100話 楽園 6/33
満月に照らされ、明るい夜道をマタラは一人歩いていた。
こんなに早くカマディが御嶽へ向かうなんて、何かあったのだうかと少し気になったからだ。
夜番と交代するのは日付が変わる頃なのだ。
そこから、朝番のマタラ達が太陽が昇る頃にやって来るまでの間、カマディは一人で守っている。
今はまだ22時を回ったくらい。
早く向かったと言っても少し不自然で、胸騒ぎがしたマタラはカマディを追いかけることにした。
しかし、どこまで行ってもカマディに追いつくことが無い。
もしかしたら、今日は満月。浜辺の方へ月を見に行っているのかもしれない。そうでも無かったのなら、水浴びをしてくると言った森榮を見に、井戸の方へ行ったのかもしれない。
きっと、水浴びをしている森榮に着替えなどの世話をしているに違いない、と思い直して、途中で引き返すことにした。
自分を納得させたマタラは、振り返り、来た道を戻ろうと足を踏み出した。
その時、道を逸れて海岸へ続くけもの道の方から、風で揺れる木々の音とは違うざわつきを感じた。
(祝女さま……? )
いつもならきっと、気にも留めないはずだった。小動物が木の葉を動かしているのかもしれない。しかし、何故だかその何でもない「ざわつき」が、不思議と足を海岸へ向かわせた。
生い茂ったアダンの葉が、行く手を阻むように邪魔をしてくる。
アダンの葉や棘で怪我をしないように慎重に進んでいると、小さくカマディの声が聞こえた。
(やはりいらっしゃった。どうして、こんなところに……? )
そう思ってると声もう一人、カマディとは違う声も聞こえてきた。
「イヒヒ。分かった。任せるさぁ! じゃ、行ってくる! 」
子供のような……かん高い声。しかも、男の子のような声だった。
しかし、森榮とはまた違う。聞いた事の無い響きだった。
(祝女さま、一体誰と? )
「すまないね。いつも大変なことばかり頼んでしまって…… 」
カマディの声もはっきりと聞き取れた。
「カマディとワッチの仲やっさぁ、」
すぐそこだ、と思った時、アダンの壁を抜けた。
子供の声の主が、月光を背に受けて影になっていた。
マタラは一瞬にして血の気が引いていくのが分かった。
その月を背負っている者の影に、見覚えがあったからだ。
背は低くボサボサに伸びた髪。月の光に透かされた髪の色は赤かった。尖った耳が人間ではない証拠だった。
見間違えるはずがない。
忘れたくても、忘れるはずもない。
あの夜、彼らに追い立てられ、命からがら逃げたのだから。
「……ムナー……、キジムナー…… 」
震える声でやっと言った。
そしてその場に、ヘナヘナと座り込んでしまった。
キジムナーと呼ばれた影が、マタラに気づき、毬のように飛び跳ねたかと思うと一瞬にしていなくなった。
同時にマタラに気が付いたカマディが振り返った。
「マタラ! 」
「祝女さま……どうして、キジムナーと…… 」
「違うんだ、マタラ。」
「どうして?……どうしてなんですか? いや、ダメです、今は祝女さまの言葉は聞けません…… 」
「マタラ、全部、誤解やっさぁ、」
「何が誤解なんですか!今の状況ですか? あれがキジムナーだという事ですか? 私はあいつらに追い立てられ、殺されかけ、御殿から逃げ出したのです! 間違えるはずありません! 」
「それは…… 」
「どうして、そんなキジムナーと祝女さまが、こんなところで人目を避けて会っているのですか! 」
「マタラ、お願いだから、冷静に…… 」
「この国の一大事に冷静で居れるはずもござません……! 」
マタラはそういうと、力の入らない両脚を奮い立たせ、立ち上がった。
そして縺れる脚で、なんとか家に戻ろうと歩き出した。
「マタラ、待ってくれて。冷静になって、少しだけ話を! 」
カマディが、マタラの腕を掴んだ。
しかし、マタラはそれを乱暴に振りほどくと、さっきまで阻まれて通り抜けるのに苦労していたアダンの群生を走って抜け、そのまま駆けていった。
アダンが、マタラの肌を傷つけることは無かった。
残されたカマディは、静かに、アダンの葉が除け作った道を歩き、群生を抜けるとマタラを追いかけず、ゆっくりと御嶽へと向かっていった。




