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6章

 ……異聞が現出する数刻前


 ~岩屋村 村道~


 和泉とハルは浅岡宅を出て、村長宅への道を歩いていた。


 幻十郎と正治との間で異聞の存在を確認する事……それはハルに対しては2人の間で何らかの話をするという事で説明している、そのやり取りの間ハルには無用の混乱を招かない為にも村長宅へ一時的に退避してもらう為だ。離別の際、正治からハルが見えなくなるまでひたすらに送別の手を振っていたのはハルにも見えていた。いくら妹思いの兄だとしてもそれはやり過ぎじゃないか、いくらなんでも一桁の年齢の妹でもあるまいし。ハルはそう思いながらも正治らしいなとも感じていたのだった。


 思えば10年前……父母を流行り病で亡くしてから兄は父母その2人の役割を不器用ながらも果たしてくれていた。父として、日々の生活を支えてくれただけでなく、尋常小学校高等科の進学を父母が亡くなった一番大変だった時に迷わず進めと支えてくれた。あまつさえ小学校進学を後押ししてくれただけでなく中学校進学をも勧めてくれていた。ハルは流石に村から横濱あたりまで出て寄宿すること、兄1人を残して行くことに抵抗を感じ村に残る選択をしていたが、兄は、これからは女子であっても勉学を修めればと強く推していた。兄自身はその様に進学も出来ていない。それなのに。又、母として料理、裁縫などを不慣れながらもしてくれていた。それらは後年、ハルの方が得意となったものの兄の不器用な味噌汁の味は、自身のこなれた味噌汁よりも美味しいものとハルは自負している。


 この様な10年であったからこそ、正治は時期というものを見いだせず所帯をこの歳まで持つことは無かった。ハルはその様な兄に対し、格別の恩と愛を持ち日々を過ごしていた。それらの思いと同じくらいに早く兄にいい人が表れないものかとやきもきしているのだった。


 ……ハルはこの様な過去を振り返っている今の心境は何なのだろうと自身に去来する思いの源泉が何なのか分からない事に酷く不安を募らせていたのだった。この数日、不安と安堵の波が寄せては引いて安心出来る材料を自ら探し出し鎌首をもたげる不安を時々刻々と押し込めている、そんな状態だなと磨り減った心を客観的に見ていたのだった。


「和泉さん。兄はどうなるんでしょう」


 道中、歩きながら和泉に対し自身の不安をぶつけていた。兄はどうなるのか。幾分現在の状況と照らして意味が通らない様な質問だった。例えば兄の記憶は戻るのか。例えば記憶がない間の事。そういう質問であれば意味は通るだろう、しかしそうではなかった。ハルの中でそういう質問に至らない何らかの……確信とまでは行かずとも薄ら感じている兄の状況の不可思議さ。そういうものが表れた質問だった。


「……どう……ですか。う~ん、なんと言えばいいのか」


 和泉の応答は全く歯切れの悪いものだった。ハルに対し本当の事は言えないものの、その質問から一定ハルの不安は当たっている。当たってしまっているのだ。彼女に対しどの様に返答すれば、出来るだけ真摯に返答した事になるのか。和泉はそういう返答例を持ち合わせておらずその様な中途半端な返答になってしまっていた。言いながらもこれでは最悪の返しでしかないと考えた和泉は続けて


「……私達は今回の失踪事件について、捜査の上で終結に向け必要な事はどの様な事であっても完遂する。そういう信念の元、行動しています。

 その中で今度は殺人も発生している。どの様な結果であれ、私達は私心ではなく公儀の僕として不義討滅を行う。行い続けている事、それだけは偽りなくお伝えする事が出来ます」


 墓穴を掘っている。和泉は話しながらそう思い続けていた。今のハルに対しどうにも明後日の方向の話し口だった。だが、和泉が理解している現状では正治が“戻ってくる”未来というものはとうに選択候補の下位であり、それを平然と言ってのけるだけの優しさ……の皮を被った冷徹さは和泉には無かった。自分達の行っている日々の務めには腹心はない。ただそういう言い繕いをする他無かった。これから兄を亡くすだろうこの不安げに質問を投げかけてくる彼女には。そう言う他なかったのだった。


「……大変なお務めなのですね。そう仰る事、その中で兄が救われる事、それを信じてみようと思います」

 

