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 入試の時に泊まったビジネスホテルに、約四年ぶりにチェックインした。はっきりと記憶しているわけではないが、内装は当時とあまり変わってないな、と水上は思った。

 二泊分の荷物を部屋に置いて、ホテルの外に出た。まだ日は高い。以前バイトしていた古本屋に行くと店主がいた。挨拶をして文庫本を二冊買って、近くのよく行っていた喫茶店に入った。そこでも店長に挨拶をして、コーヒーを注文してしばらく本を読んだ。

 喫茶店を出ると、空は暗くなりはじめていた。あまり通ったことのない道を選んで歩き、入ったことのない店で夕食を食べた。ホテルに戻り、いつもより早い時間に横になった。

 なかなか寝付けなかったが、早めに設定したアラームが鳴る前に目が覚めた。水上は起きて、着替えて、外に出た。

 もう冬とは言えない時季だが、日が出たばかりの早朝はまだ寒い。

 踏切を渡り、参道を通って、この前まで住んでいたアパートの前を過ぎた。水上はわずかに視線を向けただけで立ち止まらなかった。図書館の方へ曲がると、見知った二人が歩道で佇んでいた。二人とも民家の前の植木鉢を見おろしている。

「おはよう。なにしてんだ?」

 水上が声をかけた。二人は少し驚いたように顔を向けた。

「おはよー」

 と、天水が小声で言った。古泉は軽く手を上げた。古泉のは挨拶というよりもこちらを制止しているようだった。水上は足を止めた。水上からは見えないが、たぶん植木鉢の影に猫がいるのだろう、と察した。

「早起きだな」

 猫が歩き去ってから、再び水上は声をかけた。

「おたがいさま」

 と、古泉が言った。

「なんか目が覚めてしまったからな」

「私たちもだよ。それに、懐かしくて、ね」

 天水は古泉に向けて言った。

「ん」

 古泉はうなづいた。古泉は昨日から天水家に泊まっているはずだ。

 懐かしい、という言葉が引っかかったが深くは聞かないことにした。

「それじゃ、また後でな」

「うん。学校で」

 天水がこたえた。

「遅れないでね」

 と古泉に言われた。

「もう起きてるから大丈夫だ」

 二人と別れてから、来た道とは違う道を通ってホテルに戻った。時間はまだ余裕がある。



 数時間後、スーツに着替えて大学に来た水上は、講堂前の広場の人だかりの中に古泉と天水の姿を見つけた。二人とも着物を着ている。

「さっきぶりだな」

 水上は声をかけた。

「ん、今朝ぶり」

 と、古泉は言った。

「挨拶よりさ、これを見て何か言うことないの? 水上君」

 天水が、顔の高さにある古泉の両肩に手を置き、押し出すようにして聞いた。

「似合ってるぞ、蓮」

「あ、ありがとう。これ、お母さんのを仕立て直したんだ」

 少しうつむきがちになり、口元を右手で隠すようにしながら左腕をわずかに上げて袖を広げた。

「私はー?」

 天水は古泉の横に並んだ。

「高そうな着物だな」

「うん? 他には」

「動きにくそうだな」

「この扱いの差は何かね」

「なんだろうな」

「私のことも、もっと褒めるべきだと思うのだが、どうかね?」

 天水の口調が威圧感を増してきた。

「いい色遣いですね」

「着物だけかよー。嬉しいけどさ」

 もう少し文句を言われるかと思ったが、以外とあっさり終わった。古泉と同じで天水も着物に思い入れがあるのかもしれない。

「夏川に見せてこいよ。超褒めてくれるぞ、たぶん」

「それは後でのお楽しみにしておくよ」

 雑談していると知り合いたちが加わり、やがて講堂の入り口が開いた。空いている席に座り、司会の号令で立ったり座ったりして、長話を聞き流していたら卒業式が終わった。 式の後は学科ごとに別々の教室に集まる事になっている。卒業生が一斉に講堂の外に出ていく。

「先に行ってるねー」

 と言って、名雲と一緒に天水は人波に紛れていった。

 水上はしばらく座っていた。隣の古泉もなかなか立ち上がろうとはしない。

 講堂内に人がまばらになってから、水上は話しかけた。

「そろそろ行こうか」

「ん」

 水上は腰を上げた。古泉も立とうとしたが、途中で動作が止まり、また座ってしまった。

「どうした?」

「慣れない格好だからか、疲れた、のと動きづらい」

「そうか」

 手を差し出した。

 彼女は手を重ねた。

 軽く引っ張って立ち上がらせる。あまり力はいらなかった。

「ありがと」

「どういたしまして。んじゃ、行こうか」

「うん。それと……歩きづらいから、階段はこのまま」



 よく使っていた教室で卒業証書と卒業論文を受けとって、解散となった。が、多くの人は教室を出て同じ方向に歩いて行く。水上は知らなかったが、体育館で卒業記念のパーティがあるとのことだ。

