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19 逃げればいい

 春菜はるなは全身の激痛に耐えかねて目をさました。

 痛い。

なるほど、これが噂の金縛りか。

 と同時に、自分がベッドに寝ているのにも気づいた。六畳にベッドを置いたら狭苦しくて話にならないので布団にしたはずだったのに・・・。

 おきあがろうとして、左腕に鋭い痛みを感じた。あまりの痛さに身動きできない。

 ガチャリ、と左側のドアがあき、ピンクの制服を来た看護婦が入ってきて、春菜と目があった。

「あ・・・」


  看護婦?


「目が覚めた? よかったぁ」

若い看護婦はほっとしたような笑顔を浮かべて、廊下の方に向かって大声をあげた。

朝霞あさかさん! 娘さん、目を覚まされましたよ!」


 朝霞さん? 朝霞さんは私よ。


 ドアから自分が入ってきたらどうしよう、と一瞬よけいな恐怖を感じたけれど、タオルを握りしめて入ってきたのは母親だった。


 あれ?


 この光景は、以前に見たことがある。ベッドに寝ていて、左腕が痛み、そしてお母さんの顔が・・・。


 左腕の痛み?


 春菜の体に電流が走った。

 十二年前、高千穂たかちほ小学校の爆発事故!

 ああ・・・! 目を覚ましたんだ。私はやっぱりあの時からずっと眠っていたんだ。

 やっぱり夢だったんだ。何もかもが。ああ、地球に大勢の宇宙人が来ていて、もうすぐ地球がふきとばされて、それがみんな私のせいなんて、そんなことは、ないんだ。・・・よかった・・・・・! 

「お母さん、私、夢見てた」

涙があふれてきた。

「怖い夢やった」

「怖い思いは私やが!」

母親の目にも涙がにじむ。

 ああ・・・! 何から話そう。

「お母さん。私、意識なかったんじゃないんだよ。ずっと夢見てたんだよ。怖かった。お父さん死んじゃって、そうだ、先生になったりもしたよ」

早口にしゃべった春菜は、母親の目にだんだんとおびえた色が浮かぶのを見て、急に黙った。


 何か変だ。


 母親は、じっと春菜の顔を見つめると、言った。

「お父さんは死んだよ。おまえは学校の先生になっとるよ。・・・違うって言うと?」


  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!


 体が、急激に重くなりベッドに沈んで行く。絶望に天井も母親の顔も何もかもが遠くうつろになってゆく。

ひどい。

 現実なんだ。

 そうだった。ガードレールにぶつかったんだ。おばぁちゃんをひきそうになって、古語が気づいて、よけた。

「あ! おばあさんは? ひいた?」

「無事でしたよ。心配ないですよ」

と言ったのは看護婦だ。母親はまだ押し黙っている。

 ああ、お母さんは、また私の頭がおかしくなったと思ってるんだろうな。

 この前のように。爆発事故の時のように。だけどもう、精神病院になんか行かないよ。私は、正常なんだから。コガタリ君は本当にいたんだから。

 言ってやりたい! 本当のことを! コガタリ君は本当にいたんだ! 間違ってたのはお母さんの方だ。 私だけが本当のことを知っていた。

「でもよかったですよ。車が大破したにしてはたいしたケガもなくて。左の腕の骨にちょっとひび入っただけであとは打撲ですんだなんて奇跡ですよ。よっぽど日ごろの行いがよかったんですね」

