恋する包囲網
バレンティーヌ王家のシャルロット王女とレオンハート侯爵家三男のエドガーは知る人ぞ知る仲睦まじい恋人同士である。
しかしシャルロット王女は年頃だというのに学園に通っておらず、エドガーは学園には通っているものの授業に出席している姿があまり見られないため、他の生徒たちとの交流がほとんどない。
顔を前髪で隠し必要最低限しか喋らないその姿は、どう見ても高位貴族の令息とは思えない。
良くて爵位不明で寡黙なミステリアス隠れイケメン、又は根暗な地方低位貴族の令息というのがエドガーをよく知らない人々の独断と偏見による評価だ。
そんな二人は婚約してもうずいぶん長いのだが、シャルロットへ恋慕する男が未だに現れることがある。
シャルロットの美しさに魅入られた者が自分こそはとアプローチするも、誰一人念願叶った者はいない。
シャルロットとエドガーの仲睦まじさは王族・高位貴族・王宮関係者には周知の事実なのだ。
そんな二人は今日も周囲に砂糖を撒きながら愛する人との時間を堪能している。
◆
俺は婚約者のことが大好きだ。
いつでも一緒にいたいし一秒だって離れたくない。
早く結婚したいと毎日思っている。
だから婚約者のいない学園生活なんて何の意味もない。
それでも俺が学園に通っているのは、せめて卒業だけはしてくれと彼女の父親に泣きつかれたからだ。
「はぁ、シャル…学園なんて行きなくない。なんでシャルのいないあんな所に行かなきゃならないんだ。離れたくないのに……。学園なんて吹っ飛んでしまえばいいんだ。」
愛するシャルロットをぎゅうぎゅう抱きしめながら首筋に顔を埋めて不満を漏らす。
シャルロット自身の甘い香りを胸いっぱいに吸い込む姿はなんとも変態くさいがこれが二人の通常運転。
婚約したてのお互いが8歳のころからこの調子なので、周囲の者たちもすでに慣れたものだ。
むしろ無理やりにでも離してしまうと何をされるか分かったものじゃない。
恨みを晴らそうとするかの如く、陰湿な嫌がらせをお見舞いするのだ。
エドガーという名のこの男、婚約者のためにひたすら魔法を使い続けた結果、18歳という年齢ですでに極めてしまったほどだ。
元々才能があったのだろう。
通常学園で学ぶべき魔法の使い方を独学で習得し、入学前にはだいたいのことを身につけていた。
しかも今じゃ誰も手足が出ないほどになってしまうなんて誰が想像できただろうか。
全てはこの腕の中にいる愛するシャルロットへの愛故だ。
シャルロットは自分に抱きつく愛しい婚約者のいつも通りの突飛な発言に軽く笑みを溢し、嬉しさで胸がいっぱいになる。
抱きしめ返す手を持ち上げてさらさらな彼の髪の感触を楽しむように撫でた後、その頭に頬ずりをした。
「仕方がないわ、エド。学園を卒業することがお父様との約束でしょう?吹っ飛んでしまえばいいだなんて冗談でも言うものではないわ」
「それは……ごめん。せめてシャルと一緒に通いたかったよ。シャルとの学園生活を楽しみにしていたんだ。」
「私だって。兄たちが学園に通えるのに私だけ通えないなんて思ってもみなかったわ」
「陛下は過保護すぎる……シャルのことは俺が守るのに」
抱きしめる腕を弱めてシャルロットと見つめ合う。
目元を赤らめて幸せそうに微笑むその表情は自分だけのものだ。
胸を満たす甘い感情に浸っていると、どこからともなく「ん゛ん゛っ」と咳払いがした。
「エドガー様、そろそろお時間が……」
部屋の隅に控えていたシャルロットの侍女が慣れたように口を挟む。
今朝の逢瀬の時間切れだ。
ちなみに外出する際にエドガーに従者がつくことはない。
誰よりも強いから足手纏いになるものはいらないし、頻繁に転移魔法を使用するためひとりの方が身軽なのだ。
屋敷に帰ればちゃんといるので問題ない。
目を離している隙に何かやらかさないかとハラハラさせてしまっているようだが、そんなこと自分の知ったこっちゃない。
なのでシャルロット側の侍女たちがふたりのストッパー役だ。
抱擁をといた二人はまるで戦地へと向かう騎士とそれを見送る妻のごとく悲壮感を醸し出して見つめ合っている。
「名残惜しいけど行かなくちゃ」
「いってらっしゃい。先生たちに迷惑のないようにね。」
触れるだけの口づけをすると、名残惜しい気持ちを耐えてエドガーは学園へと転移した。
◆
エドガーは頭が良い。
才能があった上に地頭も良かったのだろう。
それも18歳で魔法を極めれるほどに。
シャルロットが講師から授業を受けるというので、ほとんど押しかけの体で共に授業を受けることにした。
初めのうちは諫められたが、何度も押しかけるうちに黙認されることになった。
それはそうだろう。
断っても追い出しても、気付いたら王女の隣にいるのだ。
あまりにもしつこいので出禁を願ったらその直後、エドガーから漏れ出た魔力によって怪奇現象のようなものが発生した。
身体が何かに伸し掛かられているようになり、身動きがとりにくくなった。
そして何処からか「パチパチッ」と音が鳴り、屋敷の壁が「パキッ」「ミシッ」と鳴り、窓ガラスに「ビシビシッ」とヒビが入った。
しかもなんだか薄暗いし肌寒い。
なんだどうしたと大人たちがおろおろしている中、シャルロットが言ったのだ。
「エド、漏れてるわ、しまって?」と。
瞬間まるで何事もなかったかのように身体が解放された。
皆が顔を青くして言葉を失っていると、そんな周囲の反応を気にも留めないふたりが話し始める。
「さすがにお城が崩れてしまうわ」
「シャルだけは守るから大丈夫」
「そういう問題ではないのだけれど……お城が崩れていたらどうしてたの?」
「もちろん僕の邸で一緒に暮らすんだよ」
「素敵!エドガーと暮らせるの?そしたら毎日一緒ね!でも結婚式では皆に祝福してほしいからそんなことしちゃダメよ!」
