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第08話 紙の通貨と憧れの水筒 (2)

「ふんふんふーん」


 数日後、鼻歌を歌いながらミアは屋敷の廊下を箒で掃いていた。

 この屋敷を訪れて10日ほど、そろそろ屋敷にも慣れてきたミアである。


「お給料もいいし、幸せだなぁ」


 一人で屋敷と向こうの部屋の両方の家事をこなすのは大変だが、それにしても良い条件だ。

 部屋は大きいし、作った食事も偏也と同じ物を自分も食べていい。何より屋敷も向こうも見るもの全てが新鮮で、働いていると楽しかった。


「向こうのお金……なに買おうかなぁ」


 懐から財布を取りだし、ミアは中身をじっと見つめた。

 三万円と五〇〇円玉。偏也の話を聞く限り、そのまま三万ギニーほどの臨時収入だ。


 先週分の正規の給料はともかく、この異世界の通貨はとんでもないお宝である。

 なにせ、向こうの世界の品物が買えるのだ。


 屋敷で使っている光る石鹸や、透明で割れない水筒。三万円で買えるかは不明だが、買えるならば是非とも自分用を手に入れたい。


「やっぱり水筒ですかねぇ」


 偏也に頼み込んで、またギュードンを食べに連れて行ってもらうのも捨てがたい。あれもいくらで食べられるかは知らないが、三万円あれば一人分くらいは食べられるのではとミアは思った。


