4章
~翌朝~
幻十郎、和泉両名は昨日の話……失踪していた青年が記憶はあやふやだが五体満足で戻ってきており今は静養しているという事を受けて、一先ずその青年に会い、話を聞くため浅岡宅を尋ねていた。
浅岡宅は岩屋村集落でよく見られる茅葺き住宅であったが、外観一遍にメンテナンスが行き届いていない様な印象を受けた。茅葺きに関しては定期的に葺き替えがなされている印象とは反対に、木組みの塀には所々壊れているもののそのままになっており板張りの壁面に簡素な修復なままの箇所が散見された。
……村の者同士が寄り合い行われる葺き替えなどは行われているが家人が行う様な小規模なメンテナンスが行き届いていない。人手が足りていない……その様な印象だった。
「御免下さい」
和泉がいつもの様に対外交渉役として家人を呼ぶ。
「はい」
浅岡宅の引き戸を引いて現れたのは浅岡ハルであった。
「あっ昨日の刑事さん。お世話になります」
ハルは二人を見やり、おおよそのこちらへ来た理由というものは想像出来ていた。その為、次の言葉として話し続けた。
「兄にご用件ですよね……」
「えぇ、お身体に障りが無ければ是非お話をお伺いしたく寄らせて頂きました」
和泉はそう返答する。
「なに、床の上で構わんさ。それも難しいようなら日を改めるが」
幻十郎も和泉に追随し話しかける。ハルは多少、逡巡している様な素振りを見せている。そこへ
「……ハル。お通しして。この様な格好でお目通り大変申し訳無いですが、それで宜しければ」
土間の奥、囲炉裏のある部屋、その柱に手を掛けながら1人の青年が話しかけてきた。話した内容から恐らくこの青年が目的の浅岡正治なのだろう。
……年の頃二十七ないし八ごろといったところだろうか。総髪撫付の頭に濃紺の浴衣着といった風体だった。
「兄様……」
「ハル。一昨日にも言った通り身体の具合はどこも悪くはないんだ。その様に心配してくれるのは嬉しいが、これではハルの子供になった様な気分さ」
正治はそう言いながらハルに微笑んだ。兄を想う妹にその想いを優しく受け止める兄。大層仲の良い兄妹に、そのやり取りのみを見た二人にもそう思えた。
「大変なご体験をなされた直後だと言うのに不躾ですみません。出来る限り短く伺おうと思いますのでどうかご容赦を」
和泉もその二人の関係性を汲んでハルの想いに応えるかの様に話を進めようとする。
「いえ、警察の方に協力しますのは市民の本分です。何もお気になさらず」
正治は聴取を受ける事は当然だと言った風に返した。
「……それでしたら、刑事さん。奥にどうぞ」
ハルはそう言って二人を囲炉裏のある居間に通す。
土間を通り、居間に通された二人は囲炉裏を囲んで四方に幻十郎、和泉両名と浅岡兄妹と言う形で座りあった。幻十郎の真向かいには正治が座っている。
春はまだ少しだけ遠く、囲炉裏には炭が内部に赤みを帯びてほのかな熱を外部に伝えている。自在鉤には鍋がかけられ湯が蒸気を緩やかに放っていた。ハルが正治の身体を思っての事だろうか。
「早速で悪いが、正治さんあんたが居なくなってしまった時の事から聞かせてはくれねぇか?」
幻十郎が口火を切る。正治は少し逡巡した後話しだした。ただ、自分の記憶にはあまり自身がない様子で所々思い出し……という為か、とぎれとぎれで話している。
「えぇ、あれは1週間前……程度だったかと思います。その日も生業である猪鹿猟に向かう為、山に入りました。登山口近くに建立されている山の祠に参ったのは覚えています……それから山裾沿いから沢に入り獲物を探していました」
思い出している所作は外から見た限りは不審な点は見られない。
「その時、大きな熊の様なものを見たように思います。ただ……熊ならまだまだ冬眠期で徘徊している季節ではないですし、早めに起きた熊ならあれほど体格は良くないだろうと、それに……そいつは大きな図体のはず……なんですが樹上にいた……様な」
思い出す事が難しくなっていっているのかどんどん途切れる間隔が長くなっていく。