「…シャルが悲しむことはしないよ。多分」
少々不本意ながらもシャルロットの言葉に頷くエドガー。
その一連の流れを目の当たりにした侍女と護衛たちは同じ事が頭を過った。
『彼を否定したら死ぬ』と。
幸いエドガーは王女の言葉なら聞き入れるらしい。
エドガーの手綱は王女にお任せするより他はない。
これは決してエドガーの教育的指導を諦めるわけではない、と自分たちに言い聞かせた。
こうして徐々にエドガーに琴線スレスレを見極める術を身につけていった。
◆
エドガーは魔法に関してはもはや教師に教わることなどない。
むしろ教える側として特別講義をしてほしいと頼まれたが他を当たれと即答した。
そんなことをすればシャルロットとの時間が減る。
考えるまでもなかった。
ある意味教師泣かせのエドガーはすでに授業を受けなくてもよい状況なのだ。
むしろ授業に出ると教師が緊張して普段の実力を発揮できないらしい。
エドガーの頭が良すぎて教師として立つ瀬がないと泣きつかれた。
授業免除が教師公認なのがたいへんありがたい。
それならば早く卒業させてほしいと頼んだが、それは無理だと断られた。
なんでも「卒業したら即結婚」と約束したため、娘を早々嫁に出したくない陛下がごねたらしい。
まさか入学して三か月もしないうちに、学ぶことがなさそうだから卒業したいだなんて言う人間が現れるとは思いもしなかったのだろう。
渋々承諾させられたエドガーは八つ当たりとばかりに残りの学園生活を魔法に費やした。
おかげで今では自他ともに認めるほどの実力者だ。
国で一番強い自信がある。
そんなわけで最近はよく授業をさぼるエドガーだった。
人気のないベンチを見つけたので、今日は猫の姿になってさぼることに決めた。
天気もよく昼寝をするのにぴったりだ。
暖かな日を浴びて愛しのシャルロットを思いながら目を閉じた。
微睡んでいると、かすかに人の声が聞こえた。
授業中だというのにさぼっている男女がいるようだ。
教師公認の自分はもちろん除外である。
声のする方を辿ると、どうやらこの旧校舎の中かららしい。
気にも留めずに再び眠りにつこうとするも、なにやら徐々に声が艶めかしいものになってきた。
どうやらこんな所で致している不届きものどもがいるようだ。
小さな音ひとつ拾うこの猫の耳がを恨めしく思った。
他人の情事を覗く趣味なんて持ち合わせていないエドガーは不快に思い、別の寝床を求めてその場を去った。
その日を皮切りに、エドガーの行く先々で非常に不快な出来事が起こり悩まされるようになった。
ある日は鳥の姿になって学園校舎裏の森で森林浴をしながら木の上に留まっていた。
猫ほど耳が発達していないため、目が覚めた時にはすでに近くでおっぱじめている声がするではないか。
もう少し奥まった木の陰に隠れるようにして女が木に背を預けて男はガツガツと腰を振りまくっている。
なんなんだコイツ等は
授業中だぞ
学園だぞ
何しに来てるんだお前等は
先日のアイツらもだ
盛りに来るだけなら学園に来るなよ
気分を害したエドガーは鳥の姿のままその場を去った。
◆
鳥の姿のままのエドガーが向かったのは、王宮にいるシャルロットのもとだった。
彼女は王太子妃である義姉に誘われ、庭園の見えるテラスでお茶をしていた。
「お義姉様、せっかくの休憩ですのにお相手が私でよろしいのですか?レイフォードお兄様を呼んだら絶対に来ていただけますよ?」
「あら、レイ様を呼んだらあなたをとられてしまうじゃない。それにあなたに会いたそうにしていたから何としても執務を切り上げて来るはずだからいいのよ」
しばらくの間はシャルロットを独り占めできることに気分が良くなり、クローディアは紅茶を口に含む。
緩く波打つプラチナブロンドと大きな碧眼を持ち、陽だまりのような心と笑顔で人々と接するこの国の王女はとても皆に愛されているのだ。
◆
和やかな時間を過ごしていると何処からともなく鳥が飛んできた。
「あら、エド?」
「まあ、エドガー様?」
エドガーは鳥の姿のままシャルロットの肩に留まるとやるせなさそうに「ピィィィィィ…」と鳴いた。
「どうしたの?早退してくるなんて珍しいわね」
「エドガー様、早退していらしたのですか?何かありましたか?」
いくらエドガーがサボリ魔でも学園を早退してきたのは初めてのことだった。
二人がじっとエドガーを見つめていると観念したエドガーは魔法を解いて礼をとる。
「クローディア義姉上、無礼をいたしました。シャルも突然ごめんよ。無性にシャルに会いたくなって来てしまったんだ」
とは言うが、早退してくるなんて普段はしない。
絶対に何かがあったんだろうとじっと見ていると、エドガーは急に膝を着き椅子に座るシャルロットの膝に顔を埋めるように突っ伏した。
「エド、どうしたの?」
「あらあらあら」
これはかなり精神的にダメージを受けているようだとシャルロットは心配になる。
クローディアは微笑ましく思い二人を観察することにした。
◆
レイフォードが入室した瞬間、シャルロットの膝に突っ伏して頭を撫でられているエドガーと困った子を見るような目をして頭を撫でているシャルロット、そしてそんな二人をニマニマしながらお茶を口元に運んでいるクローディアが目に入った。
「これは…いったいどうしたんだい?」
戸惑いながらも声を掛けずにはいられない。
「てっきり愛しい妻と可愛い妹だけかと思っていたんだが、ソレは?」
ソレと呼ばれたエドガーはのろのろと顔を上げた。
「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません、義兄上…」
「まだ義兄ではないんだけれど」
