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6 猫は日本語を話しますか

 「あなたは誰? コガタリ君はどこにいるんですか?」

 その瞬間、古語と名乗る男は左手で春菜の首をシートに押えつけた。その目には狼のように表情が無い。

「殺してもいいんだ。その方が早い」

のどの骨がおさえつけられて、声が出なくなった。

 忘れるもんか! 殺されたって忘れるもんか! 

春菜は古語をにらみ上げた。

「だが殺しちゃならない命令だからな」

古語の手がはなれた。そしてすぐさま古語は車から出た。

「おりろ。おまえの立場を教えてやる」

立場?

 なんだかわからないが春菜は車をおりた。

 と、どこにいたのかオレンジ色のニャン吉が車のボンネットにはねあがって、春菜をじろっと見た。

 あ、そうだ、餌・・・。

その時、ニャン吉が言った。



 「きさまのせいで地球はおしまいだ」



 ニャン吉がくわっと歯をむいた。虎のような牙がのぞいた。

 なんだろうこれは。春菜はぼんやりと立っていた。ニャン吉が春菜ののどにむかって跳ねた。

 ぼんっ! と蛍光灯の破裂したような音がして、ニャン吉が空中でのけぞった。目が眼球がとびだす程に見開かれ、口から唾液が飛び散った。赤い血しぶきが春菜の顔にふきかかり、ニャン吉は春菜の胸にドッとぶつかってコンクリートの地面に落ちた。

「・・・・・?」

春菜はまだ黙って立っていた。古語の手に、日本の警察が使う黒い拳銃が握られていた。そしてその銃口を、今度は春菜の額にぴたりと向けた。銃口が目につきささってきそうで、春菜は目をしかめた。

「歩け。休憩室だ。あすこは人がいない」

「・・・・・」

「早く行け!」

春菜は向きを変えるために足をふみだそうとした、が、

「待て、血をふけ。人に会うとまずい」

「血?」

春菜は手のひらで顔をぬぐい、手のひらを汚した血を見た。そして、地面に落ちているニャン吉を見た。コンクリートに赤い血が流れている。

「ニャン吉が死んでる!」

「ああ、わたしが殺した。そいつは条約違反をおかした。だから殺した。よけいなことをすればおまえもそうなる」

古語が春菜の背に銃口をつけた。歩かないとしょうがない。


 まだ授業の始まるまで時間があるので生徒がちらほらとしか登校しておらず、誰にも見つからずに休憩室に入った。幸か不幸か。

 背中で戸を閉めると同時に、古語は春菜をベッドに押し倒した。たった今まで銃が握られていたはずの右手にはワニ皮職人の使いそうなナイフが握られており、ベッドに転がされた春菜が上を向こうとするのと同時にのどもとにつきつけられた。

 ちくちくしていや、という昔の洗剤のCMを思い出した。

 それから古語は左手で春菜の乳房をつかむと、それを右にゆらし、左にゆらした。それからちょっと考えて上にゆらして、下にゆらして、また真ん中に戻した。

 何がしたいんだろう。春菜は困って古語の目を覗きこんだ。

「おい、悲鳴をあげるんじゃないのか」

古語が不快げに言った。

「・・・悲鳴?」

「これは生殖器の一部なんだろう? 私が襲っているんだからおまえは悲鳴をあげるんだ」

「私が悲鳴をあげたら何か起こるんですか?」

「・・・聞きだしたいことがある」

だったら最初からそう言えばいいだろう。

「おどしてるんならおどしてると言ってください。こっちはもうわけわからなくてそれどころじゃないんですから!」

「では正直に答えろ。さっきの奴の言ったことに心あたりはあるか」

「んっ?」

「とぼけるな! さっきの猫に変化してた奴だ!」

「ニャン吉? 猫に変化って、猫でしょ?」

「猫が口をきくか?」

「・・・・・」

精神障害の初期症例の一つに、動物と話をするというのがあった。

 つまるところ、私は本当に気がおかしかったというわけか。

 春菜はすすり泣くように笑った。


妄想か。すべて私の精神世界の中の出来事。ああ、そうだ。この東高校に赴任して国語の先生をしている私というものは現実には存在していないのかもしれない。すべてが私の妄想なのだとしたら。高千穂中学校を卒業して、高千穂高校を卒業して熊本大学に入って教員採用試験をパスして教師になったってことも、全部私の頭の中で作りあげた幻だったんだ。私は本当は精神病院の中にいて、お母さんが泣きながらずっと私を見ているのかも。この古語はお医者さんかも。

 いいや、そうじゃなくて、本当の私は、十二年前の小学六年生の二月、爆発事故で植物人間になって病院のベッドで眠り続けているのかもしれない。あの「ドラえもん」ののび太君のように。ああ・・・長い夢だ。でも、これが夢だったって気づいたらこの私はどうなるんだろ。


 「おい・・・」

古語の手にあったナイフが消えて、古語は春菜の目の前で手をひらひらとふった。

「どうした。目つきが変だぞ」

春菜はその手をがしっとつかんだ。

 ああ、この手はつかめる。あったかくさえある。これが存在してないなんてことがあるだろうか。と哀しく考えたのはほんの一瞬のことだった。次の瞬間には、古語が跳び上がるような勢いで手をふりはなしたからだ。