「……そいつを見た……そいつにも“見られた”様な……そこからは全く思い出せません。……そこから再び思い出せる様になったのは集落の道を夜に歩いている所です……昼から夜になっている事、装備がない事に当惑はしましたがどうにも状況が分からなくて……まずは自宅に戻って落ち着く事が肝要かと思い一目散に帰りました。それからハルも知っています」
……異形に会ったのか……? 向こうからも補足されていた……体躯なども合致する…… 幻十郎らに少し緊張が走る。
正治はハルを見やる。ハルは正治の言葉に続いて事の顛末を補足する様に話し始めた。
「1週間探し続けても足跡すら辿れていない状況で心細くなっていました。そんな頃、夜遅くに戸を叩く音が聞こえてきました。私一人だったので少し不安ではありましたがそれよりも兄様かと気が急いて。すぐさま戸を開けると兄様がそこにおりました。
……その時の心の安堵はいかばかりだったでしょうか……。そこからはまずは身体を温めてもらおうと中に入ってもらいこれまでの経緯を話してもらいました。今刑事さん達に聞いてもらった事です。その後の顛末は村長さんのお宅で聞いてもらった通りです」
ハルは、不安を押し止めるかの様に把握している部分を話しきった。幻十郎はその様にして話したハルに対し、話題を変える為に切り出した。
「正治さん、ありがとよ。大方の把握は出来た。後は周辺の村民にも話を聞いてくらぁな。ところで正治さん、ハルちゃん、話を聞いている限りこの家はあんたら兄妹二人の世帯なのかい?」
「ええ。両親は10年前に流行り病で亡くなりました。それからは妹と二人三脚で今日まできました。妹はまだ幼かったので大変ではありましたが、今ではもうどちらが上かは分からないくらいには助けられています」
正治はそう言うと目を細めてハルを見やった。なるほど、妹と同じかそれ以上に兄もまた妹の事を思いやっている様だった。
「……もう、兄様ったら」
ハルは正治に向かって手をはたく様なジェスチャーをした。幾分勢いがあるかと思うものでハルの若干の地が出たように見えた。
「それでもこの家を見てもらっても分かる通り、二人で食べていくだけで精一杯というところで……ハルには迷惑ばかりかけてしまって」
「そんな事ないわ、兄様。あれから兄様がおられなければ私はどの様に人生を歩んでいったか……想像も出来ないですもの」
正治の言にすかさずハルは言葉を返す。
「そうかい。……立ち入って聞いちまった様だ。すまねぇな。それでも兄妹睦まじく過ごしてきたんだな。ハルちゃん、兄貴が帰ってきて良かったな」
「はい。本当に良かったです」
昨日の不安そうな素振りは幾分か隠れていた。日を重ねる毎に実感が伴ってきたかの様に見えた。
「では、お話も伺えましたし、ここらで私達は……」
和泉がそう言い話を切り上げようとした時だった。
ドンドン! 浅岡宅の戸が強く叩かれた。
全員が顔を見合わせる中、戸を叩いたと思われる人物が家人の応答を待たず土間に上がり込んでくる。見知った顔だった。真山巡査だ。
「すみません! こちらに刑事殿がおられると村長さんから伺いました!」
大きな声と早口でまくし立てる。
囲んだ囲炉裏から幻十郎が上半身を捻り、真山に対し話しかける。
「そんな急いでどうしたってんだ?」
「……死体が見つかりました。村民の死体です」
全員の空気が一変したのが見て取れた。
「どこにだ?」
「登山口の付近、山の祠のすぐそばで……です」
「和泉。すぐ向かうぞ」
幻十郎が和泉に対し、そう言うと共にすぐさま立ち上がり出発の体勢をとった。和泉もそれに呼応し「はい」と応答しつつ続けて出る準備を整える。
「正治さん、ハルちゃん、朝から邪魔したな。話聞かせてもらってありがとよ」
幻十郎はそう言いながら土間におり、和泉と共に浅岡宅を出るのであった。
~山中 祠付近~
幻十郎、和泉の両名は真山に先導され、登山道の祠近くまでやってきていた。祠の裏、100メートル程の山中に雑然と死体が放置されていた様だった。周りには複数の村民が遠巻きに、周囲を気にする様に、又は……近づく事も憚られる様に……その様に点在していた。事実血肉の臭気は獣を引き寄せる可能性もある為、周囲の警戒は必要だった。が、上記のどちらが本当の理由かは判然とはしない。
