべや」


 ******

 正志たちは佐々木さんの畑、すなわち昨晩レイナが現れた雪原前の道路に車を停めていた。

 かなり雪が積もったのだろう、真っ二つになった大蛇はその体の殆どを隠しており、巨人もまた遠目にはその色も相まって雪まつりの雪像のように見えた。

「ひゃー、これか?!」

 七生は嬉々として雪原をかき分け騎士のような巨人に飛びつく。そのあとをロイドが追いかけ、七生の周りではしゃいでいた。

「クロウガン……無事でよかった」

「クロウガン?」

「オルニタの王家が駆る巨人騎士です。先祖の名前から取ったと言われています。この先祖、祖王は光の玉の向こうの国、オルシュから降臨したという言い伝えがあり、言葉を教え、文字を教え、民に請われ国を建てたという伝説が…………?」

 押し黙るレイナの表情に、正志は察したように言葉を紡ぐ。

「その光の玉から落ちて、君はこの世界にやって来た」

「ええ。おそらく」

「きっと君の家族も君を探しているはずだ」

 レイナは少し寂しげな顔をするがすぐに元の凛とした顔に戻る。

「だと良いですが。さて、クロウガンを動かしてみます。ナナオ、ロイド、離れてください!」

 七生がロイドを抱かえ巨人の足元から離れたのを見計らい、レイナは巨人の膝から胸元へ軽快に登ると、宝石の付いた首飾りを巨人の胸元の窪みにはめる。

 巨人の背中の一対の角から蒸気が立ち始めるのを見留めると、胸の鎧を開きレイナは操縦槽に滑り込んだ。

「おー、スゲー……」

 陽光を浴びる銀色の巨人は昨晩の記憶よりなお力強く、美しいものに見え、正志は感嘆の声をあげる。

(レイナのいたオルニタ……。そこにあるのは一体どんな景色だろうか? )

『マサシ? 危ないですよ』

「いや……なんでもないよ」

『……では行きましょう』

 レイナが腕を包む連動筒の奥の板を弾くと巨人の双眼が光る。

 巨人は一層強く蒸気を立て、膝立ちから立ち上がるために姿勢を変える。


 のだが。

『ん? あ、あれ?』

 巨人の目から光が消え、立ち上がろうとした姿勢から再び雪原に身を落とす。

 六米はあろう巨体は音を立て、雪煙を上げ、かろうじて身を仰向けに返し、そのまま沈黙した。

「マナがないっ!?」

 胸の鎧を跳ね上げながらレイナは叫び声を上げる。

「マナ?」

 正志と七生の疑問にレイナは眉間にシワを寄せ説明する。

「巨人の動力源です。大気に満ち充ちた生命の力。巨人は精霊からその力を借り受け動くのですが……」

「その力が足りないと……」

「はい。しかし……なぜ……」

「まあそんなモン聞いたこともないからねぇ。ゲームじゃあるまいし」

 その言葉でレイナは力なく雪の中に突っ伏した。

「……帰ろっか。佐々木さんにはウチの研究所の実験品だって言っておくよ」


 ***

「私が浅はかでした。クロウガンさえ動けばなんとか道が拓けると思っていたのです」

 肩を落とすレイナに正志はかける言葉が思いつかない。

「……マサシ。私は光の玉に呑み込まれた。おそらくここは祖王がやってきた土地、オルシュなのでしょう。帰る手がなければ、この地で生きるしかないのでしょうか」

「……ごめん。俺にはわからないよ」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。あなたは私を助けてくれた恩人なのに、こんな弱音を吐いて」

「……ウチにいればいい。帰る手が見つかるまでいればいいさ。だべな、母さん?」

「そうだねェ。でもレイナちゃん、家事とかできる?」

「できます! 王女たるものそれくらいは嗜んでいます! ……ただ」

「ただ?」

「私が穴に落ちたときは戦の最中でした。一騎打ちの末、雪原に逃走した敵巨人を追撃していたのです。私がいないと知れば気奴らめは再び攻城を行うでしょう。副官のヤンス、デヤンス兄弟は優秀ですが、彼らは決断力に乏しく決定的な判断はできない。あまり時間はありません」

「……なんだか大変なところから来たのね。どこだっけ?」

「オルニタという小さな国です。阿呆な三人の兄が国境でいざこざを起こし開戦し、私は将軍としてクロウガンを伴い北壁の要塞で指揮にあたっていたのです」

「えぇ~……、それはちょっとまずいんじゃないの?」

「はい。だから、どうか協力を」

 そう言って彼女は深々と頭を下げる。

「わかったよ。とりあえずは、よろしく」

「ありがとうございます、マサシ。ナナオ。それにロイド」

「よし。かーさんはちょっと研究所まで行ってログを調べてくるよ。多分昨日話した時空震動が、予測からズレた場所と時間で発生したんだね……だとすると……あ、アレか? だとすれば辻褄が……。

 あ、正志はレイナちゃんと一緒にいてあげて。うん、ロイちゃんも。あ、あとね、さすがにその格好は如何かと思うのよ。私の若い頃の服があるからそれを着て」

「いや、この服、伸縮性も吸水性も通気性もよく、私に不満はないのですが……」

 レイナは正志から借りた裾を折り上げた青いジャージを摘み不思議そうに引っ張る。

「それは部屋着であまり女の子の普段着としてはお勧めできないのよ。女子たるもの、可愛くありなさい!」

 レイナはしぶしぶ七生と二階に上がり、レイナを案じるように身を寄せていたロイドが正志の横に座る。これだけなら親戚の娘が遊びに来たのとたいして変わらないのだが。

「まあ、なるようになるか」

「わふ!」

 正志はレイナを気遣っていたロイドへの礼に戸棚からとっておきのジャーキーを取り出し、ロイドの前でちらちら見せる。

 ロイドの興奮たるや、おすわり、お手、でんぐり返り、できることを全て見せてくる。

 正志はこらえきれず、吹き出しながらロイドにジャーキーを渡した。

「ずいぶん楽しそうですね」

 そう言いながら階段をレイナが降りてくる。正志は母渾身の装いの少女を改めて見て、ジャーキーを袋ごと落っことした。

 美少女である。

 コスプレじみた格好による違和感がなくなった彼女は、改めて見ても、美少女である。

 少なくとも正志一七年の人生においてこのレベルの美少女は、あの三笠からの転校生くらいしか知らない。

 彼女の顔立ちは整っているものの、どこか怜利さを感じさせる冷たさがあった。しかし、今目の前にいる少女はどうだろう。服装こそ地味なワンピースであるが、青髪は艶めき、青い瞳には穏やかな光が宿り、生命の躍動に溢れている。

「何かおかしいでしょうか? 如何せんここしばらくは戦装束以外着ていないもので」

 正志はぶるぶると首を横にふる。

 足元では散らばったジャーキーを食べていいものかロイドが悩ましげに見つめている。

「見とれてるねー。本当にお姫様なんだねェ。じゃ、母さん行ってくるわ」

 七生はそう言って研究所へ出ていった。


 ***

「……」

「……」

「……あのー」

「何でしょう。やっぱり変でしょうか?」

「あ、イヤイヤイヤ、違う、似合ってる!」

 いかん、普通の格好をされると、どうしても余計なことを意識してしまう。

「ち、ちょっと散歩でもいくべ。気が滅入るっしょ」

「そうですね。昨日は夜でしたし、私もこの地を見ておきたい」

 二人はロイドを連れて家を出た。


 リードを握る正志は、進行をロイドに任せ、不安と不思議が混じった表情であたりを見回すレイナの顔をじっと見ていた。 

「なんですか?」

「いや……なんでもない」

「……?」

「……その、レイナ」

「はい」

「その、オルニタって国はどんなところ?」

「オルニタは……そう、南北に細長く伸びた小さい国です。北はこの街のように雪深く、南は温暖で精霊教会の本殿があります。

 北にある帝国にしてみれば大陸中で信仰される教会の権威を手中に収めたいわけで、国境の北壁要塞を巡る小競り合いはよくありました」

「へえ」

 ロイドはあたりの雪溜まりに尿をかけ、得意げに縄張りをアピールする。

「東には海があり、そこでは竜を使役する東方人が島々に暮らしています」

「へえ、竜……って竜?」

「私の知る竜とマサシの知る竜が同じものかはわかりませんが。飛竜に騎竜、海竜など、東方人の暮らしに竜はなくてはならないものだそうです」

 正志の驚く顔にレイナは少し得意げになる。なんとなしにロイドと表情が被っているように見えた。

「王都は国のほぼ中央にあり、東の海へ繋がる大河を用いた海運が盛んです。三人の兄と二人の姉がそこでは互いに権力争いを……、はあ」

「嫌なら言わなくていいよ」

「……あぁ、失礼しました。それで、マサシはどこに行こうとしているのですか?」

「うーん、どこに行くか考えてなかったけど、とりあえずセイコーマートかな」

「せい……まあと?」

 レイナは小首を傾げる。

 道民のライフライン。他社のコンビニがない過疎地でもこれだけは存在する命の要。北海道の子供たちはセイコーマートでカツゲンと焼きそば弁当を買い、内地より発売日が遅い週刊漫画誌を読みながら成長していくのだ。店員が調理するホットシェフや、じつは埼玉まで出店していること、セイコーマートについて語り出すと正志は止まらないが、レイナの理解度を考え極めて簡単に言った。

