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30 星屑の果てに

 三人はJRのレールを越えて、海岸に出た。誰もいない。遠浅の砂浜は砂漠のように丘を作っている。

 春菜はるな古語こがたりの背からおりて走った。古語は砂の丘のかげに千佳ちかをおろし、荒い息をして砂に手をついた。古語の体力もいいかげん限界だろう。

「千佳さん!」

春菜は千佳の頬を軽くたたいた。千佳の顔色は真っ青で、ほっぺたが妙に冷たい。

「千佳さん! 聞こえてたらまばたきしてください。千佳さん!」

古語がぜえぜえ言ったまま起き上がって、千佳の左手の脈をとった。

「・・・どうですか」

「・・・わたしの鼓動がうるさくてわからん」

「・・・・・」

だったらするな。

「わからんが、はっきりしてることは、こいつもう死んでるな」

春菜は千佳の右手を両手で握りしめて地面に額をおしつけた。祈るように。自分の命を千佳にうつしたかった。

 千佳は死んでいる。春菜のために無理に動いて、千佳は死んだ。

 地球人なんか死んでしまえ。

 こんな人類なんか死んでしまえばいいんだ。地上がふきとばされても、いずれ新しい命が生まれ、植物が芽吹き、地球人よりは少しはましな生命が誕生するだろう。地球はほんの少し小さな玉になるだけだ。

 「助けたいか?」

古語が言った。

「もういい」

と春菜は言った。

「勝手に十二時になればいい。・・・もう、知らない」

「こいつのことだよ」

がばっ! 春菜は顔をあげた。古語は砂に座ったまま何か考え込んだ顔で春菜を見ている。

「助けられるんですか」

「・・・できなくもない」

春菜は古語の両肩をつかんだ。服は羽根のせいでとっくに脱げてしまっている。

「助けてください」

古語は黙っている。何か迷っているようだ。

「私なんでもします。あなたの奴隷になります。一生こき使っていいですから!」

思い詰めたあまりに春菜の黒い瞳が藍色に見える。古語は、小さく、しかし強くうなづくと右手をふった。右手にはいつのまにか白いボールが握られていた。

 見たことがある、と思った。春菜の記憶がすさまじい勢いで逆流してゆく。そうだ、十二年前、コガタリはそれを春菜の胸に押しつけた。そして春菜の焼け焦げた体は復活し、命が助かった。たぶんコガタリは全員に同じことをした。そのかわりコガタリは犯罪者となり、星屑に送られ・・・。

 古語はそのボールを千佳の胸におしつけようとしたが、春菜は古語の腕をつかんだ。

「どうした? これを打てばこいつは生き返るんだ」

春菜は古語を見つめた。だけどそうすればあなたがどこか宇宙のはての星屑に送られてしまう。犯罪者として。あなただってそれで迷ったんだろうに。迷ったのに。

「おい! おまえいいかげんにしろよ。こいつを助けたいのか、助けたくないのか!」

「助けたい、でも・・・そうしたらあなたもコガタリ君みたいに星屑に送られてしまうんでしょう」

 古語はわずかに目を見張った。

「まさか、わたしのことを気にしてるのか? へぇ、こりゃ驚いた。こいつの命と、わたしの運命とどっちが大事か決めかねるっていうのか。おまえわたしのためにこいつを見殺しにする気か。おまえを助けるために死んだこいつを」

「・・・・・」

 千佳さんの命。古語の運命。どちらかを私が選ぶ・・・。私なんかが、選ぶ・・・。

 選ばなければ選ばなければ選ばなければ。選べなくても。

 しかし春菜は迷わずにすんだ。春菜につかまれたぐらいで古語がびくともするわけはない。古語は春菜につかまれたまま白いボールを千佳の胸に押しつけた。ぎゅうっという音がして。ボールがたちまちビー玉のようになった。千佳が小さく息をはいたのがはっきりとわかった。

 古語は言った。

「あいにくわたしはおまえを助けたいんだ」

突然、古語は両の手を春菜の手にからめた。指と指がかわされ、しなり、からみあう。引き抜くようにひっぱられ、押され、手の平と手の平が舐めるように重ねあわされた。

 春菜は波にゆられているようで、それが何を意味するのか、知っているはずなのに考えるのを忘れた。

 そして古語は、そのまま春菜を体で押した。押されて春菜は砂に倒れた。シャッ!という砂の音を聞いた。古語は春菜の顔を舌先ですうっとなめた。ほんのふれるように。額を、頬を、唇を、あごを、あごの裏を、のどを。

 古語は砂ごと春菜を抱いた。頭を春菜ののどに置いて。古語の腕が春菜の体の上をさまよう。


 はて?


