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1章

~翌朝~

 幻十郎は自宅応接室にて目を覚ました。昨日夜半に自宅に戻り、いつもの幻十郎の所定位置。執務机とチェスターフィールドチェア。その横にあるコートスタンドに上着を掛け、ベストのボタンを外し椅子に腰掛け机に足を投げ出し……そのまま眠りについていた様だった。


 (またここで寝ちまったか……)心の中で1人つぶやいた。寝室は又別にあるが、ほぼこちらで過ごしてしまっているルーズさに少しの苛立ちを自身に感じるも、この性分は直らんのだろうとある種の諦観も入り交じる。


 椅子から立ち上がり少し身体をほぐした後、珈琲を淹れる為にキッチンへと向かう。


 幻十郎の邸宅はおよそ1人で暮らすには不釣り合いな程の大きさの2階建て洋館だった。外装はレンガ造り。二階へと続く螺旋階段部は外から見ると大きな三角屋根を擁していた。その他、近年外国建築技術の粋を集めて作られたこの国では最新建築物の一つである事は疑いのない邸宅だった。とは言え、2階の客間などは長く使われている形跡はなく、生活を営んでいくにあたっては1階で事足りている様子だった。


 応接室を抜け、隣り合ったダイニングを通りキッチンへ入る。ダイニングには大きな木拵えのバーカウンターとボトルキャビネットが鎮座しており目を引く。しかし長らくその中身、酒類には手をつけられた様な形跡はない。その他天井からはシャンデリアが伸び、ラウンドダイニングテーブルと数脚の椅子があるのみだった。


 キッチンには一通りの拵えがあり、水洗流し台、薪火式グリル台、食器収納キャビネット……ただこちらもその他の居室から感じられる様に“使われている”形跡を感じる事は出来ず、特定の行為のみにて利用されている様相だった。


 幻十郎はグリル台に前回使われそのまま残っている薪に火をつけたちり紙を投げ入れ、鉄製のポットに水を入れ台においた。続けてキャビネットから珈琲豆と手回し式のミル、陶器のドリッパーとカップを一度に器用に(豆の袋は口に加え)取り出し、キッチン中央のテーブルに並べる。


 全てを飲む訳では無いが、数杯分の豆を袋から取り出しミルで挽き始めた。

(……無駄と言われりゃそうだが、まぁ仕方ねぇ)ひとりつぶやくも無心で挽いている。


 挽き終わるとドリッパーにフィルター紙を敷く。その頃にはポットの湯が沸いている。いつもの朝のルーチンであり、全ての所作に狂いは無いようだった。湯を回し淹れ珈琲をドリッパーポットに抽出していく。


 玄関の扉がノックされる音が響いた。


「おはようございまーす」


 数刻前に聞いた声の様だった。玄関に鍵など掛けていない様子を勝手知ったる風に館の主の断りを待たず、その声の主は邸宅に足を踏み入れてくる様だ。それどころか邸宅内のどこにどの様に居室が配置されているのか完全に理解しているが如く、その足音は一直線にキッチンへ、エントランスを抜け中央廊下を渡りダイニングを抜け向かってくる。


「はぁ~いい匂いですねぇ~」

 和泉はキッチンに入るや否やそう言葉を交わしてきた。


「なんともタイミングのいい事で」

 幻十郎は丁度淹れ終わったポットと何食わぬ顔で現れた和泉の顔を相互に見た。


「いえいえ。お構いなく」

 和泉はキャビネットからカップをどこにあるかを分かった所作で取り出し幻十郎の用意していたカップの横に置いた。幻十郎はこの段においてはもう特に何も述べず、こいつの事ならば良くある事といった風でポットの珈琲を二人分のカップに注ぐ。


「せめてもの珈琲代の代わりだ。使ったもんの始末を頼まぁ」幻十郎はそう言うと自分のカップのみを手に取り応接室の自分の定位置に向かった。


「……時間の調節は改善の余地がありますねぇ」和泉は何やら呟きながらもはぁ~いと応答し、片付けをいそいそと始める。……やはり勝手知ったるものだった。


「で、昨日の始末はついているだろう。何を俺に用があるってんだ?」

 片付けを終え、執務机の相対する位置の一人掛けソファに腰を降ろし、珈琲を飲んでいる和泉に対し幻十郎は問いかける。


「えぇ。昨日のものについては万事抜かり無く。仕舞いについても完全に処理出来ていると連絡を受けています。本日越させてもらったのは私というより本部の意向でして」


「……成田大佐からか?」


「えぇ、詳しくは本部について直接聞いて貰えればと思います。はい」

 幻十郎は事の真意は測りかねるも、最近は本部にもそうそう足を運んでいなかった事を思い出し、まァ偶には顔を出しておくのも悪くはないと思っていた。


「それで。今から出ればいいのか?」幻十郎は和泉にそう問うも和泉は何とも言えない様な顔をしながら

「昨日あの後、後片付けなりをして本部へ顔を出したらこの言伝ですよ。トンボでももう少し余裕のある帰り方をするってもんですよぉ。昼過ぎくらいに調整していますから、私は少し寝かせてもらっても?」