 兄が救われる。その言葉の重みに和泉はそれ以上何かを言い繕う事はもう出来なかった。会話はそこで途切れてしまった。


 ~村長宅前~


 和泉が玄関の戸を叩く。それに応じて家人が応対に現れる。


「本日もこちらで泊まらせて頂きたいのですが、ちょっと状況が変わりまして、こちら浅岡ハルさんを一泊させて頂きたいのです。後、すみませんが真山さんを呼んでいただけますでしょうか」


 応対に出てきた家人に対し、その様に和泉は伝えた。

 家人は和泉に対しその旨了承した事を伝えた後、使いの者を呼び真山が詰めている駐在所まで走らせた。


 家人の案内で前日和泉と幻十郎が寝泊まりさせてもらった居室まで通されると、和泉、ハル双方一旦腰を降ろした上で和泉がこの様に切り出す。


「了承をもらえたのでハルさんはこちらで一泊して下さい。何かあれば私に。真山さんが来られれば私は真山さんと交代させてもらいます」


「和泉さんは? どちらに」


「藤間さん達と合流します。私もすべき事がありますから」


「そう……ですか」


「では、私は真山さんの到着まで外に出ていますね。一先ずは気を落ち着かせていて下さい」


 和泉の言うすべき事……先程来、来る道中から和泉から発される言葉の一つ一つがハルの中の不安を成長させていた。……皮肉にも和泉がハルに対して真摯であろうとするのが垣間見えて尚更それをハルの中で加速させていたのだった。


 ~~~~


 一時の時間が流れた後、駐在所から真山が村長宅へやって来た。辺りは暗闇となっている。


 村長宅、玄関前で和泉と真山が言葉を交わしていた。

「……という事で、ハルさんにはこちらで一泊して頂いています。私はこれから藤間さん達と合流しようと思いますので真山さんには私の代わりにこちらで守りを務めて頂きたく」


「承知しました。浅岡さんに声は掛けていかれますか」


「ええ、そうですね。顔だけだしてそれから向かいたいと思います」


 真山との会話から和泉はハルにその旨告げてから幻十郎の元へ向かおうとハルの居室に向かった。居室の前で和泉はハルに声を掛ける。


「ハルさん。真山さんが来られましたので交代させてもらいますね」

 居室からの返答はない。


「ハルさん?」


 和泉は声を掛けながら居室の襖に手をかけそっと居室を覗いた。居るはずのハルはそこに居なかった。2人のもとへ向かったのか! 和泉は直感していた。しまった。この様な事にならぬ様にと画策してみても止められなかった。あるいは自身の振る舞いがそうさせた。後悔は焦りとなるも遅きに失するものだった。勝手口を見落としていた。あるいは子女の周りを近くに守りをするのは礼を失するもの……様々な事が和泉の頭の中を駆け巡るも今すべき事はと、和泉は急ぎ玄関まで戻り真山に事の次第を伝えた。


 その後、全力で藤間の元へ向かう。自ずとも道中でハルに追いつける事を信じて。


 ~山道 入り口~


 ハルは自身の不安を掻き消す為、幻十郎の口から説明されていた事、和泉の会話を思い出しながら山道まで抜け出していた。月はもう高い。……分からない。幻十郎と正治が何をするのか。しようとしているのか。幻十郎は話をするだけだと、記憶が戻るようにと言っていた。正治は何も心配いらないと。……嘘だ。嘘の性質は理解していた。ハル自身を良くない何かから遠ざけようとしている事、そういう事なのだろうとは。少ない会話ではあったが幻十郎という男は雑な言葉遣いではあるものの、その話している事そのものは思慮のある物言いだと感じていた。その様な存在が嘘を述べる。焦燥感はハルの中で加速していく。


 山道を登り、いつも正治や他の猟師一同も山へ入る際、必ず詣っている祠までほど近くといった所。


 居た。


 幻十郎と正治の姿を遠くではあるが見つけた。2人は相対していた。ハルと両名その距離およそ50メートル程だろうか。裾野といってもそこは山の中だ。近い様で遠い、足元は朽ちた枝葉などで歩きにくい。正治は動けずにいるのか? 分からない。幻十郎が正治に近付いて行く。走っていける様な道はない。ハルは出来る限り早くそこへ辿り着こうとしている。正治に何やら黒いモヤがまとわり付いている様だ。あれは何? 霧の様にも見える。何をしているのだろう。気持ちばかり急いてしまう。


