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21 八つ裂き

  東高校の駐車場に車を止めると、カギの壊れている生物室の窓から中に入り込んだ。

 日曜だから人っ子一人いやしない。

 古いつくりの学校で、予算もまわってこないからそれぞれの棟の扉が未だに重たい鋼鉄性だ。猫だったら百匹かかっても開けられないだろう。

 あ、もっともそれぞれの代表が一人ずつって言ってたから同じ生き物がどっと襲ってくることはないわけか。

 生物実験室を通って廊下に出ようとして、ビーカーの中にささっているメスに気づいた。戦おうという気なんかない。戦えるわけもない。でも、何もないんじゃあんまり怖すぎる。

 刃のつぶれたメスを二本ひきぬいてジーンズのポケットに入れ、それだけでなんだか気分が落ち着いてくるのがおかしかった。ばかな気休めだ。

 春菜はるなは暗い階段をのぼって自分が担任をしている二階のクラスに入った。

 2―B。

 そして戸の内側に机をつみかさねた。

 現在七時十三分。

 私の体はきれいに持って帰ってくれるからいいとして、血が床にたまるだろうなぁ。学校の七不思議として語り伝えられたりして。

 春菜は窓際の壁にもたれかかり、両足をなげだして座った。動いている間に体の痛みはだいぶ楽になったが、とにかく体力がない。そういえば一日以上絶食してるわけだ。

 七時三十分。

 私がここにいることはもうバレてるんだろうか。あちこちから狙ってるんだろうか。どんな奴が来るんだろう。

 待って。

 みんな地球の生き物に変化してるんだよね。この辺にいる動物って言うと、ライオンなんかいるわけないから、せいぜい犬とかカラスとかだ。でなきゃ蛙とかトンボとか。

 代表だけってことは、それがそれぞれ一匹ずつしかこないわけだよね? なぁんか、もしかして楽勝だったりして。プチッとふんづけておしまいとか。

 な、は、は。

 疲労とケガのためにナチュラルハイの域に達してしまった春菜は八時を目前にしてやたらと楽観してきた。

 そうだ、蛙なんかに変化してる種族の代表なんか、実はびくびくしながら、せいいっぱいの勇気をふりしぼって出てきてたりして。それでほかの、犬代表なんかにバカにされて、

『流れた血でもなめとくんだな』

とか言われたりして。で、私が、その強そうな連中はみんなやっつけちゃって、最後に出てきたふるえてる蛙の前にひざまずいて、勇気ある若者よ。私の亡骸はおまえのものだ、なんて言って、戦利品は蛙代表が全部もって帰る。

 かっこいいな、それは。特に私が。

 七時四十分。


 何が最初に来るだろう。


 春菜はひざをついて体をのばすと、カーテンをわずかにあげて外をのぞいた。街灯に照らされた中庭には芝生がはえているだけで、生き物の姿は見えない。

 蟻だったりして。

 春菜はクスクス笑い出した。そして窓わくに両腕を置いて頭をのせた。もうどうでもよいいや。何が来ても知ったことじゃない。

 あ、もしかしてこれって悟りの境地? 悟っちゃったかも。

 しかし、春菜は、街灯の下に最初にあらわれた生き物を見た瞬間、ちっとも悟れてなんかいないことに気づいた。

 がく然とした。

 予想してなかった。


 古語裕作こがたりゆうさく


 古語は向かいの棟の扉をあけようとした。閉まっているのがわかると、今度はこちらの棟の方に来た。春菜の位置からは見えないが、ガンッ! と開けようとした音がした。中から鍵をかけておいたから開きはしない。

 古語は中庭の方に歩いてきた。キョロキョロしている。ケガはすっかりなおってしまっているようだ。さすが爬虫類はちゅうるい

 だめだ。古語には勝てない。

 アメリカンジョーク風に言うと、古語と戦うんなら先に棺桶かんおけに入っておいた方が時間の節約になる。

 でも、なぜ古語が? 異星人には違いないけど。

 古語は叫んだ。

「春菜!」

両側にそびえる校舎の壁にはねかえってこだまする。

「春菜! いないのか! 出てこい!」

駐車場の車は母親のものだから古語にはそれに春菜が乗ってきたことは分からない。春菜がここにいる確信はないはずだ。確信があるのなら、いないのか、などとは言わないだろう。

「わたしから逃げられると思ってるのか! 出てくるんだ!」

春菜は息をひそめていた。シンとする。

 よく見ると古語の肩がひどく上下している。もうずいぶんと走り回ったのだろう。春菜を探して。となるとやはりここにいると知っているのではなく、春菜の立ち寄りそうなところを探しているだけなのか。