死体には藁が掛けてあった。周囲の村民からせめてもの情けをその死体に掛けたのだろう。
「仏様はいつ、見つけられたんですか」
和泉は真山に対し質問する。
「今日の早朝です。猟に入る村民がこちらの祠に参られた際に」
「……誰かは分かっているのか」
幻十郎が重ねる。
「……恐らくですが。実は……昨日浅岡さんと入れ違いの様な形で行方が分からなくなっていた人がおりまして」
「恐らく? 人相を見れば分かるんじゃねぇのか?」
「……それが……」
真山は口ごもる。何とか言葉を続ける。
「……それは、見て頂ければ分かります」
真山は視線をそれに向ける。藁で隠された村民だったモノに。幻十郎が真山の言葉に若干神妙な面持ちになりながら、片膝で掛けられている藁を手でそっと外した。
それは、非道く凄惨な様相だった。バラバラの肉塊にまで細分化され、“それら”が人であったと認識する為には、ある程度の観察が必要な程に、断ち切られ、すり潰されている。四肢は強い力で引き千切られた様な断面をしていた。皮がベリベリと……紙を千切ったかの様なギザギザの断面になっている。又、胴と思われる部分は何か強い衝撃を受けたのか、肋骨は露出しているが骨の先の部分は粉々に粉砕されていた。
そして、頭部と思われる箇所がその他の箇所より数段非道いものだった。
まるで“喰われた”かの様な凄惨さだった。顔は平面と化していた。大きな顎で削り取られたかの如く顔を構成する凸面は無くなっており、外から内部器官が顔を覗かせていた。又、脳の部分も異様だった。後頭部から無理に“開いた”のだろう。大きな開口部と共に頭蓋の開いた際の骨の欠片と脳味噌が“ぐちゃぐちゃ”の状態で開かれた後頭部から流れ出していた……。
血液が細分化された各々の肉塊から緩やかに、しかし止めどなく溢れていっている。土は幾分かその血を吸ってはいるものの、面積辺りで吸収出来る量をとうに超えており藁を外した一面が池と化している。その様子からこの惨状が出来てまだまだ時は経っていない様だった。
はたしてそこに広がるパーツを全て集めたら…元の形に戻るのだろうか……? 幻十郎はこの凄惨な状況をつぶさに観察の後、その様にふと感じていた。と同時に、これまで幾度となく異形に無垢なる命が弄ばれてきた現場を見てきた幻十郎には直感的に理解していた。これは紛れもなく異形の仕業である事を。
「そりゃァ……これじゃ“誰か”なんてのは分かりゃしねぇな……」
幻十郎は誰に対してでもなく1人呟いた。
和泉も幻十郎から一歩離れた場所からこの惨状の中、検分役としての本来の仕事として現場の詳細を手帳に記していっていた。
「真山さんよ。少し席を外してはくれねぇか? 和泉と二人で話したい」
幻十郎は真山に対し、真山を含めた人払いを願い出た。
「分かりました。周囲の村民にももう少し離れる様に伝えます。また用があればお呼び下さい」
真山はそう言うと、この場を離れ、この場にいる村民のリーダー格に話しかけに向かった。
「どうやらウチで扱うものか否かってぇのは杞憂に終わりそうだな」
幻十郎が立ち上がりながら、しかし遺体からは視線を外さずに和泉に対し話しかけた。それと同時に服の内ポケットから煙草を取り出し火をつける。
「ええ。この様な惨状にわかには人が作り出せるとは思えません。それに……藤間さんはそれ以上に確信を持つ何かを感じているのでしょう?」
和泉は幻十郎の横に立つように移動しながら確認といった風に幻十郎に聞き返す。
「……ああ。俺の能力がこれは異形の化け物の仕業だと俺に告げている。ここら一帯にはアイツら特有の“臭い”が残ってやがる」
紫煙を吐き出しながらその様に続けて答えた。
「実際に何か臭気がある訳じゃねぇが、存在感知の力が働く時、俺には臭いとして感じるのさ。この臭いは何度嗅いでも慣れやしねぇ。それほど独特で強烈なんだ。少しでも残ってりゃ必ず感知出来る。」
「……なるほど。その様にいつも見つけられていたのですね」
和泉は感心した様に返す。先般、東京直下に現出した人狼型の異聞に対して、あの様に早急な所作で仕留める事が出来たのも頷ける……といった具合だった。
「強烈に残っている時はコイツがなきゃやってられねぇぐらいさ」