「まあ食料品だよ。昼飯をそこで買おう」

 しばらく住宅地を歩き国道に出る。北海道の大動脈と呼ばれる通りにはこちらも雪の壁ができており、排気ガスで黒く汚れた雪を踏みながらひっきりなしに車が走っていた。

「おぉ……この世界は個人で輸送手段を持っているのですね。それにさっきのは鉄道……。国土がよく整備されているということ……。帰ったら参考に……」

 ぶつくさ言っているのはおそらくこの国の仕組みのことだろう。

 正志は気にせずセイコーマートの前まで歩いていった。ロイドのリードを電柱に縛りしばしの別れとなる。

 店内に入ると暖かい空気が流れてくる。

 レイナにとって初めて見るコンビニエンスストアだったらしく、目をぱちくりさせながら棚一面の商品を眺めている。

「レイナは何か食いたいものあるかい?」

「……マサシが選んでいただければ。実のところ見たこともないものばかりなので」

 それもそうか、と正志は焼きそば弁当とカツゲンをカゴに放り込む。そして、ふと思いつき、おにぎりコーナーに向かう。

「レイナ、これ知ってるか?」

 そう言って正志が指差したのは白い三角の塊。レイナはそれをじっと見つめたのち、ふるふると首を振る。

「それは何でしょうか?」

「昨日食べたチャーハン、アレの携帯版みたいなものさ」

 言いながらいくつかカゴに入れ、レジで会計する。

「荷物は私が」

 と買い物袋を持とうとするが正志は断った。

「じゃあロイドの紐を持っててくれないかな。見ての通り気ままな子なんで目を離さないでほしいんだ」

 レイナは目を輝かし、おおきく頷く。

「わかりました。ロイド、よろしく頼みます!」

 ロイドもその声に一言吠えて答える。レイナとロイドは雪で覆われた道を駆け出した。

「転ぶなよー」

「マサシ! あれは何でしょう!?」

「あれはなー、信号機っていってなー」

 などと話をしながら、二人と一匹は雪の中を走り抜ける。走るうちに随分遠回りとなり、線路沿いの田舎道でふたりと一匹は息を整えていた。

「随分と……走ったな……」

「ロイドが引っ張るからです……」

「わふゥ」

 ロイドは悪びれもせずに前足を舐めていた。正志が息を整えている間にレイナは雪の山を越えた平原に目をやる。

「マサシ、あれはなんですか?」

 レイナが指差すのは雪の中を二枚の板に乗り前に進む人影。

「あー、アレはスキーだな。歩くスキー」

「ス、キ? ですか?」

「そう。雪の上を滑る道具」

「それは面白いですね。私にもできそうでしょうか?」

「あ、ああ。練習すればできると思うよ。帰ったら一式あるからやってみる?」

「ほうほう。ではやってみましょう」

 目を輝かせ大きく頷くレイナの姿に正志の口はほころぶ。

「さ、帰るべ。だいぶ遠回りしたし……?」

 気がつくと道の前後を塞ぐかのごとく狭い雪道に数名の人が立っていた。黒いトレーナーにフードを深く被っている……、いや影がそのまま立ち上がったような黒ずくめ。わかるのはせいぜい男だろう、くらいのものである。

「ふむ。マサシ、雪壁を背に」

 レイナは唸るロイドを制し一歩前に出る。腰を下ろし足は肩幅に。一歩ずつ包囲を狭める影をレイナの左右の目はしっかと見据える。

「な、なんだ、お前ら! 半可臭い!」

 正志の叫びに答えるものはなく、影たちは頷き合うと雪原を駆け、一気に距離を詰める。

「ふん」

 レイナは力むでもなく、組み合おうとする影を捌くと足元の雪ごと蹴り飛ばし、体勢が崩れたところを顔面めがけ手刀を叩き込む。

「あと3人。次は?」

「……、」

「答えろ」

「……」

 ボソリと放たれた言葉にレイナの目が光る。次の瞬間には一人の脛めがけレイナの全体重をかけた蹴りが決まる。影は声にならない叫び声を上げ雪の中にうずくまる。

「悪口雑言を吐く余裕はあるようだな」

 言いながらうずくまった影の腹に蹴りを入れる。

「あと二人、どちらから来ます?」

「……」

「無言は肯定とみなします」

 言うなりレイナはもう一人の方へ跳躍すると、空中で身を捻り、その勢いのまま側頭部に回し蹴りを打ち込んだ。

「あと一人」

「……、」

「どうしました?」

 最後の一人はあたりを見回すと床壁を背に震える少年、すなわち正志に狙いを定める。

「ひっ」

「マサシ!」

 レイナは叫ぶと同時に男に殴りかかる。しかし、男の動きは速く、正志の首に腕を回して締め上げる。

「かっ、はっ」

「マサシ!」

「『イセカイジン』……、『キドウソウチ』……」

「だ、駄目だ……レイナ、国に帰るんだろ……巨人と一緒に……」

「こんなものがほしいのですか」

 レイナは首から下げたクロウガンの起動用の宝石を手に持つと、だらりとぶら下げそれを見せる。

「マサシと交換です。一、二、三!」

 レイナは雪原に向かい宝石を投げ捨てる。

 影がその方向に気を取られた瞬間、ロイドとレイナは同時に駆け出す。ロイドは宝石に。レイナは影に。

「私の恩人に巫山戯た真似を!」

 レイナが正志を掴む手を捻ると、正志は雪の壁に倒れ込む。

「何奴だ! 何故オルニタや巨人騎士のことを知っている!」

「……」

「語る舌がないなら死ね」

 レイナが捻る腕にことさら強く力を込めると、ボキリ、と音がなり影は痛みに悶え打つ。

「次は腕一本ではすまんぞ。さあ言え」

「……ダメだレイナ! 警察呼ぶべ!」

 正志はやっとの思いで立ち上がると、先程までとは打って変わった鬼神の如き少女に覆いかぶさる。

「あ、マ、マサシ? しかし、せっかくの手がかりです。ここで逃すわけには……」

 掴む力が抜けたと見るや、影は這うように距離を取り逃げていく。

「ダメだダメだ……! だってレイナ、震えてるじゃないか!」 

「……え?」

 レイナは自らの身体を見下ろすと、確かに、小刻みに震えていた。

「あ、あれ、おかしいですね。武者震いというものでしょうか」

「違うよレイナ、怖いんだよ。怖かったんだ」

「こ、怖い……? 私が戦場で恐怖なんて……」

 レイナは腰が抜けたかのように正志にもたれかかる。受け止めた正志は、こんな状況なのにその小さな体を温かい、と感じた。


 ***


 正志の電話で駆けつけた七生と研究所の面々。だが影たちは雪に溶けるように消え失せ、彼らの証は雪原に残る人の倒れた跡ばかりであった。

「母さん、警察に言わなくてよかったのかい?」

 七生の四駆を騒動のあった路肩に停め、後部座席に二人と一匹は身を寄せ合い座る。ペットボトルのコーヒーを口にして、やっと落ち着きを取り戻していた。

「異世界人とか言うとどうなるかわからんしね……。その分研究所のみんなが着いていてくれるって」

「でも、そいつらがまた来るかもしれないよ」

「大丈夫さ。あの程度じゃ何もできないよ。それに……」

 七生は少し間を置いて続ける。

「この世界じゃ暴力で解決するのはよくない事だからねぇ」

 正志は頷くと、コーヒーをちびちびと舐める少女の青い髪を撫でる。

「ハハ……レイナ、強いんだな」

「いえ……、私は……、この世界に来て、初めて、人が傷つくことを恐れました」

「……?」

「……私は成人の儀を受けてから二年ほど、戦ばかりしてきたのです。一軍の将として汚い手も使ってきた。しかしそれは国土と民を守るため。今の私は只の人で、マサシが傷ついたなら、ナナオにも申し訳が立たず、自身も一人ぼっちになる。そんな思いが頭に溢れ、怖くなったのです」