 なんにせよ、夢が広がる話だ。


 箒を握りしめて、尻尾を揺らしながら廊下の角を曲がる。すると何やら、ロープのようなものを引っ張っている偏也がミアの目に入った。


「あれ、ヘンヤさん。何してるんだろ?」


 白色のロープを引っ張る偏也は、何処か思案顔だ。そのロープを視線で辿れば、どうやら例の鏡の部屋から伸びて来ているようだった。


「ヘンヤさん。それなんですか?」


 率直な疑問を口にしながら、ミアは箒を片手に偏也のところまで歩いていく。


「ああ、ミアくん。丁度いいところに。どうだいこれ?」


 少し得意げに笑みを浮かべながら、偏也は手元のロープを見せつけた。

 見せられた手の中の物体を、ミアが不思議そうに覗き込む。


 白い。そしてつるつるしている。どうも色縄ではないようだ。偏也の持つ先の部分だけが四角く膨らんでいて、その中にいくつかの細い穴が空いていた。


 どうだいと言われても、ミアにはそれが何なのか分からない。

 眉を中央に寄せて、ミアは恐る恐るロープをつついた。。


「……ヘビとかじゃないですよね?」


 生きているようには見えないが、かといってロープや紐のようにも思えない。剥製か何かだろうかと、ミアは目を細める。

 そんなミアの質問に、偏也は愉快そうに返事をした。


「これは延長コードといってね、向こうから引いてきたんだ。これでだいぶ楽になるぞ」


 嬉しそうに延長コードを見つめる偏也に、ミアは首を傾けたままだ。聞いたことがない単語だが、偏也の道具が奇々怪々なのにも段々と慣れてきたミアである。


 今回も凄いんだろうなぁと、説明を求めて偏也の顔を覗き込んだ。


「その、エンチョオコードですか。何に使う道具なんです?」


 もっともなミアの疑問に、偏也が満足げに顎を触る。実際この延長コード、偏也としても画期的なものだった。


「これはだね、簡単に言えば電気を通してくれる紐だ。これさえあれば、家電製品がこちらでも使える。電池は半ば諦めていたからね、いい思いつきだったよ」


 コンセントの穴を見やる偏也の顔は希望に満ちあふれている。


 ミアは知る由もないが、この屋敷にある品物には決定的なものが足りていなかった。それが家電製品である。

 偏也としても是非とも使いたかったが、電気の問題を解決するのがどうしても面倒だったのだ。何せ、自家発電器を持ってこようものならば大変な重労働である。


 その問題が、こんな細い白線一本で。偏也は、愛おしげに延長コードを指で撫でた。


「デンキって何ですか?」

「ああ、そうか。ミアくん達には馴染みがないかな」


 ミアの視線に、偏也がゆっくりとミアに振り向く。日本では当たり前に使われる単語だが、電線が引かれる以前は一般人の生活の上では必要のない知識だ。

 詳しく説明する必要もあるまいと、偏也はミアに分かりやすいように言葉を選んだ。


「冬にドアノブを触るときとかに、バチってすることがあるだろう? あと、雷がゴロゴロと光ったり。あれが電気だ」

「ほえぇ。雷様ですかぁ」


 偏也の説明に、ミアはとりあえず凄そうなものだということだけ理解した。雷が通ると言われてもぴんとこないが、何だか危なそうだとミアは延長コードを睨みつける。


「それ、危なくないんですか?」

「危ないぞ。ここの穴を舐めたり、指を入れたりしちゃ絶対に駄目だからな。気をつけるように」


 偏也の警告に、ミアがびくりと身体を震わせた。ばっとコンセントから距離を取り、その様子をくすりと偏也が笑う。


「そんなに固くならなくても大丈夫だ。普通に使ってる分には安全だから」

「むぅ。本当ですかぁ?」


 緊張した面もちでコンセント穴を凝視するミアに、偏也は愉快そうに頬を綻ばした。

 しかし、ぐいとコードを引っ張ると不機嫌そうに顔を変える。


「うーん、ここまでみたいだな。今度、業務用の長い奴でも買いに行こう」

「にゃ、引っかかってるんですか?」


 延長コードの限界を確認している偏也に、ミアは再び首を傾げた。ミアからしてみれば、コードの先がどうなっているかは検討もつかない。


「もうちょっと長ければ、リビングまでいけるんだが。ま、今のところは仕方ないな。試しに何か使ってみよう」


 そう呟くと、偏也はコードの先端を置いて部屋に向かって歩き始めた。

 コンセントを警戒し睨みつけるミアは、部屋には近づかずに偏也を見送る。


 ミアがコンセントを見つめる中、数分も経たない内に、偏也は大きな荷物を抱えて帰ってきた。


 見ると、金属の四角い箱だ。重そうに歩いてくる偏也に、ミアは慌てて駆け寄っていく。


「て、手伝いますよっ」

「ぐぅ、すまない。無駄にデカいのを買ってしまったな」


 箱に手を添えて、ミアがその重さに一瞬驚く。今まで偏也の荷物は見た目よりも軽いのが普通だったが、今回の箱は見た目通りの重量感だった。


「あの先っぽまで運べばいいですか? 大丈夫です。これくらいなら平気ですよ」


 しかし、人間よりは腕力の強い亜人のミアである。想像通りならそれでよしと、偏也から箱を受け取ると軽々と延長コードの先へと運んでいった。

 見た目とは裏腹に力持ちなネコ耳メイドを、偏也は少々驚いた瞳で見つめる。男としては悔しさもあるが、メイドとしては頼もしいことこの上ない。


 箱を床に置き、ミアは偏也に顔を上げた。偏也が頷きながら屈んだのを見て、ミアは一歩離れて偏也の作業を見つめる。


 箱の裏側に巻き付けられていた黒いコードを、偏也が解いて右手に握る。色は違うが延長コードに似ているぞと、ミアが目を凝らした。


 ただ、箱の方のコードは細い穴ではなく、変な出っ張りが二つ付いている。ヘビの牙みたいだと、ミアは尻尾の毛を膨らませつつコンセントを見つめた。


「この穴にこれを差すと、使えるようになる」


 そして、偏也がコンセントの穴へとプラグを差し込む。その瞬間、箱の表面の一部がぴかりと光り、ミアは驚いたように箱を見つめた。


「ふふ、ついに電子レンジが稼働したか。前まではわざわざ帰ってたからな。これで便利になるってもんだ」


 きちんと作動した電子レンジにホッとしつつ、偏也はレンジの液晶パネルに目を向けた。横目に見ながら、ミアはふんふんと鼻を鳴らす。


「レンシレンジですか。変わった名前ですねぇ。これって、何をするもんなんです?」


 微妙に名前を聞き間違えているミアを楽しそうに見つめながら、偏也は

見た方が早いと立ち上がる。つられてミアも立ち上がり、偏也はミアに何か食べ物を持ってくるように指示を出した。


「ミアくん、何か食べるものを持ってきてくれないか? 出来れば冷めた奴がいい」

「えっ? 冷めた奴ですか?」


 偏也の妙な指示に、ミアは聞き間違いかと聞き返す。しかし、こくりと頷いている偏也にミアは不思議に思いながらも台所へと足を向けるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「すみません。こんなものしかなかったです」


