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2、十二年後

 宮崎県は縦に長い。 

 端から端まで車でつっぱしると七時間ばかりかかる。その宮崎県のだいたいまんなかあたりに高鍋という町がある。

 上杉鷹山の出た秋月家を藩主とする高鍋藩のあった町だ。

 ひろびろと海も山も持った町だが、定時制高鍋東高等学校は、どちらかというと海に近い所にあった。全日制高鍋高校に隣立し、夜間部と通信部とを持つ大きな学校だ。

 この高鍋東高等学校夜間部の国語科に、二十三歳になる女の先生がいる。

 名前は朝霞春菜あさかはるな

 昨年大学を卒業してこの学校に赴任し、今年初めて担任を持った。二年生のクラスだ。半年たったが朝霞先生のクラスの生徒は学校を辞めると言い出す者もおらず、仕事と両立させてみんながんばっているようだ。朝霞先生も初めての担任にしてはなかなか落ち着いていると見守る先輩たちもほっとしているところだ。

 ただこの朝霞先生に向かう時、慣れないうちは誰もがそわそわしてしまう。ある者は左腕をじっと見つめるし、また別の者は左腕から目をそらす。彼女の左腕には、やけどの跡、それもはげしい炎に焼かれたのだろうやけどの跡が、流れる川のようにのたうっているのだ。彼女は夏になると他の誰もがそうするのと同じように半そでになって、そのやけどの跡を人の目にさらしていたのだ。


 十月、前期試験が終わってから後期が始まるまで生徒は一週間程休みになる。教職員はその間も後期から編入しようとする人達の為の試験や手続きのために忙しい。

「編入生のクラス分け完成」

隣の席に座りながら島村先生が編入生の名簿を渡してくれた。島村は生物科の教師で春菜より五つ六つ年上だ。

「ありがとうございます。うちのクラスには何人?」

「四人。全部で二四名。倍率五倍超えたんだよ。ひどいもんだ。うちも落ちた連中はどうなっちまうんだろうな。地球上のどこかにはいなきゃいけないのにな」

「島村先生はみんな入れてあげたかったんでしょ」

「入れるべきなんだよ。定時制は最後の砦なんだから。だけどさ、行政の許すクラス四十人をオーバーしてもう五十人入れちまってるもんなぁ。これ以上だとさすがに教室に入りきらない。中卒じゃ仕事がない。ニートに学校に行けだの働けだの言うことができるのかなぁ・・・」

 後半は頬杖をついて独り言のようになってしまった。春菜は島村の横顔を見つめた。島村は春菜のクラスの副担任だ。昨年一年生の時の担任だったので春菜の補助として配置されているのだ。

 春菜は島村が熱心に教育を語る様を見ているのが好きだった。

 「あ、そうだ、編入生だけどさ、四人のうち一人は成人で二十三歳なんだけど、かまわんだろ? 同じ年ぐらいなら」

定時制の場合、時には自分の親程の年齢の生徒を持つこともある。春菜は担任は初めてなのでそういった生徒ははずしてあった。

「かまいません」

春菜はメンバーを確かめるために名簿を取ろうとした。その時、甘ったるい声が職員室に響いた。

 「島村せんせーっ」

もう職員室ではおなじみになっている。昨年は島村の、現在は春菜の生徒の一人、松尾千佳だ。

「やったっ。島村せんせおらしたばーい」

大声に職員室中の教師が千佳に目をやり、その服装に数名がおおっと声をあげた。

 毎度のことだが今日の服はまたすごい。黒の超ミニタイトはまだいいとして、上半身の布の少なさ。ボリュームのある胸の谷間が半分見えてあふれそう。この服装は千佳の仕事着で、授業を受けた後町内のラウンジで働いているのだ。