「でもお陰で俺もレイナも一人にならずに済んだ。レイナの力はきっと誰かを助けるためにあるものだよ」

「そうでしょうか。そうであればいいと願うばかりです」

「ああ、そうだとも。なあ、ロイド」

「わん」

「ありがとうございます、マサシ、ナナオ、ロイド」

「あ、成人の儀ってことはレイナちゃんは大人なの?」

「はい。若く見られますが立派な十五歳です」

「……マジで!?」

「はい」

「とすると、成人が十三歳?」

「もちろん。祖王の降臨前の伝説によると、彼はそれより若い頃に街を荒らす破戒僧を懲らしめ配下としたそうです」

「はー、そのくろうがんさんも大したものだったのね」

 ナナオの言葉にレイナの顔が綻ぶ。

「ふふ、マサシもなかなかのものですよ。私を救ってくれたのは彼ですから」

「ほう、マーくんやるじゃない。さてはホレたか?」

 七生の言葉に正志は顔を赤くする。

「んっ、んなわけ……」

 あるかも。

 正志のその思いは車のドアをノックする音で吹き飛んだ。

「もう落ち着いたかい? 七生くん」

「あ、所長。と、エノやん。マーくん、こちらうちの上司の高田屋所長と偉いさんのエノやん」

「エノやんって……榎本です! 私はスポンサーで相談役ですヨ? あなたはいつも……」

 神経質そうな男がブツブツと文句を言い始めたのを制し、真面目そうな白髪混じりの男が窓越しに話しかける。

「はじめまして、次元観測研究所の高田屋です。お嬢さんは?」

 値踏みするような目で二人を見るレイナに七生は安心を促すようにウインクする。

「オルニタの第三王女、北壁要塞の将軍レイナと申します」

「やっぱり! 観測は正しかった! 知佳……ついに……」

「所長、とりあえずうちに行かないかい? しばれるしこの子らも休みたいべさ」

「む、むぅ、そうだな。よし、行こうか」

「私は帰りますヨ! ……レイナさんでしたね、またお会いしましょう」

 榎本なる人物は格好いいつもりなのか、コートを大きく翻すと踵を返し研究所の社用車に向かう。その後ろを秘書なのだろう、黒いハンチング帽を目深に被った大柄の女がついていく。

 七生が呆れた様子で二人の背を見つめていると、助手席に乗り込んだ榎本が窓を開け口を開く。

「ああそれと、明日は研究所に来なさい」

「へ? 日曜だべ?」

「いいから。では」

 二人は去っていった。


 ***


「では改めまして。次元観測研究所の所長の高田屋です」

 正志の家のリビングにて、高田屋所長は深く頭を下げた。初老の男は研究員と言うよりは管理職的な風貌をしている。白髪混じりの髪を後ろに流し、黒縁眼鏡の奥から鋭い視線を放っていた。

「オルニタの第三王女、北壁将軍のレイナです」

 レイナは恭しく頭を下げる。

 正志もつられて軽く会釈をする。所長ということは、知佳の父親か。

「あの……、帰れるのですか?」

 レイナの問いに高田屋所長は言葉を選ぶように慎重にレイナに話しかける。

「まだ何とも。だが、実はレイナさん。あなたの世界と繋がったのは今回が初めてではない。二年前、正明がいたときに同一座標の観測に成功しているんだ」

「父さんが?」

「そう。正志くん。私は君の父さんとは学生時代に同室で研究していてね。七生くんと三人でよく飲みにも行っていたんだ。……線香でもあげさせてもらっていいかな?」

 正志は頷き、高田屋所長は仏壇に参る。

 写真に写るありし日の姿に所長はがっくりと肩を落とす。

「あの時事故が起きなければなあ……」

「あの、事故ってなんですか?」

「ああ、研究所には地下施設があってね、そこでとある実験をしていたんだよ」

 所長は語りだす。

「鉱山跡で次元震がよく起きることは観測でわかっていた。君の父、正明は現場で観測したいと言い出してね。行ったまではよかったが、時空の穴に巻き込まれてしまったんだ……。あの日のことはよく覚えている」

「所長は助けに入ろうとしたけど、私たちで止めたの」

 七生の補足が入る。

「それで、父はどうなったのでしょうか?」

「わからない。穴に飛び込んだ後、しばらくして地震が起きた。あれに巻き込まれたのか、あるいは別の原因なのか……。だが、レイナさんがここにいる。ということは正明も時空を越えて何処かの世界にいる可能性は高い。私はね、何とか正明を探しだしたいんだよ」

 所長は目に涙を浮かべた。

「……わかりました。私もできる限りお手伝いします」

 レイナの言葉に高田屋は深々と頭を下げた。

「ありがとう! レイナさん、気持ちは逸っているだろうが、まずは落ち着いて行動してください。何かあったら七生くんに連絡を。正志くん。レイナさんの力になってあげてくれ」

「言われなくても」

 正志は力強く首を縦に振る。が、先程の影たちが脳裏をよぎる。

「……あいつら、何だったんだろう?」

 あんなのが押し寄せたら正志など毛ほどの役にもたたないだろう。

「わからんね。我々の他に次元観測ができる人間がいるのか……、」

「内通者がいると考えるほうが自然でしょうね」

 レイナはお茶を一飲みし誰もが言いたくなかった言葉をこぼす。

「ナナオが研究所へ向かってから彼らが現れた。はじめから私とマサシだけになる機をうかがっていた可能性もありますが、研究所で話を聞いて動き出したと考えるほうが自然でしょう」

「確かにその通りですが、なぜ?」

「この世界に我々以外に異世界人がいることはほぼ確定です。彼らはその情報網を使って私の存在を知った」

「つまり、彼らの目的は……」

「えぇ。私の身柄と巨人騎士の確保。あるいは巨人騎士だけかもしれませんが。私の予想では、赤騎士……行方不明になった帝国の騎士もこちらにいるはずです」

 レイナの話しに一同は口を閉ざす。

 暫しの沈黙から開口したのは高田屋所長だった。

「赤騎士が、いるとしても、やってきたのは二年も前の次元震の時だろう。わざわざレイナさんの命を狙う理由はないんじゃないか?」

「それもそうですね。……まあ、いずれにせよ、当面は私が気をつけるしかありませんね」

「レイナちゃん、無理しないでね」

「ありがとう、ナナオ」

 レイナの青い瞳がナナオを映す。

「さて、私は研究所に戻るよ。今朝から会っている職員で変な動きをしたものがいないか聞いてみよう。……レイナさん。少なくともあなたの世界との門は二回開いた。ならばこの門を開く法則があると私は考える。科学者だからね。必ず答えを見つけるので、それまで待っていてくれたまえ」

「はい。よろしくお願いいたします」

 正志たちは玄関まで見送りに出る。

「そうだ、正志くん。知佳と同じクラスなんだろう? たまに話を聞くよ。良ければ仲良くしてあげてくれ。アレも人付き合いの苦手な子でね。君みたいなしっかりした男が様子を見てくれれば安心できる」

「は、はい。たまに話にでる? んですか?」

 あのくせっ毛の陰のある美少女が、家庭の団らんで正志のことを口にする? 正志の疑問をよそに七生の運転する四駆に乗り込み手を振ると車は発進する。

 正志とレイナが見送る車の影が見えなくなったとき、どちらのものかは判らないが、ぐう、と腹のなる音がした。

「そう言えば昼飯を買いに出たんだった……。レイナ、腹減ったべ」

「わわ、私は軍人で王族で将軍です! 他人をさしおいて腹がなるなど、ロイド、そう、ロイドの腹音に違いありません!」

 レイナの抗弁に冤罪を押し付けられたロイドは不服そうな表情を浮かべていた。

「あーうんうん。俺が腹減った、てことでいいよ。さ、お湯を沸かしてさっきのカップ麺食うべさ」

 正志はレイナの背中を押し居間に戻る。少なくとも家の中なら危険はないだろう、と自分に言い聞かせながら。


 ***


「はぁー、美味しかったです」

 カップ焼きそばを食べ終えた二人はソファーでくつろぐ。

「だべ? これが焼きそば弁当だべさ」

「ふぅ、こんなに満ち足りたのは久しぶりです。スープまでついてくるとは……」

「それは良かったべ。レイナ、紅茶は飲める?」

「お茶ですか。いただきます」

「了解」

 カップを用意し、ティーバッグをいれ、沸騰させたお湯を注ぐ。すると部屋中に紅茶の香りが漂ってきた。

「体も冷えたっしょ。まあ飲んでや」

 ふたりと一匹だけの空間には会話もなくなり、ただ紅茶をすする音がわずかに聞こえるばかりだった。茶を啜る音も収まった居間にはロイドの寝息だけが響いている。沈黙の中、正志は肩を震わせる少女に静かに声をかけた。

