32 変化が解ける
その時、島村の苦しげな声が聞こえた。
「朝霞さん・・・、君は・・・、どうしてもそいつと・・・」
島村に奇妙なことがおこった。顔が土色に変色し、気味の悪い程の汗がふきだした。苦しげにのどもとをかきむしり、砂の上にひざをついた。ネクタイをひきちぎり、シャツをやぶく。ボタンが砂の上にとんだ。
「・・・ああ、くそ!」
そして島村ののどから、獣のようなうめき声がもれ、ドサッと砂の中に倒れた。
「島村先生!」
春菜は思わず駆け寄ろうとした。が、それより先に、かけよった人物がいた。松尾千佳だった。
「島村せんせっ!」
砂の丘をはいあがるようによじのぼり、
「どしたと! 大丈夫!? 苦しいとっ!」
目を覚ましたとたんに島村が倒れるのを見てとりあえずかけよったらしい。首相たちはどうしようもなくておたおたしている。
島村ののどからまたも恐ろしいうめき声がもれた。
「島村せんせーっ!」
千佳はうずくまる島村の背中を必死でさする。
「どうなってると?」
千佳はきょろきょろと辺りを見渡して春菜を見つけた。
「朝霞せんせっ、島村せんせを助けてっ!」
春菜も島村にかけよった。古語もついてくる。古語は島村の顔をのぞきこんで、あっと声をあげた。
「そうか・・・。変化が・・・解けかかってるんだ。何か故障があったんだな」
「変身が解けたらどうなるの? 死ぬの?」
「いや、もとの姿に戻るだけで、こんなに苦しむはずはないんだ」
古語は島村のそばにしゃがみこんだ。
「どうしたんです! 解除できないんですか!」
島村は、春菜を見ていた。
「行ってくれ・・・頼む・・・頼む・・・」
「どうしたんですか! 痛むんですか?」
「行ってくれ! う! う! う! だめだ! 戻る!」
島村の額から汗があふれ砂がはりついている。
「島村せんせっ!」
古語は、やはり汗で砂がこびりついた顔で言った。
「体がもとに戻ろうとしてるのに戻らないようあらがってるんだ。それで激痛がおこってる」
「どうしてあらがってるの!?」
「もう異星人の存在は知られてかまわないんだ。そう問題はないはずなんだが・・・!」
その時、千佳がかっと目を見開いた。そして、ぐいっと古語の翼をつかんでひっぱった。
「うわっ?」
「千佳さん! 何するんですか!」
「は、羽根っ! 先生、羽根はえてる、この人!」
「・・・・・」
あ、そうか・・・。千佳は何も知らないんだ。
「いやーっ! 気持ち悪い! この人肩が翼になってる!」
古語は眉をゆがませた。春菜は、人権教育はきちんとすべきだなぁと反省していた。
くくっ、と島村が笑ったような気がして、春菜は島村の顔をのぞきこんだ。
「先生?」
いまや島村の肌は完全に茶色に変色しつつあった。
「気味が悪いんだよ」
と島村は言った。
「は?」
「朝霞さんだって、古語の本当の姿を見れば気味悪いと思うに違い・・・ぐっ!」
ザッ! と砂を蹴る音がした。春菜は瞬間的に音のした島村の足もとに目をやった。そして見た。島村の左足の靴が裂け、鷹のくちばしのような巨大な爪がのぞいているのを。
「 ―――――――― 」
口の中がカラカラにかわいた。
「朝霞さん、朝霞さん、まだ地球の言葉が話せるうちに聞いておきたい」
島村の目がすべて真っ黒になった。呼吸が落ちついて汗がひいてきたのは、地球人の姿を維持することをあきらめたのか。
「君は、俺が好きだったろう」
春菜も、古語も、千佳も、ギョッとした。
「そうだろう。君は俺が好きだったんだ。古語が来るまでは、俺の方が好きだったはずだ。そうだろ? くそっ、古語、俺も同罪だよ。おまえに同情するよ。
ああ・・・、朝霞さん、一度変身が解けてしまったらまた体を作るのに百日近くかかるんでね。故障がバレると君の観察をだれかと変わらなけりゃならなかったんだ。だぁれが変わってやるもんか。ああ・・・二週間も耐えたのになぁ、くそ・・・」
「やだっ」
千佳が泣きながら島村の背中を抱いた。
「島村せんせっ、やだよ、せんせを好きなのあたしばい。朝霞先生よりあたしのがいいよ。あたし、絶対せんせのこと好きや。好きやかい。お願い、ねぇ、あたしのこと嫌いなと?」
「千佳、俺はだめだ。いい男さがせ」
「せんせじゃなきゃいかん! あたしせんせがおるからどんなことでも耐えてこれたんよ! せんせ!」
「あ、あさかさん、た、たた、た、の、む」
荒い息の下から島村がうなった。もう言葉もおかしくなってきた。
「先生?」
「いいい、ますぐ、なみもつれて、このばからはなれて、くれ。ぜぜ、ぜたいふ、り、りかえらないでくれ。た、たたたたのむ。みるみるみるみるな。みるな」
春菜はうなづいた。激しく。わかったのだ。何が島村を苦しめているのか。しかし千佳は、春菜につかまれた手を激しく振り放した。
「いやっ! あたし行かん! せんせをおいていけん!」
薬のおかげで手術のあともなおってしまったのだろう、元気いっぱいの千佳と左腕がすっかりきかなくなった上に気力だけで動いてる春菜とでは話にならない。
「千佳さん。島村先生のこと好きなんでしょう!」
「好いとう。好いとうよ」
「だったら今は離れるんです! 何も聞かないで! 先生のために、ここを離れるんです! 急いで!」
島村がものすごいうめき声をあげた。
「だってせんせすごく苦しそうなとに! 置いていくと! それでも教師!」
千佳からは島村の左足が見えないのだ。島村が地球人でないことを理解できないのだ。
「頼むから・・・」
もう体力が限界で、話をするだけで目まいがしてくる。と、千佳を古語が抱え上げた。暴れる千佳を押さえつけながら走り出す。春菜もほっとして従った。
「いやーっ! 放せこの、化け物! 鳥人間! このっこのっこのっーっ」
暴れようがかみつこうがもちろん古語はびくともしない。
春菜は振り向かなかった。松の林に入った。古語は暴れ続ける千佳にてこずりながら急いで歩いた。もう浜はとっくに見えないのに休もうとする気配はない。春菜はただ倒れないために歩いていた。足が動かなくなりそうだ。しかし古語の気配から、立ち止まってはいけない気がした。
その時、背後から悲鳴が追いかけてきた。
「ふりかえるな!」
古語が叫んだ。ふりかえろうとした春菜はハッとしてふみとどまった。ザザザッと車の走る音がして、恐怖にひきつった顔の首相と外相が追い越していった。そして春菜は、千佳が目を見張ったのに気付いた。抱え上げられている千佳からは後ろが見えるのだ。しかし千佳の瞳が見ているのは、後ろというより、上だった。
さすがの春菜もつられた。ふりかえった。そして見たのだ。松林の向こうに、上に、そそり立つ巨大な爬虫類を。