そうは言うが義兄と呼ばれるのが不快なわけではない。
可愛い妹をもうすぐ奪っていくのだ。
虐めたくなるのは仕方のないことだと思う。
「エドガー様、レイ様もいらしたことですしそろそろ何があったのかお話しになりませんか?」
「そういえばエドガーは学園はどうしたんだい?」
「早退してきたみたいです。こんなこと初めてで心配で…」
シャルロットはエドガーの頭を撫でる手は止めないままだ。
するとエドガーはぽつりと声を出す。
「あまり女性に聞かせたい話じゃないんだ」
「女性のお茶会に飛び込んできて、今更ですわ」
「そうよエド。何があなたをそんな顔にさせているの?」
困ったエドガーがチラッとレイフォードを見上げる。
「二人とも心配しているよ?もちろん私もだけど。話せる分だけでいいから話してみないか?」
皆にそう言われてしまえば隠すのも申し訳ない気もして、エドガーは先ほどあったことを簡単に纏めて説明することにした。
◆
事のあらましを聞いた三人はそれぞれ何とも言えない顔をしていた。
レイフォードは呆れ顔、クローディアはにこやかだが目が笑っていない、シャルロットは恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「だから女性には聞かせたくないと言ったではありませんか!」
エドガーは再びシャルロットの膝に突っ伏して泣きついた。
「義兄上!義兄上が学園に通われていた頃もあのような不純異性交遊が横行していたのですか!?あんな場所も弁えず…こっちの身にもなって下さい!」
そっちなんだ、と思いながらもレイフォードは自分が学生の頃を思い出しながら言う。
「恋人たちが寄り添い合っているのはよく見たけど、さすがにそこまではどうだろう。神聖な学び舎でそのような事をする者がいないことを信じたいが…」
「神聖な学び舎にいたから言っているのですよ」
実はレイフォードが学生の頃も何人か噂になったり見聞きした者がいるのだが、さすがに女性の前では言えない。
「あら、レイ様。男性の方々はよく『卒業したら政略結婚するのだから学生のうちは自由に遊ぶ』と仰っているのを聞いたことがありますが、まさかそれは身体の関係も含まれていますの?」
白い目で見るクローディアにレイフォードは焦る。
「まさかディアは私を疑っているの!?私には今も昔もディアだけだよ!」
とんでもない疑惑を持たれてしまうがレイフォードには否定することしかできない。
「そうは言いますが、私たちは国同士の政略結婚ですもの。学生の頃のことまでは知りようがないですし」
「確かに政略だけど、私は幼い頃に君と出会って一目惚れしてからずっとディア一筋だ!私の初めては全て君に捧げてきた!」
そこまで言われてしまえば少々八つ当たり気味になっていたクローディアも冷静になって我に返る。
「申し訳ありません。私の知らない学生の頃のレイ様のことを思うとどうしても嫉妬してしまうのです」
「私の学生時代なんて面白くもなんともないよ。無表情で冷徹な生徒会長だった。毎日ディアの事ばかり考えてた」
「レイ様……」
しばらく見つめ合ったかと思うとレイフォードは包み込むようにクローディアを抱きしめた。
◆
少々変な空気になってしまい、エドガーとシャルロットは兄夫婦を残しシャルロットの部屋へ引き上げることにした。
部屋へと戻る間中、エドガーの頭の中はずっとあのことが駆け巡っていた。
そもそも学園でするなよ
まさか学園にはああいう奴らが稀にいるのか?
さすがに常識のある奴らはしないだろうが常識を持ち合わせていないバカな奴がいることも確かだ
俺だって学園でシャルといちゃいちゃしたい
結婚まで乙女を守らなければならないからさすがに最後まではできないけれど・・・
というか、あんな教室とか木の陰でなんてごめんである
たとえ背徳感を味わいたいがためにシャルを机や木に押し倒してしまったら彼女の身体を痛めてしまうし、何より身体に傷をつけてしまうだろうが
よって学園での行為なんて却下だ
そうは思うが愛する人との愛を確かめ合う行為、なんて羨ましい・・・
延々と考え込んでいたが、せっかく早退までしたのだ。
シャルを愛でねばと思いなおす。
「変なことを聞かせてしまってごめんね」
「聞くこと自体はまあ問題ないんだけれど、身内の異性とそういうことを話題にすることの方がとても恥ずかしかったわ……女同士や恋人と話すのとは全くの別物なのね」
それに引き換えレイフォードはいたって普通だった。
恥ずかしかったのはきっと自分だけだったのだろう。
「それにしても学園でするなんて何を学びに行っているのかしら?」
シャルロットは呆れて物も言えない。
それに対してはエドガーも同感である。
しかも。
「俺はこんなに我慢しているのに当てつけか?あんな所ですることないだろ」
ふてくされるエドガーについつい苦笑してしまうが自分だってそう思っている。
だから彼の気持も理解できる。
「早く結婚したいわね」
「うん」
心の底からそう思った。
「初夜は覚悟してね」
「望むところよ」
二人の気持ちはいつでも一緒である。
穏やかな気持ちを取り戻したが、しかしその後も平穏に過ごせるわけがなかった。
◆
それから、来る日も来る日も来る日も来る日も。
学園の空き教室、校舎裏、参加したパーティ会場の中庭の陰、会場の休憩室…
何処に行っても遭遇する。
まるで悪夢だ。
ふと気付いたのが、それらは女の声がすべて同じなのでは?ということ。
気になったら確かめずにはいられない。
近くの生き物を使役して彼らの目・耳から情報を得ることにした。
使役獣と化したカラスとクモたちはそれはもうたくさんの情報を集めてくれた。