「……レイナ、泣いていいんだ。思い切り泣きな」

「私は、わたし……は、帰りたい! 帰りたい! 帰りたい!!」

 堰を切ったように感情を吐き出しながら、レイナは嗚咽を漏らす。

「父上にも母上にももう一度会いたい! 兄様に会いたい! ヤンスにデヤンス、兵たちにも会いたい! マサシ! 私は、私は……」

「知らん人の中で一人きりだもんな。レイナ、もし、もしな。……帰れなかったら、……、うちの子になりな」

 涙に濡れた顔を勢いよく上げ、正志を見る。

「俺は高校二年生だ。まだ進路を決めかねてる。レイナみたいに目的があって生きていけるほど強くない。でも、レイナは違う。レイナは強いよ。……それに、レイナは、」

 大事な子だ。その一言を正志は飲み込む。

「レイナは、ロイドの友だちだ。な?」

 正志の声にロイドは一声吠え、レイナの涙に濡れた顔を舐める。

「……はい。ありがとうございます」

「なに、気にすることねぇ。俺たちは家族だ」

「……はいっ」

 レイナの返事を聞き、正志は満足げに笑うと立ち上がる。

「よし、気晴らしにゲームでもするべ。将軍様なら攻略できるかもな。三國志ってシミュレーションなんだけど……」


 ***


 その日の夜は、少し賑やかな食事となった。

「おかーさん今日は奮発して長沼ジンギスカンを買ってきたべさ!」

 七生は高らかにタレに漬け込まれたラム肉の袋を捧げ持つ。

「うわ、マジだ。すげー」

「じんぎすかんとは何ですか?」

「羊の肉なんだけど、それ自体は重要ではなくて。めでたい事があるときに家族や親戚で集まって食うものなんだべ。今日はレイナの歓迎会と、親父が生きているかもしれないという記念しょ」

 レイナは得心いったと相づちをうつ。

「私の国でもそういう風習はありました。なるほど、人の根っこはどんな世界でも変わらないものなのですね」

「ほえ~」

「じゃあ乾杯しようか。レイナちゃん、こちらへどうぞ」

「はい。失礼します」

 七生に促され、レイナが席につく。

「それでは、次元を越えた出会いに乾杯!」

 七生と正志がグラスを鳴らし、真似してレイナもグラスを合わせる。

「そう言えば烏龍茶にしたけど、レイナちゃんはお酒は飲めるの? 成人って言ってたし」

「まあ。嗜む程度ですが」

「そっか。レイナちゃんの国にはお酒はあるんだ?」

「ありますが、戦が多いので出陣前の祭事や戦勝祝いでしか飲みませんね。あの兄どもは年中飲んでいましたが……」

「うーん……。やめとくか。この国ではお酒は二十歳からなんだよねー」

「左様ですか。この国の流儀に従いますよ」

 レイナと七生は互いのグラスを見てニンマリ笑う。

 正志はラム肉を小さく切り分けドッグフードに混ぜてやる。

「ロイドも特別だ。なまら旨いぞ」

「ワン!」

「おお! これは素晴らしい! 柔らかい肉と野菜がタレに混じり合い調和の取れた味が……」

 レイナもラム肉を堪能していた。

「そりゃ良かったべさ! みんなで食べると美味いからね!」

 七生は上機嫌で酒をあおる。

「レイナちゃんが元の世界に帰れる方法が見つかるといいね」

「……はい。ありがとうございます」

 七生の言葉にレイナは一瞬動きを止め、そして微笑みながら返事をした。


 ***

 その日の夜中、正志はふと目が覚めた。

 窓の外を見ると月が明るく夜の雪原を照らしている。この様子なら明日は雪かきの必要はなさそうだ。玄関先で雪を踏みしめる音がすることに気がつき二階の窓から見下ろすと、レイナがジャージ姿で刀を振るっていた。

 剣道部でもない正志には詳しいことはわからないが、懸命に素振りするレイナの姿は月明かりも相まってとても美しいものに見える。

 正志は隣室の母を起こさぬようそっとリビングに降りお湯を沸かし始めた。


 レイナが素振りを終え家に戻ると、正志がほうじ茶を淹れて待っていた。

「冷えたっしょ。これ飲んで暖まるべや」

 レイナは一瞬きょとんとするが、微笑みながら湯のみを受けとる。

「ありがとうございます。恥ずかしいところを見られました」

「恥ずかしい? んなわけないべさ」

 レイナは湯のみで手を温めながらソファに腰を下ろす。

「やはりここは平和です。少なくとも家族が笑い合う生活がある。マサシ、私は不安なのです。この平和に慣れてしまいたい自分がいる。しかし私の友はこのときにも命を落としているかもしれない。いざ帰る手段が見つかったとき、私は帰る選択ができるのか、と」

 レイナの青い瞳から一筋涙が流れる。

「戻れない、となったとき私は彼らを見捨てた、と自分を責め続けることになるでしょう。それに昼間の男たち。私がいると彼らのような連中につきまとわれることになる」

「……ごめんな。うちの子になれ、なんてとんだ傲慢だ。レイナにとって何が大事なのか、そこから考えるべ」

「いいえ、気にしないでください。私も少し混乱しています」

 二人は無言のままお茶を飲む。

「ここでマサシの家族になる。それも悪くないかも」

 レイナは寂しげに微笑み、正志の良心がチクリと痛む。

「そろそろ寝ましょうか。お休みなさい」

「ああ、お休み」

 正志は自分の部屋に戻り、部屋の電気を消し、ベッドに横になる。

(……あれ?)

 妙な違和感を覚えて体を起こす。

 なんだろう、ロイドが唸っている。

 階下に降りるとレイナも先ほど振っていた刀を携えロイドを抑えていた。

「どうしたんだろう?」

「気をつけてください。外に何かいます」

 やっぱり昼間の男たちがまた出てきたのか。

 レイナはそっと扉を開け外の様子を窺う。

「マサシはここで待機を」

「そんな、女の子一人行かせられるわけねえべさ」

「大丈夫です。見てくるだけですよ」

 レイナは音を立てずに外へ出る。赤い月明かりに目を凝らし、体を影に紛れ込ませながら周囲を伺う。家の外周を滑るように回り込み、雪の壁の上を見遣る。

 あれだ。違和感の正体。静かにレイナたちを見張る影。レイナは袖に隠し持った果物ナイフを投げられるように構え、裏から音もなく壁を伝う。


 **

「寒い寒い……しばれるとはよく言ったもんだぜ。異世界だかなんだか知らないが、とんだ貧乏くじだ……」

 ブツクサと雪に身を這わせながら正志たちの家を監視していた男。雪に紛れるように白いコートをはおっているが、それでも冬の寒さが身に沁みる。鼻水を垂らしながら双眼鏡を覗いていたが、不意に背後から当てられた冷たく硬い金属の感触に、思わず体を震わせた。

