18 子どもはみんなの宝です
その日一日、古語にしつこく見張られたすえ、アパートの前でやっと別れることができた。
部屋の中を夜が明けるまであちこちひっくり返して探し回ったけれど、盗聴機らしい物はなかった。夜があける頃に、古語の星の技術では、目には見えない盗聴機を作るのも可能だろうし、アパートの中にしかけなくたって、こっちに向ければ簡単に盗聴できるような機械ぐらいあるだろうと気づいて、馬鹿なまねはやめた。
それから少し眠って起きたら日は高かった。土曜日は学校は休みなので、すぐに千佳のところに顔をだした。
「どうですか気分は」
「最低」
化粧をおとした千佳の顔は、確かに最低に見えた。まだ十九だと言うのにこの衰えようはなんだ。一日の入院でこんなに・・・?
考えてみるとこないだ高雄は昼間っからのんびり寝ていた。ということは仕事をクビになっていたのだろう。もしかすると千佳は、未成年二人の生活を支えるためにかなり無理をしていたのかもしれない。
「なぁんか寝られなくってぇ、ねぇ先生、あたしだけなんで他の人と違うと?」
「ん?」
「あたしだけ個室ばい」
春菜はギクリとしたが、幸いあまり表情の現れない顔だったので千佳にはわからなかった。
「・・・そりゃ、他の人は産むんだから」
「違う。おなかふくれてない人もおるけん大部屋ばい」
医者は千佳の手術が危険だということを本人には教えていないのだ。
「・・・まだ高校生だから特別扱いしてくれてるんじゃないですか? 中絶するんだってあからさまにわかるし、理由をあれこれ聞かれるのはつらいだろうって」
「そうかなぁ・・・。先生、時々さ、暇あったらあたしのアパート行ってみてくれん? 高雄が帰ってきてるかも」
春菜はまたもギクリとした。高雄は帰ってはこない。
「わかりました。高雄君帰ってたら千佳さん病院にいるって言って・・・」
「絶対だめ!」
千佳は大きな目をむいた。
「何考えとると。絶対だめ! 何のために今手術するとや。もうっ」
「あ、ごめん」
「もういいから帰って。役にたたないっ! もうっ!」
春菜は淡白なので、帰れと言われれば喜んで帰る。会計で千佳の入院費と手術費を払って外に出た。出ながら考えた。
高雄君と真由美さんのことを話した方がいいのかもしれないな。そうなると千佳さんは高雄君を捨てたのではなく、高雄君に捨てられたんだ。二人が別れたのは千佳さんの責任じゃないわけで、千佳さんが島村先生に慰めてもらうのに何の支障もない。そしていつしか二人の間に愛が芽生え、幸福な未来が・・・。
と、脳天気な想像は、ブツンと途切れた。未来はない。何もない。
私が消した。
「昨日もここに来たんだな」
だけどなぜ? 私が何をしたの?
「ここに何の用だ」
このまま生命が消え去る運命なのだとしたら、なぜそれを私に教えたんだろう。私がのうのうと生きていることを確認するため? 確認して憎むため? どうして最後の日までそっとしておいてくれなかったんだろう。
「人の話を聞けっ!」
「ん?」
春菜は顔を上げて、病院の前のフェンスごしに立って怒っている古語を見た。
つけてきた? こんなところまで!