春菜と同じ年ぐらいの看護婦さんがにこにこ笑ってくれる。

「悪運ばっかり強くって」

母親がむっつりとつぶやいた。

 春菜はしかし、看護婦のなぐさめに奇妙な違和感を覚えていた。

 五体満足だなんて、おかしいな。私はたしか体がばらばらに、八つ裂きにされるはずだったのに。確かそう予告されたはず。何かに。

 医者がやってきて、何も心配ない、検査をやって異常がなければ一週間で退院できますと宣言して出ていった。

 「ろくなことしないね、おまえは」

母親が言った。

「すみませんでした」

春菜は言った。静かに。

「島村先生も昨日はずっと夜中までいてくれたんだよ。あの人いい人やねぇ、おまえのことすごく心配してくれて・・・」

春菜はがばっと起き上がろうとして、痛みにまたベッドに倒れた。

「ど、どした?」

思い出したのだった。なぜ体がばらばらになるのか。

「夜中までってことは、もう一日たったんですね? 私は一日寝てたんですね? じゃ、今日は日曜? 今何時?」

「もう昼過ぎたわ」

「昼過ぎじゃなくて! 何時何分?」

「・・・二時前四分」


 そうか・・・。


 春菜は天井をにらんだ。今日の午後八時。私は八つ裂きにされてしまうんだ。宇宙人たちは病院に来るだろうか? 来るだろう。

お母さん・・・。

 春菜は母親を見つめた。

 会えてよかった。最後に会えてよかった。事故のおかげだ。

 話してしまおう、とは思わなかった。不思議なぐらい思わなかった。話したってしかたがない。何も知らない方がいいんだ。

「何か大事な予定でもあったとや」

「いいえ、別に」

「そう・・・」

母親は浮かない顔でベッドの横に置いてある小さな丸イスに座った。

 まだどこか春菜の正気に不安を感じているのかもしれない。春菜が奇妙なことを言い出すのを恐れるかのように、ポツリポツリと、しかし途切れることなく話をした。

「おまえは運が無いようで運の強い子だよ。十二年前はさ、あんな事故で、死んでもいいはずだったのにちょっとやけどだけでさ。

 今度もね、おまえが事故したって聞いた時になんだか予感がしたんよ。おまえは無事だってさ。病院に来てね、おまえが意識なくてもね、きっと目を覚ますってわかっとったわ。やけんほんと不思議やわ、脳にもどこにも異常なくて。

 警察でおまえの車見せられたけど、前半分つぶれとったよ。ようあんなんで骨一つ折れんと、大きな傷の一つもできんとすんだね。気味悪いぐらいやわ。やけん、おまえなんでペンキなんかつんどったの? 学校で使うとや」

「ペンキ?」

「シートの上やら足置きやらに黄色いペンキがべったり流れとったわ。警察の人、赤じゃなくてよかったって笑っとったよ」

その黄色いものがペンキでないことを、春菜はすぐに理解した。

「・・・ペンキだけでしたか」

「はあ?」

「車に乗ってたのは、私だけだったんですね。他には誰も乗っていませんでしたか。例えば、黄色いペンキにまみれた巨大なタコとか」

母親の目にまた不安の色が浮かびはじめた。春菜はそれ以上聞きただすのをやめた。おそらく古語はケガをして逃げ出したんだろう。黄色い血まみれの姿を見られて異星人と知られるのを恐れて。

 待てよ?

「お母さん。ペンキはどれくらいでした?」

「え?」

「ペンキの量。べったりってどれくらい?」

「さぁ。おまえが買ったんだろうに。わからんの」

「下にだいぶたまってました?」

「うん、まぁねぇ。大きい缶で買ったんだろう?」

古語は大量に出血したんだ!

 そうだ、私、古語を乗せたまま車をぶつけたら逃げられるんじゃないかって思った。偶然そうなったんだ。

 逃げられる、かも。今なら。

 古語の体がどんなに特別制だって、そんなに出血してたらいくらなんでもすぐには動けないはず。古語は今私を見張ってない!

 私は自由だ! 自由なんだ!

 冗談じゃない。私の体が手が足が指が首がばらばらにされてあちこちでかざられて、憎しみの対象としてきざまれ焼かれ、煮られ、もしかして食べられて・・・。

 ニャン吉はどこに逃げても無駄だって言ったけど、最後の最後まであがいてやるんだ。逃げる。そうだ古語だって言ったもの。地球最後の日まで生き延びて、自分のせいで生命が滅び去るのを見ろって。私にはそうする義務と、権利があるんじゃない? 異星人に殺されてやる義理はない。