幻十郎は煙草を持っている腕を少し上げながら加えて話す。感知の力は決して良いモノでは無いようで異聞の臭いと現実の匂いを煙草で打ち消しながらといったところなのだろう。だから幻十郎には煙草が手放せない。
「……ただ、今回の異形は……色々な意味で厄介なようだぜ」
「というと?」
「ここまで強烈な臭いを残すヤツなら本来、補足は容易の筈だ。残る気配を追っていきゃあ良い……しかし……これは、この臭いは“ここにしかない”……まるで、ここから“動いていない”か、もしくはここで“霧散”したかの様だ」
……幻十郎の存在感知の力はその異聞の存在を臭いとしてトレースしている。その気配の程度は、凡そその異聞の脅威度と比較して強く現れる。幻十郎が今話している様に、ここまで強い臭いを発する存在は往々にして比類なき力を有するモノの様で、翻ってはその存在を容易に自ら消す事は通常は出来ない。例えるなら力の源泉が漏れ出る様な物として捉えるのが正しいか。
「動いていない事は無いだろう。もしそうならここに俺たちが来る前にここには無数の骸が転がっている事になる」
幻十郎は辺りを、この惨状の周りにいる村民達をぐるりと見やりながら話す。
「そうであるなら、何らかの方法で自身の存在を消す事が出来る力を持った異聞という事になる。……それだけならまだいい。ソイツはその力を明確に自らの益の為に行使している。その程度の考えるモンがあるって事だ」
幻十郎は自身の頭に指で指し示す様なジェスチャーをしながら和泉に伝える。
「……ある程度の知能、あるいは本能的に判断する仕組みを持ち得る……ということですか?」
和泉は背中に少し寒いものを感じながらも言葉を紡ぐ。
「確かに手強いヤロウだが、これまでに屠った中にこういうオツムを持ったヤツが全く居なかった訳でもねぇ……。やりようはあるさ。……俺の中ではある程度目星はついた。ついちまった」
「……百戦錬磨の方のお供で良かったと心から思っていますよ私は。」
和泉は幾分か安心した様だった。重ねて和泉は話を続ける。
「それとして……目星ですか?」
「……ああ……しかし、これはなかなか……辛い結末になるな……」
「……まさか。私は異聞に相対してまだまだ日が浅い。しかしその様な事あり得るのですか?」
和泉も馬鹿ではない。これまでの同行内容、幻十郎が今話している事、その意味を総合すれば自ずと幻十郎と同じ解に辿り着く。それが幻十郎と同じレベルで確信を持てるかどうかは別として。
「そうでは無い事を今は祈るしかねぇ。ただ……そうであったとしても。俺のやる事は何一つ変わらねぇ。揺るがねぇさ」
確信は幻十郎の中にある。しかし、核心を突く言葉を述べられるほど不感症などではない……
幻十郎はそう言いながら、向こうに居る真山に向かって歩き出した。和泉もそれに続く。
「私には藤間さん程の確信は持てない。異聞に、あの“化け物共”にその様な性質もあるなんてにわかには信じられない」
「まァ、場数を踏むこった。ただただ無軌道に力を振り出すヤツラばかりじゃあねぇって事だ。その力の源泉や指向性がどの様に成立するかなんてモンは知らねぇが
……あの化け物共を決して舐めてかかる事はするな。自分の今持てる全力を以て全ての事に当たれ。このご時世、酷く月並みな言葉になるが……失ってから気付いた所で何もかも遅い」
「はっ! 肝に命じます」
「やめてくれ、俺はそんなガラじゃねぇよ。お前が後悔さえしなけりゃそれでいい」
幻十郎は和泉に対し諭す様に、己に枷を付けるかの様に和泉を見ること無く訓示した。和泉もその言葉の重さを能々理解出来たのか、自然と軍人としての受け答えと共に手を頭にやり敬礼の姿勢を歩きながらではあるが取っていた。
「真山さんよ。大方の検分は済んだ。済まねぇが村の衆と共に仏さんの家に帰る手伝いをしてやってくれねぇか?」
真山に近づいた幻十郎はその様に、遺体の仕舞いについて真山へ願い出た。
「承知しました。」
真山はそれを受け、村民の集団に対し指示を飛ばしていく。
幻十郎、和泉の両名は山と下り、村へと戻る。
時刻は昼を過ぎ夕刻もそろそろといった頃だった。
討滅の時は刻一刻と迫っていた。