 春菜は状況を把握しようと努めた。

 おかしいな。なんだか襲われてるような気がしなくもないけど、まさかなぁ、人種違うのに。

 古語がうっ、と痛そうな声をあげた。

「どうしました?」

「いや・・・泌尿器が変だ。なんだか圧迫感が・・・。どうなってるんだ?」

泌尿器? 

 ちょっと考えて、気付いた。泌尿器って、あれか。あれが、圧迫感って・・・。

「古語さん!」

春菜は思わず声をあげた。

「あなた、やっぱり発情してるんですか!」

「発情?」

古語は目を丸くした。

「あ、これ、生殖器も兼ねてるんだったな・・・。まさかそっちで使うとは思わないから忘れてた」

「使いなさんな! 放してください! 冗談でしょ! そばに千佳さんが寝てるってのに!」

「それは関係ないだろ・・・」

古語はしょんぼりとした。

「地球人は発情期が来たからって脈略なく生殖したりしません! 理性でおさえて、相手を選ぶんです!」

「だ、誰も生殖するなんて言ってない!」

古語は赤くなった。

「だってそんなとこ膨らましてんでしょう」

「違う! これは地球人の肉体の問題でわたしは知らん! わたしはただ・・・」

古語はもっと赤くなった。

「ただ?」

「・・・おまえを愛してるんだ」

古語は顔を春菜の肩にのせた。自分の顔を見られないようにしたのかもしれない。

 はねあがる自分の心臓の音が、春菜の耳に大砲のように聞こえた。


 そんな馬鹿な。


「人が猿を好きになってはいけません」

どうしてこうわけのわからないことを口走ってしまうのか。

「種族は捨てる」

春菜の肩の上で古語が言った。

「立場も・・・星も捨てる。宇宙のはてまで逃げよう。春菜、一緒に来てくれ」

運命の気配が春菜の体をつき動かしていた。


 古語を愛している。


 そんなことは、もうとっくに分かっていたことだ。

 春菜は発作のように古語の背中に手をまわした。羽根と羽毛の感触が手の甲をくすぐる。左腕の火傷のあとを。人種が違う。生まれた星も違う。肉体も違う。知ったことじゃない。古語の声が好き、皮肉なもの言いが好き、冷たいふりをするまなざしが好き、黒すぎる髪の毛の一本一本が好き、肩が好き、胸が好き肌が好きひげが好き体温が好き流れる血潮が好き新しく生まれた翼が好き羽毛が好き魂が好き存在が好き。微笑みたそうで微笑まない唇が好き、もしそれが本当はくちばしだったらそのくちばしも好き。

 春菜は古語の髪に頬をすりよせた。古語の息づかいが春菜の胸を熱くする。歓喜、幸福、想像もつかない力が全身にみなぎる。

 宇宙は常に内や外に向かって膨脹しており、恒星や惑星や星屑が地球の海を覆うすべての砂よりも数多く、その星の上に数限り無い種族の人類が生活し、生まれ、滅び・・・、そして宇宙の果てで古語と春菜は出会った。