 古語がイライラしているのがここからでもよくわかる。

 春菜はひざを抱いて目をつぶった。

 落ち着くんだ。古語が私を殺しに来たとは限らない。

 そうだ、きっと探しに来ただけだ。考えてみたら私を監視するのが古語の役目なんだから、私を見失ったら上司に怒られるんだ。自分のケガがなおって急いで私の病院に行ってみたら私がいなくって、大変だ逃げられたぞって青くなっただろう。

 もう上司に怒られたかもしれない。見つけないとおまえはクビだぁっ、星くずおくりだぁっ、なんちゃって。

「・・・・・」

 春菜は顔をあげてカーテンのすきまから古語を見た。妙に悲しそうに、くたびれて見える。春菜は心弱い人間だ。思わずつぶやいた。

 「・・・ごめんね」

 その瞬間、古語はガバッと体をあげて、まさにこのカーテンのすきまを見上げた。春菜と目があった。獲物を見つけた獣の目だった。たちまち両眼に殺気がみなぎる。


 しまった! 


 古語の耳は建物の外から人の会話を聞き取るんじゃないか!

 古語は鋼鉄の扉に突進した。そして、次の瞬間、ボキボキボキといさぎよい音がして、扉がもぎとられていた。さっきは扉を開けられなかったのではなくて、開かないのを確かめただけだったのか。開いていないのなら春菜も入れなかったろうと。

 古語はもぎとった鋼鉄の扉を中庭に投げ捨て、校舎の中に土足で飛び込んだ。

 階段を走り上がってくる音。廊下を走ってくる足音。近づいてくる。

 古語のために死んでやるなんて、なんだか無意味で不愉快だ。

 蛙の方がよかったのに・・・。

 春菜は絶望のあまり腹をたてはじめていた。雷のような足音はすさまじい勢いで春菜のいる教室の前にたどりつき、次の瞬間、戸が、つみあげられた机ともども、内側にふっとんだ。はじけとぶような激しさ。

 戸の向こうに仁王立ちした古語の目が血のように赤く光っていた。古語はゆっくりと入ってきた。おりの中の兎をねらう虎のように。

 春菜はポケットからメスをとりだした。左腕は痛むので右手だけでメスを握りしめる。

 古語は机を指先ではらった。それだけで机は二メートルばかりもふっとび、他の机をなぎたおして春菜の心をおびやかそうとした。古語のすさまじい怒りが春菜をおしつぶそうとしていた。

 「こんなところに隠れていやがって」

古語はじりっと近づいてくる。

「なぜ病院を抜け出した! わたしから逃げようとでも・・・」

と言いかけて、春菜の持つメスに気づいた。そして立ちすくんだ。

 春菜も古語も動くことができない数秒がすぎる。古語ののどがごくりと音をたてた。

 春菜は奇妙な違和感を感じていた。以前アパートで包丁を向けた時には眉一つ動かさなかったくせに、刃物なんかいくらさされても平気なくせに、何におびえているのだろう。

「春菜・・・。よせ、それをこっちに渡せ」

大きな手のひらを春菜の方にさしだす。

「・・・・?」

やっぱり変だ。

 そして古語は言った。

「おまえはそんなに弱い奴だったのか」

「・・・・・・・・・・は?」

「おまえが死んだらおまえの母親は悲しむだろうよ。今も必死でおまえを探してるんだぞ」

「・・・・・」

春菜は目をぱちくりとして、古語の誤解に気がついた。


 私が自殺すると思ってる? 


 まさかとは思いつつ、春菜はメスをそっと自分ののどに近づけた。

 反応を見ようとしただけなのに、古語の反応は激しかった。古語はすさまじい踏み込みで春菜のほうにつっこんでくると、すばやくメスの刃を握り締めたのだ。

 黄色い血が流れ落ちる。それでもほっとしたようにメスをもぎとると、床に放り投げた。

 それからじっと春菜を見た。悲しそうに。

「春菜・・・、こんな・・・」

春菜は急いで言った。違う。違った。

「ごめんなさい! 違うんです。自殺しようとしたんじゃないんです。本当にごめんなさい。私、あなたが私を殺しに来たんだと思って」

「・・・・・・・・」

古語の顔の中に怒りがこみあげて走り回り、春菜は念仏を唱えるように必死でごめんなさいを繰り返した。

「なぜそんなことを・・・」

その理由を説明しようとして春菜は気づいた。

 八時が来る!

「このあたりに来てる異星人の代表が、私を八つ裂きにしようとしています! 八時に! 急がないとあなたもまきぞえになります。急いでここから離れてください!」

古語が目をむいた。

「なんだって?」

「急いで! いいから! もう間に合わない!」

 その時、突然あたりが真っ白になった。白いカーテンが輝く程に。


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