108話 楽園 14/33
メイシアは宮殿の中を走っていた。
何故走っているのか、わからない。こんな場所、全く知らないのだ。
ここは何処なのかもわからない。それを聞きたくて人を探すのだが、どこを探しても誰もいない。
庭や、長い廊下。無限にあるように思える無数の部屋。
メイシアは泣きながら出口を…… いや、人を探した。
人の気配はするのに、誰にも会えない。
刺繍が途中になっているソーイングセット。
背の高い書棚の前の、踏み台に置かれた立派な本。
桶の水に浸かった新鮮なトマト。
走り疲れて、絶望の中とぼとぼと歩いていると、どこからか振り子時計の時報が鳴った。
──ボーン……ポーン……ボーン…………
音を頼りに、辿り着いた部屋の扉を開けてみる。
建物の中に居るはずなのに、ましてや今、廊下から重厚な部屋の扉を開けたはずなのに、そこには庭のような木々の木漏れ日。
その部屋のテーブルには、淹れたてのお茶の入ったポットとテーカップ。
メイシアが、フラフラと足を踏み入れた。
鳥のさえずりも葉っぱが風に揺れる音も聞こえてくる。
メイシアが、おぼつかない意識のまま内部へと足を運ぶ。
何気なくテーブルに備え付けられた椅子の背もたれに手をかけた。
(あぁ、私、走り続けて疲れているんだった。)
そう思うと次の瞬間には、メイシアはその椅子に座っていた。
ふと、今までどうして目に入っていなかったんだろうと思った。
目の前に、メイシアの背丈よりも大きなオブジェのようなものがテーブルの前にあったのだ。
中心に球体。その周りに輪っかが。その周りにももう一回り大きな輪っか……と、いくつか輪があり、その輪は規則があるのかな無いのか、それぞれの振り子の重さにより球体の周りを横だけでなく上にも下にも立体的にまわっていた。
そして一番外の外周には、回らない輪っかが枠の如く備え付けられてあり、そこには時計の文字盤の様に記号が記されてある。
しかし、それは数字ではなく見たこともない形だったので、メイシアにはそれがいったい何なのかわからなかった。
不思議な輪っかの動きに、しばしメイシアは時を忘れて、その輪の動きをただじっと見つめていた。
──ボーン……ボーン……ボーン…………
また時報が鳴った。
振り子時計の音だと思ってたのは、この巨大オブジェの音だったのだ。
今まで、球体の周りをまわる輪っかにばかり気を取られていたが、よく見ると、中心の球体には三角すいの棘のようなものが付いていた。
球体も立体的に……縦横無尽なのだろう? 何か規則があるのだろうか? 回っていて、その棘がどこを向くのかはわからない。
しかしきっと、あの棘がどこかを指示した時、あの振り子時計の時報はなるのかもしれない。
メイシアは、次に鳴る時にわかるだろうか…… と考えるともなしにそんな事を思いながらぼんやりとしていた。
次の瞬間、座っていたはずなのに、立っている自分に気が付いた。
しかも、あの不思議な木漏れ日の部屋ではない。
また、何処なのかよくわからない。
しかし、外だ。
でも外ではない。
ピロティというのだろうか。柱が天井を支えていた。外だが室内。
後ろからの光に自分の影が前に伸びていた。
メイシアが影を見たくないと、嫌悪感が不意に起こり、くるりと180度後ろに向きを変えた。
振り返ると、降りるための階段が姿を現した。
いや、もともとそこにあったのかもしれない。しかし、メイシアはどちらでもいい気がした。
地下へと降りる階段。
その階段へ一歩足を乗せた時、今までどれくらい降りてきたのだろう。
振り向くと、階段の入り口がはるか上で光っていた。
洞窟の様に鍾乳石が氷柱の様にぶら下がっていた。
数段降りると、一番下のフロアに着いたようだった。石筍が剣山の様に生える地面。
しかし目の前には、石筍が避けるように伸びる一本の道。
青い地灯りのなか、メイシアはその石筍の道を進んだ。
いくらか進むと、大きな扉が目の前に現れた。二枚戸で両開きだ。
これがどうやら、石筍の道の行き止まりのようだった。
こんな洞窟の中にひっそりとあるには立派過ぎる装飾がほどこされた扉だった。
メイシアは、そうすることが当たり前のように、扉に手をかけた。
──ダメ! 入ってきてはいけない!
何処からともなく声が聞こえてきた。
洞窟の奥でもなく、傍でもなく。
不思議な声だった。
しかし、メイシアはぼんやり、どこかで聞いたことがある声のような気がしていた。
それでも、メイシアの手は止まらなかった。
戸の取っ手に賭けた手を手前に引いた。
──ダメ! 逃げて!
その瞬間、開き始めた小さな隙間から、扉の中の空気? 水? が洪水のようにメイシアに押し寄せた。
メイシアは悲鳴を上げる事も出来ず、重たい扉の取っ手を持ったままその場に踏ん張って立ち続けた。
波は短く、嵐が止むと、メイシアは瞑っていた目を開けた。
そして続きで扉を開けようと、取っ手を握っている手をみた。
(………… )
最初は目を疑った。
取っ手から手を離し、まじまじと、自分の手や手首を見る。
さっきまで、ほとんど白に近いペールオレンジの肌色だったのが、緑色だったのだ。
(え?!)
ふと顔をあげると、扉の装飾の一部の鏡に映った自分が目に入った。
そこに映った自分の顔は……
「ぎぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………! 」
──ユルシテ、メイシア……、ユルシテ…………




