3章
~岩屋村 外縁部~
……岩屋村。武相国境近くの山間の裾野に広がる200世帯ほどの小規模集落。村の人口は1000人程度。村は過去の町村合併などから区割りされており3区、高山区、菱川区、三沢区からなる。
「まずは村長さんの所へ行きましょうか。詳しい状況を伺いましょう。今日着く事は先般、電報にて駐在の巡査さんには伝えています」
和泉はそう言うと、幻十郎を先導し村へと入る。
「ああ」
「あぁそれと、私達の肩書きは警察本部づきの刑事という事になってますのでよろしいですか」
「まァ……軍部の秘密特務機関が大手を振ってどうこうって訳にはいかねぇやな」
幻十郎は了解といった形で返答した。
集落は1軒、1軒と木組みの簡素な衝立で四方を囲い簡易な塀の中に茅葺き住宅が点在しその間を田畑が広がるといった具合だ。田畑はこの時節、休耕状態であり田起こしを待っている様相だった。
田畑に沿って集落を移動する為の道が特段の舗装はもちろん無いが敷かれており、村長宅へ道すがらの辻道には地蔵がぽつぽつと立っており藁で編まれた蓑笠を掛けられていた。春にはまだ少しと言ったところなのだろう。
「刑事は良いが、こんなナリな二人組の刑事殿ってのは通用するもんかね」
幻十郎は道中に軽口を叩く。それもそうだろう。スーツ姿に軍刀を帯刀した壮年にさながら文屋にも見える濃紺の外套を纏った青年。凡そ警察組織に属する容姿とは思えない。
「通用するしないはまぁ野となれ山となれでいいんじゃないですかね。集落の方々
にその真贋は結局分かりませんよ。討滅のその場、異形を目撃されない事の方が肝要ですしね」
この時代、過去と比べれば通信技術等も格段に整備されている。異聞といった化け物が過去の伝承などではなく、現に存在しているとすれば……そんな事が市井の人間に広く浸透する事になればこの日本を直ちに恐怖が席巻する事になるだろう。和泉はそれに、と続ける。
「そもそも藤間さんのその帯刀……。それに整合性を付けようと思えば警察組織の人間ですとするしか無いじゃないですか」
「それもそうか」
幻十郎は大きく笑いながらそう返した。廃刀令が布告され数十年。佩刀が許されているのは軍、警察その他皇族方と規定されている。布告直後などはそうは言っても佩刀する者や杖に仕込み隠し持つ者もいたが適宜摘発され今となってはそれも昔といった所だ。翻っては幻十郎の出で立ちというのはひと目で軍、警察のいずれかに属する人間で無ければという具合の和泉の返答であった。
集落に入り歩くこと10数分程度、一段土を盛られた土地に今まで見てきた住宅より一回り大きい屋敷が見えてきた。
「恐らくあの家が村長さんのお宅でしょうかね」
「その様だな。一際しっかりした屋敷だ。代々一帯を差配している筋なんだろう」
膝上程度に石組みされたその上に生け垣が作られ綺麗に枝打ちされている。高さは凡そ成人男性の胸辺りまであろうか。見隠しというよりは境界部を明確にする意味合いの方が大きいと思われる様な造りになっている。
屋敷の全体は敷地正面に主屋、左手に農機具などをしまっている作業小屋と馬屋、右手に小さめの土蔵といった風だった。敷地にそのまま足を踏み入れるとそのまま主屋玄関が見えるといった形になっている。
主屋に関しては寄棟の茅葺屋根、縁側が据え付けられ縁の下が開放されている。戸袋もあり来た道に見た数々の住宅より数段格式の高い屋敷である事は見て取れた。
「御免下さーい」
和泉は玄関口の手前で家人を呼ぶ。
「はいー、少々お待ちをー」
屋敷奥より女性の声で応答が返ってきた。
「はい、どちら様でいらっしゃいますでしょう」
声を返したと思われる女性が玄関の戸を引き開け応対する。
……年の頃二十ほどだろうか。黒髪の束髪、後ろ髪を編み込んで折返し編み込み元辺りを白く小さなリボンで結んでいた。昨今流行りの所謂マガレイトというのだろう。浅葱色の小袖姿であった。
