六
この町に一つだけの大学は小さな山の上にある。大学の隣には高校がある。付属高校ではないのに敷地が繋がっている。これは珍しいことなのか、他の大学をほとんど知らない天水にはわからない。
大学の正門と高校の正門は山の反対側にある。小さい山とはいえ、公道を通ると山の裾をぐるっと回ることになるのでそれなりの距離になる。そのため、登下校時にそれぞれの学校の敷地を通っていく学生や生徒が多い。
彼女は図書館の前の坂を下り、正門とは逆の方へと曲がった。文化部棟を横目に見て、体育館の脇を通り過ぎる。運動部棟の前を過ぎると県立高校の裏門だ。かつて彼女の通学路だった道だ。
懐かしさはあまり感じなかった。たまに通る道だからだろうか、それとも大学の構内の景色が変わったからだろうか。天水が高校生の時にあった大学の古い校舎は、取り壊されて芝生の広場になった。その奥に新しい校舎ができた。それが二年半前のこと。今ではすっかりこの景色になれてしまった。
大学だけではなく、町中もこの数年で少しずつ変化している。最寄り駅の駅舎が立て直され駅前も一新した。通学路の途中に新しくコンビニができた。神社に博物館がつくられた。
――私は変われたのかな。
そんなことを思いながら裏門から入った。
少し歩くと職員玄関の前に人がいるのが見えた。待ち合わせした時間まではまだ十分以上ある。早いなあ、と思う。でも、いつもあの人は先に待ち合わせ場所に来ていた。そのことが何よりも懐かしかった。
「先生!」
手を振りながら小走りになって近付いた。職員玄関の前に佇む女性は、彼女に気づいて手を振り返した。
「お久しぶりです」
「久しぶり、志穂さん。それと、おめでとう」
用件は手短にメールで伝えてある。写真部の顧問であるこの先生は、天水の姉の担任でもあったため二人のことは名前で呼んでいる。
「ありがとうございます。と、あらためまして。不肖天水志穂、無事に内定をいただきました」
「わー」
先生は大げさに拍手した。天水は照れくさそうに笑った。
「ご心配おかけしました」
「いえいえ。少し歩こっか」
校舎の横を歩き、自転車置き場を過ぎるとグラウンドが見えてきた。野球部が練習試合をしているようだった。
「あら、負けてますね」
スコアボードを見ると五回で一対二。今は五回裏、天水の母校の攻撃だ。ワンアウトでランナーはなし。
「まだ中盤だし、これからだよ」
二人はグラウンドが見渡せてボールが飛んでこないような場所で立ち止まった。
「正直に言うと、就職のことについてはあまり心配してなかったよ」
「そうなんですか? 私が優秀だから?」
センター前ヒット。ワンアウト、ランナー一塁。
「調子に乗らない」
バットがボールをとらえた金属音と共に、天水の額に軽い衝撃がはしった。先生のチョップだった。
「まあ、優秀というのもあるけれど……。大学生になってから何度も話を聞かせに来てくれたじゃない」
「近況報告というか相談みたいなことも多かったですねー」
送りバントでツーアウト、ランナー二塁。
「相談ではなかったでしょ。志穂さんは仲間と、時には一人で考えて決めたことを話しに来てくれただけだよ」
「そんなことないです。先生には何度も力になってもらいました」
「そう言うならそういうことにしておこう」
先生はグラウンドの方に目を向けた。天水もつられてそちらを見た。次の選手がバッターボックスに入った。
「これからも、いえ、これからの方が長いけれど、志穂さんなら大丈夫」
天水は思わず先生の方に顔を向けた。
内定をもらったことに、喜びと少しの不安もあった。それを見透かされたと思った。
「なんで……」
先生も顔を向けた。笑っていた。
「あなたは、あなたが思っている以上に真面目だから。わかるよ」
目をそらして、
「んなことないっすよー」
「口調だけだよね。不安なら何度でも言うよ。あなたなら大丈夫」
「そんな軽々しく……」
「何年間か志穂さんのことを見てきたからね」
鋭い金属音が響いた。低く飛んだボールは外野の間を抜けて転がっていった。
「走れ走れー!」
先生は急に声援を送った。話は途切れてしまった。
こんな大人になりたい、と天水はあらためて思った。