第5話 モテる男はツラい(多分)
翌朝、私は猛烈に盛り下がって、しおしおと学園の門をくぐった。
婚約破棄実施の翌日よりも、今の方が暗い。
だって、例のマリリン嬢と母を比べて、どちらが迫力があるかと問われれば……当然、母の圧勝である。
考えてみれば、あのマリリン嬢、物凄い考え違いをしている。
学園の中だけで物事を考えるから、こんなことになるのだ。
私は今更ながら腹が立ってきた。
世の中には、ウィザスプーン侯爵もいれば、私の父も、それから母もいるのだ。
彼らがこんな真似をされて黙っているはずがないではないか。
ペンを取ったとか言う程度の言いがかりなら、学園内で収められるが、家同士の契約内容を勝手に破棄するようなことをしたら、途端に世界は広がる。
まあ、この場合、本来責められるべきはあのバカのハーバートだけど。
マリリン嬢がらみの婚約破棄なんか怖くも何ともない。
ハーバートと縁が切れてせいせいするだけだ。
だけど、次の婚約者を学園内で見つけてくるわよね?当然、もっとお高い方を?という母のプレッシャーはものすごく、全く自信のない私は落ち込んだ。
お姉様、かわいそう。結婚まで済ませたのに、相手が死んだせいで、母の結婚圧力にまださらされているだなんて。
トボトボ歩いていて、こんなところを例のマリリン嬢に見つかったら、絶対、ほくそ笑まれる。
私は胸を張って歩こうと思って、頭をツンと上げて、そして、前方に妙なものを見つけた。
え?
何あれ?
人だかりがしている。
何だろう?
女生徒が三人ほど一人の男性の周りに集っている。そしてどう見てもその男性に何事か頼んでいる。ねだっている。え? 迫っているの?
「うわあ……」
男性はハーバートだった。
モテてる。
ええ? おかしいじゃない? マリリン嬢はどうなったの?
「あ、いや、僕はそんな……あっ、サラ! サラじゃないか! ちょっと、助けて」
周りの女生徒たちは、じろりと私に目を向けた。
だが、突然、彼女たちは作り笑いを浮かべた。
「これはポーツマス侯爵令嬢」
「お見苦しいところを申し訳ございません」
見れば、どこぞの男爵家の令嬢だの、平民でも裕福なので有名な家の令嬢だのである。
マリリン嬢とは違い、身分を弁えているのか、申し訳ございませんと私に向かって頭を下げていた。
「何をなさってらっしゃるの?」
好奇心に負けて聞いてしまった。
「サ、サラ! 助けてくれ。彼女たち、僕に交際を迫っているんだ」
「まあ、人聞きの悪い。そんな無体は申しませんわ。そうではなくて、もしお時間が許せば、お茶でもご一緒いたしませんかと」
「はい。私どものような身分の低い者から、お願いはできないと思っていましたが」
「僕にはマリリンがいる! あ、あなた方はマリリンに失礼ではないか?」
これには僭越ながら、私も彼女たちの高笑いに参加させていただいた。全く、どの口が言うんだか。
「婚約者ではありませんもの。気になさることはございませんわ」
ほほほ……と、高笑いと共に彼女たちはハーバートの主張を無視した。
「そうですわ。どなたも同じですのよ?」
なるほど。
確かにその通りだ。
婚約破棄は決まった。
正式にはどうだか知らないが、今頃兄が奔走しているだろう。
それにもう今更覆らない。公衆の目前であれだけのことを言い放ったのだ。聞いた者も大勢いる。
でも、だからと言って、同時にマリリン嬢との婚約が成立するわけではない。
つまり、事実上、ハーバートはフリー。
そして、男爵家の娘を選んだのだと公言したくらいなのだから、別に身分にこだわっているわけでもなさそうだ。
それならと言うのが、彼女たちの狙いな訳で……
私はしとやかに目礼した。
「よくわかりましたわ。それでは、私は失礼します」
「あっ、ちょっと待って! サラ、事情を話すから」
何の事情だか。
知りたくもない。
それとも、マリリンを呼んでこいとか?
あいにく、私はあなたの婚約者でもなければ、使い走りでもないのよ。
「それでは、みなさま、ごきげんよう」
「ごきげんよう。ポーツマス様」
どこぞの男爵令嬢と違って、彼女たちはしっかり礼儀を弁えていて、愛想よく送り出してくれた。
いきなり人を呼び捨てで呼んだりしなかった。
マリリン嬢より断然いいんじゃないかしら?