 幻十郎は腰のサーベルに手を掛ける。一体何をしている! 幻十郎の目の前には兄ただ1人だ。斬る様な物は、人はそこには何もない! どうして! ハルの頭の中は既に混乱の只中にある。2人までの距離30メートルにまで進んでいる。


 幻十郎が瞬時に動く。


 兄が真っ二つに斬られている。


 何が起きているのだと言うのだろう。ハルは見ている景色、その情報をハルの脳が理解する事を拒む。兄の身体からは鮮血が迸る。見ているものを見たくはない、それでも進む歩みは止められない。愛しい人を失う、今失っていっている。今まさにその生命の灯が消え失せようとしている。これは一体何なんだ! ハルの混乱の頂点の只中にただこう叫ぶしかなかった。


「兄様っ!」


 幻十郎の後方20メートル程のところから、ここに居るはずのない存在の声が森の静寂を切り裂くように大きく悲痛に響く。幻十郎はゆっくりと後ろを振り向いた。


 ハルは口を両手で覆う様に立ち尽くしている。斬撃の瞬間を見ていた様だ。その顔は蒼白となっていた。その目は今にも悲しみの激情が身体を駆け巡りどうにかなってしまいそうなほど渦巻く感情をその混乱を発露させている。


「藤間さん! すみません!」

 和泉がハルから遅れて更に後方から現場に駆けつけた。


「御託は後でいい! 異形が現れる! ハルを下がらせろ! 守れ!」

 現れた和泉に幻十郎は檄を飛ばす。


「はい!」

 和泉は呆然と立ち尽くすハルの肩を抱き後方へ下がらせようとする。ハルは為す術もなく和泉に引き連れられていく。


「……間に合わなかった! ハルさんすみません!」

 和泉はハルの肩を抱き幻十郎の指示の通り、幻十郎のいる場所から後方に下がっていく中でハルに対して話しかける。


「ハルさん気を確かに! ハルさん!」


 和泉の言葉に一切の反応を返す余裕などハルの中に全く存在していなかった。和泉はハルが動く気力など一切失くしている事が見て取れた為、現出しかかっている異聞との間に入る様にハルの前に立ち状況を見ている。自衛用に装備している、腰に提げたホルスターから新式の尺取虫などと呼ばれるオートマチックピストルを構えた。後ろ手にハルの肩を持ちながら……


 ……くそっ! そうなるにしたってどうしてこう一等見せたくない所で!


 幻十郎は自身の至らなさに口を噛んでいた。何とか和泉に指示を飛ばした後、現出する異聞に目を張りながらも和泉がハルを守っている状況を確認している。


 状況は刻一刻と変化する。異聞の現出は止まらず黒い霧はこの世に物理的に干渉出来る血肉へと変容していった。村に来る道中、報告書を読んだ通り鬼の異聞“酒呑童子”が現れている。


 異聞“酒呑童子”は咆哮する。地に響く、太く低い唸り声だった。常人ならば間近で聞くだけで一瞬動きが止まる様な身の毛がよだつ様なものだった。一拍も置かず幻十郎の目の前の異形は一方の腕を力の限り地面に振り下ろした。


「ちいっ!」


 幻十郎は瞬時に相手の所作を理解し一足飛びに現在立っている場所から後方に飛んだ。先程まで立っていた場所は異形に無軌道に力の限り振り下ろされた腕により深く抉られている。抉られた土は土煙を放ち一種の煙幕の様に作用していた。


 瞬間、土煙の間から幻十郎めがけて巨体が弾丸の様に飛び出してくる。ただの体当たりではあるが成人の2倍はある体躯の筋肉の塊であるそれはまさしく大艦巨砲の如く突進してきている。


 幻十郎はそれを何とか更に横に飛び躱した。


「見かけによらず速えじゃあねぇか! この三下!」


 躱しつつ、幻十郎は回避動作の延長で地につけた片方の掌を軸とし身体をしならせ、その力を利用しながら天に跳躍する。幻十郎のサーベルは伝統的な日本刀の血脈の中拵えられており両手持ちの出来る柄となっている。天に飛んだ幻十郎はサーベルを両手に持ち思い切り振り下ろす。振り下ろされた切っ先は体当たりの姿勢のまま敵を見失っていた後背、肩口を撫でていった。武具の防御など一切利かぬ剛力の一撃だった。一方の腕の攻撃力を無効化する事に成功していた。


