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安酒B級グルメ

作者: 日月明

 そいつはいつも、飴玉をわざと音が鳴るようにして噛みくだいて食べた。でっかい砂利が敷き詰められた道が、徐々に砂浜へと変わっていくような音を口の中からさせながら、くさい息をおれに向かって吐いた。


「なあピンスケ。俺はぁよぅ。身体だけじゃぁなくてよぅ。もっとお前のふけぇところに染み込ませるためによぅ。顎が疲れるのを我慢して、アメチャンを噛んでやってるんだぜ」


 緩やかな夜風が、むき出しになった全身の傷へ無邪気に触れる。火照る全身の腫れが少しだけ冷えた。安堵感が表情に出てしまったのか、礒巻は手に持った細切りにされた牛革ベルトで、パンイチで転がる俺を弾く。


「ふんぐりゅぃっ」


 模様に沿ってミミズを埋め込まれた皮膚の無い縞馬になった俺は、もう正しいうめき声のあげ方を忘れていた。礒巻が、新しい飴玉のごみをポケットに入れる。


「よかったぁなぁ。海沿いにある夜の倉庫前なんてベタなところでシメて貰えてよぉ。山下耕作の弟子気取りだって使わねえぜ」


 がりがりがりがり・・・・・・。じゃりじゃりじゃりじゃり・・・・・・。


 一緒に逃げたはずのドテはどうなったか。そもそも、なぜ俺はパンイチの縞模様にされているのか。


 一昨日の同じ時間は、安い牛丼をぼそぼそした触感の割りばしでかきこんでいたはずだ。紅ショウガが喉ちんこの裏側に張り付いてむせたことまで覚えている。


「きったねえな。こっちまでコメ飛ばしてきたら奢らせるぞクソガキ」


「んだとこら。歳は俺の方がひとつ上だろうが」


「てめえは精神がクソガキだっつってんだよ。その辺弁えて生きろよ。わかるか? 車のハンドル握る時も、糞ひり出した後の紙を握る時も、感謝と謝罪を忘れんじゃねえぞ」


「口にモノを入れてる時にケツからモノ出す話すんなって習わなかったのかクズ。お前に言われなくても、母ちゃんと親父には日々感謝してらぁ」


 俺とドテは、学生の時からほぼ毎日、似たような会話を吐き合っていた。学生っつっても、制服着てるだけで学校に行った回数は多分両手の指で足りる。


 二人でぶらぶらしていたらケツに人数が増えて、気づいたら学校側から「来ないでくれ」って言われた。


 こんなごく潰しを産んでくれてありがとう母ちゃん。そして、暴走族とも呼べないような馬鹿集団を面倒見てくれてありがとうオヤジ。頭の中にはそんなことしか詰まってねえような俺たちだった。


 とはいえ、仕事はあった。俺とドテチンは二人で一人として運転手を任されていた。オヤジのメカケとの子供専属運転手だ。小学何年生だかの娘で、白人とのハーフらしい。メカケの顔は見たことねえ。


 ことの始まりは、メカケとの子供、メアリが泣きだしたことだった。メアリはいつも車に、薄赤いウサギのぬいぐるみを置いていた。


 メアリの身長の半分くらいはあるどてかいぬいぐるみで、首にはいい女の口紅くらい真っ赤なリボンが巻いてある。


 オヤジがメアリに初めてプレゼントしたものだそうで、昨日もメアリは車に乗るなりそのぬいぐるみを抱きしめていた。普段と違ったのは、メアリがぬいぐるみを抱きしめるなり泣きだしたのだ。


「おいドテ、鼻啜りやがって。風邪だったら今すぐ降りやがれ。メアリさんにも俺にも移ったら困る」


「それはお前だろうが。自分の過ちを俺に擦り付けるなタコ」

 助手席から睨んでくる視線を鼻の横で感じていると、後ろから背もたれを控えめにノックされた。


「ごめんねピンスケ。あたしなの」


「おわ! 失礼しましたメアリさん。風邪移してきたやつ見つけだして締め上げないとですね」


「馬鹿ピンスケ、メアリさんは涙を流されておられるんだよ。どうしてお涙を流されておられるのですかメアリさん」


 舌の向きがおかしくなったような敬語をはなすドテにいつも通りの苛立ちを感じ、晩飯の中にこっそり鼻糞を混ぜることに決めた。


「もし、ピンスケとドテに、わたしを連れて遠くへ行ってほしいって言ったら、協力してくれる?」


「もちろんですよ! 俺はメアリさんの運転手ですから。オヤジに許可さえ貰えれば北海道でも沖縄でも、車の運転をさせてもらいやす。ドテも車の飾りですから、乗せておけば嫌でもついてきますよ」