 この人と一緒に生きるのは、運命だ。

 しかし、古語は言ったのだ。

「こんな地球なんかほっとけばいいじゃないか」

そのとたん、ふくらみかけていた春菜の心がパンッとはじけた。

 春菜は古語の背中から手をはなした。それから、もったいないので古語の髪に一度ふれてから古語の体をそっと押した。

 古語は驚いたような絶望的なような顔色で春菜を見下ろした。その向こうに黒い翼と青い空が見える。

 だけど、地球は今春菜の上に立っていた。

「私、コガタリ君に会わないと」

古語の目が怒りに燃え上がった。

「コガタリのことなんか忘れろ! くそ・・・おまえはいつも、コガタリ、コガタリ、コガタリだ!」

「個人の問題じゃないんです。自分のまいた種です。刈り取らなければ」

「種は刈り取れないだろう」

「・・・・・」

古語にことわざは無理だった。

「地球を助けるのは私の義務だってことです。こんなことをしてる場合じゃなかった。まだ十二時じゃないですよね」

「うそをつくな。おまえはわたしと行きたくないだけなんだ。それぐらいなら死んだ方がましと思ってるだけだ」

古語の苦しそうな顔が、痛い。春菜はひどく悲しくなった。

「行きたいから行けないんです。地球の生き物みな殺しにして、自分だけ幸せにはなれません」

古語はじっと春菜を見つめた。

「・・・幸せって言ったか? わたしと一緒にいることが?」

古語はもう一度、春菜の痛まないほうの右手と自分の左手を重ね、指の間に指を入れて握った。春菜も握り返した。

「わたしが好きか」

春菜は黙って体を持ち上げると、古語の唇に唇でふれた。

「地球人の求愛行為」

「・・・・・」

古語はわずかに微笑むと、唇を重ね、はなし、また重ね、はなし、また重ねて、はなし、言った。

「・・・これな、接触するだけで今一つ情熱に乏しい気がしないか。奥行が無いと言うか」

「・・・・・」

彼はディープキスを知らない。

「そ、それはさておき、時間がありません。急いで戻らないと。千佳さんは放っておいても気がつくんですよね?」

 古語は愛しげに、しかしなぜか悲しい目の色をして、春菜の髪をかきあげた。

「おまえは立派だよ春菜。きれいごとばかりだって言ったが、おまえの生き方は本当にきれいだよ。・・・だけどな、立派じゃなくてもよかったのにな。それなら地球なんかよりわたしを選んでくれたろうに。・・・おめでとう春菜、合格だ」

「・・・・・・・・・・・合格?」

古語は春菜を抱き上げるように立たせた。さっきよりもっと悲しげに見えた。

 その時、サラサラサラと奇妙な音がした。春菜がギョッとして松林の方を見ると、青い制服を着た警官が四人こっちに向かって歩いてくる。妙に整然と。

 警官を見たら逃げ出したくなるのは人間の習性。春菜はあわてて千佳の方にしゃがんだ。千佳が起きなきゃ逃げられない。

「千佳さん! 千佳さん!」

顔に赤みが戻ってきてはいるが、まだ起きそうにない。

「古語! 今警察につかまるわけにはいかないんです。千佳さんを抱いて! 走って!」

「やつらは君を捕まえに来たわけじゃない。やつらが捕らえようとしてるのはわたしだ」

「・・・え?」

古語を地球人が捕まえるって? 首相でさえ古語には頭を下げるのに。それともただこの異形の翼を目がけてやってくるのか。

 古語はうっすらと笑った。

「春菜。こんな時に警察が機能していると思うかい?」

「え?」

春菜は千佳の横にひざをついたまま、古語と進み来る制服警官を交互に見た。

 古語はじっと警官が歩いてくるのを待っている。そして、春菜は気づいた。警官たちは、日本の警官として不釣り合いな真っ黒いライフル銃を握っているのだ。

「古語?」

何か変だ。何か奇妙なことがおころうとしている。そして古語はそれを知っているんだ。

 その時、フーッと息をはく音がした。千佳の胸が上下している。

 とりあえず千佳のことではほっとした春菜の耳に、近づいてくる四人の警官の足音が聞こえる。ロボットのように正確な。

 ロボット・・・?

 春菜が顔を上げたとき、四人の警官は砂の丘の上で立ち止まり、手をあげろとも言わず古語に向かって銃を構えた。古語は表情も変えずに立っている。昨夜のように戦ったりはせず。

 警官たちは地球人の顔をしていた。しかしまるでゴムのマスクをかぶっているように表情がない。

 地球上のロボット技術はまだ人間並に歩行ができるぐらいで大喜びの段階だ。これがロボットだとするとどう考えても地球のものではない。とすると本当に古語を捕まえに来たのか。・・・でも、なんで? 

 警官はビクリとも動かない。古語もつっ立ってるだけで何もしない。ライフル銃から出るのは鉛の玉かいつかの古語のように電気の束か、それともSFみたいに光線か熱線か。

 逃げて、と祈る余裕すらない春菜の視界に、黒い車が入ってきた。砂を蹴り上げてこちらに向かってくる。古語もそちらに視線をうつした。警官たちはびくともしない。

 車はザリザリと砂をかんで春菜たちのすぐそばで止まった。数人の人影が見える。ドアが開き、前座席の人物がおりてきた。

 島村先生だった。そして、首相、外相。

 春菜はまばたきを三回した。

 勝手な行動をとった春菜を怒っているはずだ。それなのに、首相も外相も今にも泣きださんばかりに嬉しそうな顔をしている。

 ただ、島村だけが不思議なほどに表情がない。

「すみません勝手なことして。でもちゃんと戻りますから!」

「もういいんだ」

島村が言った。

「試験は終わった。君は合格だ。地球人は救われたんだ」

「・・・・・」

なんのこっちゃ。


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