第11話 策
第11話 策
凛奈は少し疲れたらしい。
駅のホームに等間隔に設置されている椅子に腰掛けて、一息ついている。
そして、彼女は座ったまま、肩甲骨を寄せる様に大きく仰け反った。
遠くに浮かぶ入道雲をぼんやりと眺めながら。
「PUMCは噂みたいに悪の組織ってわけじゃないの」
「だけど、彼らは正義の味方ってわけでもない」
「この全ての世界の存亡が掛かっている状況下にあっては、彼らも多少の犠牲は厭わないはずよ」
「…犠牲ってどんな?…」
「例えば、被融合世界である異世界の人間はシンクロの際、自我や肉体を失う可能性が高い」
「…僕ら異世界人が自我や肉体失う?…」
「断定はできないけど、現時点ではその可能性が高いわね」
「…そんな…僕がこれまでに観て、触れて、感じてきた思い出を全て忘れるだなんて…」
「アンタの思い出はアニメの主人公に自己投影して得た思い出が殆どでしょ」
「そんな偽りの思い出なんて、豚の餌にもなりはしないわよ」
僕の思い出が偽物だって?
そんなはず…。
でも、「思い出」って何だろう。
よくよく考えてみると真贋以前にその定義すら僕はよく知らない。
楽しい思い出、辛い思い出、恥ずかしい思い出、苦しい思い出。
こうして考えてみると、思い出というやつは、「特別な記憶」のことなのかもしれない。
良いか悪いかは関係なく、その人にとって特別印象に残っている記憶。
それこそ自然と「思い出される」様な、そんな強烈な記憶を「思い出」と呼ぶのだろう。
だったら、「思い出」という言葉には必ずしもポジティブな意味はなく、それはずっと残しておきたい記憶とは限らないということ。
忘れたい…だけど消えてくれない、そんな思い出だってあるはずだ。
「何ボケっとしてんのよ」
ふと我に帰ると、いつの間にか凛奈は立ち上がっており、腕を組んで不満そうにしているのが見えた。
「…いや、何でもないよ…」
「…そもそも、起源世界と異世界がシンクロするとは具体的にどういうことなんだ?…」
「簡単に言ってしまえば、シンクロとは異世界が起源世界の共時性存在になるということ」
「…共時性存在?…」
「ええ。」
「『デジャヴ』は知ってるわよね?」
「…経験したことのない体験、見たことのない景色を、ずっと前から知ってるような、あの既視感のこと?…」
「そう」
「もしそのデジャヴが『誰かの記憶』だったとしたら、どうかしら」
「…デジャヴは僕の記憶ではなく、僕以外の誰かの記憶…か…」
それって前世とか遺伝子とかそういう類のものなのだろうか。
いや、だとすればデジャヴは全て今よりも過去の内容になるはずだが、実際僕が見るデジャヴの中にはそう言った時系列では語れないものが多々ある。
例えば、新作の萌アニメを見ているはずなのに、「この萌アニメ、前に見たな?」と感じてしまう時だ。
萌アニメの歴史はせいぜいここ数十年(萌アニメというジャンルが定着したのは1990年代以降)で、僕が生まれる前には存在しなかったカルチャーだ。
だから、「この萌アニメ、前に見たな?」と感じたとしても、それは前世の記憶にはなり得ないということ。
それに加えて、僕は全てのアニメ作品に対し、愛と敬意をもって視聴するため、過去に視聴した作品と新作アニメを混同するようなことは絶対にあり得ない。
だから、デジャヴを前世や先祖の記憶、或いは自らの過去の経験と捉えるのはナンセンス極まりない。
だとすれば、デジャヴの正体は。
「…まさか、僕は既に誰かとシンクロしていて、その誰かの記憶がデジャヴとして流れ込んできているのか?…」
「そのまさかよ」
「だいぶ、察しが良くなってきたわね」
「と言うのも、この世界には創造主がタイムマシンを使う以前から、無数の並行世界が存在していたんだけど…」
「…おいおい、並行世界はタイムマシンによって生じたんじゃないのか?…」
「それは、『異世界』と呼ばれるほど、起源世界と大きく乖離した並行世界の話ね」
「要はタイムマシンによって生み出された、比較的乖離度の高い並行世界を、起源世界の住人が『異世界』と名付けただけ」
「異世界とは呼べないまでも、元の世界と若干の差異を持つ、近似的並行世界というものは自然発生的に存在するわ」
「そしてそれら近似的並行世界は、起源世界や異世界から派生したものなんだけど」
