同級生が大好きな配信者さんだったから死にそうだし、もしかすると私のことが好きかもしれない。
「すみません、この本借ります」
好きな人がいる。
「…………こ、この作者の本、好きなんですか」
「えーと、好きな配信者さんがその作者さんをすごく好きみたいで。よくオススメされる内に、私も好きになっちゃったんです」
その人が勧めたものなら何でも好きになってしまうほど、盲目的に。
今日初めて話したクラスメイトの声ですら、彼の声に聞こえてしまうぐらい、切実に。
友達にはよく馬鹿にされるけれど、真剣なんだよ。顔から入る恋は正義のくせに、声から入る恋は認められないだなんておかしな話だと思う。
だって、声を聞いただけで幸せになれる人なんて彼だけだよ。優しい人柄が好き。どうでもいいことを30分も語れちゃうところが好き。
世間では人気のないものも、好きだって言えちゃう彼が好き。自分の意見をしっかり持ってる彼が好き。私は友達の意見に流されがちだから、彼の配信を聞いた後はちょっと強くなれる気がして好き。
だから、どうしても彼が好き。
帰宅部の彼は、平日の夜7時から配信をしてくれる。配信開始の通知が来た瞬間に急いでアプリに飛んで私は高性能のイヤホンをつけた。
『こんにちは! ……いやこんばんはかな!? どもー、クロマルです! 今日は1時間ぐらい雑談配信をしていこうと思いまーす。みんな、楽しみにしてくれてた?』
「めっちゃ楽しみだったよー!」
スマホから聞こえてきた大好きな声に対して、彼には聞こえもしないのにテンションの高い声で返事をした。これが日常になったのは、いつからだっけ。
私、四井初葉には大好きな配信者さんがいる。
名前はクロマルさん。お気に入りの音声配信アプリの新着欄を間違えてクリックし、彼の配信を開いた瞬間、私は彼の声に一目惚れをしてしまったのだ。
それから配信を追いかけるようになって、今ではさっきみたいに、配信開始の通知があるたびにアプリを起動している。
クロマルさんのリスナーになってから、私の頭の中はクロマルさんのことでいっぱいになった。
同い年の高校2年生で17歳だってことも、図書委員だってことも。広告で見て、暇つぶしで音声配信を始めることにしたことも。
趣味が好きな作家さんの出身地巡りってことも、ミステリー小説に目がないことも。
好きな食べ物がコンビニの焼きそばパンだってことも、休みの日はいつも家で配信してるインドア派ってことも、他にもたくさん、たくさん彼のことを知っている。いいところも悪いところも、溢れ返るほど知っている。
それでも、この気持ちは一方通行だ。彼は私のことなんて何も知らないだろう。唯一知っているかもしれないのは、ユーザーネームである『四葉』という名前だけ。私のことは『よく配信に来る同い年ぐらいの女の子』という程度の認識でしかないと思う。
私ばっかり彼のことを知って、彼でいっぱいになっていく。耳から流し込まれた情報が洪水のように渦巻いて、頭を埋め尽くしていく。
それが少し辛くて、配信に来るのをやめようとしたこともあったけれど、耳から流れ込む彼の声に身体が満たされる感覚から離れられそうにはなかった。
あーあ、ガチ恋ってしんどい。生きている人間に恋しているのに、友達みたいに手の届かないアイドルや2次元に恋しているわけではないのに、一生叶わないような気がするから苦しい。
まぁ、それでも好きなのはやめないし、きっと毎回配信を見に来るんだけどさ。
でも。でも一度でいいから、実際に耳元で囁いて欲しいな。一度でいいから、初葉とあの声で名前を呼ばれてみたい。
そんなことを思いながら目を閉じてうっとりと声を聞いていると、話題は珍しく恋バナになった。
『クロマルさんの恋バナが聞きたいです? えー? 恥ずかしいんだけどなぁ。そもそも俺、好きな人に話しかけれるようなタイプじゃないから、全然エピソードないんだけど』
『え、そうなんだ。それは意外かも』
私がそうコメントすると、クロマルさんが私のコメントを拾ってくれたようで。
『意外かもって? いや、マジなの。友達もいないし、学校ではほとんど喋らないもん。クラスメイトにさえ敬語だし、ずっとマスクつけてるし。まぁ、クラスメイトと話すのなんて提出物出すときぐらいだから困らないっていうね』
「ふーん……そういうとこも、可愛くて好き」