 といいながらもソファに組みとして備え付けているオットマンに足を大きく放り出し、帽子を目深に被り直し眠る体勢になる。片手を横に振り、回復しない限りもう全く動けませんと言いたげなジェスチャーをした。


「……そうかい」一拍の後、幻十郎は執務机奥に並ぶ書棚から本を一冊手にとり、煙草に火をつけ暫時過ごした。応接室には上部がアーチ状になった窓からカーテン越しに柔らかな朝日が差し込んでいた。


 東京府麹町……彼の地に異聞特務隊本庁舎は存在していた。


 ……異聞特務隊、帝国陸軍内組織ではあるがいずれの組織統治下にも属さない特務機関の一つに位置づけられ、統制は参謀総長個人からのみの完全独立部隊だった。


 本務は主に異聞と呼ばれる異形の獣の討滅任務、討滅に関連した副次諜報、星詠みの管理監督とまさしく異聞討滅に重点を置く組織である。


 その任務の性質上、また異聞そのものが市井に広く存在を知られていない現況下で、民草には極秘機関として秘匿された部隊でもある……


「ここに足を運ぶのもいつ以来か」

 昼を過ぎた頃、本庁に和泉と共に足を踏み入れた幻十郎はそう話す。


「前々回の現し世の告が下賜された時辺りだと私は記憶していますがね、確か」

 和泉は記憶を頼りにそう返す。


「なら、まだ年明け早々といった時節だったか。前回は……」


 星詠みから下される告は日にそう何度も起こるものではなく、間隔としてはおおよそ1月に1度あるかないかといったところだ。又、幻十郎にはそれが起こったとて和泉の様な者を寄越され任に就く為、ここへ来る理由も特段無く今回この様な要請が無い限りはあまり縁のない場所であった。


「前回は……討滅分析の要請だったかで呼び出されたか」


 本庁舎エントランス、レンガ造りの建物の中、守衛室の横を何らの事務処理も無く“顔パス”で通り過ぎながら3階、成田大佐……特務隊総長室へ足を運ばせる。


「えぇえぇ、そうでしたそうでした。当時、九州方面支部から発生した異形について藤間さんの見識を伺いたいと、資料はこちらに来ていたのでご足労頂いたんでしたね」


 総長室へ向かう道中にも、和泉と会話は続いている。


「見識をと言われた所でなぁ、あんな化け物共なんざ正面切って真っ二つにしてやりゃぁ世は事もなし天下泰平ってもんだからなぁ」


「そりゃぁ向かうところ敵なしの藤間さんから見ればそういうモノなんでしょうけれど…まだまだ発足間もない部隊で、他方面部隊では藤間さんの足元にも及ばない練度の方しかいらっしゃらないですし。異形との戦い方も決して確立している訳でもないですからね」


 異聞の現出が初めて観測されて4年……それからほどなく即応する為の組織編成の検討は始まったが、そもそも異聞とはどういう存在なのか。どの様な制圧方法があり、適切な処置は如何になされるべきかも手探りの中、特務隊が編成されたのが3年前だった。


「まぁ、藤間さんなんだかんだ言ってあの時も、異形の急所を的確に提示頂きましたからね。あの情報が無ければ相当苦労していたと思いますよ。そういうの、……経験なんですか?」


 和泉は全くの見当がつかない為、純粋な興味で問いかけてきている様だった。


「……さぁ。それはどうなんだろうな。俺も俺自身に明確な根拠や自信がある訳じゃない。もちろんそういうのが全部まるっと無い訳じゃねぇが、なんとなしに“見える”様な感覚もまた俺の中にある。……それがどこから来てるのかは俺にもよく分からねぇな」


 幻十郎は少し嘘をついた。


「そんなもんなんですね。ですがそれに私達は助けられているんです。何でも使えるものは使わせてもらいますよ。」


 そうこうしている内に階段を上りきり総長室前へとやってきた。和泉が帽子を外し扉をノックし入室の挨拶を行う。


「失礼します! 異聞特務隊検分方、二等軍曹和泉仙華! 藤間幻十郎殿をお連れ致しました!」

 今までのどこか飄々とした印象は一切鳴りを潜め、彼が帝国陸軍軍人である事を否が応でも再認識させられた。


「入れ」扉の奥から応答が帰ってくる。


「はっ!」


 和泉はきびきびとした所作で扉を開け、1歩、軍隊教練の中で見るような見事な歩行動作にて歩を進め、総長室奥に鎮座している執務机……とその向こうに見え椅子に腰掛け黙々と事務処理を執り行っている “総長”に対し敬礼を行う。“総長”は答礼を僅かに返し「楽にしろ」と短く返答した。


「はっ!」和泉は扉横にて休めの姿勢を取る。


「……旦那、もう入っていいかい?」幻十郎は軍隊における一種の儀礼的手続きには全く意を介さず成田大佐その人……帝国陸軍異聞特務隊総長、成田時臣にそう問いかけた。


「ああ、入れ」


 成田は幻十郎の特別な所作もないその物言いにも、全く意に介さず変わらず返答し招き入れた。成田と幻十郎、引いては異聞特務隊と幻十郎の関係性を表している一幕と言える様だった。