「それらは元の世界とほとんど差異がないから、また直ぐに元の世界とシンクロするってことがよくあるの」
「だからアンタも、そういった近似的並行世界とのシンクロは既に体験済みってわけよ」
「…そんな…僕の初体験が…僕はもう純潔ではないのか…」
「変な言い方しないで!」
「…でも、タイムマシンによって生まれるのが異世界だとして、近似的並行世界とやらは何が原因で生じるんだ?…」
「そういう乖離度の低い近似的並行世界は、人間が『もしも』と願うだけでも生まれることがあるわ」
「…もしもボックスなしで?そりゃ流石に嘘でしょ…」
「まぁ、そう思うのも無理ないわね」
「きっと人間の意識には、まだまだ解明されていない、不思議な力があるってことよ」
人間の脳は普段、本来持ち合わせているポテンシャルの10%程しか使用されていないと言う。
だったらもし残りの90%が覚醒した時、一体何が起こるのだろうか。
それがパラレルワールドの創造だったとしても、驚くことではないだろう。
「………」
「ちょっと、何考えてるの?」
「…いや、僕以外の全人類がロシア人美少女になったパラレルワールドを作ろうと、潜在脳力をフル稼働させているんだ…」
「死ね」
ドストレートの罵りに他意はなく、凛奈は眉をひそめて、あからさまに眼前の豚に対して嫌悪感を示した。
「とにかく、世界の不安定化を止めるためには全ての異世界が元の一つの世界、すなわち起源世界に復する必要がある」
「そして、そのために異世界人は起源世界人とシンクロし、異世界人は起源世界人の共時性存在になるのよ」
やれやれ、起源世界人は難しい言葉で煙に巻くのが得意らしい。
でも、僕には通用しない。
こういうシチュエーションもアニメで履修済みだ。
「…要はシンクロする時、異世界側の人間は意識と肉体を失う…」
「…そして、僕ら異世界人は『記憶』だけが起源世界の誰かに吸収され、朧気なデジャヴとして生き続ける…」
「そう言うことだろ?」
「まあ…端的に言うとそういうことね」
「…そんなの異世界側の人間にとっては、殺されるも同然の話じゃないか…」
「…いくら起源世界から派生した並行世界の住人でも、自分たちの未来を選ぶ権利ぐらいはあってもいいんじゃないか?…」
起源を主張する存在に自分の世界を勝手に管理され、剰え意識も肉体も奪われて吸収されるなんて迷惑千万。
世界を救う?
そんなものは彼らの建前に過ぎない。
実際のところは異世界を蔑ろにして、自分たちだけが生き延びようとする、エゴイズムに満ちた行為に他ならない。
やり方が違うだけで、人殺しにも等しい人道に悖る行為。
結局、異世界側の人間には救済の道なんて、初めから用意はされていなかったのだ。
「自分の人生は自分で決めたい」
「アンタはそう言いたいわけ?」
「…当たり前だろ?…」
「…僕が僕の人生をどう生きようとも、誰にも文句を言われる筋合いはない…」
「…そして、それと同時に、僕の人生で起きるあらゆることに対して、僕は全幅の責任を負うべきなんだ…」
「ふーん。そう。」
凛奈は素っ気なく答えながら、僕から目を背けるようにして踵を返す。
さらりと靡く髪の隙間から一瞬見えた彼女の横顔には、微かだが笑みが浮かんでいた様な気がした。
後ろを向いた彼女はそのままの状態で、僕に命じた。
「なら今の言葉、絶対に忘れないでよね」
「…当たり前だ…」
どうして凛奈が、そこに拘るのかは分からなかったが、僕ははっきりと肯定した。
「…自分の未来は自分で決める…」
「…その権利を奪う事は誰にもできはしない…」
僕がそう言うと、凛奈はクルリと回って正面に向き直った。
その動作は僕が萌ゆるには十分過ぎる程に可憐だった。
「その通り!」
「だから、私がここに居るの」
「…ん?どういうことだ?…」
「私はアンタみたいな可哀想な異世界人に、未来を与えるため送り込まれたアンドロイドなの」
「…アンドロイド?君が?…」
「…送り込まれたって誰に?…」
とうとう彼女の正体を知ることができたというのに、全く腑に落ちない。
僕を揶揄っているのかとも思ったが、彼女の目はマジ卍って感じの目をしていた。
「私たちアンドロイドは創造主によって、この異世界へ送り込まれたわ」
「…創造主ってあの創造主のこと?…」
「ええ」
