146話 囚われの姫 4/●
「あっげ!」
まず、森榮が声を上げた。
「しっ!静かに!」
即座にナギィが森榮に注意をする。
この場面で下手なことをしてはいけない。何が起こるかわからない。分かっている事が一つだけある。良い事ではないのは確定している。
皆、息をのんだ。
しばしの静寂 ────
沈黙を破ったのは、まず黒い陽炎だった。
雷が落ちた前方から、ひたひたと近づいてくる黒いシルエット。
そのシルエットが、数メートルという所で止まった。
自信に満ちたニタニタとした笑顔。
その笑顔は一同に嫌悪感を抱かせるには充分だった。
メイシアはゾクっとした。
その笑顔が自分に向けられ、もう自分を手中に収めたと自信に満ちた笑顔であることが分かったからだ。
「トイフェル、久しぶりだねぇ。」
カマディがトイフェルに声をかけた。
少しの間があり、トイフェルが少々芝居がかった口調で言葉を返した。
「おぉ。お前はユタのカマディではないか。老いぼれて、もう死んだと思っておったわ。ククク…… 」
「……また、つまらぬことを。」
「まぁ、そう怒るな。あの夜の再開を演出してやったのではないか。」
「ふん、再会を喜ぶような間柄でもなかろう。」
「そうだなぁ……。いや、わしは喜んでおるぞ。なんたって、その芳しい香りの愛しい愛しい姫を連れてきたくれたのだから。」
そういうとトイフェルは明らかに、カマディー一行を眺めるようなそぶりをした。
トイフェルの視線がメイシアに刺さる。
トイフェルは外見は人の形をとっているのは分かるのだけれど、分厚い暗雲の下であるせいか薄暗く、地面との境が曖昧な感じがした。
そんな不明瞭な状態なのに、頭に乗せられた冠だけが異質だ。鮮烈に輝き、違和感を覚える。
全体的に薄暗く、顔も長い髪で隠れて表情をうかがいにくい。
しかし髪の隙間から口元だけが、絶えずニタニタと嘲笑っているのが確認できた。
その様子は見る物に、不快この上無い感覚を与える。
カマディの後ろで様子をうかがっていたメイシアが、自分の事を言われていると嫌でも気が付き、恐怖というよりも虫唾が走った。
その感情を表情から読み取ったのか、トイフェルのニタニタの角度がより一層上がる。
「おやおや、もう姫に嫌われてしまったようだ。……ククク、」
「トイフェル、この子には指一本触れさせはしないよ。」
「ククク……、あーはははは! カマディ、お前にはそんな力はない。出来るものならやってみればいい!」
というが早いか、まるで風船がしぼむようにトイフェルの姿が影に吸い込まれてしまった。
え? と反応する間もなく、カマディとメイシアが乗っている馬の影から、にゅっとトイフェルが姿を現した。
瞬きする間もなく真横にトイフェルが現れ、メイシアは悲鳴を上げる事も出来ないままトイフェルを見上げた。
トイフェルは馬に乗っている状態のメイシアよりも背が高く、見下ろされているような形になっているからだ。
「や…… 」
やめてと言いたかったのだが、恐怖で言葉が掠れて出てこない。
瞬時にカマディがトイフェルから距離を取る為、馬を動かそうと馬の腹を蹴った。
しかし馬は動かない。
いや、動けないのだ。脚を上げようと筋肉に力を加えるが、何かに足を掴まれているように足が上がらない。
「フフフ、はーい、遅かった。」
カマディはキッとトイフェルを睨み、震えているメイシアを抱きしめると、トイフェルがいない方向へ馬上から落ちるように身体を倒した。
「カマディさま!」
「オバァ!」
後方で見守るほか術のない、チルーとナギィが声を上げた。
そして一番後方のストローが飛び出さんと身を乗り出した、その時だった。
「だめだめ。危ないじゃないか。もう歳なんだから、馬から落ちたら骨を折ってしまうぞ、おばあちゃん。ククク…… 」
何が起こったのか、咄嗟にはわからなかった。
カマディが馬から落ちて逃げようとした刹那、トイフェルはカマディが身体を倒した方向に現れ、二人が馬から落ちそうになるのを支えたのだ。
トイフェルの体は馬の影から生え、馬の腹の下を潜り抜け、瞬時に逆方向へ体を出した。
馬の腹あたりで、体が180度捻じれている。
その異様な動きを見ていたナギィが、小さな悲鳴を上げた。
その悲鳴はその場全員の心情を端的に表していた。
そしてこの状況を目の当たりしている現実に、一縷の望みを潰されたような絶望を覚えていた。
──── 力が、違いすぎる。
一筋縄ではいかないとは……強敵だとは思っていたが、どうにか頑張れば……、力を合わせ知恵を絞れば何とかできる敵だと思っていたのだ。
それがこんなにも現実離れした力の持ち主だとは想像できなかった。敵を知らなさ過ぎたのだ。
しかし、ただ一人だけ心が折れていない者がいた。
「メイシアーー!」
ストローが一人馬から飛び降り、メイシアのところへ向かおうとした。
「おっと。もうちょっと大人しくしていてくれないと、困るなぁ。」
慌てもせず、トイフェルがストローに向かって、人差し指を上から下に下ろした。
すると、着地した地面に出来たストローの影がぐにゃりと、立体的に飛び出て来て、ストローを地面に押さえつけた。
「ほほー、お前も珍しい人間だな。この国の者ではないな。……そうか。お前は虹伝師というやつか。ふんっ、つまらん。もうお役御免、用なしだ。良かったな、虹伝師。」
「く、くそ……! メイシア! メイシアをどうするつもりだ! 」
ストローが折れずに吠える。
「どうするだと?そんなこと決まっている。消せぬ呪いを同じ呪いで相殺するに決まっているだろう。……なぁ、お姫様。ククク…… 」
トイフェルが、メイシアの顎に指をかけた。
言葉にならない恐怖でメイシアが、小さく唸った。
「可哀想に、声も出ないのか。ヒヒヒヒ、」
「トイフェル、まだじゃ。その子はまだ【そう】ではない。お前の思うようにはならんよ。」
カマディがメイシアの顔からトイフェルの指をはねのけ、メイシアをぎゅっと抱き寄せた。
「まだだが【そう】なのだから問題はない。なぁ、姫。…… 姫はメイシアと言うのか。まぁわしとてメイシアに手荒なことはしたくはない。」
と言うと、メイシアに顔を近づけクンクンと嗅いだ。
「……ん~。シュテフィと同じ匂いだ……ククク……、」
メイシアがこの上なく気持ち悪いものを見るような目で、トイフェルを蔑んだ。
どういうわけか、トイフェルはそれがお気に召したようだった。
「なぁメイシア。お前がわしをどんなに醜いものと思おうが構わない。」
トイフェルがニタァと笑った。
「……わしにはお前が、緑色の骸骨に見えておるのだからな。これ以上醜い者がいるだろうか!イヒヒヒヒ!」