 ……年の頃四十五ほど。黒髪のオールバック。帝国陸軍軍装を纏い、階級章及びその他数々の勲章略綬が付されている。容姿の中で一つ大きく目を引くのは、左こめかみ辺りから頬にかけて大きな刀傷があった……


「大佐直々からのお呼び出しなんていうのは珍しいですなぁ」


 幻十郎はそう言いつつ執務室の壁に沿って数脚並んでいる椅子を一つ手に取り、成田が作業している机と相対する形で、背もたれ部を向かって前に置き馬乗りの様な形でドカッと腰を降ろした。恐らく他の特務隊軍人がその光景を見るだけで戦々恐々とする様な所作だった。成田に対して唯一その様な素振りをして許される存在、それが幻十郎という男だった。


「ああ……今回は出来る限り正確な対処が必要な案件だったのでな。だからこそ呼び立てた」

 事務処理の手を止め、幻十郎の方に目を向けながら成田が説明を始める。


「先月の告を覚えているか?」


「関西方面支部管轄になったアレですかい?」


「そうだ。関西方面隊の討滅部隊にて対処したが、失敗している。討滅隊は壊滅。現在は検分役の捕捉も逃れ完全に市井に紛れている。市民の殺害、神隠し事件として上がってきている情報から恐らく異形は東に流れ、東京府近郊にまで差し迫っている」


「ほぅ……そりゃ厄介な手合いの様ですなぁ」

 幻十郎は顎に手をやり、撫でる様な仕草でそう返す。


「そこで誰よりも異形に関して鋭敏な感覚を持つ貴様に事を当たってもらいたい。この帝都東京にまで深く入られては比較して民の数も多い。良くも悪くも化け物共にとっても民に見つかりやすく、翻っては襲いやすい。これ以上の犠牲が出る前に討滅せよ。」


「なるほど、そういう訳ですかい。承知仕りましてござい。では、一番直近の事件発生地域ってのはどこになるんですかね?」


 一切の躊躇なく幻十郎は二つ返事で承る。成田と幻十郎の間には他とは隔絶した信頼関係というものが垣間見える様だった。


「相州相模、武相国境近くの集落だ。数日前にそこで人攫いの事件として上がっている。それまでに起きた事件発生の推移から未だその周辺に潜んでいるものと思われる」


「なら一旦屋敷に戻り準備でき次第、発つ様、手筈を整えましょうかね」


「頼む。検分役は引き続き和泉を従えて行けば良い。和泉二等軍曹、よいか」

 成田は一連の応酬の中、姿勢を崩さずそこに居た和泉に会話の先を向けた。


「はっ! 了解致しました!」和泉に余地は無かった。


「では、話は相わかった次第で一旦帰りましょうかね」


 幻十郎はそう言うと立ち上がり、椅子を元ある所定の位置に直した。成田はその幻十郎に対し、もし求めるなら……といった様子で追加して話しかける。


「……ここに早々来る理由もあるまい。貴様には星詠みの間への入室許可はいつでも出している……」


「俺にとっては……あそこには“何もない”ですからね。訪れる理由も無ければ用件なんざありゃしませんよ」


 幻十郎はその問いかけに対し、意に介さない様子で成田を見る事無く、背を向け片手を振りながらそのまま執務室を後にした。その返答には心なしか、その心の温度も幾分下がったかの様な心情も入り混じっている様だった。


 成田はその様な幻十郎の心情を察してか知らずかそれ以上その事には触れず幻十郎の背を見送った。


 幻十郎に続き、和泉も「失礼致します! 」と機敏な所作にて執務室を出る。幻十郎はそんな和泉を待つことなく先を行っている様だ。和泉は幻十郎に追いつきながら


「あのう、出立明日って事で宜しいですよね」

 先程の執務室での所作から、いつもの和泉に変わりつつ幻十郎に問いかけた。


「お前さんのその判断で無辜の民草に新たな被害が出ても構わないというなら明日でも構いやしねぇが……俺の知っている和泉という男はそんな卑劣漢ではねぇがなあ」


 幻十郎も成田との最後のやり取りで見せた少しの変化も鳴りを潜め、いつもと変わらない様子になり和泉に返した。


「……そりゃもう帝国軍人として職務を全うさせて頂きます。では私は部局に戻り馬車の手配が出来次第、お屋敷にお迎えに参りますね。……はぁ」


 和泉は幻十郎への呼び出しから嫌な予感はしていた。だからこそ幻十郎宅で数刻の休息をなんとかねじ込んでいた。自身の感覚の冴えに助けられたと本心で思いながらもこれから向かう事件、異聞異形への対処(それと長く、長く続く任務時間)に暗澹とした気持ちになっていた。


 和泉と以上の理由から本庁舎内で別れた後、幻十郎は自宅へと帰途についた……


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