「本日伺う予定となっていました、本部より参りました村民失踪事件を調査します担当の和泉と藤間と言うものです」
和泉はすらすらと偽りの名乗りを伝える。やはりこの男は渡世においてはある種の才覚を持ち合わせているかの様だった。
「あぁ~刑事さんですね。お待ちしておりました。村長さんと巡査さんは奥に居られますよ」
快活な様子で女性は奥に促す様に返答した。続けて
「……でも、少し遅かったかなぁ」と一段声を小さく独り言の様に呟いた。和泉は気付いていない様だが、幻十郎はその呟きを聞き若干訝しんだ。
応対に出てきた女性に先導され土間を渡り屋敷奥の部屋に通される。その一室は畳敷きとなっており床の間があり掛け軸が掛けられている。その横には違い棚もあり上の間である事はひと目で分かるものだった。
「村長さん、今回の一件でお越しになられた刑事さんですよ」
先導役の女性が和泉、幻十郎の両名を紹介する。
「おぉ、ようお越し下さった。この度はありがたいもので」
床の間の前に座っている年の頃七十程の男性がこちらを見やりそう話した。茶系統の着物に羽織といった風体だった。
「さぁ、こんな遠い所までご足労頂いて。一先ず腰を落ち着かせて下さいや」
村長と呼ばれた男性は、その様に言いながらこちらの部屋まで先導してくれていた女性に対し目配せした。一方の女性はその目配せとほぼ同時かと言ったタイミングで部屋の隅に重ねて置かれていた座布団を2枚村長に相対する形で置いて回った。
快活且つ器量の良い女性なのだろうと幻十郎は一連の所作を見て感じた。
「これはこれは、お構いありがとうございます」
「おう、すまねぇな」
両名は各々そう言うと和泉は外套を外しながら、出された座布団に正座で座る。外した外套は丁寧に畳み、自身の横にそっと置いた。対する幻十郎はドカッと雑に胡座をかいた。その所作はなかなかに正反対であった。
「改めて。本部づき刑事の和泉仙華と申します。それとこちらも同刑事の藤間幻十郎です。今回は私どもにて本件対応に当たらせてもらいたいと存じます」
和泉は村長とその横、向かって右に座している警官風の男性に対して自身と幻十郎とを表向きの肩書にて紹介した。幻十郎は紹介に合わせて軽く手を上げ「よろしく」と挨拶していた。
「この度はご足労頂き誠にありがとうございます。私、この村の駐在巡査の真山と申します」
警官風の男が座り姿勢から立ち上がりこちらに身体を向き直してその様に言い一礼をした。その後改めて座り直す。
年の頃三十ほどだろうか。警官服を纏っていた。真山巡査は続けてここに居並ぶ村の者の紹介を始める。
「こちら、岩屋村の村長殿で倉橋源三郎様です」
村長はその紹介を受け、浅く一礼をした。
「続いてこちらは今回失踪“していた”男性、浅岡正治の妹のハルさん」
部屋の入り口付近にて正座で座っていたハルに向かって手を差し出し真山はその様に紹介した。ハルは指をつきながら深く一礼をした。
「“していた”……ねぇ」幻十郎は真山の紹介にあった言葉を反芻した。
「……? 帰って来られている……ということですか」
和泉は確認といった風にそう真山に話す。
「そうなんです。お越しになって下さって早々こういう事を言うのは何なんですが……昨日夜遅くに帰ってこられまして。家に直接。1人で」
真山は続ける。
「刑事殿らがお越しになる事は既にお伺いしておりましたが、何分昨日の急転直下でありまして、お知らせする手立てがありませんで面目ない次第……」
真山は話しながら、その内容に連動するかのように体まで縮こめていった。警察組織の上位者に無駄足を踏ませてしまったという所か、歳の割にはいささか小心なきらいがあるのだろう。
……異聞によって攫われたと思われる男性が帰ってきていると取れる言葉に、これまで数々の異形を屠ってきた幻十郎、並びに一般の人々よりかは幾分異形の生態を知っている和泉はひどく引っ掛かった。その様に人が“五体満足”で返される事などない……。一体帰ってきたその村人は“何”だ?