彼らから得られた情報によると、女の名前はマリアナ・ヒッチ。
学園に通っている男爵令嬢だった。
その男爵令嬢は元は平民だったが約一年前に父親である男爵に引き取られている。
まともな淑女教育を受けずに散々好き勝手にふるまった結果がアレらしい。
あらゆる男を咥えこんでいる女か、気持ち悪い。
そんな情報を腹いっぱいに溜め込んだ彼らを労うと、せっかくなので空の魔法石に記憶を移して保管しておくことにした。
そして彼らを再び解き放つ。
我先にと飛び出していったぞ。
使役されてあんなに浮足立つものもいるんだな、と感心した。
それからの俺の生活に多少の仕事が増えることになった。
愛しの婚約者・シャルとの逢瀬、時には自邸での魔法の研究、そして学園では睡眠を取る。
そこに使役獣の世話が追加された。
世話と言っても彼らの集めた記録を魔石に移して労ったら終了なわけだけど。
どうやら礼として分け与えている俺の魔力が旨いらしい。
魔力をもらって活動的になった彼らをまとめるのはカラスのマイケルとクモのジョニーだ。
なかなかに良い仕事をしてくれる。
記録した魔法石もたっぷりだ。
これはべつに俺の趣味でも憂さ晴らしのためにしているわけでもない。
何かがあった時のための保険だ。
俺に何かが起こるなんて天地がひっくり返ってもありえないと思うが保険が多いに越したことはない。
一応国が運営している学園でもあるし生徒にもプライバシーがあるので、防犯のためだと申請して上の許可も取っている。
悪意や邪な感情に反応する魔法のため、通常生活しているぶんには特に何もない魔法であると説明するのも忘れなかった。
◆
そんな生活を続けるうちについに学園を卒業する日を迎えた。
授業にはほぼ出席していないが、テストは毎回パスしたし卒業に必要な単位は取得した。
卒業後はすぐにシャルロットと結婚式を挙げてしばらくは国外へ旅行に行く予定だ。
朝から晩まで一日中一緒に過ごせるなんて幸せ過ぎる。
そんな浮かれきった気持ちを抱えたまま卒業式を終えた。
残すは卒業記念パーティのみである。
今日だけは生徒以外の出席も許されているため、エドガーのパートナーはもちろんシャルロットだ。
エスコートのために彼女を迎えに行けは全身に俺の色を纏ったシャルロットが現れた。
「シャル、とってもキレイだ!!今日も俺色で嬉しいよ!誰にも見せたくないけどこんなにも美しいシャルを見せびらかして自慢したいっ!挨拶が済んだらすぐにでも帰ろう!そしてふたりきりで過ごしたい!」
本心駄々洩れなエドガーの言葉にシャルロットは嬉しく思いながらも口を尖らせる。
「ありがとうエド。あなたもとても素敵よ。私も早くふたりきりになりたいけれど、せめてダンスは踊りたいわ」
「そうだね、せめてダンスは踊ろう!抱きしめたいけど今抱きしめてしまうとせっかくのドレスと髪と化粧が崩れてしまうから会場まで我慢するよ」
そう言うとエドガーは紳士らしくエスコートしてシャルロットを馬車へと導く。
エドガーの魔法でガチガチに護られているため、シャルロットの護衛は今日も最小数だ。
護衛はもちろん彼らの任務であるが、最も重要なのはまた別にある。
信用していないわけではないが、王女であるシャルロットをエドガーから護るのが国王から命じられた最優先任務である。
結婚前に貞操を失うなどあってはならないからだ。
しかしいくら腕の立つ騎士であっても本気のエドガーの放つ魔法には歯が立たないため、エドガーに魔が差さないことを毎日祈る思いで任務にあたる。
二人の結婚が待ち遠しい事この上ない護衛たちであった。
◆
会場に足を踏み入れると途端にその場に静寂が訪れた。
ゆっくりと歩を進めるごとに人だかりが割れて道ができる。
エドガーはシャルロットの耳元に口を寄せて囁いた。
「みんなシャルの美しさに見惚れてるよ」
「エドガーに見惚れてるのよ」
顔を寄せ合い微笑み合うその光景は見るものを魅了してやまない。
それに何と言ったって今夜のエドガーは普段下ろしている前髪を後ろに撫でつけて顔を晒しているのだ。
初めて目の当たりにする淑女らは黄色い声を上げて魅入っている。
「エド、私以外見ちゃいやよ」
「あぁ、シャル愛しているよ…俺には君だけだから安心して」
エドガーは熱の籠った瞳でシャルロットを見つめた。
シャルロットはエドガーのこの瞳が大好きだ。
蕩けるように熱を帯びるその瞬間が堪らない。甘いはちみつに絡めとられて溺れてしまうようで目が離せないのだ。
自分を含めた身内の前では駄々洩れするほどによく喋るが、他の人の前では人見知りで済ませられるレベルではないだろうというほど喋らないのがエドガーだ。
『目は口程に物を言う』とは、正にエドガーのためにある言葉だとシャルロットは思うのだった。
幾人かとの挨拶を済ませ、エドガーはシャルロットをダンスに誘った。
ゆったりとした音楽に合わせて踊ればシャルロットのドレスがふわりと広がる。
エドガーの瞳と同じはちみつ色のドレスには小さな宝石がたくさん散りばめられていてシャンデリアの明かりを受けて煌めいている。
胸元にはイエローダイヤモンドのペンダントがエドガーの独占欲の象徴として人々の目を引き付けていた。
お互いしか見えていない二人の世界で時間が許す限り踊り続けた。
◆
「私がいったい何をしたって言うんですかぁ‼」
不意に会場のステージ周辺から甲高い大声が響いた。
人々の談笑する声が静まりダンスをしている人々さえも動きを止め大声のした方へと視線を向ける。
そこには一人の女性を囲むように数人の男性と、彼らと対峙するように女性たちが向かい合っている。
その雰囲気はさながらか弱い姫とそれを守る
騎士、そして浮気現場に乗り込む妻(複数)の修羅場といったところだろうか。
