29 犠牲
「異星人の存在も知らない地球人が突然これだけのことを知らされたらパニックがおこるぞ」
「生存の可能性があることを国民に知らせましょう。自宅から出ないように呼びかけましょう」
と、外相。
「どうやって? こうなってTV局の人間が国のために働くと思うか? もう国家もない。政府もない。私も首相ではないよ」
首相と外相が頭を抱えているのを遠くに感じながら、春菜は氷のように立っていた。
コガタリをなぜ春菜一人だけが覚えているのか。それはコガタリが覚えていてほしいと思っているからだと信じていた。絶対にコガタリは実在していて、いつかもう一度現れると信じていた。だから生きてこれた。
そのコガタリに憎まれているのなら、存在することを許しがたく思われているのなら・・・・・・。
春菜はぶるっと頭をふった。
それでもまだ私にはやることがある。
「古語さん、早く月から仲間を呼んでください。コガタリ君に通信するんだから」
「え? ああ・・・」
古語は思い出したように、腕時計をチチッと押した。
「一時間程で来るだろう。八時から十二時まで四時間ある。それだけあれば十分だ」
「はぁ・・・」
首相と外相がすがりつくように古語を見上げる。古語はぐっと唇をかんだ。
「おい、あれは?」
島村が窓の外を指さした。このホテルは三十四階ある。町の中心部が一目で見渡せる。
全員が窓の外を見た。
窓の外には宇宙船が・・・飛んできたりはしなくて、特に変わった様子はない。
「なんだいったい?」
古語が島村の顔を窓の外とを交互に見る。
「あの煙だ。見ろ」
町の西南の方角に、煙があがっている。
「火事か・・・」
首相がうなった。
「火事ぐらいおこりますよ。火事どころじゃない、窃盗、強姦、交通事故、殺人・・・」
しかし、春菜はその炎の意味に気がついた。
「あれは、私のアパートです」
全員が春菜を見た。
「なるほど! そうだろうよ。アパートに火ぐらいつけたくなるだろうな! 当然だ!」
外相がヒステリックに口から泡を飛ばす。
そして、春菜は気づいた。
「お母さん!」
「え?」
島村もふりむいた。
「お母さんが! あのアパートに!」
「確かなのか?」
「ああ、わかりません。もしかしたら病院で私を待ってたかも。でも、私が病院を抜け出してもう一日ぐらい経ってるから、アパートにいたかも。高千穂に戻ってる? まさか、そんなことないだろうし」
島村に言ってるんだか一人言を言ってるんだかわからない。
「病院にいたとしたら、病院の人に殺されてるかも。私の母親だってことは知られてるから・・・」
春菜の左腕に、十二年前の熱さがよみがえってきた。じりじりと肌を焼く肉を焼く炎。生きながら焼かれてゆく肉体。
お母さん!
「アパートに行かせてください!」
春菜は叫んだ。
「必ず戻ってきます!」
「そんなことができるか!」
外相がどなった。
「今から行って何になる! 戻ってこれなかったらどうなるんだ! 勝手な行動は許されんぞ!」
「でも母が! 母が死んでしまいます!」
「おまえが勝手なことをしたら地球が終わりなんだよ! 母親ぐらい死なせておけ!」
「そんな馬鹿な!」
春菜はエレベーターの方に突進した。が、それを島村が止めた。
「離してください!」
「今出てったら殺されるぞ!」
「離してっ!」
春菜は完全に切れた。ひーっ! と頭の中でつんざく悲鳴を聞きながら、島村の手を振り放そうと暴れた。
「エレベーターがのぼってくる!」
首相が声をあげた。
「ホテルの者か? 私がいるのを知ってるからな、どうするか聞こうとでもいうのか」
「首相と朝霞春菜がここにいたんじゃ暴徒が襲ってくる可能性がありますよ」
外相はテーブルを運びはじめた。
「どうするんだ」
「くいとめんといかんでしょうが」
「うむ」
首相はソファを運びはじめた。島村も春菜の手をはなしてエレベーターを動かなくする手はないかとボタンを調べ始める。
みんなの注意が春菜からそれた。
春菜はそれを眺めていた。
今だ。お母さんを助けに行かなければ。
かわいそうなお母さん。お父さんが死んで、一人で私を待っていた。
春菜はエレベーターに背を向けた。目の前は大きな窓があった。限り無い青い空があった。そこから外に出られる。
春菜は窓に突進した。秋の日。窓はすでに開いていた。
春菜は窓わくに足をかけ、跳び降りた。
「春菜!」
古語の声が聞こえた。
三十四階。