あ、でもやっぱ、想像しただけで悔しい。クロマルさんがクラスメイトで、提出物を渡される世界線はどこなの。
あーー、もうやだ。アプリ内でも人気なクロマルさんの配信で、コメントを読まれることも十分幸せなことなのに、もうそれだけじゃ満足出来なくなってる自分が嫌いだ。
『友達いないの? 俺も一緒で草。あーーもう、コメントうるせーな! ゴリゴリに仲間じゃねーか!! 一緒に陰キャ極めような!』
自嘲気味に言って笑ったクロマルさんは、さらに言葉を続けた。
『俺の好きな子さぁ、めちゃくちゃ陽の側の子なんだよね。だから、見てるだけで精一杯っていうか。え、ならなんで気になり始めたのかって? 結局顔に惹かれたのか? うるせぇ、顔だけじゃねーよ! いや確かに顔も超かわいいけどね!? その子、よく図書室に本を借りに来るんだけどさ。いつも借りてく本が俺の好みとドンピシャなんだよなぁ。それから自然と目で追いかけるようになっちゃってさ』
──ふーん。私もよく図書室に本、借りに行くけどね。クロマルさんがオススメしてくれたやつは、全部読んでるけど。
『そしたらさ、小指に髪の毛を巻きつけて照れ隠しするところとか、変な犬のキーホルダーを鞄につけて、めっちゃダサいのに嬉しそうに自慢してるとことか、意外とネットに詳しいとことかさ。全部可愛く見えてきて、もうこれは恋だなーって思ったわけ』
──その癖、私もよくするのに。それなら、私でいいのに。私だったら、いいのに。
──変な犬のキーホルダーなら私も持ってるのに。って変とか私が認めちゃダメでしょ! そもそもダサくないし! ブサカワだし!!
そんなことを心の中で呟いて、クロマルさんからは見えもしないのに首をブンブンと横に振る。何を勝手にクロマルさんの好きな人になりきってるんだ。
私ってば、流石に痛い。痛いぞ。手の届かないものに無理やり手を伸ばそうとするな。頼むから自制して。
『何? 話したことはないのかって? あるよ! 一回だけだけどな!! ってかちょうど今日だけどな!! 勇気出してさ、彼女が放課後、本を借りに来た時に、「この本好きなんですか」って聞いてみたの。そしたら、好きな配信者さんがオススメしてたから気になったんだって笑顔で答えてくれたし!! 返事くれたことでいっぱいいっぱいになって何も返せなかったことが悔やまれるけど! マジで勿体ないことしたよなぁ……。その配信者、誰だよ! 羨ましいわ!! 配信者好きなら、俺でいいだろ!!』
それは、私のセリフだ。私もクロマルさんとそんな話がしたい。私なら何時間だってミステリー作家談義に付き合うよ。
その好きな人、私でいいじゃん。
そう思ってバタバタと足を布団に叩きつけていると、私もちょうど今日、そんな会話をクラスメイトで図書委員の黒瀬くんとしたことを思い出した。
「……待って」
待って待って待って、待って。そういえば。その時の黒瀬くんの声、クロマルさんみたいだって思ったんだ。
でも、マスク越しだから聞き取りにくかったし、早くクロマルさんの勧める本が読みたかったし、そんなことあるわけないから絶対にクロマルさん禁断症状が出たんだって思って、え、待って、え??
え、まさか。そんなことってある?
急に心臓がドクドクとなり出した私を置き去りにするように、クロマルさんは話を続ける。
『うわ、質問多いな。みんな恋バナ大好きかよ。ん、その時の本は何だったんですか? ほら、俺がこの前オススメした本だよ。兄弟がデスゲームに巻き込まれる話』
ウソ。嘘だ。嘘じゃないなら、もうこれは何だっていうの。夢?
だって確か、私が黒瀬くんと話した時の本もそれだったはずだ。
『なになに、その子の好きなポイントを語って欲しい? え、大丈夫? 俺、キモくなるよ? ……みんなが引かないなら語るけどさ。俺の好きな子、綺麗な黒髪ロングヘアーなんだよね。そこが俺の推しポイント。最近はポニーテールにしちゃってるんだけど、俺は下ろしたままの方が好き。オススメした本のさ、妹の髪型に似てるし。絶対そっちの方が似合ってると思う』
また、心臓がドクンと跳ねる。苦しいぐらいにうるさい。血管に流れている血液ごと焼ききれそうだ。
私も髪型をポニーテールに変えたばっかりだよ。クロマルさんが、ポニーテールの女の子って萌えるって言ったからじゃん。だから次の日から、ポニーテールにしてるんだし。
……どうしよう。どうしよう、どうしたらいい?
運命だって、思ってもいいの?
