自分を認めよ(1)
実菜穂の足取りは軽かった。(今日はみなもに会える)そう考えるだけで、苦痛な時間はかなり楽なものになっていた。
あの夜公園で泣き尽くした後、みなもに言葉の意味を聞いた。
「空っぽなのが良いって言ったの、みなもなの?」
実菜穂はやっと会話らしい言葉を口にした。
「ああ、そうじゃ。お主は空っぽだと言うたのう。だけど、空っぽなら何でも入るではないか。なぜ、詰め込んでみないのだ。何でも良い。やってみたいこと、興味が少しでもあるもの、気まぐれで偶然見つけたもの。何でもじゃ。そうやって、いろいろなものに出会えば、何かお主が本当に興味を持つことが見つかるのじゃ。やってみて詰まらぬのなら止めてしまえばいい。それはお主に縁がなかったもの。数々の出会いをしないと本物は見つからぬ。その一つ一つがお主を成長させる。必ず心が満たされるものが見つかる」
みなもは、実菜穂を優しく抱き寄せて言った。
「のお、この世界は広い。その中で儂らがおる世界は小さなものじゃ。その中で何を悩む。詰まらぬ。お主の時間は無限ではない。なら、悩む時間なぞもったいないぞ。もっと、自分を誉めよ。お主は成長する」
みなもの言葉がこのときは何を伝えたいのか実菜穂にはよく分からなかった。ただ、あえて言えば心の空間になにか沁みこんでくるものがあった。
昨日は、新学期の委員を決める集会があった。ここでみなもの言葉が少し実菜穂を動かした。
(何でも良いのじゃ。少しでも興味あるもの)
実菜穂は図書委員にすぐに立候補した。
(自分から動くことなどいつ以来だろう)
まったく憶えがない。すぐさま同じ委員に立候補した者がいた。陽向である。陽向は日美乃陽向といい、いつも明るく、すこしのんびりとした雰囲気をもっていた。クラスの、誰からも声が掛けられる人気のある目立つタイプだ。誰も彼女を悪く言う者はいない。今の実菜穂とは正反対だ。
図書委員は男子の候補者がいないため、この二人にあっさり決まった。
実菜穂と陽向は目が合った。陽向はにっこり笑っていたが、実菜穂はそのまま俯いてしまった。
(こんな時、どんな顔をすればいいのだろう?)
気まずい思いがこみ上げた。
そのようなことを思い出しながら、実菜穂は和菓子の店に立ち寄っていた。
買う物は決まっているので時間は掛からなかった。渡された包みを鞄にしまい込み、早足で家路をたどった。
(みなも、喜んでくれるかな)
時計は午後6時を過ぎていた。実菜穂の母は、週に2回ほど近くの公民館で書道教室の講師をしている。田舎にいたときは小さな教室を開いていたが、こっちに来てからは公共のスクールで手伝いをしていたのがきっかけで、今は講師として呼ばれていた。なのでこの日は父が帰る8時までは、実菜穂にとっては一人の時間なのだ。
家に帰ると着替えを済ませ、台所で買ってきた包みを開けた。可愛らしいおはぎが顔をだした。以前に、一度食べて気に入っていたことを朝に思いだして、一日中おはぎを手に入れることばかり考えていた。
(そろそろ、来るかな?来るよね)
待っている間に不安が少しこみ上げてくる。期待と不安が交互に押しては引く。実菜穂は居ても立ってもおれず外に出たると、玄関には女の子が立っていた。みなもだ。その姿を見た実菜穂は思わず声を上げてしまった。着ているのは、ジャージ。一昨日前の着物からのジャージ姿。しかも、淡いブルーは実菜穂の学校指定服である。さらに、衝撃だったのは、みなもの髪がショートになっていたことだ。腰まで延びていたあの髪は、今は肩にも届かないほど短くなっていた。
「待っておったぞ」
みなもは、にこりとして実菜穂を見た。
「ずっと、待っていたの?いつからいたの?」
「そうじゃのう。お主が家に帰ったときからかのう」
「じゃあ、30分以上もここで待っていたの?声かけてくれたらよかったのに」
「お主を呼び出すのも悪う思えて。こうして待っておった」
「気を使わなくていいよ。何か事故でもあったのかと心配したよ。さあ、早く入ろう」
実菜穂は部屋に案内するなり、みなもの顔をじっくりと見た。
「髪が短くなってる。切っちゃったの?」
(ジャージはまだいいとして、髪型の変わり様はすごく気になる)
実菜穂は聞かずにはいられなかった。
「ああ、これかのう。お主に会ったとき、儂のことあまりよく思い出せないようじゃから、お主と遊んだ頃の姿に戻ってみたぞ。これなら、お主も憶えておる儂じゃろう」
みなもは笑いながら実菜穂の肩をたたいた。
「それは、そうだけど。そんな理由で?あんなに綺麗な髪だよ。何かあったの?」
実菜穂は納得いかないという顔だった。
「それだけじゃ。髪などどうにでもなるでな。すぐに伸びる。それに、この方が儂には動きやすいし、楽しいのじゃ」
みなもは笑顔のままだった。
(みなもは、いつも何か不思議なことを言う)
実菜穂は、このときはあまり気には止めなかった。それよりも、改めてみなもを見て可愛いと思った。桜の下で見たみなもは清楚で美しかったが、ジャージ姿のショートヘアのみなもは活発で可愛いという表現が合っていた。
(クラスにもこんな感じの子いないな。いや、陽向ちゃんならみなものこの感じに少し似ているのかな)
実菜穂はなぜか陽向のことが頭に浮んだ。
みなもは、実菜穂が差し出したおはぎを見ると目を輝かせて声を上げた。上品で小振りなおはぎだった。
「おー、おはぎじゃな。思い出すのう。お主のおばば様がよく作ってくれてたなあ。それをお主がいつも持ってきてくれたのう。あれは、儂は好きじゃった。大きくて、甘くて、何よりもお主と食べるのが楽しかった。おばば様の大きなおはぎも良いが、お主が儂のために用意してくれたこの可愛いらしいおはぎもええのう。何より実菜穂の気持ちが儂には嬉しい」
みなもの言葉はけして大げさには聞こえなかった。それは、みなもが心から本当に喜んでいるのが実菜穂に伝わっていたからだ。実菜穂が期待していた以上にみなもは喜んだ。嬉しい、優しい、可愛い笑顔で喜んでいた。そんなみなもを見ていると、実菜穂も幸せになった。
みなもは、小振りなおはぎをさらに竹の菓子楊枝で細かく切り口に運んだ。
「甘もうて、うまいのう。これは幸せなことじゃな」
みなもは満面の笑みで食べた。
「みなもがおはぎ好物だったのを思い出して。でも、大げさだよ」
「儂の本当の気持ちじゃ。実菜穂は儂のこと思ってくれたでの。その気持ち、よく伝わるのじゃ。有難いことじゃ」
みなもは実菜穂を見つめて、また笑った。実菜穂は照れながら自分もおはぎを口にした。