春菜の体は、重力に逆らわなかった。
お母さん。親不孝な私を許してください。今行きます。間にあったら、これからずっとお母さんを大事にしますから。
ガクンッ! 春菜の降下が止まった。
グライダーが滑空するように地面からはなれて行く。抱き上げられているらしいことに気づいて、春菜は地面から目を離して空の方を見あげた。
目の前いっぱいに、黒い翼が広がっていた。抱きかかえていたのは古語で、その肩から、えぐれるようにして、翼が生えていた。天使のようでなく、鳥のように。
「一部だけ変化をといたんだ」
古語は鳥類だったのかな・・・。と思ったとたん、胸をしめつける悲しさに襲われた。
「なんだよ、そんな顔で人を見るな。・・・おまえから見りゃ気持ち悪いだろうが、お互い様だろう」
そうじゃない。美しく優れているのがあなたで、私が醜い奇形の猿です。そんなふうに、私たちの種がかけはなれていることが、とても悲しい。そう言いたいのに、声はすべて泣き声になりそうで、口を開くことが出来ない。
「八時までには戻るぞ」
古語が言った。バサリとはばたく音がする。
「! アパートに・・・」
行ってくれるの。
「・・・しかたないだろ。母親が死んだショックで自殺でもされちゃ困る」
「あ・・・さっきのは自殺じゃなかったんです。なんだか、急いでおりてアパートに行かなきゃって思って。無責任に死のうとしたわけじゃ・・・」
「わかってるよ」
古語はつっけんどんに言った。
春菜は黙った。わかってくれてるような気がした。
バサバサバサッとせわしい羽ばたきの音が聞こえる。
下を見ると、あちこちの道路に車が走り出しているのが見える。それも赤信号を守ろうとしないので交差点でつまって前に進めず渋滞になっている。
世界が消えてしまおうというのにどこにも逃げようの無いところへ逃げようとしている人々を誰が笑うことができるだろう。残りの五時間、最期の時を、黙って何もせずにいられる人間がいるだろうか。
古語は風にのって斜めに下降した。黒煙が見る見るうちに目の前にせまり、炎の粉が黒い翼にふりかかる。
アパートのまわりのたいして広くもない道路や駐車場に信じられない程の大勢の人々が集まって燃え盛る炎を見てわめいている。もちろんこの人たちが火をつけたのだろう。春菜が中にいると思って。
熱風にあおられて頬が痛い。すぐ下にこれだけ大勢の人がいるのに、みな炎に見惚れて上空の翼のある人間や、自分たちを死に追い込んだ張本人に気づきやしない。
「おろしてください! 急いで!」
「馬鹿を言うな! あの中に降りてどうしようって言うんだ! 殺されるのがおちだろうが!」
「おろしてくださいって!」
「もう無理だ! あきらめろ!」
無理? 何が?
「おろして!」
春菜は古語の手の中で暴れた。古語の胸や腹をひじで打った。が、びくともしない。春菜は自分を抱いている古語の手を思い切り握りしめた。
「うっ!」
びくっとして古語の手がゆるんだ。春菜の体がぐらりとゆれた。
「おいっ!」
落ちる春菜を支えなおそうとした古語の体も下を向いた。と同時に、翼が浮力を失って、二人の体は落下を始めた。
「うわっ?」
急降下するのをせいいっぱい翼を広げくいとめているが、その状態では羽ばたくのは無理だ。二人はまさに、興奮状態の地球人たちのまっただ中に着陸した。
憎悪とのろいの言葉をわめきたてていた人々は、突然空からふってきた物体を見て、言葉を失った。
― 翼? 悪魔?
人々はほぼ同じような連想をした。
― 裁きの日に地上に舞い降りるのは天使だったかな。悪魔だったかな。
春菜二階の自分の部屋を見上げた。窓から炎がふきだしている。壁が燃えているのは、ガソリンでもかけられたのか。
階段・・・。階段にたどりつかなければならなかった。人込みを抜けて。炎に焼かれて母親が悲鳴をあげている。十二年前の春菜が自分の肉体が焦げてゆくのを感じていたように、今母親が焼かれ助けを待っている。助ける。絶対に。
が、その時、誰かが気づいた。
― 朝霞春菜だ!
― 朝霞春菜だぞ!
― のこのこと! いやがったぞ!
― 殺せ!
― 殺せーっ!
― 私の未来を返してーっ!
― 死ねーっ!
殺気というものが質量を持っているものだと春菜は初めて知った。人々が殴りかかるよりも早く、殺気におされて動けなくなった。
― そっちのは何だ?
背後で声がする。古語のことだ。
― 化け物だ! 悪魔だぞ!