学校でほとんど話さず、いつもマスクをしていて、声を聞いたことがほとんどない黒瀬くん。クロマルさんのお気に入りの焼きそばパンをよく食べている黒瀬くん。図書委員な黒瀬くん。好きな本が同じ黒瀬くん。
最近ポニーテールに変えた私。鞄に変な犬のキーホルダーをつけている私。クロマルさんに出会ってから、図書室へ通ってばかりの私。クロマルさんの語るエピソードを最近体験したばかりの私。
考えるだけで頬が熱くなって、心臓の音がどんどん速くなる。
好き。好きだよ。憧れなんかじゃなくて、本当に本当に好きなの。
一度現実味を帯びてしまったせいで、普段は抑え込んでいた気持ちがドクドクと溢れ出す。
──クロマルさんが、黒瀬くんだったらどんなにいいだろうか。
──私が、クロマルさんの好きな人だったらどんなにいいだろうか。
このコメントが、もし読まれたら。勇気を出して、明日、黒瀬くんに話しかけてみよう。
そう思って、願掛けをするように、震える指先でコメントを打った。
『クロマルさんは、もしその人に告白するとしたら何て言いますか』
『お! 四葉さんじゃん! 今日2回目だよね、いつも来てくれてありがと。んー、そうだなぁ……』
「待って!? 私のコメント、また読まれた!?」
ヘビーリスナーな私でも1日2回読まれることはほとんどないから、絶対無理だと思ったのに。だから、願掛けにしたのに。
クロマルさんが私のコメントを読んだ瞬間から、緊張でスマホを持っている手の震えが止まらない。
『でも俺多分、告白とか出来ないと思う。話しかけるのでさえ、好きな本は何ですかって聞くのが限界の男よ。俺は。だから、オススメの本教えてくださいって言われたら、俺の知る限りで1番の恋愛小説を勧めるのが俺の精一杯の告白だと思う。絶対気づかれないだろうし、何それって言われてスルーされるだろうけどさ』
「……かわいすぎじゃん」
少し照れくさそうにそう言ったクロマルさんがあまりに可愛くて、うるさかった心臓がもっとうるさくなる。
好きだよ。これはもう、恋だよ。この、優しい声が好き。声から、恋をしてしまった。
でも今は違うんだよ。声が好きなのは勿論だけど、その控えめな性格が好きで、クロマルさんの好きな本が好きで、なんかもう『クロマル』という文字の羅列すら、彼の名前だと思うと愛おしい。
声から、全部全部好きになった。私の耳だけじゃなくて、全部がクロマルさんに恋をしている。
だから、もっと近づきたい。
私ばっかり彼の情報でいっぱいになるんじゃなくて、耳から一方的に流し込まれた情報にいっぱいいっぱいになるんじゃなくて。
私ばっかり、彼で埋め尽くされた生活なんて不公平だからさ。相手が現実にいる恋がしたいからさ。想っただけ報われるような恋を、してみたいから。
私の情報も彼に流し込んで、苦しいぐらい、溢れそうなぐらい、いっぱいいっぱいになって欲しいわけなんですよ!!
だから私は、そんな思いを込めてスマホに指を滑らせてコメントを打った。
『私だったらその告白、絶対にスルーしたりしませんけど』
むしろ、自分から近づきにいきますけど。
そして翌日。私はトイレで鏡を見ながら色つきのリップを塗り、ポニーテールに結んでいた髪をほどいて、借りていた本を抱えて図書室の扉を開いた。
それから一直線に、カウンターで本の貸し借りをしている黒瀬くんの元へ向かう。
「黒瀬くん、本の返却お願いしていい?」
「っ!? は、はい!」
黒瀬くんからマスク越しに聞こえてきた声は100%クロマルさんのもので、どうして今まで気づかなかったのかと、もっと早く話せば良かったと自分が嫌になる。
そしたらもっとちゃんと、休み時間に焼きそばパンを食べる黒瀬くんとか、真面目に本の手続きをする黒瀬くんとか、色んな黒瀬くんが拝めたのに。もっと早く、私が隣にいる未来があったかもしれないのに。
でも、そんな気持ちは飲み込んで、手続きをしてくれている黒瀬くんに話しかけた。
「そういやこの前話してたことなんだけど。私、好きな配信者さんがいてね」
「…………? はい」
「クロマルさんっていう配信者さんが特に好きで、大好きで、『四葉』っていうユーザーネームで、よく配信を聴きにいくの」
「…………っ!?」
そう言った瞬間、黒瀬くんの顔が、マスクをしていても分かるほど真っ赤に染まる。そして、手続きをしていた本を大きな音を立てて落としたので、彼が拾う前に手に取って差し出す。
「この本もね、クロマルさんが勧めてたから読むことにしたんだ」