「・・・人のあとをつけるなんて、地球のしきたりじゃ犯罪ですよ、ストーカー」
「・・・・・」
古語は不機嫌な顔をした。ストーカーの意味がわからないらしい。
「ここに何の用だ」
「脳障害の精密検査に。宇宙人がストーカーするんですお医者様。私は気が変なのでしょうか」
「産婦人科で脳の精密検査ができるのか?」
「地球の科学技術も捨てたもんじゃないでしょう」
「ごまかすな。おまえと松尾千佳が話しているのが私の耳にはちゃんと聞こえたんだ。松尾千佳はなぜ子どもを産まないんだ」
春菜は、怒りをおさえるために深い深い深呼吸をした。
「まぁすばらしい耳ですこと。でもそれはプライバシーの侵害ですわよ、ストーカー」
「・・・・・」
わからなかったらしい。ざまみろ。
「せっかくできた子どもを殺してしまうなんてことがありえるのか?」
「そういう人道主義が女性を苦しめ・・・」
と言いかけて春菜は驚いて口をつぐんだ。驚いた。心底驚いた。古語が涙を流していた。が、驚いたのは古語本人も同様だった。古語は右手で涙をぬぐった。が、涙はあとからあとからあふれてくる。
「なんなんだこれは!」
「涙ですよ」
「それくらい知っている! しかし、涙は女が流すものなんじゃないのか! くそっ、止まらない」
「もしかして、子どもを堕ろすのを聞いて、悲しくなりました?」
[堕ろす]という言葉に、古語はビクリとした。その言葉がよほど恐ろしいらしい。
「とにかくこの水を止めてくれ。あっ、鼻からも出てきた。どうしてだ」
春菜は黙ってハンカチを取り出すと、手をのばしてふいてやった。
「落ち着いて、深呼吸して。そうそう。 ・・・故郷の星においてきたお子さんのことを思い出したんじゃないですか」
「わ、わたしには子どもはいない! しかしわたしたちの星では子どもはみんなのものだし大切な存在なんだ」
古語はハンカチをひったくって懸命に涙をぬぐった。慣れない体だから止めかたがわからないんだろう。
「わたしの星には子どもを故意に殺すような人間はいない。我々の星の人間は、一生に一人の人間だけを愛する。運よく互いに愛しあった者は、子どもをできるだけたくさん作る義務がある。でなければ星が滅びてしまうからな」
春菜はまばたきを三回した。
「それって、じゃあ、自分が愛した人間から愛してもらえなかったら、一生独身ってことですか?」
「われわれの星には結婚制度というものがない。生涯に一人の人間しか愛せないのだから結婚で互いをしばる必要がないんだ」
「生涯に一人って、そういう決まりなんですか?」
「決まり? いや、そうなっているんだ。人を愛した時、脳にある物質が生まれる。それが体内の酵素と結びついてその特定の人間についてだけしかその物質が働かないようになるんだ。そうなるとその人間しか愛せないようになるし、その人間としか子どもが作れない。だから地球の[愛する]という言葉は我々の言葉では[確定する]、というんだ」
「ふうん・・・。ということは、あなたはふられたんですね?」
古語は目をむいた。
「な、な、な、なんで」
「だって、子どもがいないんでしょう。ということはあなたが[確定]した人はあなたのことを[確定]してくれなかった・・・」
「こっ、子どもは、これから作るんだ! 絶対に作ってみせる!」
その時、買い物帰りのおばさん二人がすうっと通りすぎた。春菜と古語を横目で見ながら。
春菜は自分たちが【産婦人科】の看板の前で大声を出していたことに気がついた。そして、くるっと古語に背を向けて駐車場へ向けて歩き出した。早足で。
「なんだ? どこへ行く、逃げられるつもりか!」
「車に戻るんです。あんなとこにいるとよけいな誤解をまねくでしょうが!」
「誤解? 何の誤解だ?」
宇宙人に細かな気配りを期待するだけ野暮だった。
「つまりですね。あんなところで男女二人で立っていると、私たちが夫婦か恋人に見られてしまうんです」
「・・・・?」
古語の表情が、[それがどうした]に見えた。
「困るでしょう。それじゃ」
「なぜだ。実害はないだろうが」
「実害とかの問題じゃなくて・・・」
宇宙人に細かな気配りを・・・以下同文。
「もういい。私帰ります」
春菜は駐車場の車に乗り込んだ。と、古語が当然のように助手席に乗ってくるのだ!