シャルロットと二人の世界に浸っていたエドガーはいきなり始まった修羅場という名の舞台にうんざりした。
どうやら自分の不運は今夜も健在のようだ。
シャルロットを連れて城に転移しようと声を掛けようとしたところで、騒動を見ていたシャルロットが何かに気付いたように声を掛けてきた。
「ねぇエド、あのピンクの髪の女性、マイケルとジョニーが撮ってきた映像に映っていた人よ」
なんだと、と思いエドガーは目を向けた。
じっくり見なくともそうかもしれない。
ピンク色の髪なんてそうそういるもんじゃない。
よりによって今夜お目にかかってしまうなんて、せっかくの心地よい気分が台無しだ。
ということは、周りの男は全員あの女の相手で、あの女性たちは婚約者や恋人といったところだろうか。
冷静にその状況を見極めているうちに修羅場は進む。
「彼らはお友達ですっ!!そんな関係じゃありませんっ!!なんで信じてくれないんですか!!」
「信じられるわけがないではありませんか。あなたたちのその距離感からどう信じろと?それにただのお友達がなぜ婚約者のエスコートもせずにあなたのそばにいるの?」
「それはっ!あたしにパートナーがいなくた一人じゃ寂しいって言ったらみんなが一緒にいてくれたんです!!」
「パートナーがいないのはあなただけではないわ。それでもパートナーが欲しければ婚約者のいない男性に声を掛けるべきよ。わざわざ婚約者のいる男性を選ぶなんてあなたには常識というものがないの?」
「どおしてそんないじわるなこと言うんですかぁ!!」
「うわあぁんっ」とピンク髪の女、マリアナ・ヒッチが顔を覆って泣き出した。
それを周囲は冷めた目で見ている。
騎士気取りの男たちを除いて……
「アンネローゼ!なぜそんなことを言うんだ!マリアナを泣かせるなんて!心底きみを見損なったぞ!!」
「私は何ひとつ間違ったことを言っていませんわ。ディノス様こそご自分が何をしているのか自覚がありませんの?」
「僕はやましい事なんかなにひとつしていない!」
両者ともに譲らず不穏な言い合いが隣りへと伝播していく。
誰が収集をつけるんだ、と周囲が見守っている中、ひときわ大きな声が上がった。
「証拠はあるのか!!そんなに言うのならもちろん証拠があるんだろうな!!」
途端に会場は静まり返る。
証拠と言われアンネローゼたちは口をつぐんだ。
目に見える確実なものがなにひとつないのだ。
騎士気取りたちがほくそ笑んで勝利を確信した瞬間、静寂を破る可憐な声が会場内に響き渡った。
「証拠ならありますわ」
その声はダンスフロアの方から発せられた。
「なぜ王女がここに・・・」
「学園生ではなかったはず」
「確か婚約者が今年卒業だったのでは?」
「隣の彼がそうか?」
「あまり見かけない顔だが」
などの声がそこここで囁かれる。
隣りに見目美しい男性を伴ったシャルロット王女が修羅場の近くにと進み出た。
◆
時は少し遡る。
彼らのやりとりを遠目に見ていたシャルロットは不満を露わにしていた。
「どうしたの、まさかあの中に行くつもり?」
シャルロットのまさかの行動に驚くエドガー。
少し離れた所にいる護衛もいつにないシャルロットの行動に驚愕する。
争いを好まないシャルロットがあんな所に行くなどいったいなぜ……
少々攻撃的になりかけているシャルロットを落ち着かせようとしていると、シャルロットがエドガーに向かって言った。
「不可抗力とはいえ、私のエドの目に他の女の身体が映ったのよ。エドが初めて見るのは私だったはずなのに」
瞳の奥に嫉妬の炎を燻らせているのだ。
エドガーは感激した。
シャルロットが自分のために怒りを露わにしてくれている!
自分にとっては彼らの情事など記憶にも残ってなどいないのにだ。
なんといってもシャルロットとあの女とでは女神とミジンコほどに差があるのだ。
ミジンコのことなどいちいち気に留めていない。
シャルロットの愛を受け止めたエドガーは決意する。
彼女を煩わせた報いを晴らさせてもらわなければ、と。
何があっても彼女を守らねば。
そうしてシャルロットとエドガーは騒動の中心へと足を進めた。
◆
「皆さま、本日はご卒業まことにおめでとうございます。本日は私の婚約者様も卒業ということで、パーティにはエスコートしていただいておりましたの」
互いに簡単に挨拶を済ませる中、ただ一人だけ礼もせず目を見開き呆けた顔のままの女がいた。
マリアナ・ヒッチだ。
彼女の目はエドガーに釘付けだ。
その表情を目にしたシャルロットは嫌な感じが沸き上がった。
マリアナは自分をいかに可愛く見せることができるかを知っている。
熱を孕んだ媚びた目でエドガーに声を掛けた。
「あのっ初めまして!あたしマリアナと言います!あなたのお名前を教えてください!」
訊かれたエドガーは内心嫌悪と厭きれが溢れたが、無言無表情を貫いた。
それでもマリアナは懲りる気配がない。
「卒業生なんですか?あたしもです!でも学園で会ったことないですよね?こんなにかっこいい人、会ったら絶対忘れないのに!私とお友達になってください!」
それを聞いた瞬間、微笑みを浮かべていたシャルロットは引きつりそうになった口元をなんとか押し留めた。
エドガーからはすでに怒りのあまり、魔力が冷気となり漏れ出しはじめている。
「あなた、ご自分がどのような状況なのか理解していて?」
「ちょっと!あたしと彼の邪魔をしないで下さい!今からおしゃべりしてダンスをするんですから!」
キッとシャルロットを睨みつけたマリアナは、コロッと表情を変えエドガーへと視線を投げかけた。
まるで会話にならない。
自分が話しているこのマリアナははたして同じ人間なのだろうか。