「何者です。答え次第ではその首と体がきれいに分かれることになるぞ」

 その声は女のものだが本物の殺意が込められていることを男は肌で感じた。

「ま、待て……。俺は護衛だ……」

「護衛? 何を言っているのです。その装備は……」

「ひ、昼間命を狙われただろう? 俺は石川、政府から護衛と情報を集めるように言われた……」

「ふむ。ではあちらはお仲間ではない?」

 レイナが指差す方向には昼間見たような黒い影。レイナが果物ナイフを持ち替え影の方に向けると、影たちは散開しレイナに迫る。

「あ、当たり前だ! お嬢ちゃんは下がってろ!」

 石川と名乗る男は起き上がると懐から黒い金属の塊を取り出し影に向ける。

「それは?」

「銃だよ。これなら……」

 銃口が火を吹き、次の瞬間には影の一人がうずくまる。

「どうだ!」

「……なるほど、火矢の携帯版ですか。ふむ」

 レイナが言いながら果物ナイフをもう一本無造作に投げつけると影がもう一人雪原に倒れ込む。

 そのまま刀を抜き影に向け切っ先を向ける。

「おい! あんたも戦う気なのか!?」

「私を誰だと思っているのです? 不敗の北壁将軍、レイナ・ダン・ラウルト・オルニタですよ?」

 レイナが一歩踏み出すと、石川もやれやれと言う調子で銃を構える。

「イシカワ、でしたね。援護を」

 レイナはそう言うと雪煙をあげ雪原を駆け出す。

「お、おう」

 石川もレイナに続く。

 レイナは刀を振り抜き、迫り来る影を切り捨てていく。

「はぁッ!!」

「おお! すげえな! 俺、いらなくない?」

 石川はレイナの斬撃に巻き込まれぬよう、距離をおきながらレイナに迫る影に向かい銃弾を放つ。

「イシカワとやら、あれは?」

 黒い影を何人か斬り伏せたところ、農地の方角に宙に浮く塊が見えた。

「……ありゃ輸送ヘリだな。静音の最新型、……嬢ちゃん! こちらはオトリ、奴らの狙いは!」

「クロウガン!」

 ふたりは慌てて農地へ向かい駆け出した。雪を掻き分け佐々木さんの畑へと辿り着くがときすでに遅く、クロウガンはワイヤーに絡め取られ宙高く舞い上がっていた。

「イシカワ! 撃ち落とせ!」

「はあ? ムリムリ。ロケットランチャーでも持ってこないと」

「くっ……。やれるだけやってみるかっ」

 レイナは首から下げた宝石に意識を集中する。その刹那、ワイヤーに絡め取られたクロウガンの目に光が宿り、背部のマナ機関が唸りを上げる。

 一瞬で充分だった。

 クロウガンの片腕がワイヤーを引きちぎり、再び農地に落着する。

「……は? なに? どういうこと? なんであんなのが動くの? なに? 魔法? マジでファンタジーなの?」

「イシカワ! ぼさっとするな!」

「は、はいぃ!」

 ヘリはバランスを辛うじて取り直すと彼方へと去っていく。雪原へ落ちたクロウガンは再び眠りについたかのように沈黙した。

「流石に残留マナがもう無いか。動けてあと一回くらいでしょう。イシカワ、背後の警戒を」

 レイナは警戒しながらクロウガンの周囲をぐるりと廻る。

「……俺、アンタの部下じゃないんだけどなぁ。奴ら撤収したみたいだぜ」

「のようですね。なにか手がかりでも……」

 ふたりは倒れた影の懐を探ろうとするが、またも影は雪に溶けるかのように消え、何も痕跡を示すものはなかった。

「政府の連中に調べてもらうさ。……あー、オレオレ……、うん、早速狙われた……、無事だ無事。お姫様? 俺より強いわ。……そう、何者かわからんから調べてくれよ」

 マサシが持っていた携帯電話とやらと似たような板切れに向かいイシカワが話しかけるさまを見つつレイナは考える。

 異世界の技術が目の前に現れて無害な人間の手の中に落ちていたら権力者はどうするか。まずおそらく彼らを誘い込む。駄目なら引き剥がす。そしておそらくレイナを狙う連中はマサシたちには用はない。

 レイナは再び雪原を駆け出す。後ろでイシカワがなにか叫んでいるが聞く気はない。クロウガンに気を取られたがそこまでが奴らの策だとすれば? マサシやナナオを襲い人質にする、或いは害してしまえば孤独な異世界人ごときなんとでもなるだろう。

「やはり私はこの世界の住人とは相容れない存在ということか」

 ならばこの身がどうなろうとマサシだけは守ってみせる。レイナは刀を握り直し更に速度を上げた。


 **

 レイナは我が目を疑った。

 予想通り影たちは家を襲撃しようとした。だが彼らは皆雪原に倒れ、その真ん中には兜のような鈍色の仮面を被った女が立っていた。

「甘いぞ。青い髪の少女よ」

 レイナはその声を聞いて驚愕する。

「……まさか、赤騎士ですか? やはりあなたもこちらに飛ばされていたか……」

「いかにもその通りだ。オルニタの姫君よ」

 両手にぶら下げる帝国様式の二刀は仮面と同様に鈍色に月の灯を照り返し、雪原に立つ姿はまるで一幅の絵画のように美しかった。

「しかし、何故こんなところに?」

「貴様がこの世界に来たとある人から聞いた。それを確かめに」

 赤騎士はレイナに切っ先を向ける。

「で? 満足しましたか?」

 レイナもまた身を低くし鞘に手をかける。

「マサ…恩人の命も守れないようでは満足できない。試させてもらう!」

「いいでしょう! 受けて立ちます!」

 屋根の雪が重みで崩れた音を合図に、二人は動き出す。

 両者は同時に飛び出し刀と剣がぶつかる。

「うぉおおおっ!!」

「はぁあああっ!!!」

 白銀の月明かりの下、二人の少女は互いの信念を賭けて刃を交える。

「はぁあああッ!」

 先に仕掛けたのはレイナだった。一気に踏み込み上段からの一撃を繰り出すが、それを予期していたかのように赤い影は横に避け、すれ違いざまに胴を薙ぎ払う。間一髪レイナは飛び退く。しかしそれは見せ技であり、本命は返す刀からの袈裟斬りであった。

「……っつ!」

 雪を転がりレイナは一撃を躱す。

 だが柔らかい新雪の上で姿勢を崩し、躱すので精一杯になる。

「くっ! 速いっ」

「その程度か、青い髪の姫君」

 再び構え直したとき、レイナの視界が暗くなる。

「マサシ!?」

 大の字で二人の間に割って入る。

「やめろ! 人の家の前で暴れるな!」

 赤騎士の動きが止まる。

『……マサ……ん?』

 仮面の奥で何かを呟いたが、くぐもって聞こえない。

「ど、どけ小僧! 邪魔立てすると容赦せんぞ!」

「そっ……、それはできない相談だね」

「……っ!」

 赤騎士は再び振りかぶるが、今度は正志も動かない。

「……なぜだ。これは我らの戦い。お前が関わる謂れはない」

「無いわけないだろ! もうこの子はうちの家族だ!」

「か、かか、家族……だと?」

「そうだ。だからこれ以上戦うなら、俺も黙っていない」

 赤騎士はしばし落ち着きをなくし思案していたが、やがて口を開く。

「……いいだろう。今日のところは引き上げよう」

「待て! 貴様の目的を教えてもらおう」

「いずれわかる時が来るだろう。その時まで生き延びていればの話だがな。いいか、必ず恩人を守り抜け!」

 そう言い残して赤い女は闇夜に消えていった。

「見逃してくれましたか……」

「ははは……、怖かった……」

 正志はがっくりと腰を落とす。

「よい啖呵です。家族。私も嬉しくなりました」

 レイナは起き上がり、正志の手を引き立ち上がらせる。

「こっちはそれどころじゃなかったけどね」

「でも、ありがとうございます」

 レイナの手は少し冷えており、正志はその小さい手を温めるように強く握り返す。

「いや、無我夢中だっただけだから」

「では戻りましょうか」

「うん。お休み」

「待て待てまって! 俺のこと忘れてない?」

 白いコートの中年がバタバタと割って入ってくる。

「誰?」

「イシカワ、とか。まあ私の配下のようなものです」

「違うの! 君たちの護衛にやってきた内調の捜査員!」

「イシカワさん?」

「石川健吾。政府のお役人。ほら、身分証あるから! 俺も暖まらせて? 頼む!」


 ***

 また夢を見た。


 散歩から帰ると父と母と、青い髪の少女が一緒に食卓を囲んでいる。自分は少し離れてソファに座る。

 笑顔で語り合う家族。

 その輪の外に自分がいた。


 -入らないのか? 

 父が問う。


 -入れないんでしょ。

 母が言う。


 -目標がないですからね。

 少女が言う。


 -わん。


 そこで目が覚めた。


 ***

 日曜の朝である。

 色々大変なことがあったが今日は日曜。ズボラに休みを満喫するのだと決意を胸に、正志はジャージ姿で階段を下る。

 いつもならおはようの挨拶をしてくるロイドはいない。仏間からも人の気配がない辺り、レイナが散歩に連れ出たようだ。

「おう、少年、おはよう」

 正志は思わず見を仰け反らせる。そうだ、昨夜レイナが出たきり帰ってこないので様子を見に出てみれば、仮面の女と決闘中。割って入って場は収まったがこのオジサンがヒョッコリと現れたのだった。