「何をする! 変態か!」

「変態?」

「わたしの星では手を握るのは求愛行為だ!」

「キュウアイコウイ・・・」


 求愛行為その一 ダンスを踊る。

求愛行為その二 羽根を広げる。

 求愛行為その三 においをかぐ。

 求愛行為その四 光る。

 求愛行為その五 さえずる。


「・・・・あ〜、わたしの星とか地球人とか言ってますが、つまりあなたは宇宙人ということでございましょうか」

古語は下あごを突き出した。

「遅い。今頃何を言ってるんだ」

「宇宙人でしたか・・・ああ、そう・・・」

春菜は古語に背を向けて、わっとばかりに泣き出した。


 お母さんお母さんお母さん! 私はベッドの上に寝ているんですか。お母さんは私を今見おろしているんですか! お母さん、私は意識があるんです。ちゃんと夢を見ているんです。かわいそうなお母さん! そうとも知らないで私、私を精神病院にほうり込んだお母さんを恨んだりして・・・!

あ、でもあれは夢の中のお母さん・・・。 


「おい」

古語が春菜の額をつかんで力づくで上を向かせた。

「泣いてすむと思うのか」

「もういいんです。どうせ・・・」

あなたも幻でしょ、と言いかけた時、古語が春菜の頬をはりとばした。

「おまえのせいで地球が消えるという時に、もういいとは何だ!」

「・・・・・」

痛い・・・。頬をつねって痛い時は、夢じゃないことになっている。

 このやろー、もういいや夢なら夢で。

 春菜は開き直った。私が夢の中の私ならこの私にとっては夢が現実なんだから、この際話を進めよう。

 と、覚悟を決めたとたん、古語の言葉の意味に思い当たった。

「すいません。私のせいで地球が消えるって何のことです?」

「鈍い・・・。猫の言ったことを聞いてなかったのか?」

「聞いてませんでした・・・。ニャン吉が? そんなこと言いましたっけ? 私、ニャン吉が口きいたのにびっくりして内容までには気がまわらなかったから・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

古語はくるっと春菜に背を向けた。

「もういい。地球なんか勝手に滅びろ」

「あ、ちょっと待って!」

春菜は起き上がってはっしと古語の手をつかんだ。

「わっ!」

古語があわててふり払ったので手はいけなかったんだと思いだした。もしかして唇のようなものなんだろうか。私この人にキスしてしまったのかも。

 古語はギリギリッと歯ぎしりして、怒りに耐えているようだったが、やがて、深い深いため息をついた。

「もういい。話を進めよう。わたしはおまえたちの言葉で言うなら宇宙警察の刑事だ」

「・・・・・」

ものすごく嘘くさい、と春菜は思った。が、ふと見ると、古語は左腕に妙に大きくゴテゴテした時計をはめている。

「その時計、変身用の?」

「変身? 私はすでに地球人に変化している。これはただの押し入れだ」

押し入れ?

「いや、収納庫か? 時々言葉の選択に迷うんだ」

物置・・・。四次元ポケット・・・。春菜はそっと息を吐いた。

「我々はまだおまえたちとは接触しないことにしていたんだがそうもいかなくなった。わたしはおまえを取り調べ、監視しなければならない」

春菜はほっとした。

「殺したり解剖したり実験したり宇宙人の子供を生ませたりどこかの星の動物園に入れたりはしないんですね」

「・・・なんだそれは」

古語はものすごく不愉快そうだった。

「おまえのせいで地球が消されようとしてるんだぞ! 考えるのはそれだけか!」

それについては春菜はもう結論を出していた。

「それは間違いです」

「・・・なに?」

「心当たりがありません。私には科学者の父親もいないしコンピューターも使えませんし、裏山の封印を解いたこともありません。そんな地球が消される程の大失敗をしでかせるような人間がこんなところで公務員してるわけないでしょ」

古語は口をあけてぱくぱくと動かしたが、声が出なかった。

「それとも神様の逆鱗にふれるような悪事をはたらいたんでしょうか? でも私は仏教徒だから神様に出てこられても困りますよ」

「・・・違う。そんなことじゃない」

古語は下あごを思い切り突き出した。

「おまえ、地球が消えるって聞いてどうしてそんなに落ち着いてるんだ? おまえも死ぬんだぞ。生き物のすべてが死ぬんだ」

「・・・・・で、それが私のせいだとあなたは言うんですよね?」

「おまえのせいなんだ!」

春菜は首を横に倒した。疑問だからということもあり、頭を真っ直ぐにしていられない程疲れたということでもあり。

「分かれ! このバカ!」

古語は忍耐の限界に達したのか、右手を開いてガッと春菜の頭をつかんだ。グシッと髪の毛が音を立てるのが聞こえた。あ、頭をつぶされる。鳥肌が立った。

 バタバタバタッと走ってくる音がして、戸がバシーン! と開いた。息せき切った千佳が立っていた。戸は足で開けたらしい。千佳の両腕はふさがっていた。両手の上にノートを広げ、その上に何かオレンジと赤のまだらの物体を乗せている。

 どうしたのかと春菜が尋ねるより先に、驚きにこわばった顔をして千佳がつぶやいた。

「・・・なんしちょん?」

春菜と古語はベッドの上に座って向かい合っていたのだった。

春菜は答えた。

「・・・進路指導・・・」


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