「自らのエゴイズムで過去改変を繰り返した大罪人であると同時に、全ての異世界を創造せしめた者」
「一連の問題の発端、その張本人。正にその人よ」
「…創造主…生きてたのか…」
「私は彼が死んだとは一言も言ってないけど?」
まぁ確かに、言われてみればそんな気もする。
「…しかし創造主という奴は自分のせいで世界が消滅の危機にあるというのに、懲りもせず、また過去改変を試みているというのかい?…」
「…どこまで自己中なんだ…」
「違うわよ、その逆」
「彼は自らの行為がこれほど深刻な事態を招くとは思っていなかった」
「ましてや、誰かの自由や尊厳を奪うなんてつもりは微塵もなかった」
「でも彼が過ちを犯したことは事実」
「彼は自らの過ちを知り、それを悔いることに膨大な時間を費やしたわ」
「…まあ、普通そうなるよね…」
どんな理由があったにせよ、自分のせいで人類どころか世界が消滅の危機だ。
一晩枕を濡らして、翌朝にはケロッとしていたら、そいつは間違いなくサイコパスだろう。
「だけどその時間は彼に如何なる解決策も与えなかった」
「寧ろ悪夢を延々とリバイバルさせ続けたことにより、彼は自分が何者かも分からなくなるほど、衰弱していったわ」
誰だって過ちを犯すことはあるだろう。
だけど、それはどんな罪も赦されると言うことではない。
仕方ないと水に逃がせる過ちもあれば、どこまでも、いつまでも、記憶や心に焼き付いて付き纏うものもある。
創造主が犯した罪は勿論、後者だ。
罪はまるで呪いの様に彼の心を苛み、どんな幸福な光の中にあってもそれは消えることはなく、陰として立ち現れたことだろう。
光が強ければ強いほど、その陰もまた大きく、はっきりとした輪郭で顔を覗かせる。
最早彼の心に安寧はなく、どんな幸福も絶望のスパイスでしかなかったことだろう。
「…結局、人間は自らの犯した過ちから逃れることはできないんだね…」
「そうね」
「どれだけ悔いても、どれだけ反省しても、過ぎ去ってしまったあの時にはもう、二度と戻れない」
「過去に戻って罪を帳消しにするなんてことはできないのよ」
「……」
「…だったら、忘れてしまえばいいのさ…」
誰かが言った。
忘却とは人生において最良の薬だと。
また別の誰かが言った。
人は忘却することを止めれば、たちまち自殺してしまうだろうと。
苦しいなら。
悲しいなら。
全て忘れてしまえばいい。
そんな思い出なんて要らないのだから。
「それは違うわ!」
「臭いものに蓋をしたって何も解決しない」
「…でも、どうしようもないことを考え続けたって問題は解決しないだろ…」
「…見たくないものから目を背けて何が悪い…」
凛奈は今にも泣き出しそうな、悲しげな表情をしている。
どうして彼女がそんな顔をしているのか僕には分からなかった。
そして凛奈は何かを乞い願う様に囁いた。
「どんな辛い記憶も、後悔も、あなたを満たしてくれるかけがえのない存在なの」
「それに、あなたが忘れないことで救われる人もいる」
「…それを僕に言われても…」
「ち、違うわよ!」
「アンタに言ったんじゃなくて、一般論よ!一般論!」
「べ、別にアンタに言ったわけじゃないんだから!」
「それに、これは私個人の意見じゃなくて、創造主の考えなんだから!勘違いしないでよね!」
唐突な凛奈のデレに僕は困惑した。
バースデーサプライズとかフラッシュモブとかが苦手な僕にとっては、恒常的なツンの後の突発的なデレもまた、サプライズ的な要素を持ってしまうため、やはり不得意な部類に入ってしまうのかもしれない。
尤も、僕はサプライズで誰かに祝ってもらった経験などないのだが。
そんなくだらないことを考えていたら、凛奈のデレタイムはとっくに終了していたらしく、またいつも通りの様子で彼女は話しを続けた。
「だから彼は消え行く自我の中で決めたの」
「消せない自らの過ちを、その責任を、全て背負ってそれでも前に進み続けると」
「………」
「絶望が人の歩みを止めるのなら、希望は再び歩んだその先にしかない」
「そのことに気づいた彼は、自らの犯した罪を償還する為に残りの人生を賭け、前に進むと決めたの」
「…罪の償還…」
「…創造主は一体何をしようとしているんだ?…」
「『異世界転生計画』コードネーム『ISK48』の実行よ」