「お前の明日の朝飯、生卵の白身が鼻水に変わってないかよーく確認しろよピンスケ。メアリさん。わたくしめも、どこまでもお供させていただく気持ちを持っておりますですよ。


 ご安心なさってください。オヤジにも、メアリさんのご自由が無くならないように言われておるので大丈夫でございます」


 メアリは、俺たちの言葉を聞いて、よりいっそう鼻をスンスン鳴らし始める。


「違うの。パパには内緒にして欲しいの」


 生まれたての蚊みたいな声の大きさで、メアリは俺たちを困らせた。オヤジに黙ってメアリを連れ出すなんてことをすれば、俺たちの命は顔がパンでできたヒーローの古い顔よりも簡単に吹き飛ばされちまう。


 命で済ませてくれたら、まだましな方だ。


 しかし、メアリの以上にも同時に気付いてしまう。普段のメアリは、とても賢い。学校へきちんと通っているだけでも凄いことなのに、どうやら勉強もできるらしい。


 メアリのツレを一緒に乗せて帰ったこともあり、ツレからは慕われている。そのうえで、自分の生まれや立ち場も理解している。


 つまり、俺たちがそんなことをすればどうなるか、子供ながらでも想像できるはずだ。


「ご理由をお聞かせいただいてもよろしゅうございますかメアリさん」


 ドテが、ティッシュを渡しながら振り向くと、メアリはさっきよりも少しだけ声を大きくして話し始めた。


「わたし、この前聞いちゃったの。“ラビ助”の秘密」


「ラビ助の秘密ですかい」


 ラビ助とは、メアリが強く抱きしめているウサギのぬいぐるみだ。


「このラビ助をわたしに持たせたのは、大切な計画書を隠すためなの。この中には、合成薬物の作り方を隠した場所のヒントが書かれた紙が入ってるんだって」


 小学生の子供から出てくるとは思えない単語の数々に、俺の脳みそが小学生に戻っちまいそうだった。


「それは、本当に間違いのないことなんでござりますかメアリさん」


「間違いないよ。パパと、ロシアのおじいちゃんが電話で話してるのを聞いたの。頃合いだからって。わたしのママは、薬物で死んじゃったの。


 二人とも知ってるでしょう。すごい悲しかった。こんな悲しい思い、他の人にはしてほしくないの。ねえ、お願い二人とも、わたしを連れて遠くへ行って」


 ジェットコースターみたいに途中から早口になったメアリ。最後まで言い切ると、顔をぬいぐるみに押し付けて静かに泣き始めた。


 メアリは、初めて会った時からこの泣き方をする。大声で泣いても仕方ないことをわかっていて、それでも泣かずにはいられない子供の泣き方だ。昔ケツにいた一人がそんな話をしていたのを覚えている。