「怯えるなよ。君たちの敵じゃない」

 石川と名乗った男はリビングでテレビを見ながらコーヒーを啜る。

「あ、あの、レイナは?」

「散歩だよ。あんなことがあったのに元気なもんだ。カラ元気かもしれないけどな。少年よ、あの子が頼れるのはお前さんだけだ。彼女の居場所になってやれ」

「……俺なんかにできるでしょうか?」

「わからん。だがすくなくともこの世界であの子を一人ぼっちにしないために、君は彼女に寄り添ってやってくれ。それがきっと彼女にとって一番の支えになるはずだ」

「……わかりました」

「ところで少年、飯食ったか? まだならパンでも焼いてやるよ」

「あ、いや飯くらいなら自分でやりますよ」

「まーくん、おはよー」

 七生も階段を降りてくる。

「あれ? レイナちゃんは? ていうかアンタ誰?」

 石川は改めて自己紹介を始める。

 その間に、と正志はフライパンに油を引き、卵焼きの準備をする。十分に暖まったら溶いた玉子を入れて、かき混ぜながら焼いていく。

「え、なんで料理?」

「レイナ、色々気にしているみたいだし、したらば美味しいものくらい食べさせてあげたくてさ」

「ふむふむ、偉いじゃない」

 などとしているうちに玄関の扉が開き、レイナとロイドが帰ってきた。結構な距離を走ったらしくレイナも息を切らし、ロイドは水を飲み始める。

「あら、どこまで行ってきたの?」

「川を越えてぐるりと回ってきました。ロイドが道を知っていたのでよかったですが、私だけだと道に迷っていたかもしれないですね」

「そうなんだ。ロイドもお疲れさま」

「わんっ!」

「おかえりー」

「ただいま帰りました」

 ほのかに浮かぶ汗と爽やかな笑顔。こうしてみると普通の女の子だなと思う。

「朝飯作っておいたからみんなで食うべ。今お茶も淹れるわ」

「いや、お茶くらいなら私が」

「いいって、休んでて。私がやるよ」

「いえ、家主に居候が茶をいただくなどいけません。やはり私が」

「じゃあ俺が」

「ではお願いします」

「どうぞどうぞ」

 石川はしまった、と言う顔で渋々とお湯を沸かし、茶葉を用意する。

 朝の時間がゆっくりと流れていく。

「ところでイシカワ。あなた、どこまで知っています?」

 石川の淹れた茶で喉を潤しながらレイナは問う。

「三笠の研究所が次元観測の研究をしていて、異世界とつながる可能性がある、という情報が二年前にもたらされた。みんな笑い話かと思いながら研究所を監視していたんだが、一昨日の次元震動のおり巨人が現れた。異世界人……嬢ちゃんもだ。と思ったら襲撃者に何だっけ……赤仮面? もうわけが分からんよ」

 石川は冷静を装いながらもまくしたてる。この様子では嘘はないだろう。おそらくこの男、諜報員には全く向いていない正直者だ。レイナは少し笑みを吹き出し、続け問う。

「蛇は見ましたか? 巨人くらいの」

「ヘビぃ? よせやい、俺は爬虫類が一番嫌いなんだ。特に蛇なんて……、クワバラクワバラ……」

「クワバラ?」

「見たくもない、て慣用表現だべ。気にしなくていいよ」

「ほうマサシ、ありがとうございます。……先程散歩の折に畑を見てきましたが、骸がなくなっていました。おそらく昨晩ののりもので回収されたものと思われます」

「異世界の生き物の死骸か? そりゃいい研究材料だべな!」

 ナナオが少し悔しそうにお茶を呷る。

「それからマサシ。この……ジャージ、でしたか? 全く同じ柄で赤いものってありますか?」

 レイナは今着ている裾上げした紺色のジャージの学章を示す。

「あー、赤なら女子用だべな。ウチのガッコのジャージ。レイナ、興味あるの?」

「いえ、何となくです。ふむ」

 昨日の赤騎士、事情があるのか本人が迂闊なのか、赤いジャージを身に纏っていた。おあつらえ向きに同じ学章までつけた、だ。すくなくとも赤騎士はこの町に紛れている。そして取り敢えず敵ではないらしい。

 レイナが思考を纏めようとしたときに、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。

「まーくん、ちょっと出てもらっていい?」

「ん、わかった」

 玄関を開けると、そこには高田屋所長が立っていた。

「やあ、正志くん、おはよう」

「あ、おはようございます」

 その後ろで所長のコートの裾をつかみ、顔を赤くしながらこちらを窺う人がいる。

「……知佳?」

「言ったろ? 仲良くしてくれないかって。こんなときに何だが、お邪魔していいかな?」

 高田屋所長はイタズラぽくウインクする。

 もしかしてこの人、見た目に反して曲者なのだろうか。確かにあの母と仲がいいのだから予想はできた。

「はあ、どうぞ。散らかっていますけど」

 そう言って二人を招き入れる。

「お、お邪魔します……」

 知佳もおそるおそるリビングにはいる。

 その様子に正志は彼女と電車を待ったあの日を思い出す。

 こちらが素か。クールだ、人付き合いが悪い、などとも言われているが違う。つきあい方が解らないのだ。

 そんな彼女を見て、レイナが心配げに声をかける。

「大丈夫ですか? 顔色があまりよくありませんが……」

「えぇ、問題ない……です」

「無理しないほうがいいですよ。ああ、私はレイナ。マサシとナナオの食客です」

「よ、よろしくお願いいたします」

 知佳は礼儀正しくお辞儀する。

「そしてこちらはロイド。私の親友です」

 レイナはロイドを抱きかかえ知佳の目線まで持ち上げる。

「わんっ!」

「わ、可愛い子ですね」

「ロイドもよろしくって言ってるしょ。まあ座って。所長さんも」

「そしてこちらはイシカワ。私の家臣です」

「ちーがーう! 君たちの護衛!」

「あらら、ずいぶん女の子が増えたわね。まーくん、モテモテじゃんー」

「モテるとか、そんなわけねえべや」

「ふーん」

 母はニヤリと笑う。

「さあさあ、一休みしてちょうだい。で、所長、今日はホームパーティ、て訳じゃないんでしょ? 何しに来たの?」

 上司に向かってこの言いぐさである。付き合いも長いようだし、それが許される関係なのだろう。

「何って榎本くんが昨日研究所に来いって言ってたろう? 一人だと危ないし迎えに来たんだよ」

「あら、そうだっけ?」

「そうだよ。忘れちゃダメじゃないか」

「ははははは」

「あははははは」

 二人は笑い合うが所長の目は全く笑っていない。七生はひとしきり笑うとすまなさそうに頭を下げた。

「ごめんなさい、すっかり失念していました」

「まあ『エノやん』だし、ろくな呼び出しじゃないのは違いないが……。仕事だからね。それもあって今日は知佳を預かってもらいたくて連れてきたんだ」

「あいあい。着替えるからちょっと待ってて」

 七生は自室へと戻っていく。


 ***

 七生と所長が三笠の研究所へと向かい、石川も外を見張る、とフラリとタバコ片手に出て行った。

 残された三人は何となしに緊張感のある空気に包まれ、知佳は正志とレイナを見ておろおろしている。

 正志は、

「あ、悪い、昼めしの仕込みをするから二人はのんびりしててや」と、台所へ行ってしまった。

「……これは、気を遣わせてしまいましたかね」

「……すみません。レイナ、さん…ですよね。……」

 知佳は何を話すべきか迷っているようだ。

「チカは武道など嗜まれているのですか?」

「え? いきなり……なななにを?」

「あ、気にされていたならすいません。その手、剣ダコがありましたのでつい」

「いえ、嗜む程度です! 子供の頃からこれだけが続いてて……」

「そうなんですか」

「はい。そ、その、レイナさんは……外国の方、ですよね……。もし、もしもですよ? 自分の国が戦争ばかりでその矢面に立たされて、その後、平和な国に流れ着いたとしたら、それでも帰りたいですか?」

 レイナは腕を組んでしばし考える。

「……はい。迷いはあるでしょう。でもそれは私の国です。父も母も、好きではないが兄弟も、それに友もいる。彼らを守れる力があるなら、それを行使しないのは不義理です。私は帰る手段を全力を持って探すでしょうね」