シャルロットが感じた嫌悪にも似たこの感情は奇しくもアンネローゼたちが抱えていたものと同じ感情であった。
シャルロットは一度目を閉じ深呼吸すると、改めてマリアナと対峙した。
「実は、先ほどのあなた方の会話が私たちの耳にも届いておりましたの。」
そう言ディノスへと声を掛ける。
「マリアナさんとあなた方が“お友達”だと主張する証拠、でしたわよね」
心強い味方ができたと安堵したディノスはホッと表情を弛め身を乗り出すように答える。
「殿下!そうです!私たちとマリアナは単なる友人です!それなのにアンネローゼたちが変に勘繰るものですから迷惑しているのです!!」
アンネローゼたち側からすれば婚約者の行動を諫めるのは至極当然のことだ。
たとえ本当に身体の関係のないお友達だったとしても腕を絡めて歩いている時点でアウトだ。
それなのにこれほど不満を爆発させていても諫めるしかできない。
婚約の解消・破棄に踏み出せないのはそれだけでは理由が弱いからだ。
シャルロットは先ほど“お友達”の証拠があると言った。
(まさかシャルロット殿下が証拠をお持ちだなんて…てっきり彼らを咎めていただけるものだとばかり…いったいどうすれば……)
アンネローゼは悲観にくれた。
◆
「時に皆さまは学園で新たに試験運用された防犯魔法をご存じ?」
「そんなものあったか?」
「聞いたことないぞ」
「防犯?そんなの必要か?」
そんな騒めきの中、アンネローゼたち女性側からも声が上がる。
「知っています。なんでも悪意に反応する魔法であると」
「実施される前に先生方から通達がありましたわ」
「掲示板にも貼りだされているのを見ました」
期待した通りの反応が返ってきたことに満足したシャルロットはその説明を付け足した。
「あなた方の言う“お友達”の証拠はこの防犯魔法によって証明されることでしょう。しかし、この魔法はただ悪意に反応するだけではありません。邪な感情にも反応いたします。この意味がお分かり?」
いまいちピンとこないようなので例を挙げてみることにした。
「マリアナさんとディノス様、5月12日の旧校舎空き教室。こちらに心当たりは?」
ふたりは首をかしげるのみ。
それならば次だと狙いを定めた。
「では、ロドリゲス様。7月22日、場所は校舎裏の森の中。心当たりは?」
こちらも首をかしげるばかり。
それならば次だと、覚えていそうな人物に訊く。
「それではマシュー様。あなたは9月1日の放課後の本校舎で何をしていたか覚えていらっしゃるかしら」
マシューと呼ばれた青年はすぐさまハッと何かに気付いて顔を青ざめさせた。
「もちろん心当たりがありますよね。マリアナさん、今言った全ての場所、あなたならば心当たりしかないと思ったのですが、いかがですか?」
その言葉の意味に嫌な予感がしたマシューは咄嗟にマリアナを見た。
しかし、そんなこと訊かれても何が何だか見当もつかないマリアナは憤慨する。
「さっきから何なの!?イミわかんない!あたしに何の関係があるっていうのよ!」
残念に思ったシャルロットは仕方がないとばかりに説明してあげることにした。
「あなたがその“お友達”の方々と愛し合っていた日にちと場所ではありませんか。本当に忘れてしまわれたのですか?とくにディノス様とは旧校舎で、アルマンド様とは屋外でするのがお好きのようですね」
アリアナ、ディノス、ロドリゲスは瞬時に顔を青くし、他の男性たちも何かに気付いてうつむいた。
対する女性たちは大きく取り乱したりはしないものの、扇で口元を隠したり、目元を痙攣させたり、口元を引きつらせるものがほとんどだった。
いち早く我に返ったのはディノスだった。
「いくら殿下でもそのようなデタラメを言うなど許されませんよ!」
どうせはったりだろうと高を括ってシャルロットを睨みつけた。
「証拠があると言ったではありませんか。なぜ私があなた方のことにこれほど詳しいと思っているのですか。魔法の説明もいたしました。邪な感情にも反応すると。今はまだ映像と音声を残すことしかできませんが、今後のためにも改良する予定です。」
シャルロットはエドガーへと視線を向けると、エドガーは心得たと軽く頷き何処からともなく魔法石のひとつを取り出した。
「この魔法石の中にはマリアナさんとディノス様のその時の映像が記録として保存されています。」
その言葉にディノスは目を剥いた。
「嘘だ!そんなものがあるはずないでしょう!」
「心当たりはあるのですよね?見てもいないのになぜデタラメと決めつけるのですか?」
自棄になったディノスはシャルロットに対する言葉遣いも荒々しく言い放った。
「っ!!なら見せてみろよ!どうせお前たちが罠にハメるために作ったんだろう!」
「ちょっとディノス!やめてよ!本当だったらどうするの!!」
マリアナが慌てるも興奮したディノスの勢いは止まらない。
「あくまでもご自分で確かめるまでは認めないおつもりですか・・・」
それならば致し方ないと静観している周囲に告げる。
「皆さま申し訳ございません。只今から刺激の強い映像が流れます。女性の方や刺激に耐えられないと思う方は目や耳を塞ぐか、後ろを向いていただけますようお願いいたします。」
すると何人かは耳を塞いで背を向けたのを確認した。
当事者たちは全員が成り行きを見守ることに決めたようだ。
「それではこちらのステージ上に映しましょうか。エド、お願い」
そして大きく映し出された映像はマリアナとディノスの貪るような口づけから始まった。
いきなり裸じゃなかったのはシャルロットのせめてもの優しさとエドガーに他の女の肌を見せないためだ。
いろいろな角度からであるのは、マイケルやジョニーたち使役獣の視点だからである。
外からはマイケルたちカラスが、室内からはジョニーたちクモが。
