126話 楽園 32/33
ナギィは、深海にいた。
(何これ! 水の中? ……息が出来ない……! )
「うぐ! 」
咄嗟に息を止める。
深海だと思ったのは、薄暗いからだ。
ナギィは十六夜の海を知っていた。
色とりどりの魚やサンゴや海藻に、イソギンチャク。ヒトデなんかも彩を添えていた。
十六夜の海は、にぎやかなのだ。
しかし、今いるこの海は、深い青一色。
ずっと上の水面らしきところから、時折、木漏れ日のような揺らいだ光がうっすらと差し込む程度だ。
(メイシアは? メイシアは何処? )
周りを見渡す。
(もしかして、息が出来なくて、気を失っているんじゃ…… )
そう思うと焦りからか、どんどん息苦しくなってくる。
素潜りの極意は、精神が凪いでいる事。
分かっているはずなのに、どうしようもなく、心がざわざわと……
「ナギィ、どうしたの? 」
「え? 」
驚きのあまり、ナギィが口を開けた。
ボコボコと、口からあぶくが飛び出し、大小のそれはユラユラと水面めざして上昇を始めた。
(もうだめだ…… 気が遠くな…… )
「だから、ナギィってば。そんな苦しそうな顔をしてどうしたのって? 」
「何って、息が出来ないからでしょ……って、何これ。なんで喋れるの? 」
「ん? 変なナギィ。ねぇ、早く行こう、おばあちゃん探さなきゃ。」
メイシアが、ナギィの手を引いて泳ぎ出した。
さながら空でも飛ぶかのように。
「メイシア、待ってよ、なんで息が出来るの? 」
「やっぱりナギィ、変だよ? いつもと何も変わらないよ、何言っているの? 」
「はぁ? ……まぁ、いっか。」
ナギィは、あまりにメイシアが、何を言っているの訳が分からない、といったような空気を出しているので、とりあえずはこの話は脇に置いておくことにした。
そのように受け入れてみると、なんとなく、息も楽にできるような気がした。
「ナギィ、見て! 」
メイシアが指さした方向に目を凝らす。
集中して目を凝らさなければいけないほどに、濃い青が視界を遮っているのだ。
ナギィは泳ぎながら集中した。
「あ! 」
目線の先に、ついさっき別れたばかりなのに、もう懐かしいように思うシルエットが浮かんだのだ。
「……ナギィ、急ごう! 」
「うん! 」
ナギィは泳ぎながら、不思議に思っていた。どうしてここには、御嶽の入り口を塞いでいたような栓も、ましてや御嶽のあの大きな、互いにもたれ掛かった巨岩も無いのかと。
ただあるのは水。
いや、本当に水なのかも定かでは無い。
一面青く、淡い光が時折揺らぐ世界。
ただそれだけ。
そんな事を考えているうちに、もう目的のあの人が、鎮座し祈っている姿がはっきりしてきた。
鼓動が早まる。
どんなに、拒まれても連れて帰ろう。ナギィはそう思った。
メイシアと一緒なら、それが出来る。なぜか、そう思えたのだ。
「オバア! 」
「おばあちゃん! 」
二人は、大きな声でその人を呼んだ。
その人は驚いた様子も無く、静かに目を開けると、二人が近づいてくるのただじっと待っていた。
そして、二人が自分のところまでやってくと、両手を広げて二人を抱きとめた。
「二人が来たのを感じていたよ。無茶をする孫やさ。来てはいけないと言っていたのに…… 」
カマディは、二人をぎゅっと抱きしめた。
「おばあちゃん、迎えに来たよ! 」
「オバア、帰ろう! 」
「……どこに? どこに帰るさぁ? 」
「それは……、わかんないけど、とにかく、オバアこそ無茶ばかりし過ぎだよ! 」
カマディの目が困っていた。
「はぁ……。本当にナギィはフンデーやっさぁ。ワシの役目がある。ここを退くわけにはいかないのさ。」
「おばあちゃん、私なんだってする! 私にできる事、何でも言って! だから御嶽から出て来てよ、お願い。」
「はぁ…… 」
またため息をつくと、カマディはメイシアの顔をじっと見つめた。
「何てことをしてしまったんだろうねぇ。ウンジュをあやつから隠す為に、こうしていたというのに……。でもまぁ、これが運命ってやつだねぇ。」
「? 」
カマディが、メイシアの頭を撫でた。そして、ナギィの頭も。
「仕方ないねぇ。ワシがメイシアのオバアを名乗り出て、次こそはウンジュを守ると決めたのだから。……わかったよ。ここから出よう。」
「ほんと?! 」
「やった! 」
「確か、ユウナが来ているね? あと、一人、とても力の強い子がいるはずやさ。」
「うん。……ウッジの事かな? 」
「ウッジさんというんだね。後、神の力を授かっている子も一人いるようだね。」
「すごい! おばあちゃん、何でもわかるんだね! そうだよ。チャルカは太陽の神さまの力があるよ。」
「え! あのおチビちゃん、そんな力があるの? 」
ナギィの驚きに引きつった笑顔しか出てこないが、あんな風だけど本当の事なのだ。
「……うん。色々あってね。さっきもペンタクルの太陽の神さまが家に来ていたんだよ…… 」
「うそ! わぁ! 神さま、見たかった! 残念過ぎる~! 」
「そうかい。わかった。」
「ん? 何が分かったの? 」
「それは、御嶽から出てから話すよ、メイシア。」
そういうと、カマディはもう一度二人を抱きしめた。
「あぁ、神さまはなんて運命を与え給うたのだろう。……カナサ。カナサンよー。」
深い深い青色が、揺らいだ。
浮遊感。そして確かな繋がっている感覚。
メイシアとナギィは、気持ちの良い何かに包まれていた。
それはカマディの愛だったのかもしれない。
そのまま、二人は意識が遠くなった。
一方、十六夜の空を行くものがいた。
蒼穹を爛れた闇に染めながら、ゆっくりと、ゆっくりと進む者。
もうどれだけ時間をかけようが、問題ないのだ。
砦が壊された今、全てが手中に落ちるのは約束されたことなのだから。
喜びをかみしめるように、闇は深く深く、もう何人たりとも塗り替える事が出来ないように、入念に染めながら前進し続ける。
突然、闇の主が痛快に笑った。
「フフフ……ハハハハハハハハ! これはいい。」
砦が崩れただけでも慶賀の至り。それに加え、渇求の何かを見つけたようだった。
「珍しいのがおるなぁ……。シュテフィよ、やっと、ワシらは『楽園』を手に入れられるぞ…… アハハハハ! 」
闇の主は被っていた王冠を手にとり、ニヤリとした。
王冠にはめられた赤い宝石に、闇の主のいびつに歪んだ口元が映し出されていた。
フンデー / わがままな赤ちゃん
ウンジュ / あなた
カナサ / 愛
カナサン / 愛おしい