「まぁまぁ、真山さん。それは仕方のない事でしょうや。御両名共、儂らの集落の事で大変にご迷惑、ご足労をお掛けして誠申し訳ない」
幻十郎達の本心の部分は全く預かり知らぬ村長は、その様に真山に対して渡る船をつけて話の受け持ちを変わって話し始める。
「正治が全く見えず居なくなったのは1週間程前になりますなぁ。正治は猟師ですからその日も山に入っていました。日が落ちる手前にはいつも戻ってくるんですがその日はいくら待っても帰って来ない……。そうじゃなハルさん」
村長は次いでハルに話しの先を向ける。ハルが続いて事の経緯を話し始めた。
「えぇ、あの日は猟期も迫っていたので少しくらい遅くなるのかと軽く考えていたんですけれど、それが待っても待っても帰って来ない。日も完全に落ちてこれはと思いまずは区長さんに相談致しました。……区の有志を募ってもらえて。探しましたが見つかりません。次の日には村長さんにも話がいって村総出で探してもらえたのですが、やはりどこにも居ない」
……その時点で恐らくは喰われてはいるだろう不幸にも出会ってしまっているのなら、と幻十郎は考えながら話を聞いている。
「その内、真山さんから事件として上げて頂いていた様で今日の運びとなるのですけれど……。昨日兄はひょっこり帰ってきて」
ハルはそう言うと、どうしたものか、事態は良い方向に決したものの何故帰ってこれたのか不思議に感じている様に言葉を閉じた。幻十郎はその様なハルに対して
「その、兄貴は今どうしてるんだい?」
「兄は今自宅で療養しております。兄曰く、大丈夫だ何も不調はないと言ってはいるんですけれど流石に心配だと言い聞かせております」
「話せるのかい? どんな風で」
幻十郎は、幻十郎らから見て“非常にあやふや”なその存在は今如何様なものかと話を続ける。今回の一件、ただただ異形を屠る事のみで済む話となるのか、何か絡まった糸をほぐすかの様なものをしなければならないのか……。それを探る様に聞いていく。
「それが……。外から見る限りは体の不調は無い様には思います。ただ……」
「ただ?」
「ただ……記憶が混濁している様で……。自分の名前、私の事、自宅の場所は分かってはいる様なのですが、過去の記憶があやふやで居なくなっていた期間の事もハッキリはしていない様なのです。そういう事もあって療養させています」
……失踪し、帰ってきた青年の記憶は朧げ。ただ、周りの人間がその青年を見て“青年”であるとひと目で理解出来る程の存在。……仮定だが、今回の青年は正しく帰ってきておりもしかするならば鬼の異聞、逃走経路は、経路上の今までの事件等を組み合わせて想像しているだけであり、その為に現在の隠遁場所と“ズレて”しまっているのか。
話を聞きながら、幻十郎と和泉は目を配せ合い、上記の様な懸念に双方共、辿り着いている様だった。
「……そうかい。何はなくともお前さんの兄貴が五体満足で帰ってきているのは僥倖じゃねぇか。なあ和泉」
幻十郎は話を合わせる様に和泉に話を向ける。
「えぇ。お兄さんにその他気になる事などはありませんか?」
和泉も歩調を合わせてハルに対して確認の質問をする。
「……いえ。特には。……帰ってきた折、持って出たはずの猟銃など一式を持っておらず着の身着のままといった所くらいでしょうか」
ハルも昨日の今日といった所で質問に対し絞り出して答えている様だった。
話を一先ず全体像として聞け、流れが一段落した所で村長がこう切り出した。
「まぁ本日は一旦ここまでとしませんかな。もう日も落ちた。御両名も遠くまで足を運んで頂いた所お疲れでしょう? 本日よりこの村を離れるまではこちらでお泊り頂ければと思い至りますがいかがでしょうかな? 来られる事は伺っておりましたのでささやかではありますが、食の膳も用意させてもらっております」