「ラビ助を処分するというのじゃ、ダメなんでござりましょうかメアリさん」


「わかってるよそんなの! でも、これはたまにしか会えないパパから貰った大切なラビ助なの。できないよ」


 爆竹みたいに大きな音で吠えた後に、また小さくしぼんでいくメアリさん。姿は見えないのに、なんとも言えない気持ちになった。


「おいドテ。俺は今からそこの路肩に車を止めらぁ。メアリさんと、北海道まで牛を見に行きたくなっちまってな。五分待つ。先に降りて帰っとくってんなら、今しかないぜ」


 俺はハザードを焚くと、コンビニの前に車を止めた。


 一分、二分……五分。俺はまた、車を走らせた。


「いいんだな?」


「お前に気を使われて降りるなんてのは、今後食うウインナーが全部自分の指になってるより耐えられねえよ。わかったら、さっさと飛ばせボケナス」


 ドテの言葉に、俺は少しだけアクセルの踏み込みを強くする。


「じゃあ何か、てめえの指に書いてある番号は、食べる順番か?」


 ドテの指には、一本ずつ数字が書いてある。初めて暴力事件を起こして少年院に入った日日付を、記念として入れたらしい。


「てめえ俺の記念日を馬鹿にするんじゃねえ。お前の指からミンチにすんぞ」


 普段通りの俺たちの会話に、メアリが少しだけ笑ったような気がした。


 そしてすぐに、後部座席からメアリの「ありがとう。ありがとう」と小さく震えた声が聞こえたが、俺とドテは聞こえないフリをした。


 車を走らせて、三十分が過ぎたころ、携帯に着信が入った。「おいピンスケ、ドテ。てめえらいつまで遊んでやがる。メアリさん。あまり二人を困らせないでくださいね」


 留守電が自動で再生されるようになっている携帯は、車のスピーカーに接続されており、社内に兄貴の声が響いた。


 車を走らせて一時間。またスピーカーから声がする。


「ピンスケ、ドテ。いいかげん折り返してこい」


 兄貴の声は、さっきよりも少しだけ低く、土の中の冷たさっていうのはこういうものだろうと想像させた。


 そこからさらに、三十分。


「もう一時間も定期連絡が無いぞ。今から、三十分以内に折り返してこい。それが出来ないなら、お前たちはオヤジにケツ向けたと判断する。


 わかっているのか。拾ってもらったオヤジに、蹴り入れて逃げるようなことをしようとしているんだぞ」


 先ほどよりも、声のトーンは低かった。


「ねえ、ピンスケ、ドテ。本当に大丈夫なの?」


「なにをおっしゃっておりますメアリさん。わたくしめもピンスケも、親もなければ友達もいない。根なしの二人でござりますぜ。大切なのは、明日の朝飯に北海道の牛肉が食えるかどうかでござります」


「そうそう。それに、遠いところからメアリさんが話をすれば、オヤジもわかってくれます」


 ニコニコ笑いながらメアリに返事をする。


「そうよね。パパも、家族を守るために稼ごうとしているだけで、本当は良い人だもんね」


 頭の中では、母ちゃんに何度も謝っていた。正月くらい、顔みせればよかったなあ。


 最後に母ちゃんの顔見たのいつだろう。おでんに入った安いもち巾着くらい顔の皮も伸びて、皺だらけになってたりするんだろうか。


 ブレーキとアクセルをかえる脚は、今にも踏み外しそうなくらい震えているし、内股からケツにかけては汗でべっちょりだ。黒い皮張りのシートは、おそらくケツの汗形ができているだろう。


 ちらりと見たドテは、頭の近くにある持ち手を握りしめて、目が笑えていない。持ち手はたぶんふやけている。


 そこから三十分。また携帯が鳴った。


「ピンスケ、ドテ。時間だ。次会うお前らのツラが楽しみで仕方がねぇよ。アメチャン。たんまり用意して待ってるからよう。何味が好きか教えてくれよぉ」


 礒巻の声だった。ケツの割れ目から、汗がどっと噴き出るのを感じる。呼吸が浅くなり、少しだけ視界が暗く狭まる。シャツの脇部分を絞ったらコップ一杯分は水が出てきそうに感じる。その時だ。


「ピンスケ前見ろ!」


 車の前に、金髪の姉ちゃんがフラフラと飛び出してきた。ドテの声にハッとして急ブレーキを踏んだが、「ドスン」という鈍い音が社内に響く。車が完全に停止する前に、俺は後部座席を確認した。


「メアリさん怪我はないですか!」


「シートベルトしてたから大丈夫。ありがとう」


 メアリの真面目な部分に感謝した。轢いちまった相手を見ようと前に向きなおろうとしたとき、ドテがでかい手のひらで何度も俺の肩を叩いた。


「いってえなおい! なんだよ」


「あの女、マリじゃねえか……」


「えっ……」


 しっかりと前を見ると、イチゴジャムを頭から被ったような女が、上体を起こしていた。明らかにマリだった。


 マリとは、兄貴が面倒を見ているキャバクラのキャストで、客の男に入れ込んじまった馬鹿だ。禁止されている額以上のツケを許しちまって、回収しきれずにキワモノのエーブイに出ていると聞いていた。


「間違いねえ。あれはマリだ」

 