 異形は今しがた斬られた傷口をかばいながら一歩二歩と後ずさりをしている。否、それだけではなかった。黒い霧を正治だったものから更に引き寄せているようだった。斬った傷口にその霧は集まっていく。傷口は幾分か回復していっている様相だ。


「人に憑けばそう言う事も出来るんだったな……それ以上そいつを弄ぶ事、この俺が許すと思ってんのか!」


 幻十郎はそう喝を発すると共に、一足飛びで異形に飛びかかる。交差する瞬間、身長差を勘定し低く体勢を取り、足元、向こう脛に一撃、返し刀で足の腱に更に一撃を加える。堪らず片膝立ちの様な姿勢を異形は取る。他方、勢い一旦幻十郎は異形と距離を取った。異形は複数同時に傷を受け回復もままならない様だ。


 異形は何か考えを変えたのか、傷口に集まっていた霧をダメージを受けていない方の腕、その掌に集める。やがて霧は形作られ棍棒の様な物に変容、現出する。


 鬼に金棒とは、何の冗談だ。と幻十郎は変化していく成り行きを見ながら感じていた。


「酒呑童子ってんなら刀の一つでも持ってきやがれってんだ」


 幻十郎は異形が得物を現出させた事を見やり一旦納刀し、抜刀体勢に入った。腰を深く落とし気を練っている。さながら正治に対し行った破邪の太刀の構えの如き姿勢だった。


「邪を祓う剣術だ。おめぇも見ていたろう。おめぇを炙り出すだけのモンじゃあねぇ…あれはただの応用ってもんさ。その本質はまさしく魔を祓うモンってのをおめぇに味あわせてやらぁ」


 異形は再度咆哮を上げる。今度は先程より一層憎悪の意を増す雄叫びだった。その音圧は物理現象として指向を持ち幻十郎に襲いかかる。更に金棒を振り上げ地に叩きつける。金棒が持っている何か能力があるのか、衝撃、こちらも指向性を持ち裂けた地面は一直線に幻十郎へ向かっていく。


「そんな出鱈目な力の放出が俺に届くと思うなよ」


 そう呟いた幻十郎は練った気を放出するかの如く瞬時に力を漲らせ抜刀する。


 先程の正治に対して放った抜刀術……破邪の太刀とは別格のものだった。


 一陣の風を呼び……光を呼んだ。光は一条の嚆矢となり異形のもとへ突き進む。


 異形の放った力と光は正面切ってぶつかった。しかして異形の力は霧散するも光は消えず。一切の減衰というものを見せず異形、その丹田を深く貫いた。


 痛みに堪らずうめき声を上げている。黒い霧を再度集め……ようとしている素振りを異形はするものの霧は出ない。正治だったものと今、現出している異形との繋がりがまるで切れた様なその様な所作だった。


「だからよ、言ったじゃあねぇか……“許さねぇ”ってよ」


 幻十郎の放った斬撃……その光は確かに異形の身体を貫いた。が、それだけではない。憑いている繋がりそのものを祓うそういうものだったのだ。破邪の太刀、その力の本質であった。


 異形はなりふり構わず金棒を杖代わりに立ち上がる。いよいよ力を振り絞り最後の一撃といった所か。


「おうおう、無様なもんだな。さっさとかかってこいよ。この俺の剣がおめぇを一刀に伏してやらァ」


 自身の肩に持っているサーベルを据え、他方の腕でその手でかかってこいといったポーズをする。


 痛みも構わず金棒を大上段に構えつつ異形が突進してくる。


 幻十郎は腰を落とし向かってくるのを待ち構える。およそ剣術の姿勢ではない。肩にサーベルを据えたまま……


 金棒の打撃範囲に幻十郎が収まる。力の限り異形はそれを振り下ろす。


 それよりも瞬時、幻十郎の動きが早い。向かってくる速さも勘定に入れ異形の懐深く潜っている。そこから天を仰ぎ見るかの如く。天には異形の頭部がある。肩に据えたサーベル、円を描く様に一閃。


 異形の頭部は虚空を舞った。

 異形の胴は膝から崩れ落ち、その活動を終えた事を内外に知らしめたのであった。

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