「どこまでついてくるんですか」
「どこまでもだ」
春菜は車を電柱にぶつけたい衝動にかられた。こいつを殺して私も死ぬ。春菜は歯をくいしばりながら車を出した。
オモチャ屋やカバン屋や靴屋をすぎてゆく。
そのとき突然、車の中に[鉄腕アトムのテーマ]の電子音が鳴り響いた。
古語はシートの上で飛び上がると、いつのまにだしたのか両手に黒い拳銃を持ち、右手はフロントガラスに、左手は外に向かってピタリと構えた。
「・・・・・」
春菜はそれを横目で見つつ、おもむろにバッグから携帯電話を取り出した。
「はい、朝霞です」
― ・・・千佳だよ。
「ああ、どうしました」
古語はぼう然として携帯電話を見ている。
― 先生、さっきごめんね、わがままな口きいて。
「気にしないでいいんですよ」
― 先生うちのこと嫌いやろ。
「まさか!」
― ・・・先生、また来て。
電話は切れた。
春菜は携帯電話をにぎりしめたまま、自分の額を殴った。
どうして私は帰れと言われて帰ってきてしまうんだろう。
「くそ・・・」
とちょっと下品な物言いをして、春菜は携帯電話を後部シートに投げた。
古語はふりかえって携帯電話を見つめていたが、やがて聞いた。
「あれは何だ」
春菜は古語の相手なんかしたくなかった。
「あれは何だと聞いてるんだ」
「携帯電話!」
「携帯電話? これが電話か? しかし、そんなもの地球にはなかったはずだ。少なくとも日本には」
「調べかたがたりなかったんでしょ」
「バカな・・・。コガタリが詳しい報告書を提出しているんだ。絶対になかったはずだ」
「ああ、日本で携帯電話が使われるようになったのはちょうどあの頃でしたから。まだ出回ってなかったんでしょう」
「しかし、たった十数年で・・・!」
「地球人の進歩は早いんです。あなたも未開人未開人てバカにしてるけど、あなたの星の文明だってすぐ地球人に追い越されるかもしれませんよ」
「地球人にそれだけの未来があればな」
皮肉を言われて、黙るしかない。
「しかしなぜそんなものがあることを隠していたんだ」
忘れていたんです
「それでひそかに誰かと連絡をとっていたな。・・・島村か? 島村だな。奴しかいない。そうだろう。おまえは約束を破ったんだ」
「誰にも連絡なんかしてません。どっかその辺の人に相談したからってどうにかなる問題ですか」
「そんなはずはない。地球人には群れたがる習性がある。おまえは約束を破った。報いを受けるんだ。島村も、おまえの家族もおまえの生徒もわたしが殺す」
春菜はうんざりしてきた。うんざりして、腹がたってきた。私をおどせるとでも思っているのか。
「勝手にどうぞ」
古語はゆっくりとまばたきをした。
「・・・・・なに?」
「勝手にどうぞ!」
「お、おまえな、勝手にどうぞじゃないだろ。殺されたら、死ぬんだぞ」
「どうせ地球人みんな死ぬんでしょう。今死ぬのもちょっと後で死ぬのもたいした違いはありません」
「・・・そういう問題か? 殺す時には、朝霞春菜のせいだと言ってやるぞ。みなおまえを恨みながら死んでゆくだろう」
「本望ですね。あ、そうだ。私が誰かに助けを求めたら、必ずその人を殺してくれるんですよね。私殺してほしい人大勢いるんです。絶対殺してくれますね。約束しましたよね!」
「・・・・・」
古語は化け物を見るような目で春菜を見た。
「正気なのか」
「正気ですとも。そうだ、まず私の母親なんかどうです? 高千穂に住んでるんですけどね、本当に殺してくれるんですね?
コガタリ君はいたんだと言う私を精神病院に入れて、父親が死んだ時も、恥さらしだからと私を呼び戻さなかったんです。
嬉しいなぁ。あなたが私の母親を殺してくれてる間、私見ててもいいですよね。母が私をのろいながら死んでゆくところをこの目で見たいんです」
「・・・・・」
古語はギリリッと歯をかみしめて、春菜から顔をそらした。
「もういい」
「え? もういい? 何が? 行きましょうよ高千穂。私だって長年の恨みをはらしたいんですから」
「もういいと言ってるんだ! やめろ! おまえの喜ぶことをしてやる筋あいはない」
春菜はほっとしたが、いかにも残念そうに首をふってやった。
「おしいなぁ。早くしないとみんな死んでしまうのに」
「黙れ!」
しばらくの間、春菜は黙って運転した。古語が島村のことを思い出さないように祈りながら。古語は窓際にひじをのせて頬杖をついている。
が、やがて古語がぽつんと口を開いた。
「コガタリはな、おまえのことを立派な人間だと報告書に書いていたよ」
コガタリ、と気いただけで、春菜の胸が痛い程高鳴る。
「報告書に時々アサカハルナの名前が出てきた。アサカハルナの行動や言葉が、評議会に送られてきた。わたしもその時の資料を読んだよ。しかし信じられなかった。こんな辺境の星に、そんな美しい魂を持った生き物がいるとは。
・・・やはりあれは、コガタリの見た幻だったんだろうな。よくあるんだ。未開人の中に崇高で純粋な精神を読み取りたがって正しい調査ができなくなることが」
コガタリ君・・・!
春菜は必死で涙をこらえた。
国道十号線。宮崎県を貫く主要路だ。横断歩道以外で横切ろうとするものはめったにいない。それが時に運転手の油断をまねく。
この時涙をこらえる作業に気をとられ、しかし半ば失敗して目をうるませていた春菜は、買い物車を押しながらおばぁちゃんが飛び出したのに気づくのが遅れた。
「春菜!」
古語が叫んでハンドルを左にきった。車はコントロールを失い、ほぼ反転しながらガードレールに激突した。