95話 楽園 1/33
きれいな海だと、ウッジは思った。
森で育ったウッジにとって、海は何もかもが珍しい。
海の匂いや音。
ぽっかりと空いているようで、詰まっているような不思議な空間。
海からの風。
海は青く、水面が煌めいている。
空も一段と青く、遠くに白い雲がもくもくと立っていた。
砂浜は白い。
よく見ると、その白い粒は、白く固い枝のようなものが混じっていて、それが砕かれて砂になっているんだと気が付いた。
これは何なんだろう、と思うが、わからない。
そうだ、ストローなら分かるかもしれない! と思い周りを見渡すが、さっきから一人だったのだろうか?
誰もいない。
よく考えると、チャルカもメリーもいない。もちろんメイシアも。
こんなにきれいな海に来て、楽しい気分だったのが一転、急に不安になり、ウッジは仲間を探して走り出した。
走って走って、気が付くと、浜辺に白い何かが落ちていた。
近づくとそれが人であると分かった。
こんなところに人なんて倒れていたかなぁ? と思いながらも声をかけてみる。
「あの……、大丈夫ですか? 」
反応がない。
波打ち際でうつぶせになっている。
女性だった。
白い簡素なワンピースを着ていた。
髪は長く、白髪。白髪だが艶があり、老人というわけではなそうだ。
何より、見えている腕は、細いながらも綺麗な肌だった。
放って行くわけにもいかず、肩をゆり動かしてみる。
「こ、こんなところで寝ていたら、体壊しますよ……」
「ん……んん…………、」
女性が気が付いたのか、動きがあった。
ウッジは、心の中で「良かった……生きてた……」と思った。
と思ったのもつかの間、女性が「触れるな、トイフェル! 」と言ってウッジの手を払った。
しかし、すぐに呼んだ名の者とは違う人物だという事を理解したのか、小さな声で「すまぬ、」といった。
「起き上がれますか? 」
女性は、ゆっくりと腕を軸にして体を持ち上げた。
そして、身体を半回転させて、そのまま座り込んだ。
美しい女性だった。
しかし、何か違和感がある。
なんと表現したらいいのか、ウッジは少しの間わからなかったが、しばらく無言で見つめてやっと違和感の正体がわかった。
色が無いのだ。
ワンピースが白いのはわかる。長い髪が白いのもまだわかる。しかし、血の気がないのかと思うほど、肌の色が白い。
(……生きてるよね? この人…… )
そんな事を考えていると、女性が海を見ながら涙を流した。
「……死にたい………… 」
予想外の言葉が女性から飛び出し、ウッジは自分のキャパを超えてしまって、何をどうしていいのか固まってしまった。
「私はまだ死ねていないのか…… 」
女性が両の手で顔を覆い、泣き始めた。
フリーズしていたウッジだったが、フリーズが解かれても、声をかけられずに、静かに女性の横に座り込んだ。
長いような短いような、波の音と女性のすすり泣く声だけの時間が流れた。
しばらくして、女性が白く細い腕で涙をぬぐうと、ポツリとこぼした。
「何も言わないんだな、」
ウッジは慌てて、自分でも滑稽なほど手だけアタフタと動かしてしまった。
女性が笑いもせず、ウッジを見た。
ウッジと目が合った。
ウッジは息をのんだ。
そして、つい言葉が漏れた。
「……色が、、」
色が無いと思っていた女性に一つだけ色があったのだ。
それは、瞳。
瞳だけ、とてもきれいな緑色をしていた。
深すぎず、浅すぎず……深い森が太陽の光を透かしたような色だった。
そして正面から見ると、横顔よりも幼い印象で、美少女だと思った。
「……綺麗な瞳の色ですね、」
死にたいと泣いている女の子に、一体自分は何を言っているんだと心の中で猛省をする。
そして、乾いた笑いで誤魔化す。
「あはははは…… 」
「……まだ私の目は、色があるのか…………、」
少女は視線を落とした。
何か、悪い事を言ってしまったのかなぁ? と思いながらも、次にかける言葉が見当たらない。
「……あなたに、殺せとは言えないな……、」
無色の声色で少女はそういうと、また泣き出した。
今度は、大きな声をあげて、膝を抱えて泣いた。
「私にどうしろというのだ!どれだけの長い間、私を生かし続けるのだ。 私にはもう何も残っていない。なのに、どうしてまだ生かす! あぁ、私を八つ裂きにしてもいい。凍らせて砕いてもいい。火をつけて灰にしてもいい。何もかも忘れて眠りたい! 無くなりたいのだ! 存在しくない! どうか、私を殺してくれて! 私を助けて……見ているんだろ? 私を助けて! やっと手に入れたと思ったここも、楽園じゃないのか! わぁぁぁぁぁ……! 」
少女の言葉が赤かった。
赤いなぁ……痛いなぁ、苦しいなぁ、とウッジは思った。
かける言葉もなく、そっと少女の肩を抱きしめた。