教室でこの話をイザベラにしたら、彼女は猛烈に盛り上がった。令嬢の礼儀スレスレのところまで爆笑した。
「何を笑っていらっしゃるの?」
涙を流し、お腹を抱えて笑いの発作に取り憑かれているイザベラを見て、さすがに気になったらしい他のご令嬢たちが事情を聞きに来た。
別に隠すほどのことでもないので、伝える。
「まあ。ウィザスプーン様が!」
舐められたものである。
マリリン嬢にできたなら、自分達だってとダメ元で、トライしているのだろう。男爵家や平民から、侯爵家の夫人になれるかもしれないと思われたのだ。
これを聞いたら、今度は、ウィザスプーン家が息子に怒りまくるだろう。
もちろん、婚約者をないがしろにして、突然見知らぬ派手派手な男爵令嬢なんかと婚約したいだなんて、私のお友達連中も怒り心頭だった。
ルール違反である。
彼女たちはれっきとした貴族であり、一応、ルールは守るつもりがある。でないとメチャクチャになってしまうから。
でも、よく考えたら貴族だけではなくて、平民でも、お互いの合意の上の婚約途上で、浮気されたら怒るんじゃないかしら。
その結果、どうやらハーバートは、貴族のみならず、平民からもいい印象を持たれていないようだった。
挙句、侯爵家からすれば問題にもならない身分の低い娘たちから投機の対象のように見なされて、取り囲まれている。
皆で(誰も自業自得などとは言わなかったが)口元を押さえて笑っているところへ、バンと大きな音を立てて、教室のドアが開いた。
教室にいた全員が驚いて振り返った。
カンカンに腹を立てている様子のマリリン嬢が立っていた。
「なんて品のない……」
誰かが小さな声で言った。
教室は、いきなりシンと静かになった。
「サラ・ポーツマス!」
「まああ!」
教室中がざわめいた。
人を呼び捨てにするなんて、どういうつもり?
「ちょっと!」
お友達のうちでも、気の強いアリシアがきつい調子で声をかけた。
「ポーツマス様を呼び捨てするだなんて、何様のつもり?」
「とんでもないわよ! そこのお高く止まった傲慢令嬢のせいで、今、私の婚約者が、礼儀も何もなっていない雑魚女どもに取り囲まれているのよ!」
あれか。あの令嬢たちか。
全員が何の話か理解した。
だが、同時にみんなプッと笑い出した。
「まあまあ、それは取り戻してくればいいじゃないの」
仲間内の一人が言った。
「取り戻せないから、言いに来ているのよ! ……何笑っているのよ!」
「だって……サラ様は、何の関係もないでしょう?」
「関係あるわよ! 私をひどい目に遭わせたのよ? 今だってそうよ。ハーバート様を私に返して」
「ハーバート様がどうかしたのですか?」
「他の女に迫られているの! 私と言う婚約者がいるのに!」
「まあ。でも、あなたも、婚約者がいるハーバート様に迫りましたよね?」
マリリン嬢は胸を張った。
「それは違うわよ。ハーバート様は私を愛しているの。だから構わないのよ。むしろ当然なの」
「では、ハーバート様に迫っていると言う令嬢方にも、そうおっしゃればいいではありませんか」
マリリン嬢は周りを見回した。
みんな、ニヤニヤ笑っているだけだった。何人かは(私も含めて)おかしそうにハンカチで口元を覆っていた。
「どうして、みんな、私を助けてくれないの?」
「どうして助けてくれると思ったのですか?」
むしろ、不思議そうにアリシア嬢が尋ねた。
「真実の愛なのよ? 聞いたことがあるでしょう? 身分を超えた愛なのよ。助けて当然じゃないの? ひどいわ。貴族って、こんなに意地悪で薄情な人たちだなんて思っていなかったわ。身分を鼻にかけて……学園に言い付けてやる。学園は身分に関係なく平等だと言ってるのに。あんた方は、全員ルール違反よ」
「では、平民の皆様にお願いすればいいではありませんか。あなたのお友達とか」
「信用ならないわ! 今、ハーバート様を取り囲んでいるのは、平民連中なんだから!」
「それはそれは……ハーバート様もお気の毒に……」
思わず誰かがため息をついた。
「ね? 気の毒でしょう? 助けてよ」
「でもね、マリリン嬢」
アリシア嬢は諭すように言った。
「私たちには何もできないのですよ。なぜなら、サラ様は婚約者ではないので、そのご令嬢方にやめなさいという権利はないのです。その権利は婚約破棄と同時になくなりました」
マリリン嬢は私が婚約者ではないと言う点は理解したようだ。
頷いている。
「そして、私たちも何の権利もないのですよ。ルールを守りなさいと言うこともできないのです」
「何でよっ?」
「それは、あなたがまだ正式な婚約者ではないからですよ」
「そんなことないわ! 婚約はハーバート様が決めることよ」
「婚約って、家同士の決め事、つまり契約なのですよ。契約上はまだなのです。結構時間がかかると思いますわ。でも、婚約者になればその方達はきちんとルールを守って、ハーバート様に近寄らなくなります」
「そうなんだ……じゃあ、早く契約しろってことね」
「それと、ハーバート様があなたを愛しているなら、その方達のことはきっと追い払ってくれますわ。心配いらないと思います」
私たちは真面目に頷いて、マリリン嬢に微笑んで見せた。
これを貴族の二面性と言うなら言うがいい。
だって、すごく面倒臭いんだもん。この子、自分に都合のいいことしか理解しようとしないんだもの。
「意外にあなたは親切ね。そこで隠れている傲慢で絶対に男に嫌われるタイプのクソ侯爵令嬢よりマシだわ」
彼女は、私の友達のことはほめ、そして私をジロリと睨むと最後の捨て台詞を吐いて出ていった。
授業のために入ってこようとしていた、文法の先生のミス・ダントンが最後のセリフを聞いて、目を皿のように大きくして顔色を変えていた。