しかもジョニーたちは視点があらゆる角度からであるため、際どい部分も難なく映る。
皆が唖然と見つめる中、空中に映しだされるマリアナとディノスはお互いに服をはだけさせあい、マリアナに至っては服をひっかけているだけでほぼ全裸となっていた。
「いやぁああぁあーーーーーーーーーっ!!! なによこれっ!! やめてよ!! 消して!!」
我に返り慌てて映像の前に飛び出して手でかき消そうとするマリアナ。
しかし消えない。
そんなもの魔法の前では無意味である。
どうにもできないマリアナが振り向きざま涙目で叫ぶ。
「見るなーーーーーーーーーーっ!!!」
羞恥で顔を赤くしたマリアナはバッとシャルロットを睨みつけ掴み掛かろうと駆け出した。
当のシャルロットはエドガーの目を両手で隠していたため、大変無防備であった。
護衛もあまりの映像に気を取られたために一瞬出遅れた。
取り乱したマリアナがシャルロットまであと1メートルといったところで、その勢いを保ったままガンッ!!!と何かに衝突し後方に倒れ見えない何かによって拘束された。
エドガーによるシャルロットを暴漢から守る拘束魔法付きの結界魔法であった。
ぶつかり倒れた衝撃で気を失ったマリアナをそのままにして映像を消す。
シャルロットは顔面蒼白となって固まるディノスへと声を掛けた。
「ディノス様たちの仰る“お友達”とはこのような関係の者を言うのですか?私たちとは大きく認識に差異があるのですね」
「ち、違っ…」
それ以上言葉の続かないディノスから視線を外しアンネローゼたちに声を掛ける。
「皆さま、この様に不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
王族に頭を下げられてしまったアンネローゼたちは慌ててシャルロットに顔をあげてもらうよう頼む。
「いいえ殿下。私たちには何も証拠と呼べるものがなかったのです。ただ見ただけでは言いがかりや嫉妬と言われ終わるところでした。ありがとうございました。」
そして彼女たちは深く礼をした。
「皆さま、明日にでも私の所へいらして?魔法石がたくさんあるの。きっと皆さまの分ありますわ」
青くなった男性たちをチラッと横目にして彼女たちに告げた。
あれだけの数があるのだ。ひとり1個2個どころではないかもしれない。
むしろこの場にいない相手とも関係があるのかも、と思いながらシャルロットとエドガーは暇を告げてその場を去った。
◆
「目隠ししてごめんなさい。エドに見てほしくなかったの」
「気にしてないよ。そんなことより、シャルこそあの男の見てない?」
「あんな人のなんて見ないわ」
寄り添いながら廊下を進む。
「それより、改良が必要ね。撮るだけじゃなくその瞬間誰かに伝えることができないかしら。暴漢や強姦だったならば誰にも気付いてもらえないままで泣き寝入りになってしまうわ」
「誰かって誰に?学園長?」
「学園長がすぐに動けるかしら。女性側からしてみればたとえ学園長でもそんなところ見られたくないわ。女性教諭とか?…負担が大きいわね…」
「いっそのこと学園中に警報でも鳴らす?そしたら近くにいる生徒やら教師やらが駆け付けるんじゃないかな?」
「それだわ!さすがだわエド!それなら音に驚いている間に誰かが駆け付けるし襲われる前に助けることができるわ!」
学園であのように不純異性交遊に耽る者たちもいなくなるだろう。
組んでいる腕をきゅっと抱きしめた。
シャルロットはエドガーの自分では思いつかないような発想をするところにとても魅力を感じる。
たとえ突飛で無謀であったとしても魔力で力づくで解決できてしまう。
いつも真っ直ぐで嘘を吐かない、それでいて割と強引で有言実行でいつも自分のことを思っていてくれるこの可愛くてかっこいい婚約者のことを世界で一番愛しているのだ。
そしてふたりはパーティでの騒動を報告する為、国王の元へと足を運んだ。
◆
騒動の報告後、エドガーとシャルロットは1週間の自室での謹慎を言い渡された。
流した映像が過激だったのだ。
もっと配慮しろと厳重注意を受けた。
謹慎期間が1週間なのは、どうせエドガーが守るはずがないと結論付けられたためである。
一応世間体を気にしての判断だった。
しかし、魔法石を譲ると言っていた手前、本日王宮の一室では魔法石の譲渡会が行われていた。
もともと今回の騒動の発端は、学園内で情事に耽る不遜な者たちの顔を拝みたいとエドガーが思ったことだった。
しかも使用したのは魔法ではなく『使役獣の監視下に置く』こと。
それを魔法と偽っていたうえに、記録した内容があのようなものだったのだ。
パーティでの騒動がなければ表に出るものではなかった。
これが役に立つのならばいくらでも譲るべきというのがエドガーとシャルロットの出した結論であった。
受け取りに来たのは女生徒たちだけだが、会場での出来事については昨夜のうちに家族内で話がついているのだろう。
この魔法石をどのように活用するのかは彼女たち次第だ。
ほぼ全ての魔法石を渡し終えた部屋の中にはシャルロットとエドガー、アンネローゼと壁際に控える侍女と護衛のみとなっていた。
「アンネ、これがディノス様のぶんよ」
「シャルロット殿下、ありがとうございます」
「やあね、硬いわ。確かに最近は疎遠になっていたけれど幼馴染じゃない」
シャルロットはにっこりと笑いかけた。
「…ゔん、ありがとう…シャル」
アンネローゼは瞳に涙を浮かべて礼を告げた。
実はディノス含め彼女たち四人は幼馴染であった。
シャルロットが学園に通わないことで会うことが難しくなり、アンネローゼとディノスは必然とエドガーとも会わなくなったのだ。
学園にはいるというのに。