 言葉を吐ききるかどうかの瀬戸際で、すぐ右横のサイドウインドウが、映画館のスピーカーから発せらるくらい派手な音を出しながら割れた。


「はあぁい。おつかれちゃん。ピンスケあんどドテ。ドライブは楽しめたかぁ」


 がりがり、がりがりと、硬いものをかみ砕く音がする。緊急脱出用のハンマーを持った礒巻が、こちらを覗いていた。




「寝るなぁピンスケ。起きてくれねぇと仕事になんねぇだろぉ」


 バケツに入った水を被せられて、目が覚める。冷たい水が夜風に煽られて一層寒い。ご丁寧に氷まで入っている。



 礒巻は新しい飴玉を袋から取り出し、ごみをポケットへ入れる。足元の方に回ると、礒巻は俺の足首をワイヤーで固定した。俺にはもう、抵抗する体力も残っていなかった。


「心配すんなよぉピンスケぇ。ここは、うちで管理してる倉庫だからよぉ。ちょっと騒いだくらいじゃぁ、誰も来やしねぇ。思う存分遊ぼうやぁなあ!」


「げきゅりゅあかかぁああ」


 礒巻が叫ぶのと同時に、両足に鋭い痛みが走る。口の中を切りすぎているのか、叫んだ時に飛び出た唾は、腐りかかったイチゴみたいに赤かった。


「お前はあれだなぁピンスケ。あまりでかくねえから大漁って気がしねえな」


 少しずつ、身体が逆さに持ち上がる。鋭い痛みが続く足首からは生暖かい液体が垂れてきて、太ももを這う感触はションベンを垂れた時に似ていた。


「んでえ、お嬢を連れてどこに行きたかったんだあ。これだけ叩いたらよお、そろそろお口も柔らかくなるだろぉ」


 喋ろうにも、足の痛みとどんどん冷えていく身体のせいで、また意識が一昨日くらいに飛んでいきそうだった。次は、親父に拾ってもらった日まで戻れるような気がする。


「おおそうだピンスケ。お前、晩飯まだだろお。俺はアメチャン食ってるけどよお、腹減るよな。さっき、お前の分の晩飯が届いたんだよお」


 視界の隅に、お皿を持った小さな子供の姿が見える。礒巻の手招きで寄ってきたその子は、メアリだった。


「ありがとうぉございますお嬢」


 俯いていて、表情は良く見えない。声をかけるような体力は、残っていなかった。


 メアリは礒巻に皿を渡すと、少し離れたところへ座り込んだ。腕の中には、ラビ助を握りしめている。

 

 ああ、ラビ助の頭部と胴体が裂けているのが見える。そうか、俺は失敗したのか。


「ほれ、お前の晩飯はうまそうなウインナーだあ」


 皿の上を見る。大量のケチャップの上に置かれた数本のウインナー。食欲なんてまったくなかったが、俺の目は、徐々に近づいてくるウインナーを視界に収めた。


 皿が目の前に来た時、ウインナーに黒く数字が書かれているのに気が付いた。いや、皿の上にあるモノは、ウインナーではない。


「うっ。ぼげぇ。おげ」


「おいおいおい。ピンスケ、お前の腹の中にはよぉ、もう出るものなんて無いだろう。先に入れなきゃよう。仕方ねえ。食わせてやるよ」


 礒巻は、皿の上に乗ったモノを俺の口に無理やり詰め込むと、俺の口をガムテープで止めた。


「そうだあ、一ついいことを教えてやる」


 礒巻は、口元をトマトくらい真っ赤になった俺の耳へ近づける。


 がりがりがりがり……じゃりじゃりじゃりじゃり……。


「親父が一番手を焼いているのは、組員じゃねえ。対抗勢力でもねえ。お嬢だ」


 今までで一番はっきりと、わかりやすいように礒巻は発音した。


 わけがわからず、メアリの方をみる。座り込んでいたメアリは、立ち上がっていた。


 メアリは、辛うじて繋がっていたラビ助の頭と胴体を、引きちぎって見せた。繭から大量の蛾が一斉に飛び立ったように、白いワタが宙を舞う。不完全な白い蛾は、空を飛べずにゆっくりと落ちて行った。


 中から、しわくちゃになったデカイ紙を一枚取り出すと、俺に見せてきた。


 メアリの表情を見て、俺はまだ学ランを着ていたころに、気まぐれで近所の餓鬼に駄菓子を奢ってやった時を思い出した。正確には、奢ってやった餓鬼の表情を思い出していた。


「なんだぁピンスケ。自分でウインナー噛めないのかぁ。仕方ねえ。手伝ってやるよぉ」


 俺から離れた礒巻は、俺の足に繋がる太い方のワイヤーへと近づいた。


「けどよお。綺麗好きだから、お前の顔面に触りたくねえんだわ。だから、重力さんにも手伝ってもらおうぜぇ」


「んぐっ。んぐふりゅ」


 礒巻の声が聞こえ終わってから、俺の身体はさらに上昇する。身体が揺れて、鈍っていた足の痛みがまたぶり返してきた。


「じゃあ、いくぞお。しっかりと味わえピンスケえ」


 ジェットコースターみたいな速度で、コンクリートが俺の視界を埋めていく。ドテは、どうなっただろうか。


 メアリが広げた紙には「おしまい♡」と書かれていた。


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