― 違う、こいつ宇宙人なんだ! 宇宙人は地球に来てるんだ! やっつけろ!
春菜は殴られながら顔をあげようとした。
「その人は関係ないんです! やめてください!」
殴られながら、蹴られながら、ふりまわされながら、春菜はやっと我にかえった。
ここで死ぬわけにはいかない。この命はまだ使い道があるのだ。古語の守ってくれた命だ。
「やめてください! 私、生きてないと! 生きてないとだめなんです!」
― こいつ命ごいしとるぞ!!
― じゃあ俺も助けろ! 俺も生きたい! 死にたくねぇんだ!
― 助けてよーっ! せめて死んでっ!
「やめてください・・・」
と言っているつもりなのに顔を殴られて言葉にならない。
だんだん腹がたってきた。もう死んでやろうか。自分たちが私を殺したために生き延びるチャンスを失ったって知って後悔すればいいんだ。と思いはすれども実行できないのが春菜の弱さ。頭を両腕でかばいながら、なんとか逃れようとした。そして顔を上げて、見た。
人込みの向こうに、怒りに顔をゆがめた松尾千佳の顔を。
ああ・・・。
ひざの力が抜けた。
千佳に感謝されているとうぬぼれてはいないつもりだった。しかし今この場所で、怒りに燃える千佳の顔を見るとは、予想していなかった。
もう、いい・・・。
ここで死んでも私は、つぐないをしたことにはなるだろう。
殴りかかり髪の毛をひきむしろうとする人々の動きに春菜は体をまかせた。そして千佳の声を聞いた。
「先生逃げんね!」
同時に、頭の上から白い霧がふってきた。
? ? ?
霧どころじゃない。粉だ。たちまちのうちにあたりが真っ白になって何も見えなくなった。
― こいつ、消火器を・・・!
― 朝霞春菜の仲間やぞ!
春菜は顔をあげた。
千佳が消火器を持っていた? そうだ、病院はここから遠くない。千佳は、この火事のことを知って火を消しに来たんだ。病院から消火器を持って!
消火器の粉というのはかなり激しく、五メートル四方は全く視界がきかなくなる。
春菜への攻撃は一時的にせよおさまった。しかし・・・。
― 取り上げろ!
― そいつも殺せ!
「やめてください! 千佳さん逃げて!」
春菜は叫んだ。しかし遅かった。ゴツッ、と不気味な音がして、誰かが倒れた。
― おい、なんやこいつ、動かんが。
― ばか、おまえ・・・。
― じゃって、消火器で頭殴ったとになんで股から血が出っとか。
白い霧が薄れてきた。春菜の方を見る者がいなくなった。みな、一点を、地面の一点を見つめていた。春菜は人の群れをかきわけ、その一点へと進んだ。
千佳が倒れていた。そばに消火器が転がっていた。頭から血が流れ、瞳は半眼となり、ワンピースのスカートからのびた両足の間のアスファルトがどす黒い血に染まりかけていた。
千佳は昨日手術をしたばっかりだ。走り回ったり、頭を殴られるショックを受けたりしたために、大出血してしまったんだ。
春菜は倒れている千佳に近づいた。
「千佳さん?」
返事がない。流れる血が額に玉を作っている。突然、怒りが春菜の全身に燃え上がった。
残っている全世界の人類より、千佳さんを生かしておきたかった。
春菜はその場に輪を作って悲劇的見世物を眺めおろしている人々をにらみ回し、宣言した。
「殺してやる」
その時そうっとよってきた少女が、春菜の尻を後ろからけとばして、またささっと輪の中に戻っていった。
「おまえが死ね」
小さな可愛い声でおずおずと悪態をついて。しかし他の人々の目に殺気は戻ってこなかった。遊びの時間は終わったのだ。静かに家に戻って最期の時間を家族とすごさなければ。
「春菜」
古語が人の柱をわけて近づいてきた。無事なようだが考えてみたら古語に地球人がたちうちできるはずもなかった。
「行こう」
母親があの炎の中にいたのなら、もう、手遅れだ。
「・・・千佳さんを病院に連れていかないと」
千佳さんだけでも。
「病院なんかやってるか」
古語は千佳を抱き上げた。そして春菜に背を向けた。
「春菜。わたしの首につかまれ。はなすなよ」
春菜はそうした。
と同時に、古語は走り出した。人の柱をつきのけるようにして。
速い。車が無いはずの古語が時々異常な速さで春菜のアパートと学校を往復していたのはこの足の速さがあったからだったのか。
春菜の体は古語の背中に落ち着かず宙に浮いた。翼は油と太陽の匂いがした。