13 地球のしきたり
東校の裏門を亡霊のように通りすぎた二人を、あやうく真っ黒い車がかすめそうになり、通りすぎてから急ブレーキをかけた。
ドアが開いてあわてておりてきたのは島村だ。
「朝霞さん! どこにいたんだ。校内にいないから探しに出るところだったよ」
「・・・すみません」
「生徒たちが朝霞先生がすごい勢いで走って行ったって言うから心配したんだ。とにかくよかった。他の先生たちも心配してるからとにかく職員室にあがろう」
「だめです」
と古語がいきなり言った。古語が眼中になかった島村はギョッとして古語を見た。
「君は・・・古語さんでしたね? だめとはどういうことです?」
「朝霞先生は目まいをおこして倒れていらしたんです。何か強いショックを受けたとかで授業ができないとおっしゃるから今からご自宅にお送りします」
「自宅に? 君が?」
島村は春菜と古語の顔を交互に見た。春菜は真っ青なのだけれど、闇の中なのでそれが島村にわからないのだ。
助けてください!
叫びたかった。しかしその瞬間島村の命は失われているだろう。
「それだったら俺が送るよ。古語さんは授業を受けなけりゃ」
「いいえ。朝霞先生が、僕に送ってほしいとおっしゃるんです」
島村は、息を吸って春菜を見た。
「本当なのか?」
春菜に何が言えたろう。
「・・・はい」
島村は息を吐いた。
「じゃ、行きましょう」
古語が春菜の腕をとった。春菜は動かなかった。この、拒否を、島村が気づいてくれればいいと思った。が、古語は力づくで春菜をひっぱった。
「待て!」
島村は止めた。春菜は必死で振り返った。
「朝霞さん、手が血まみれじゃないか。それに右足もなんだかケガしてないか? 血がにじんでるようだが」
「なんだって?」
声をあげたのは古語だった。
「さっき、転んで・・・」
春菜の心に希望が生まれた。行かなくてすむかも。
「先に手当したほうがいいんじゃないか」
「ええ、私・・・」
が、それを古語が止めた。
「いや、朝霞先生の部屋で僕が手当してあげますよ。とにかくすぐ帰るんだ」
なんてことを・・・! 春菜は心の中で悲鳴をあげた。これじゃまるで古語と私がそういう仲みたいじゃないか。
古語はまた春菜の腕をひっぱった。島村はもう何も言わず、闇に消える二人をただ見送っていた。
駐車場につくと、古語は春菜よりも先に右側のドアを開けた。さっき鍵を閉める暇がなかったので開いたままだ。
「おまえは助手席に乗れ」
「運転するつもり? やめてください!」
「こんな単純な乗り物、一目見れば動かせる」
「でも・・・」
「いいから助手席に乗れ!」
春菜はしかたなく乗った。そしたら古語が変なことを言った。
「どうして言わなかった」
「は?」
「ケガのことだ。どうして言わなかった」
「そんなことまであなたに報告する義務があるんですか」
「報告するんだ! 何もかもだ! 自由にさせておくだけでもありがたいと思え!」
「・・・・・」
もううんざりだ。
「殺したければ殺せばいいでしょう」
「なんだって?」
「それほど私が憎いのなら殺してください。私のせいで本当に地球が滅びるんだったら死罪にしてもあきたらないでしょう」
「・・・そういうことはこっちが決める。おまえは勝手なことはするな。いいか、勝手に死んだりするなよ。おまえにはまだ生きている義務があるんだ」
生きている義務?
古語はサイドブレーキをはずすとギアをファーストに入れ、アクセルをふんだ。
車はびくともしない。
「・・・・・」
ハンドルの横から突き出ているつまみをひねった。ライトがついた。
「・・・・・」
「・・・・・」
「あのう、報告します」
「なんだ」
「自動車は、これがないと動かないのでございます」
春菜はポケットの鍵をさしだした。
「これをその、右側の穴にさしこんでまわして・・・」
「そんなことぐらい知っている!」
古語は顔をゆがめて鍵をひったくった。
春菜はほんの少しだけ満足した。
驚いたことに、春菜が何も言わないのに車は正確に春菜のアパートへの道を進む。
調べられてるんだ。何もかも。
アパートについて、駐車場に車を入れると、なんと古語も降りてきた。
「・・・部屋にあがりこんで監視するなんて言わないでしょうね」
「ここの六畳でどうしろと言うんだ」
やっぱり間取りまで調べられているようだ。
「じゃあなんでついて来るんですか!」
「足の手当てをすると言ったろうが」
なんだって?
「本気だったんですか?」
「ごまかしだった。だが言ったからには実行しなければ」
「・・・・・ごまかしを、実行する?」
「実行しなければ嘘をついたことになる。わたしの星では嘘をつくのは戒められている。口にしたことは絶対に実行しなければならないんだ」
立派なような恐ろしいような習慣の星だこと。だけど、足の手当てってことになると、アパートに入れて、足を洗われたり持ち上げられたりして・・・。
「だめです」
春菜は突然教師口調に戻った。
「なにがだめだ」
「地球のしきたりでは女の部屋に男を入れてはいけないのです」
「じゃあ、ここでやりゃいいだろ」
「・・・・・」
古語にはこっちが猿に見えているわけだ。猿相手に羞恥心もないか。だがこっちから見れば古語は力いっぱい地球人に見えるんだ。
「いけません。男は女の足に触ってはいけません。しきたりです」
「わたしにしきたりは関係無い」
「私にあります。こんなことが知られたら生きてはいけません」
「死罪か! ずいぶん厳しいんだな」
古語は感心したようだった。
「じゃあ手だけにしておこう。それで互いに問題ないだろう」
「そうですね・・・」
まぁ足よりはましだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「手を胸の高さにあげろ。自分で」
「あ・・・」
そうだった。手にさわるのはだめなんだっけ。
春菜は何の気なしに手をひょいと上げた。触れないんだったらどうやって治療するんだろうなどと考えもせずに。
そしてそのとたん、古語は長身をおりまげて、春菜の手の甲をぺろっっとなめた。
「 ─── !」
春菜は思わず手頃な位置にあった古語の頭を殴りつけていた。
「・・・何すんだ」
古語は痛くもかゆくもなかったらしく、しかしぼう然と舌を出したまま春菜を見下ろしている。
「暴力をふるうな」
「あなた私に暴力ふるいまくったでしょうが! どこの世界にケガの治療に人なめる人がいますかっ!」
「・・・なめないのか?」
「・・・・・」
春菜はがっくりした。
そうだった。こいつはなめたらケガがなおる奴だった。こいつらの星じゃ人の手当というのはなめることなんだろうか。じゃもしかして大ケガした時の手術は、五、六人よってたかって傷をなめるとか・・・。う・・・気持ち悪い。
「そうか、そういえばおまえらは皮膚がさけてもくっつかないんだったな。不便なことだ」
「くっつきます! 時間がかかるだけ!」
「ともあれ手当てはしたぞ。わたしの義理はすんだ。なおらなかったのはおまえの責任だ」
古語はもう歩き出していた。
「歩いて帰るんですか?」
「おまえらの鉄の移動機を使うより走った方が早いんでな」
それも嘘では無かったようだ。古語の姿はすぐに見えなくなった。