「そりゃあいい。話も粗方聞けた。今すぐどうこうと何が出来る訳でもねぇしな」
「そうですね。お腹も空いてきてしまいましたしね。お言葉に甘えさせていただきましょうか」
村長の申し出に対して幻十郎、和泉の両名も同調した。
「では私は、日も落ちてしまいましたのでハルさんをお宅までお送りしながらお暇させて頂きます」
真山はその様に言いながら立ち上がろうとしている。
「真山さん、いつも済まないね」
村長は真山に対し言葉をかけた。気を利かせた振る舞いをいつもの様に行っている様で地域の人間からは慕われているのだろうと幻十郎には見えていた。
「いえいえ。警邏巡回は本官の本分でありますから。お気になさらないで下さい」
真山はそう言うと、ハルを引き連れて村長宅を出ていこうとする。その去り際、ハルは幻十郎、和泉に対し少しだけ不安そうな様相で
「……兄は、帰ってきました。帰ってきたとそう思ってよいのでしょうか」
言葉として捉えるのならばいささか矛盾したモノだった。が、幻十郎にはその不安は能々把握出来た。確かに帰ってきた。が、その帰ってきた経緯その一つ一つ、体は五体満足で傷などない、しかし記憶は朧げ。今ひとつ兄であると確信しきる、出来る事がかなわない一抹の不安。そういうものを抱えていながら言葉にしないと、誰かに確認しないとどうにも様々な想いに雁字搦めにされそうな焦燥感。
「お前さんが今、気を揉んでも仕方がねぇよ。兄貴は現にいるのさ。それを先ずは考えればいい。……その不安はいい方向かそれともか……。そこは何とも言えねぇが、俺たちが必ずどうにかしてやらぁな」
幻十郎はその様に答えた。精一杯、言える範囲で真摯に答えようとしている様だった。異聞によって“何か”起きたのか、それともただの失踪事件として帰結しても良いのか。現状では幻十郎にすらどちらとも言えない。しかし、どう事の次第を付けるかは幻十郎と和泉の責任において筋を通そうというそういう心の上での返答であった。
仮に今回の一件、異聞がどの様にであったとしてもそれが絡む事件であるのなら異形を探し出し、屠り、滅する必要がある。それはどの様な結末を迎えるとしてもだ。幻十郎においてそこは“一切”揺らぐことはない。
幻十郎の返答を聞き、ハルは返す。
「そう……ですね。まずは帰ってきている兄をいたわりたいと思います」
「ああ、そうしな。その他に今お前さんが心配することは何もねぇよ」
幻十郎も重ねて今この時点では心配するなと声を掛けた。
「では、行きましょうか」
真山はハルを促し、村長宅を出ていった。
「では、膳を用意しますので少々お待ち下さい」
村長はそう言うと家人を呼び、夕餉の段取りを取る為に部屋を後にした。
「……和泉はどう思う?」
幻十郎は自身の考えを整理する意味でも、今までの一連の話を聞いた上での感触というものを和泉に聞いている。
「今はまだ……。何も分からないですね。本件に異聞が絡んでいるのか。普通の、と言っては何ですがただの失踪、あるいは遭難事件だったのか。一つ言える事はこの件を正しく把握する為には攫われた青年に対し話を聞く必要があるということでしょうかね」
和泉は慎重に考えを纏め翌日以後の行動指針を示した。
「そうだな。兄貴をあたるのが正道且つ一番の近道だろうよ。明日はそれから始めるとするか。これが異聞に関わりがないという事なら早々に引き上げて改めて対策を考えないとならねぇしな」
幻十郎は和泉の言に同調する。いずれにしても、当事者をあたる事が肝要であると両名の中で合意がなされた様だ。
「まっ、まずは腹を満たして精をつけようや」
「そうですね。今日はこれ以上考えた所で何も出来ないですし」
その後、夕餉の膳を提供された二人は食した後、床を借り明日以降の調査活動の為、身体を休めた。