「まさかディノス様があんな風になってしまうなんて…昔はあんなにアンネの後をついて歩いていたのに」
「人は変わるわ。あなたたちが珍しいのよ」
そう言ってアンネローゼはシャルロットとエドガーを見た。
「私にも私だけを見てくれる人がいたらよかったのに」
アンネローゼから小さな呟きが零れた。
「アンネは今後のことは決まっているの?」
婚約破棄は確実だろうが、その後のことはすでに当主から聞かされているのだろうか。
「まだどうなるか分からないわ。お父様はしばらくゆっくりしていいと仰っていたけれど…いっその事、修道院にでも行こうかと思っているの。今から相手を探すなんて、どこかの後妻か訳ありの貴族しかいないだろうし」
寂しそうに微笑むアンネローゼに危機感を覚え、この場にいない侯爵に一言物申したくなった。
その時扉の向こう側がにわかに騒がしくなった。
何かを言い合う声がするが、それが徐々にこちらへと近付いている。
もう扉前に来るのではと思った直後、両開きの扉が勢いよく開かれた。
「アンネッ!!」
その声はこの国の第二王子であるジェルマのものであった。
「お兄様っ」
「ジェルマ殿下!」
シャルロットとアンネローゼは驚きで声を上げた。
彼は周囲の制止を振り切り、彼女たちの下へ来るとアンネローゼの前で立ち止まった。
「アンネ、侯爵から聞いたよ。すぐに助けてあげられなくてすまなかった」
「そんな…殿下が謝罪する必要などありませんわ。それにシャルとエドガー様に助けていただきましたもの」
妹の友人であるというだけでこのように気遣ってもらえるなんて、申し訳なさと切なさで胸が詰まった。
そんなアンネローゼにジェルマは尚も言う。
「いや、私が君を助けたかったんだ。愛する人の力になりたいと思うのは当然だろう」
一瞬何を言われたのか分からなかったアンネローゼも徐々に理解してきたようで、頬を赤く染めて困ったようにジェルマを見つめ返す。
しかし冷静になって言葉を紡ぐ。
「私は、婚約者の心を繋ぎ留めておくことができなかったのです。婚約もダメになって…こんな私は殿下にはふさわしくありませんわ」
「そのように自分を卑下することは言わないでほしい。こんなことを君に言いたくないが、婚約者が婚約者以外と身体の関係を持って抜け出せなくなっただなんて、そんなのあいつの自業自得だ。誘った方が悪いが、その誘いに軽い気持ちで乗ったあいつも悪い。婚約がなくなったのが君のせいだなんて思わないでくれ」
「ですが、あのようなことがあって、私は何を信じればよいのか分からないのです…」
ついにはぽろぽろと涙を零し始めてしまった。
高位貴族であるため、常に気を張り続けてきたことと、過去のディノスが少々頼りなくアンネローゼが手を引くように歩んできたため、自分がこれまでしてきたことに自信が持てなくなってしまったのだろう。
二人で歩むべき道も一人でだなんて、頼れる相手がいなければ弱音も吐けない。いったいどこまでいけば気を緩めることができるのだろうか。
涙を流し続けるアンネローゼをジェルマがそっと抱きしめた。
「アンネ、君が一人で頑張ることないんだよ。侯爵と夫人だっているんだ。頼っても誰も怒らない。それに私も君のことを守りたい。これから先、私に君のことを守らせてくれないか?共に生きていきたいんだ」
頼られ守る側だったアンネローゼは守りたいだなんて言われたのは生まれて初めてだ。
涙が溢れて止まらなかった。
それは先ほどまで流していた傷つけられた悲しみによる涙ではなく、暖かで嬉しい幸せな涙であった。
◆
そっと扉を閉めシャルロットとエドガーは部屋を後にした。
抱きしめ合うジェルマとアンネローゼには侍女と護衛を一人ずつ付けてきた。
今はアンネローゼを泣かせてあげよう。
ジェルマに任せればきっと大丈夫だ。
「アンネ、甘えられるようになるかしら」
「義兄上が相手なんだ。あの人なら大丈夫だろう。それにアンネローゼを蔑ろにするディノスに一番腹を立てていたのはあの人なんだ。心配する必要ないさ」
「それもそうね。お兄様はいつ婚約を申し込むつもりなのかしら」
「昨夜のあの騒動を聞きつけてすぐに駆け付けそうだったのを陛下とレイフォード義兄上に止められたそうだよ。アンネローゼの気持ちも考えろと」
「でもそのせいでアンネは修道院に行くことも考えてたわ」
アンネの気持ちを考えてほしいのなら、不安な夜を過ごしたことも察してほしい。
「陛下と王太子殿下は時々保守的すぎる時があるからね。こんな時に発揮してくれなくてもいいのに」
とにかく、あの二人が婚約するのもそう遠くないだろう。
久々に清々しい気持ちになった二人は明日からの謹慎期間をどう過ごすか思いを馳せた。
◆
二人の謹慎中に防犯魔法は改良に改良を重ね、「追跡監視魔法」と名を改めて正式に運用されることになった。
もちろん健全な生徒たちにとっては安心安全な監視魔法。
しかし男女のあれこれを目論んでいる生徒たちにすれば、引っかかってしまったら最期、世にも悍ましい監視魔法の誕生である。
別名『恋する包囲網』
実は人の恋路に多大な興味を持ってしまったカラスとクモによって監視・包囲されていることは、魔力譲渡の責任者となった学園長しか知る由もない。
◆
澄み切った青空の下、バレンティーヌ王国の歴史ある大聖堂で今日一組の夫婦が誕生した。
この国唯一の王女、シャルロット・バレンティーヌと侯爵家三男、エドガー・レオンハート。
二人はお揃いの純白の衣装に身を包み、終始仲睦まじく寄り添っていた。
お互いの左手薬指にはプラチナのリング。
そのリングにはお互いの魔力が込められており、何処にいるのか一発で探知することができる。
更にはお互いにしか外すことができない仕組みとなっていることは当の本人たちしか知らない。