 ミアはそう言うと、偏也にサンドイッチを差し出した。中身はハムと野菜で、昼食にミアが作ったものの残りだ。

 後で間食に食べようとミアが取っておいたものだが、冷めているといえば冷めている。


 そもそも、食事は残り物が極力出ないようにミアが計算して作っているし、こうして残った分はミアのおやつとなる。

 主人に残り物を出せるはずもないので当然なのだが、偏也は嬉しそうにサンドイッチを掴むと、電子レンジの扉を開けた。


 ばかんと開いた扉にミアが驚き、それを無視して偏也はサンドイッチを中へ放り込む。そのまま扉を閉めると、偏也は元気よくあたためのスイッチを押した。


「わっ! 光りましたっ!」


 ぶぅぅんと、赤く光りながら電子レンジの中のサンドイッチが回り出す。それを興味深げに覗き込んで、ミアは何が起こっているんですかと偏也を見上げた。


「うーん、見てもらったほうが早いかな」


 ミアの好奇心に、偏也は腕を組んで目を細める。マイクロ波だとか分子運動だとかの説明をミアにするのは、偏也といえど困難だ。結果だけ分かればいいだろうと、偏也は電子レンジの秒数に目をやった。


 ちょうど三分。効果の程は目に見えて分かるはずだ。

 偏也が扉を開けると、加熱された証拠の湯気がほのかに中から漂ってきた。


「……ッ! やりすぎたかな。まぁ、でもほら。触ってみたまえ」


 少しだけしっとりとしたパンズを持ちながら、偏也はサンドイッチをミアに手渡す。

 何が起こったか分かっていないミアは、それを普段の感覚で受け取って思わず声を上げた。


「にゃわっ!? 熱いですっ!?」


 驚いたミアだが、サンドイッチを放り投げるわけにもいかない。必死になって両手で掴んで、やや加熱しすぎのサンドイッチを見下ろした。


「た、食べ物をあっためる道具なんですかっ?」

「正解だ。ふふふ、凄いだろう」


 科学の結晶といってもいい。彼にしては得意そうな声に、ミアは呆然としながら目の前の四角い箱を見つめた。


 どう見ても、火を使っている様子などなかった。それに、ここまで熱くなったサンドイッチが焦げている様子もない。ミアは目をまん丸に開けて、手元のサンドイッチにかじり付く。


「……熱い」

「これがあれば、料理が冷めても大丈夫だな。ミアくんの仕事も随分と楽に……」


 呆気に取られているミアに、偏也がにこにこと微笑む。偏也の生活は不規則で、ミアは食事の支度を予測しながら準備しているのだ。

 電子レンジがあれば夕食の用意をする時間も、深く考えなくてもよくなるだろうと、偏也はミアに笑いかける。


 頑張ってくれているミアに出来るだけ楽をさせてあげたいという、偏也なりのアイデアだった。


 しかし、偏也はミアが肩を落としていることに気がついた。しょんぼりと、手元のサンドイッチを悲しそうに見つめている。


「どうした? 火傷でもしたかい?」


 偏也はミアに首を傾げた。不思議に思った偏也の唇が動く前に、ミアの口からぽろりと言葉が落ちる。


「……出来れば、温かいうちに食べて欲しいです」


 その一言に、偏也の目が見開かれた。

 怒るわけではない。寂しそうに俯くミアに、偏也は自分の過ちを痛感する。


 偏也が予定よりも遅く帰るときは、ミアはいつも夕食を暖め直してくれていた。鍋で、フライパンで。その作業が、少しでも楽になればと思ったのだ。

 けれど、どうやらその気遣いは的外れだったらしい。


「すまない、ミアくん」


 偏也の腰が、目線をミアに合わせるように屈む。俯いたミアの瞳は、普段よりも更に数センチ下になっていた。


 鍋と電子レンジに、何の違いがあるのだろう。そんなことも分からないくらいに、自分は孤独になっていたのかと、偏也はミアの頭に手を置いた。


「いつも、感謝している。ありがとう」


 よしよしと、ミアの頭を撫でていく。耳の毛も撫でられて、ミアがくすぐったそうに目を瞑った。


「これは料理の下拵えにでも使ってくれたまえ」


 そう言って、偏也はミアに優しく微笑む。それにミアも顔を上げて、にこりと笑顔を見せた。


「電子レンジのレシピが乗っている料理本があったはずだ。一人暮らしを始めた頃に、調子に乗って買ったものでね。一緒に読もうか」

「ほんとですか?」


 嬉しそうに声を上げるミアに、偏也は勿論と立ち上がる。

 記憶が確かなら、本棚の奥底に眠っているはずだ。


 さて、どう探したものか。


 ネコ耳の少女のおかげで少しは探しやすくなった部屋を思い浮かべながら、偏也はミアに手を差し伸べるのだった。


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