 自分の胸にひたっと目を向けている春菜に気づいて千佳は黒いふちどりをした目でにらんだ。

「なんや、言いたいことあるならはっきり言えば」

「豊作ですね」

千佳の目がよけい険しくなった。

「パットに決まっとるやろ! 嫌味―っ。それでもあんたよりゃ胸あるわ」

「・・・パット・・・」

「セクハラうざ」

千佳は島村の隣、春菜と反対側の空いているイスに座った。島村はにまっと笑った。

「千佳よ・・・。いいことを教えてやろう。今日生徒は学校休みだ」

千佳はひるまなかった。

「なぁんが知っとるばいそんなこつ。あたし島村せんせの顔見に来たと。これから仕事なんやけど、せんせ、一緒に行こ。職場訪問」

「そんなしょっちゅうおまえんとこばっか職場訪問できっか」

「だけどボトルまだ半分やわ」

「よくもまぁ酒飲めん俺にボトル半分も飲ませたよな」

「仕事熱心やかい」

「おまえが飲んでんじゃないのか、実は」

「飲んでるよ。せんせの飲み残し。間接キスなとたい」

あちこちで笑い声がおこった。

 なぁに、千佳にはちゃんと夫がいるのだ。それも熱愛かけおちの末に同棲している同じ年の夫が。昨年その二人が入学した後でその事実が発覚し、あわや退学となりかけたのだが、その時島村が、二人が北海道から宮崎まで放浪してきていて、この地で身を落ち着けるために学校に入学したのに、ここで放り出したら人生への希望を失うだろうこと。警察に確かめたところ二人とも捜索願いも出されておらず、千佳の両親は二人とも別々に家を出て行方不明で、保護能力が無いこと。そしてどんな立場にある者に対しても教育を行うのが教師の勤めであり、それを生徒の私生活を理由に怠るべきでないこと。教師陣を説得して二人とも学校に残れることになったのだ。

 講義が始まってみると二人とも学業に熱心で教師陣は納得したが、北海道からかけおちしてきたはずの二人が熊本弁を流暢に話す理由は謎であった。ともあれ、それ以来千佳と夫の高雄は島村を慕っており、誰に対しても警戒心を解かない千佳も、島村に対してだけは手放しで甘えるのだ。

「ねぇ、今からお店行こ。ねぇって」

「職場訪問なら朝霞先生に頼めよ。担任なんだからさ。朝霞先生酒強いぞぉ」

「いや!」

千佳は不必要な程強く拒否した。

「朝霞先生来たらしらけるばい」

島村はギョッとしたが、春菜は苦笑いさえ浮かべなかった。

「いっぺん来たけどさ、ママとかすごく怒ってたもん、冷たい丁寧語で挨拶されて、なんか水商売だからってバカにしてるって」

「おまえね、朝霞先生はいつだって丁寧なんだって説明したか?」

「それにそのやけどのあと、他のお客さんが嫌がるわ」

「千佳!」

島村の口調に怒気が入った。職員室は今や静まり返っている。

「なんで怒ると! 朝霞先生をかばうとや? だってやけどのあとなんて見せびらかすことないわ。長袖着ればいいとにそんな気味悪いもの人に見せて、デリカシーないわ」

島村の手が持ち上がった。机を殴って千佳の言葉を止めようとしたらしいが、その前に春菜が口をはさんだ。

「好きなんですけどね、このやけどの跡」

「はぁ?」

千佳も驚いたが、島村もふりかえった。春菜はやけどの跡をなでながら、

「そんなに気味悪かったんですか」

「なんで? なんで好きなと?」

「話せば長いんですが」

「いいっ、あたし暇ばい」

春菜は暇じゃないのだが、それが通じる生徒ではない。

「ではポイントを押さえて。昔大切な友達がいて、これはその人の記念だからです」

「やけどが? その友達のせいでやけどしたんやね?」

「・・・千佳さんは知らないでしょうが、高千穂町の小学校で爆発事故があったんです。十二年前。調理室が爆発炎上して、児童三十九人が炎につつまれました。なのに、生徒たちにはかすり傷一つなかったんです。服が焦げているのに、体は全く無事でした。私のこの左腕以外は」

「たいした火事じゃなかったんじゃないの?」

「ただの火事じゃないんです。爆発して炎上したんです。校舎は崩れ落ちました。私たちは逃げることができずに焼かれていきました。足や手が焦げていきました。でも目を覚ましたらすっかりなおってたんです。たったこれだけ残して」

春菜はまたやけどの跡をさすった。愛おしむように。

 千佳は変な顔をして、島村の方を見た。

 他の教師たちもあっけにとられて遠くから春菜を見ている。

 島村は立ち上がった。

「よっし。しょうがねぇ今日は授業もないし、千佳の店に行くかな」

やった! と千佳も叫んで立ち上がった。

「へっへぇ。朝霞先生くやしい? 島村先生もーらい」

「・・・・・は?」

なんのこったろうと島村に救いを求めたけれど、島村は教頭の机の上の年休簿を取りに行ってしまっていた。千佳もそっちの方に走って行く。

 やれやれ。

 春菜はさっき手に取りかけて忘れていた名簿をやっと取り上げて目を通した。

 クラスの新名簿と連絡網を作っておかなければ。


鈴木洋子 十七歳   宮崎南高校中途退学。

日高茂樹 十七歳   延岡西高校中途退学。 

高山信吾 十八歳   西都商業高校中途退学。

古語裕作 二十三歳  警備会社勤務

 

 私と同じ年ってのはこの古語って人かぁ、と考えて、うん? と首をひねった。国語の教師の慣れで、うっかりコゴと読んでしまったけれど、そうだとしたら変わった名前だ。

「島村先生。この私と同じ年の人、名前なんて読むんですか。コゴ?」

ちょうど千佳に腕を組まれて廊下に出ようとしていた島村はふりかえって答えた。

「コガタリユウサクだ。この辺じゃあまり聞かない名字だな」


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