「そうなんですね。私は、流れ着いた先に安住の地を見つけたのならそれでいいのでは、と思います」

「うーん、難しい話ですね……」

「そう、かもしれません……」

「……」

「……」

 二人の間になんとも言えない沈黙が流れる。

「どうしたの、黙りこくって」

 正志がティーセットを持って戻ってきた。

「あぁ、いえ、なんでもないですよ」

 レイナが答える。

「さ、紅茶でも飲むべさ。クッキーもあるよ」

 正志はカップを手際よく並べていく。

「知佳、これをロイドにあげてくれないかな」とジャーキーの袋を手渡した。

「え、いいの?」

「もちろん。見ろよロイドの顔」

 期待に目を輝かせ、尻尾をぶるんと振り回しながら知佳の脇でお座りしている。

 知佳は袋からジャーキーをひとつ取り出し、ロイドの前でちらつかせる。

「ロイちゃん、ほしい?」

『ウォン!』

「欲しいみたいね。はい!」

 知佳がジャーキーを差し出すと、ロイドは勢いよくかぶりつく。

「いい子だねー」と、頭を撫でる。

「ははは、だろ? うちの子なんだぜ」

 と自慢げに言う正志。

「お茶も美味しい……」

「はは、誉めてもなにも出ないよ」

 お茶を飲みながらチラチラと正志を見ていた知佳だが、意を決するようにカップを置く。

「ま、まま正志くん! その、改めて、私と友達になってくれませんか?」

 知佳が絞り出すように正志に言う。

「……いや、もう友達だべ?」

 正志は照れながら答える。

「そ、そうじゃなくて! あの、もっとこう、親密というか……」

 学校の男子が憧れる癖っ毛のクールな少女が素をさらけ出し正志に話しかけている。正志もその事実に気がつき赤面する。

「あ、うん、そうだよね。じゃあ、よろしくお願いします」

「こちらこそ!」

 二人は握手を交わす。

 その様子を見てレイナは微笑み、紅茶を口に含む。

 知佳は少し涙ぐんでいるようだった。


 高田屋と七生の仕事は夕方になっても終わらないようで、正志たちに晩御飯を見繕っておくようにメールが届いた。

「ならばセイコーマートですね!」

 レイナは意気揚々とロイドと出掛ける準備をする。

「まあこの辺は他に店ないし。知佳もそれでいい?」

 知佳も頷き散歩がてら買い出しに出る。

 昨日とは逆回りに、のんびり歩きながらセイコーマートへ向かう。チラリと後ろを見ると、付かず離れずの距離で石川がタバコをふかしているのが見えた。

「石川さんも一緒に来ればいいのに。私、声かけてこようか?」

 知佳の提案にレイナは首を横に振る。

「彼は護衛ですから。あんなでも警戒しているんですよ」

 コンクリートの陸橋の真上に来ると、ちょうど貨物列車が下を潜っていくところだった。

「ほぉ~……すごい迫力ですね」

 線路を跨ぐように作られた高架道路からは、電車の走る様がよく見える。

「チカ、あれも鉄道なんですか?」

「はい、ディーゼル車というものです。あの黒いの……電線から電気を得て電車は走るんですけど、ディーゼル車は先頭に自力で走る動力車があって。それで引っ張るから電気の無いところでも走れるんです」

「マナとは違うのですね」

「はい。この世界にはマナは……あ、マナって何ですか?」

「ああ、お気になさらず。さ、ロイド行きましょう」

 レイナとロイドは階段を降り、再び歩道へ出る。

「お二人とも、足元に気を付けて!」

 正志と知佳も滑らないように気を付けながらついていく。

 正志は脇を向きながら知佳に手を差し出す。

「ありがとう」

 知佳はその手を取り、指を絡ませる。

 二人の顔は真っ赤になっていた。


 **

 セイコーマートで買ってきた野菜と肉で、その日はすき焼きとなった。払いは知佳で、所長のポケットマネーだそうだ。

「所長、知佳ちゃん。今日は泊まっていくべさ。エノやんに説明は済んだし、レイナちゃんを一人にもできないし、何より今日は休日出勤させられたし! 私は明日有給にするよ」

「私はいいが、知佳はどうしたい?」

 高田屋は牛肉を拾いながら知佳に訊ねる。

「私も構いませんが……。でも明日の制服が無いので……」

 知佳は自分の私服を見る。白いブラウスに赤いネクタイ。スカートにはフリルが飾られている。

「それなら大丈夫だべ! 母さんあそこの卒業生だから貸してあげる」

「え? そうなんですか?」

「そうだよー。虫はついていないと思うから後で合わせてみて」

 七生は豆腐を食べながら呟く。

「母さんの学生時代の話かぁ。あんまり聞いたことないなぁ。父さんとはいつ出会ったのさ」

「父さんとは大学だね。次元の観測とか漫画みたいなことを言ってた私の話を真面目に聞いてくれた人が二人いたのさ。それが正明さんと……」

「お父様なのですね」

「あの頃は若かったなぁ。今じゃこんなんだけど」

 高田屋は照れをごまかすように野菜を飲み込み、牛肉を知佳の椀に入れる。

 レイナはこの二組の親子に家族の繋がりを実感し、思わず涙が出そうになる。

「お、おい、レイナ泣くな。お前だって血の繋がった家族がいるだろう?」

「私の家族は権力欲に取り憑かれ、足の引っ張り合いばかりでした。兄たちが権力争いをしなければあの戦も起きなかったのです。

 ……今頃何をしているでしょうね。白旗をあげる算段でもたてている頃でしょうか」

「そんな……」

 レイナは少しだけ寂しげに笑う。

「さ、食べてしまいましょう。なに、あの兄たちは粗忽ですがしたたかです。敗色濃厚なら自分が生き残る方法を真っ先に考えますよ」


 ***

 七生の提案で、今晩の風呂は近所の温泉に入ることになった。

 車で五分ほどの国道沿いの温泉に到着し、正志はだから母は酒を飲んでなかったのか、と納得した。

 男女に別れてそれぞれの風呂にはいる。

 湯は源泉かけ流しで北海道では珍しい黒湯の温泉だ。

 正志がサウナに入っていると、高田屋が入ってきて正志の横に座る。

「………」

「………」

 気まずい。なにか話すことは、と正志が考えていたところ、先に高田屋が口を開いた。

「正志くん。実は、知佳は私の実の娘ではない。二年前に養女に迎えたんだ」

「そうだったんですか」

「知佳は一人孤独に生きてきて、家族などいなかった。研究一筋で家族を持つことを諦めていた私にも人の心があったんだろうね。知佳に会ったとき、この子は守ってあげなければ、という考えが私の中に浮かんだんだ。

 あの娘は聡明な子だ。自分の運命を受け入れ、それでも前を向いて生きようとしている。

 君がよければ、友達として守ってあげてくれ」

「……言われなくても、知佳は俺の友達です」

「ふっ、そうか。君は良い男になるぞ」

 高田屋は立ち上がり、露天に向かう。

(なんでこんなことを話してきたんだろうか? )


 女子風呂でもまた、レイナたちがサウナに入っていた。

 珠の汗が肌を伝う。

「……結構ありますね」

 レイナは知佳の胸と自分の慎ましやかなそれを比較し少しうなだれる。

「まあ、レイナさんは一五歳でしょう? これから成長しますよ!」

「ちなみにチカは一五のときはどのくらい……?」

「えっと……。ハハハ、これから成長します! きっと!」

 知佳が慰めるが、レイナにとってはあまり嬉しくない情報である。

「……ところで、そろそろ本当のことを話してくれませんか?」

「それはどういう意味でしょう?」

 レイナの言葉に知佳が反応する。

「その鍛えられた体。武人特有の足さばき。なにより学校のジャージでやってくる迂闊さ。赤騎士は貴女でしょう」

 レイナの言葉に知佳の顔色が一瞬変わったように見えた。

「赤騎士? 私はただの学生ですよ? 子供の頃から武術の嗜みはありますが、それが何か?」

 レイナの目がキラリと光る。

「ま、そう言うならそれでいいでしょう。だがひとつだけ。赤騎士が生きていたならあの戦の建前が無くなる。戦いを終わらせることができるかもしれないのです。名目だけかもしれませんが、彼の国でもその事実があれば厭戦派を動かせるでしょう。だからこそ、赤騎士には名乗り出ていただきたい」

「戦争なんて知りません! 私に関係ないです!」

 知佳が叫ぶ。

 汗が伝うのはロウリュによる湿度の上昇のためか、図星による緊張か。

「関係ない訳がない。騎士には責任がついて回る。逃げて満足か……?」

 レイナが呟く。

「もう出ましょう。のぼせました」

「まだ十分しか入って無いじゃないですか。もう少しゆっくりしましょう」

 レイナの挑発を無視して、知佳は洗い場に向かった。


 ***

「少年。嬢ちゃんたちどうしたんだよ?」

 石川が正志に耳打ちするが、正志だってそんなことはわからない。風呂上がりからどうも二人の様子がおかしい。

 目を合わせず口も聞かない。

 正志は帰って仏間に布団の用意をしながら二人の間に流れる緊張感を感じていた。

「所長と知佳は仏間で。レイナは母さんと寝てくれ」

「わかったわ。おやすみなさい。ロイちゃんもお休み」

 レイナと七生が部屋に入るのを見届けてから、正志は自室に戻った。

 部屋の電気を消し、布団をかぶる。

 目を瞑ると今日一日の事が思い出される。

 いきなり知佳が訪ねてきて、晩飯を一緒に食って、ひとつ屋根の下で寝ている。しかも所長の実の娘じゃないなどと秘密まで聞かされた。

 レイナが現れてからまだ三日と経っていないのにいろいろ起こりすぎだろう。

 明日は月曜日。また学校が始まり平凡な日常に戻るのだ。しかし、今日見た事はまだ非現実的な出来事で、どこか夢心地だった。

 知佳のことは好きだ。でも、今日の事で彼女が本当は何者なのか、そんなことが気になって仕方がない。

 俺は彼女の正体を知ってしまうのだろうか。いや、何者でも知佳は知佳。あの駅で不安そうにしていた転校生。それが変わることはない。

 そんなことを考えながらまどろみに落ちていく。


 ###

 あのとき私は不安だった。

 一年かけてお父様にこの世界の事を教えてもらった。研究所には孤児を養子にした、と伝えたそうだ。みんな優しくしてくれた。


 そんなある日、一年前だったか、学校に行くようにと言われた。同世代の友人が必要だ、と。

 それはお父様なりの優しさだったのだろう。でも私とこの世界の若者たちでは文字通り生きてきた世界が違う。人を斬ったこともなく、明日の命が危ういということもない、ファッションとかタレントとか、色恋とか、そんな話ばかりの中に押し込まれて生きていけるとは私には思えなかった。


 できる限り距離を取った。勉強も遅れないように必死だった。そんな中、しばらくたって近寄りがたい転校生、と呼ばれ始めた頃だったか、私は帰りの電車を見送った。多分、疲れていたのだ。駅のベンチに座り込み、いや、立っていたかもしれない、とにかく自分が世界でたった一人の異世界人だと、絶望に暮れていたときに、彼は声をかけてきた。


「あの……、よかったら一緒に待つ?」

 今思うとなんてことない一言だ。多分私の表情は酷い有様だったのだろう。そして私は彼に甘えた。思い出すとどうやら、彼は自分の待つ電車を後回しにして付き合ってくれたらしい。なんというお人好し! 