 体育館では、すでに立食パーティーのようなものの準備が整っていた。写真部+αの面々は壁際で雑談しながら始まるのを待った。

 始めの挨拶などは仰々しいものではなく、卒業式の時に聞いたようなことを手短にまとめたようなものだった。「ご自由にご歓談ください」となってから、水上はゼミの先生を見つけたので、挨拶に行った。

 戻ってくると和服の人が増えていた。なんとなく雰囲気が似ているので、古泉の母だとわかった。来ることは聞いていた。

 古泉は、まだ距離のある水上に対して手を差し出すようにして示し、

「水上」

 と、紹介した。水上の経験と照らし合わせて、それが紹介であると、彼にはわかった。

 次いで、隣の和服の女性を同じように示して、

「お母さん」

 と言った。

「水上治人と言います」

「蓮の母です。娘から話は聞いております」

 女性はなめらかなしぐさでお辞儀とも会釈ともとれないような頭のさげかたをした。水上もあわてて頭を下げた。

「今後ともこの無愛想な娘をよろしくお願いします」

「こ、こちらこそ」

 どうやら古泉と水上が付き合っていることを知っているようだ。

「お父さんが来なくてよかった」

 古泉が息をはいてからつぶやいた。

「娘の晴れ姿が見られなくて、血涙を流していましたよ」

 表情を変えずに言った。普通に話しているときと同じ調子で冗談を言うのは古泉家の血筋らしい。

「本当に来なくてよかった」

 娘は肩の荷が下りたように、もう一度つぶやいた。


 三十分くらいして、まだまだパーティーが終わりそうもない中、天水が古泉と水上に目配せをした。

「私たちはこれで。この後部室に行くので」

 食事と雑談を切り上げて、いつものメンバー+αに天水が言った。

「またあとで」

 と、名雲が言った。

「それじゃあ、さよなら」

 と、立原が言った。

 古泉の母も一緒に体育館から出た。

「私はこれで失礼します。天水さん、水上さん、娘をよろしくお願いします」

「幼子を預けるみたいに言わなくても」

 文化部棟の前で別れた。

「これで部室に誰もいなかったら笑う」

 文化部棟の階段で古泉が言った。

「たぶん乾いた笑いが出るだろうな」

「大丈夫だよ。さっき夏川君からメールが来たし」

 先頭に立つ天水が言った。部室の扉の前で三人は立ち止まり、天水がノックをした。中から「どうぞ、お入りください」と声がした。

 天水が扉を開けると、乾いた爆発音で迎えられた。

「うおっ!」

 声を出したのは天水だった。水上は驚いたが声は出さなかった。前にいる古泉はびくっとしていた。五人分のクラッカーの音だった。

「ご卒業おめでとうございます」

 部員達にそれぞれそう言われた。

 三人の卒業生は、五人の部員達にそれぞれ言葉をかけた。

 女性陣で雑談が始まってしまい、男三人は話の輪から離れた。

「俺からは特に言うこともない」

 水上は後輩二人に言った。

「何か言っておきましょうよ。小っ恥ずかしいやつを」

「たぶん、今の言葉は来年棚に上げられるだろうけど、後悔するなよ、部長」

「水上さんのありがたいお言葉が聞けるなら安いもんです」

「一応、昨日電車に乗ってるときに考えたが……。ところで舟形、バイトの方はどうだ?」

「えっ? 特に問題はないです」

「そうか。舟形のバイトの件もそうだが、人との出会いは思わずやってくることもあるけど、行動した結果もたらされることもある。それが当然のことだと思ってても、人とのつながりは大切にしろよ」

「はい」

 舟形は頷いた。

「今のが、移動中に考えたやつですか?」

 夏川が聞いた。

「聞くな」

 水上は目をそらした


 雑談が途切れた。

 天水が夏川の方を向いた。部長は頷いた。

 部長が、部の備品のポラロイドカメラが装着された三脚を、入り口の近くに置いた。

「撮りますので、並んでください」

 と、部長が言って、部員達は卒業生たちを間にはさんで、一人分のスペースを空けて横に並んだ。

 ファインダーを覗き、セルフタイマーの設定をしてシャッターボタンを押し、空いたところに入った。

 ほんのわずかな間をおいて、シャッターがおりる音が聞こえた。

 カメラから白い厚紙が出てきた。部長が端をつまんで、乾かすように軽く振った。

 少しずつ像が浮かび上がってきた。ちゃんと写すことができていた。

 三脚につけたカメラを天水のデジタル一眼レフに取り替えて、もう一回写真を撮った。今度は天水が操作をした。



 棚からアルバムを取りだし、ポラロイドで撮った写真を新しいページに貼った。その横に卒業生の三人がそれぞれ名前を書いた。

 前のページには鷹見凪という名前が、その前のページには瑳内耀・佐倉直哉と記されていて、そのときの写真部員達が写った写真が貼ってある。

 夏川はアルバムをそっと閉じて、棚に戻した。

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