 春菜は母親を見た。もう五十近い、無造作にたばねた髪のはえぎわはすっかり白くなった母親。父親が死んでからは一人で農業をきりもりしてきた。

 その苦しみも、もうすぐ終わりますお母さん。地球最後の日まで元気でいてください。

「お母さん。車で来たんですか」

「あたりまえやろ。高千穂からどうやって来いって言うとね」

「・・・売店ありますか、この病院」

「一階にあったよ確か」

「プリンが食べたいんですが」

「・・・・・あぁ?」

「プリンが食べたいんですが」

母親はあぜんとした。

「珍しいねおまえがそんなこと言うなんて」

母親は財布を握って部屋を出ていった。

 異星人は春菜をめがけて襲ってくるだろう。今現在、春菜のそば以上に危険な場所はない。母親と一緒には逃げられない。

 ドアが閉まると同時に、春菜は起き上がった。左腕に虫歯がキシるような痛みが走ったけれど、そんなこと気にしちゃいられない。動かなければ死んでしまうのだ。

 パジャマで出ていくわけにはいかない。春菜はベッドのまわりを探した。母親のことだから退院の時の着替えぐらい用意してるはずだ。アパートの合鍵は渡してあるし。

ベッドの下のボストンバッグの中から、そういえば一昨日ベランダにほしっぱなしにしたジーンズとTシャツが入れてあるのをひっぱりだし、着替えた。母親は春菜の部屋に入って目についた服を持ってきたのだろう。

 見ればキャビネットの上に、春菜のバッグも置いてある。バッグだけじゃなくて、車の後ろにおいてあった熊さんぬいぐるみもだ。たぶん警察に行った時ひきとってきたのだろう。車の中にあったもの全部バッグの中に入れられているようだ。

 春菜はそのバッグをつかんで外に出た。ひびが入っているとかいう左腕が痛む。包帯一つまいてないけど、腕ふったひょうしにポキッと真っ二つになったりしないんだろうか。

 階段は[非常口]の方を選んだ。昨日の産婦人科の時の例もある。出入り口に立って見張っているかもしれないんだ。こっちが先に古語を見つけてしまえば、古語だって一度に二つの場所にはいられないんだから、裏をかいて逃げられる。

 階段を見下ろすだけで目まいがした。背中や足がずっしりと重い。

 くたびれはててる。肉体が。精神が。

 ごめんね私の体。私の神経。もう少しだけ動いてね。もう私にはおまえたちしかないんだから。

 手すりにぶら下がるようにして、必死で階段をおりる。今何時だろう。腕時計ははずされている。

 ああ・・・。その踊り場をぐるりとまわったら下に古語が立っているかも。神様。誰か、助けて。助けてください。私にもうほんのちょっとの自由を。

 非常階段をおりたら、売店がすぐ目の前だった。母親がキャッシャーでお金を払っていた。春菜は壁に隠れて、母親が歩いていく後ろ姿を見守った。


 お母さん。私、世界で一番の親不孝者だよ。


 幸い、入院病棟には裏口があって、表玄関から出ずにすんだ。受付の前を通らずにすむので誰にも見とがめられることはない。

 表玄関をチラと見たけれど、古語の姿はなかった。

 気をつけながら気をつけながら、心臓がろっ骨を持ち上げる音を聞きながら、裏口を出た。 誰もいない。病院の壁づたいに歩いて駐車場に進む。見覚えのあるクリーム色の軽。母親の車だ。

 春菜ははやる気持ちをおさえて、細心の注意を払いながら、ようやく車にたどりつき、ドアに手をかけた。カギがかかっていたらおしまいだ。

 ドアは開いた。春菜は車に乗り込んで、助手席の座席の上のクッションの下に手をつっこんだ。

 あった・・・。

 高千穂宮の御守りにくっついた車のキー。カギを持って買い物に行き、何度もなくしたことがあるので、母親にはカギをクッションの下にほうり込んでおく癖があったのだ。変わってなくてよかった。

 左手でギアを動かす。そのたびに痛みが走る。金属的な痛み。全身の鳥肌がたつ。

 エンジンがかかった。

 そして春菜は逃げ出した。車は走り出した。古語の姿はどこにもなかった。


 

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