 そのあとの話はなんてことない世間話。命が消えることも、血に塗れることもない、クラスメイトのことや学食、部活動などとにかく私を不安にさせないためのお話し。特にスキーの話は傑作だった。でも、スキーの話をする彼は少し寂しげだった。彼のお父様が亡くなって家事のため辞めたのだとその話は締めくくられた。


 あのとき、私だけが一人なのではない、と気付かされた。

 彼がいてくれたからこそ、私はここで生きてこられた。

 そう、あの日、私の運命が変わったのだ。


 ###


 真夜中に雪原に立つ二つの影。

 雪に身を沈める巨人の前でジャージ姿の女子二人が間合いを測っている。

「馬脚を現した後は動きが早いですね。さすが赤騎士……赤ジャージぷふっ…!」

「黙れ。私は帰らない。言うことを聞かせたければ実力でこい」

 互いの武器をゆっくりと構える。

 月明かりで蒼く染まっている雪原に足跡が光る。

「チカ……、ティカリアでしたか。マサシが好きなのですか?」

 レイナの言葉に知佳は両手に持つ一対の剣を振るい距離を詰める。

「悪いか!!」

 知佳の放った袈裟斬りをバックステップして避ける。

「貴様こそ! 正志くんと一緒に過ごして! なにも判らなかったのか!」

 知佳の斬撃をレイナが捌きながら答える。

「彼はいい男ですよ。私がこの世界の人間なら惚れてます!」

 レイナの切り返しに知佳も負けじと反撃する。

「ふざけるなぁあああっ!!」

「本当です! 彼ほど優しい人を知りません!」

 知佳の大振りの横薙ぎをかわし、レイナがカウンターを入れる。察知した知佳は後ろに飛ぶが、薄皮一枚の手傷を負う。

「ぐっ!」

 後退りする知佳を見てレイナは追撃せずに語りかける。

「訂正です。この世界の人間でなくとも惚れるでしょう。私も、貴女も」

「知った口をきくなっ!」

 二刀を捨てた知佳はレイナに組み付く。

「お前はっ! たった三日で! ただ見ているだけの私より正志くんに近づいた! 私より……!」

 雪の上で馬乗りになった知佳の瞳から流れる涙がレイナの顔にかかる。

「……聞いていればワガママばかり! 見ていただけでなにか変わるわけが無いでしょう!」

 レイナは知佳を払い除け、体勢を逆にする。

「悲劇の乙女を気取れば満足ですか? マサシがそれであなたを受け入れるとでも?」

「う、ううう、うるさい!」

 知佳は耳を塞ぐかのようにレイナを蹴り飛ばし距離を取る。

「それでも、私は、私の居場所は……、ここなの!」

 ヤケクソ気味に投げつけた雪玉がレイナの顔にクリーンヒットする。

「むはっ! や、やりましたね!」

 レイナも雪玉を作り知佳に投げつけるが、その玉はへろへろと弱い軌道を描き知佳に届くことなく落着する。

「! コレならレイナさんに勝てる!」

 知佳の目が生気を取り戻し、無数の雪玉がレイナに襲いかかる。

「ちょ、ちょっと待ってください! これじゃ勝負になりませんよ!?」

「問答無用! おりゃりゃ!」

 いつしか二人は雪玉の応酬を繰り返す。

「ふぅ……」

「ふう」

 二人とも雪の上で大の字を描きながら息をつく。

「……なんか阿呆らしくなりました」

「戦なんてみんな雪合戦で決めればいいのにね」

「…………チカ、その時が来ても、あなたはここに残りなさい。悔しいですが、あなたは自分の居場所を見つけたらしい」

「レイナさんだって、ここにいればいいじゃない。正志くんは受け入れてくれる」

 レイナは知佳の言葉を聞きながら上体を起こすと、血に汚れていない雪原を眺め、首を上げ満天の星空を見る。

「そうはいきませんよ。私にはなすべき責務がある。でももし、それが全て終わったなら……」

 レイナの視線が知佳に向く。

「そのときは、また遊びましょう」

「……約束だから」

「えぇ、いつかきっと」

 二人の少女が小指を絡める。

「「精霊様に、大地に、人に」」


 ***


 翌日、知佳は高田屋所長に送られて一足先に学校へ行った。

 ロイドの散歩から帰ってきたレイナは、朝食の皿を洗う正志に声をかける。

「マサシ、見ていたでしょう?」

「な、なんのことだべな?」

「昨夜ですよ。イシカワと一緒に……、ま、異世界人同士の秘密、と言うことにしてください」

 正志は布巾で皿を磨き上げながらため息をつく。

「まあ、本人が言い出すまでは聞かないよ」

「そうですか。ありがとうございます」

「礼を言うのはこっちだよ。俺、進路決めた。大学に行くよ」

 正志はレイナの顔を見てはっきりと言う。

「そうですか。応援します」

「レイナを還す方法と親父を探す。大学を出て三笠の研究所に入るよ」

「先の長い話ですが良い目標だと思います。頑張りましょう」

「おう!」

 正志は家を飛び出していく。

 七生はコーヒーを飲みながら二人のやり取りにニンマリとする。

「レイナちゃん、ここにいる間はウチの娘だよ。その分お手伝いもしてもらうけどね!」

「はい! もちろんです」

「あ、嫁の方がよかった?」

 七生の言葉にレイナは顔を朱に染めそっぽむく。

「あ、いや、その、どちらでも……」

「冗談だべさ。そうそう、クロウガンは研究所で預かるってことでいいのね?」

「はい。ササキ様にも悪いですし、なによりおいてある限り襲撃者が現れる。光の玉が現れるまでは安全なところにあったほうがよい」

「そだね。ついでに動かす方法も調べてみるさ」

「お願いします。そう言えばナナオ、所長から赤い巨人騎士について何か聞いていませんか? 赤騎士とは彼女本人と紅の巨人スカーレットに付けられた名称。私は光の玉が現れた洞窟で、かの騎士の動力炉を見ました。おそらくチカと一緒に来ていると思うのですが」

 七生はその言葉に少し考え、首を横にふる。

「うんにゃ。所長からもそんな話しは聞いていないよ。二年前か……。そう言えばスポンサーの一団が急に新しい備品の搬入に来たことがあったべ。なまら大きいトラックで大袈裟だな、と思ったけどもしかしたら……」

 七生はコーヒーを一気に飲み干す。

「そのすぽんさあとそれを手引きしたものは判ります?」

「二ツ橋技研っていう冷蔵庫から車、飛行機まで作る大会社。案内していたのはエノやんだったね」

 レイナの脳裏に先日の輸送機の影がよぎる。一抹の不安を感じたが、一旦脇に置くことにした。二年も前なら今から何かしても全て後手。まずは腹ごしらえだ。とロイドの皿にドッグフードを入れ、自分も食パンにかぶりつく。知佳は今頃教室で友人に囲まれ、高嶺の花を演じていることだろう。

 知佳はもう赤騎士ではない。ただの少女だ。全て投げ出した知佳を無責任とも思うが本音では羨ましく思う。

 窓の外は快晴。この空と自分の空は繋がっていないが、人々が生きる空の下であることだけは確かだった。

「ナナオ、この世界のことを教えてください。チカの件を考えるなら、次の光の玉が現れるのに二年はかかるはず。この休暇は長くなりそうです」

 レイナは空の向こうの未だ戦い続けているであろう仲間たちの無事を精霊に祈る。

 そしていつか帰るために知るべきことはたくさんあるなと、レイナは再びパンを口に運んだ。


 つづく

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