「そ、そうなんですね……?」
「うん、そうなの。それでね、黒瀬くんに質問があるんだけど」
私は暴れ回る心臓を抑えるように深呼吸をしてから、こちらを見つめている黒瀬くんの目を見て口を開いた。
「黒瀬くんの好きな本って何?」
すると黒瀬くんは、顔をさらに真っ赤にして、意を決したように
「少し、待っててもらえますか?」
と言って、私が手渡した本をカウンターに置いて席を立った。そして、一冊の本を手にして戻ってくる。それから、震える声で私に、大きめの文庫本を差し出して顔を俯けた。
「……俺のイチオシはこれです。余命僅かな女の子と同級生の男の子の、儚い恋愛小説なんですけど」
黒瀬くんが持ってきてくれた本が恋愛小説だということに、心が跳ね回る。でもその鼓動すらも伝わって欲しくて、本を渡そうとしてくれた黒瀬くんの手にそっと触れた。そして、顔を近づけて耳元で囁く。
「…………私も好き」
「……っ、え、あ、この本、知ってたんですか?」
「そうじゃなくて。クロマルさんのことが……黒瀬くんのことが、大好き」
そう言って黒瀬くんから顔を離し、目を真っ直ぐに見つめた。
「もしかして今の、告白じゃなかった?」
すると、黒瀬くんの顔がいっそう赤く染まる。そして、恐る恐るといった様子で言葉を吐き出した。
「ッ……えっと、告白でした。四井さんのことが、好きです……」
「……ふふ、よかったぁ。緊張したぁ……」
私はそう言ってしゃがみ込み、熱くなった頬を手で覆い隠した。
あぁ、まるで奇跡みたいだ。ずっと好きだったクロマルさんが黒瀬くんで、クロマルさんのリスナーだったからこそ、この告白をスルーせずにすんで……たった今、両想いになった。
両想いになったんだから、私も黒瀬くんに、私をたくさん流し込みたい。私で溢れるぐらい、いっぱいいっぱいになって欲しい。
奇跡みたいな偶然は運命に変わると、クロマルさんが勧めてくれた本に書いてあった。
運命に変わった?
違う。私が運命にしたんだ。今、この瞬間。
私の運命は君以外ありえないんだから、その自覚を持って欲しい。私がどれだけ好きか分かってよ。運命だって、苦しいぐらい分からせるよ。
だから、震える足で立ち上がって図書室のカウンターに手をつき、もう一度黒瀬くんの耳元に唇を寄せた。すると、黒瀬くんはビクッとして少し後ずさる。それでも、それに気がつかないふりをして口を開いた。
「ねぇ。明日は、私の好きな恋愛小説を勧めてもいいかな」
「も、勿論です!」
「……敬語なんてやめてよ。私達、好き同士なんだよ。これから、付き合うんだよ?」
「つ、付き合っ!?」
「え、違った? 私は付き合いたいけど、黒瀬くんと一緒にいる理由が欲しいけど……黒瀬くんは、やだ?」
「そんなわけないです!!」
「ふふ、よかった。いや、よくないか。それならタメ口で話してくれないと」
私がそう言ってクスクスと笑うと、くすぐったそうに黒瀬くんが身動ぎする。それをいいことに、
「黒瀬くんがタメ口で話してくれないと、もっと近づいちゃうけど」
と言うと、黒瀬くんは空気にすぐ溶けてしまいそうな声で「……っ、分かったから」と呟いた。私はそれに満足して、黒瀬くんから離れる。
目の前の黒瀬くんは、顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で私を見つめている。その様子が恋しくて、愛おしくて、どうしようもなく嬉しかったから頬が緩んだ。
だって多分、今の黒瀬くんは私でいっぱいだ。今日から私はただのリスナーの四葉じゃなくて、黒瀬くんの彼女の初葉になれるんだ。
初葉って、呼んでもらえることだってあり得るんだ。現実に出来るんだ。叶わないって、自分の心に鍵をかけて諦めなくてもいいんだ。
今まで私がクロマルさんに悶えてきた分、もっともっと私を流し込むから。私の趣味も、好きなことも、たくさんたくさん、これから伝えていくね。
だから、黒瀬くんの中が私で溢れて苦しくなるぐらい、私のこと好きになってよ。
今日から君は私でいっぱいになって、壊れちゃいそうになればいい。頭がパンクしそうなほど、私を好きになっちゃえ。
私は心の中でそう呟いて黒瀬くんから離れ、貸してくれた恋愛小説を腕の中でギュッと抱きしめた。
一方通行は、今日でおしまい。
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