104話 楽園 10/33
まるで結界でも張られたように、身体が御嶽の中に入るのを拒否していた。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
いくら体が拒否しようとも、すぐそこに大切なものがあるのに、今ここから逃げ出すわけにはいかない。
泣き叫びながら、御嶽へ飛び込んだ。
── パァァァァァァァーーン!
ナギィの体が、御嶽の中に入った瞬間、空が鳴った。
何かが弾けたような、何かが割れたような。
乾いた音だった。
そして同時に、今まで身体を押し返しているように感じていた何かが、一瞬にしてなくなった。
反動を受けなくなったナギィの体は支えを失い、御嶽の地面にたたきつけられた。
「……つぅ、痛い、」
地面に擦れ、膝や顎を擦りむいた。
幸い、気を失う事もなく、両手をついて起き上がり、無我夢中でカマディのところへ駆け寄る。
「オバア! ……オバア! どうしたの、死なないで!目を覚まして! 」
カマディは、うつぶせの状態で倒れていた。それをナギィが上半身を抱き上げ、顔を上に向けた。
カマディの身体をゆすった。
「……ん……、んん、」
小さくだが、カマディが苦しそうに息をするのを確認できた。
(生きてる……! )
一安心したナギィは、カマディをゆっくりと降ろし、地面に寝かせた。
そして次に、御嶽へやってきても、目の前でカマディをゆり動かしても放心状態の森榮に声をかけた。
「森榮! 一体何があったの?! 森榮、しっかりしなさい! 」
今度は森榮の肩をゆすった。
しかし、森榮の様子に変化はない。
地面に座り、青い顔をして、焦点もどこにあっているのかわからない状態で、放心している。
「森榮!」
ナギィが、森榮の両頬を手で挟むように叩いた。
すると森榮は、いきなり咳き込みだした。
焦ったナギィは、森榮の背中をさすった。
「森榮どうしたの……? 大丈夫? 」
まるで溺れて、陸に上がったかのようだった。
咳き込む森榮の顔を心配そうにのぞき込んだ。すると、森榮の吐く息が青い事に気が付いた。
修行をしていなかったら、見えていなかったもしれないが、今のナギィは力の色が見える。ましてや、ここは御嶽。力が可視化しやすい場所なのだ。
「森榮、あんた、力を吸い込んで……? 苦しいの? 早く出して……! 」
ナギィが背中をさすり続けた。
咳をして粗方吸い込んだ力は外に出たのだろう。森榮が、苦しそうにナギィの名を呼ぶと、いきなり、ナギィに抱き付いて泣き出した。
「ネーネー! ネーネー……! 」
ナギィも森榮を抱きしめた。
「森榮、泣いてる場合じゃないばぁよ! オバアはどうしたの? なんで、こんなことになったの?! 」
「わぁぁぁぁぁぁ! 」
「ほら、泣かないで! 泣いてちゃ何もわからないさぁ! 」
抱きしめ、森榮の肩をさすりながら、出来るだけ優しい声で。
「……ワンもわからない。……オバアが心配で、御嶽に入ったらオバアが慌てだして……、そうして、すぐにオバアが苦しんで倒れてしまったからよ、ワンが駆け寄ったけど、そこから覚えてない…… 」
「……わかった。」
そういうとナギィは、自分から森榮を引きはがして座らせた。
実際、そんな説明では全く分からない。
でも、森榮が言っている事も嘘ではなく、森榮自身も何もわかないのだろう。
とにかく、ナギィは自分がするべきことを考える。
まず、カマディを信じる事。そして、自分を信じる事……
こんな時、カマディならどうしただろう、と考える。
昨晩の、カマディがメイシアにしたアレを思い出した。
(ワーにもアレ、出来るかなぁ……、違う。やるしかないんだ。)
マタラは、自分は母親に似ていると言った。そして、本当に似ているんだと、証明して見せてくれた。
ナギィは、手のひらをカマディにかざすと、集中した。
マタラの言葉を思い出す。カガンは、自分の力で奇跡を起こせると言っていた。
目を瞑り、神経を研ぎ澄ます。
すると、目を瞑っているその瞼に、横になっているカマディが浮かび上がった。
カマディの周りに、青黒い靄のようなものがまとわりついていた。
禍々しいその靄が、カマディを苦しめている事は明らかだ。
(靄、どっか行け! オバアに悪さをするな……! )
心の中で叫んだ。
すると、カマディにかざしていた手のひらから、白い光が放たれその青黒い靄を、カマディの体から押しのけた。
空中に追いやられた黒い靄は、寄生する媒体を失って、風に吹き消させるようになくなった。
するとカマディが、咳き込み目を覚ました。
「「オバア!」」
ナギィも森榮もカマディに抱き付いた。
「よかった、オバア! 」
「ごめん、ごめんなさい、オバア! 」
「……ナギィ、森榮。ありがとね。」
カマディは、まだ少し青い顔をしていたが、どうにか口が利けるようになったのか、二人に礼を言うと体を起こした。
「オバア、今、清明たちが、オバアがキジムナーと会っていたって! それで、オバアを牢に監禁するって……! 」
「オバアやだよ! ワンと逃げよ! 」
オバアは、二人顔をまじまじと見ると、目線を外し、あたりを見渡した。
「……大変なことになってしまった、」
「そうやっさぁ! だから、とにかく森榮が言うように、逃げよう! 」
「……ナギィ、違うよ。ワシが監禁されることくらいは、大したことではない。もっと、大変なことになってしまった。」
「? 」
「ナギィ、今、頭痛はしているかい? 眩しさは? 」
そう言われてやっと気が付いた。自分の体がさっきまで……いや、ここまで走ってきたという疲労はあるが、それとは別で御嶽へ入る時のあの眩しさも頭痛も無かった。
「あれ? 眩しくないし、頭も痛くない……。いつからだろう? 」
「やはり…… 」
「オバア、どういう事? 」
「……御嶽の力が無くなってしまった……」
「え? どういう事? 」
ナギィがカマディの話についていけなくて、混乱しだしたその時、
「オバア、あれ見て! 」
森榮が海側の空を指さした。
空の左側……北方面の空が、まだ朝だというのに、不気味に暗くなってきていた。
「わっ!あれ、何?!」
「……トイフェルだよ………… 」
カマディが、確かな声でそう言った。
北の空は紫に染まり、見る見るうちにその濃さを増していた。
その侵食は不気味なほどゆっくりと、じわりじわりと、こちらへその勢力を伸ばしている。




